《お月様はいつも雨降り》第五目
次の日の朝、僕はケースベッドの上でくつろぐシャンに昨日の出來事を話した。
彼は最後まで聞き終えると何かを確信したかのように一人うなずいた。
「多分、上様はこの世界の上様じゃない、というか上様なんだけど、上様じゃないというか」
「どういう意味?」
「多分、上様は前の世界のある時點で亡くなっているのかもしれぬのぅ」
「うぇえ?」
シャンは僕の揺を気にせず淡々と話を続ける。
「かのものらのが開いたことにより時間位置がずれたのかもしれぬ、簡単な方程式に例えると、時間の進む向きを逆にした狀態変化も計算上の運としてり立つからの、ほら、これを見ろ、すぐにわかるじゃろ?」
シャンが僕にはまったく理解できない數式を部屋の壁に何行にもわたって投映した。
「でも、それがなぜ、上様だけにその解が與えられたかが妙なのじゃ」
あり得ない出來事について顔ひとつ変えず、シャンは僕に説明を続ける。
「その世界でのわしは何かのシグナルを察知して契約の場所に上様をったのだろう、で、その場所で天使のラッパが鳴った、多くある差異のうちの一點はそこじゃ、こちらではまだ鳴っていないどころか菅原とかいううるさい若者が一人で酔って騒いでいた時間じゃ……」
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確かに、打ち上げで高校生がいるのに隠れて一人飲んでいたのは菅原だ。
「例えラッパが鳴ったとしても客人(まろうど)は、すぐには戦(いくさ)を仕掛けてこぬと我々は考えていた、何せ、まだが小さいからの、かのものらが報を事前に得てピンポイントでわしらを始末しにきたのかもしれぬ」
「ますます意味がわからん」
「わしのこの魅力的なボディの中には、わしも知らない機能が備わっているそうじゃからの、それが発したのかもしれないのぅ、ただ、思っていたよりも時間がないことは確かじゃ、次の使命を早く実行しなければならぬ……」
シャンは自のお世辭にもあるとは言えない小さなをりながら獨り言のようにつぶやいた。
「わからない、時間とか、とか、発とか、それも何で僕だけ……」
シャンは僕の顔を不思議そうに見た。
「おかしいのぅ、創造主様からは上様が自分でこのミッションに志願したと聞いておるぞ、だから、わしがここに送られてきたのじゃ」
「はぁ?志願なんかするわけないだろ、僕は昔から……昔」
この瞬間、僕は過去の記憶が抜けていることに気づいた。なんでも人任せだった頼りない僕を怒ってくれた母親、実家で飼っていた犬の名前、自分の格やそこに生きていたということは何となく覚えているのだけれど、顔が出てこない。僕の出た小學校や中學校は……記憶の中の一部が何かに削がれてしまったようにじた。
「どうしてしまったんだ僕は」
「時間と記憶が整理されているところじゃと思う、大昔の機械でいうとデフラグ中、いや初期化されたなら再インストールとでも言うのかのぅ、時間が経てば解決すると思う」
「ちょっと待ってよ、記憶が消えたんだぞ」
「ノーマルの時でも消えているものなどいっぱいあるじゃろ、一か月前の夕飯とか、ああ、上様はいつもカップ焼きそばやカップ麺だから思い出せるか、例えば、昨日の電車で上様の近くにいた乗客の顔など忘れてもたいして支障あるまい」
「そんな問題じゃ!」
「その話はまぁよい、上様のスマホを見てほしい」
シャンに言われるままスマホの畫面を見ると最初の畫面の中央に見知らぬクレジットアプリのアイコンが出ていた。
「ここからはし金がかかるゆえ、そのアプリを使うがよい、以前のように上様の口座には結び付けていないので安心しろ」
「金がかかるって?」
「わしの友達を探してほしいのじゃ」
「友達?」
「同機種と呼稱するのも味気ないので、上様の昨日の人間関係を模倣してそういう言葉を使った」
「シャンの検索で簡単に探せるんじゃないの?」
日頃、あれだけの報網を駆使しているシャンであれば簡単なことのように思えた。
「それがのぅ、うまくアクセスできぬのじゃ」
「故障?」
「上様のようにこの世界で分子レベルで破壊されたか……それとも」
「それとも?」
「た、楽しくて遊びまわっているからかもしれないのぅ」
シャンの二つ目の言葉は噓だと思った、シャンは僕に迷をかけたくないと思ったとき、どこか。言葉がつまる。そう考えると完璧な技ゆえの未完品といってもいいかもしれない。
「で、友達がいるところは?」
「過去の型式番號も含めると、ラッカ、ジャスパー、フィラデルフィア、スヴァ……」
「それ、どうやって行けばいいの……沖縄や北海道でさえ行ったことがないし、飛行機の乗り方すらもわからないんだけど」
「報提示にミスがあった、探している友達は國じゃ、おそらくその者のマスターは上様のことを知っているはずなのじゃ」
「僕のことを知っているって?」
「當然じゃ、それが創造主様のお計らいじゃからの」
理解できない話を中斷させるかのように呼び鈴が鳴った。僕の部屋に來客が來ることはほとんどない、宅急便か宗教の勧くらいなものだ。
僕の心に迷いが生じた。
「出ても大丈夫なのか」
「客人らはわざわざ呼び鈴を押して上様の命を奪うような面倒くさいことをしない、するなら存在を確認した時點でボカンじゃ」
僕は恐々しながら玄関に近付いていった。
「はい」
僕が玄関の扉を開けるとそこに立っていたのは小野さんだった。
「こんにちは、ゼミのみんなに聞いてやっと自宅がわかったの、迷でしたでしょうか」
迷には慣れている。
迷には慣れているが今日の彼はコスプレをしていない、それでもわざとらしい清楚なふるまいはどこか普通の人とは違う。演技、そう、多分演技なのだろうな、僕はそうとしか考えられなかった。
「い、いや、迷じゃないけど、どうして?」
「しじまくん、昨日、最後の時。聲を掛けようと思ったのだけど、すぐに帰っちゃったでしょ」
確かに、あの時は終電の時間が迫っていた。
みんなはあの街のそばに住んでいるけれど、僕の家は遠い。
「あの子は、ちゃんと自宅までタクシーで送っていったから心配しないで、今日の朝もLINE送ってきたんで、すぐに返事をしたわ」
「よぉ、しじま!俺たちも來てやったぜ!」
菅原と柿本がドアに隠れるようにして立っていた。
歓迎できない客人には違いなかった。
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