《冥府》廃集落
誰かが自分に呼び掛けている。幾度となく、呼ばれた事のある聲だ。自分が今、どういう狀況なのかは把握出來ない。何しろがかないのだ。しかし、自らの意思に反してが揺れいているのは分かる。
深い所にある意識を無理やり引っ張り上げ、重い瞼を力いっぱいに見開いた。視界の半分が黒く染まり、殘り半分は枯れ草と土が埋め盡くしている。
「一尉、小田一尉。しっかりして下さい」
聲の正は塚崎だった。が揺れくのは、塚崎陸曹長が揺さぶっていたからのようだ。
両腕に力を込めて上を起こし、顔やに張り付いた落ち葉と土を取り払う。周りは白い霧で満たされていて視界が悪い。気を失う前に居た場所と同じ所のように見えるが、どうにも違和があった。
「何がどうなったんだ、狀況は」
「確認中です」
班長たちが點呼と裝備確認の終了を報告する聲が聴こえる。そっちを取り仕切っていた石森二尉がこちらに向かって來た。
「小隊欠員なし、負傷者も居ません。メディックの井上一曹も無事です」
「了解。一番最初に意識を取り戻したのは誰だ」
「自分であります」
流石はレンジャー有資格者の塚崎だ。どんな狀況でも頼りになる、まさしく小隊の背骨となる男だった。
「その時の狀況を詳しく頼む」
「はっ、可能な限り順を追って説明します」
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全員が意識を失う中、塚崎自もかなり朦朧とした狀態に陥っていた。それからは大病を患ったような言いようのないしんどさに襲われ、暫くはく事すら葉わなかったそうだ。
それが徐々に治まっていく事でようやくけるようになり、隊員たちの捜索と現狀の掌握を始めたらしい。まずメディックの井上一曹を見つけ出して萬一の処置を行えるよう準備して貰い、続いて自力で合流を果たした遠藤二曹率いる第3班と共に捜索を開始。続々と仲間達が発見されるも、小隊長である小田一尉だけが見つからなかった。
探し続けて暫く経った頃、視界の隅に何かが不意に現れた事から塚崎は思わず小銃を向けたが、それが小田である事を認識出來たのはもうし経ってからだった。
「概ね、このようなじですか」
「認識出來るまで時間が掛かったのは何故だ」
「一尉が姿を現した場所は、自分が一帯に視線を走らせて間もない時でした。しかも、最初はそれが人間かどうかも判斷出來ませんでした」
どうにも言い淀む塚崎が、小田は気になった。現狀がロクに掌握出來ない狀態では隠し事をしている場合ではないだろう。
「言ってくれ、どういう狀態だったんだ」
塚崎は伏し目がちになりながらゆっくり話し始めた。質実剛健を地で行くこの男が初めて見せる仕草が、小田の心に焦りを與える。
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「…………最初は白いモヤだったのでこの周囲と同じ霧かと思いました。それがゆっくり集合して、次第に人間の形へ変わっていったのです。最終的にそれが一尉であると判斷出來るまで、10分程度を要しました」
中を冷たい何かが走り抜けた。頬を叩けば痛いし、心臓の鼓をじる事も出來る。自分が死んでいるようではない事は取りあえず分かったが、全く理解が追い付かなかった。
「……急いで下山しよう、統制が取れている今がチャンスだ」
「了解」
小隊は集して再び下山を開始。足早にその場を去り、濃い霧の中を歩き続けた。次第に緩やかになっていく傾斜が麓への到著を予させる。しかし、それは目の前に現れたひとつの小さい沢によって打ち崩された。
「一尉、こんな所に沢なんてありましたか」
確かに來る時は存在しなかった。水のせせらぎが、靜寂の支配するこの狀況に唯一の効果音として流れている。ご丁寧に沢を渡る橋も架かっていた。こんながあれば誰かしら記憶しているだろうが、恐ろしい事に全員が覚えていない事が判明。これは一種の異常事態と言っても過言ではないだろう。
「石森二尉、地図とこれまでのルートに相違は」
「ありません。我々は山頂に向かって移していました。今はそのまま下っているので、方角的にも合っている筈です。それに、地図にこんな沢は書き込まれていません」
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嫌な予だけが膨れ上がっていく。現狀に対する適切な行は何なのか。どうすれば良いのか。小田の背中に部下たちの視線が集まっていった。
「陸曹長、1班と共に先導を頼む。副長は2班と一緒に後続しろ」
「了解。斉藤一曹、行くぞ」
塚崎が第1班を率いて素早く橋を渡った。続いて石森率いる第2班は橋を渡った所で待機し、1班の安全確認報告を待つ。
1班の姿が霧の中に消えて數分経過した頃、戻って來た伝令役の隊員がハンドサインで前進を指示した。これにより前進する第2班の後ろから小田は3班と4班を引き連れて追従。林道である事が僅かに判別の出來るあぜ道を進み続けた。
森を抜けた先にあったのは、ポッカリと開けた空間だった。目視で分かる距離に家屋が見える。どうやら周囲は田畑で、その中心部に集落があるような地形だ。
田畑は全く手れされておらず、休耕地のようで枯れ草が生い茂っている。
「どうだ、何か見えるか」
小田が訊ねるも、雙眼鏡を覗く石森二尉の表はとても固かった。手持ちの地図が役に立たない狀況且つ、存在しない筈の集落が出現すれば仕方のない事である。
「……人の気配はじられません。それに電柱や電線の類も見えません。あの屋は恐らく茅葺き屋でしょう。土壁で出來たかなり古い民家と思われます」
「陸曹長、どう思う」
「何が居るか分かりませんし、あそこへ行くのはリスクを伴います。しかし、森の中で震えて息を潛めるよりはマシでしょう。早めに行しないと隊員の士気に関わります」
この説明が付かない狀況下ではを隠せる場所が必要だ。若い陸士たちは落ち著きなく周囲を見渡しており、恐怖心に駆られ始めているのが分かる。このまま森の中に居続けるよりはマシな筈だ。
「よし、全員聴いてくれ」
4個班を集合させた。全隊員を前に行方針を伝える。
「今起きているこの狀況については申し訳ないが自分にも理解出來ない。しかし、このまま森の中に居るよりは文明の存在をじられる場所の方が安心出來ると思う。今からあの集落に偵察班を送り込み、問題が無ければ民家を間借りしてそこに宿営地を設置する。今後についてはそれから話し合うとして、まず現狀における全員の安全を優先させる事にした。各自、異論はないな」
異論があっても唱えられるような狀況ではないが、言いようのない不安を抱え続けるよりは雨風を防げる場所の方が安心出來るのは全員の思う所だった。
各班より1名ずつを偵察班として選抜し、石森二尉がこれを率いて向かう事となる。
「危険をじたらすぐ戻って來い。その時は何かしら手段を考えよう」
「了解、橫になれる所があれば有難いですからね。何もない事を祈りますよ」
偵察班は背中の背嚢を下ろして防弾チョッキもぎ、その下に裝著しているサスペンダーだけの狀態にまで裝備を軽量化した。これで素早くけるだろう。
田畑に背の高い枯れ草が生い茂っているおで、集落へは比較的容易にを隠しながら進む事が出來た。草を左右に分ける際は慎重に手で退かしていく。しかし隊員たちの裝備している迷財服とは異なる合いのため、儀裝効果を得られないのがネックだ。
枯れ草の中をゆっくり進み続けると、最初から見えていた民家の裏手へ辿り著く事に功。建材の竹が出しており、土で塗り固められた古いタイプの家である事が窺える。地面はっていてブーツが沈み込み、どうにも不安定だ。鳥のさえずりも、風が木々を揺らす音も、自然が回りに存在すると思わせるような音が全くしないため、視界を包み込んでいる白い霧と相まって不気味な雰囲気が高まっていった。
「二尉、我々は異空間にでも迷い込んだんですかね」
「分からない。何が起きてるのか、何が原因なのかもな」
石森が突き當たりからそっと向こう側を覗き込んだ。霧が深くてよく見えないが、1~2軒の民家がある事は分かる。そしてもう1つ、気になるが見えた。
「……井戸があるな、時代劇に出て來そうなじのやつだ」
「中から何か出て來るんじゃないですか。白いワンピースのとか」
「やめろ、下手な事を言って本當になったらどうする」
「私語は慎め、前進するぞ」
壁伝いに前進を開始。次に距離の近い民家へと移した。
取り付いた次の民家は、木で出來ている事が判明。さっきとは違う事に違和を覚えた。
「石森二尉、窓ガラスがあります」
そう報告する隊員の目線を追う。そこには木製サッシの窓があった。とは言え、かなり古めのである事は間違いない。昭和初期かもうし前、大正ぐらいの建と言う印象だ。
「……誰かペリスコープで覗いてみてくれるか」
部の偵察を行った。その結果、どうやら水場の窓である事が分かった。外のりを中にれるためだけの窓なようで、開ける事は出來ないようだ。
他にドアもないので表に回ると、下駄ぎと思われる石が鎮座しているのが見える。ここから中にれる可能が高い。
「ってみよう。援護してくれ」
「後方、クリアです」
「側面もクリア」
大きなガラスの引き戸に手を掛ける。ガタついていて簡単にはかなかったが、り込めるだけの空間を確保する事に功。中に足を踏みれると、重で床が沈み込んでギシィと鈍く鳴った。ブーツと床にれる泥砂の音すら大きく聴こえ、それに気付いた得の知れない存在が襲い掛かって來るのではと言う恐怖を打ち払う。
閉されている空間獨特の埃くささと、それに混じって黴の臭いがした。気も多くて不快である。照明の類は當然だが點いていないので薄暗い。幸いにも人の気配はじられなかった。ゆっくりと進を果たした5人は、小銃を腰溜めに構えつつ部の捜索を始めた。
家の中は比較的小奇麗で、荒らされた形跡も無い。床は畳張りで家もそのまま。簞笥等は中に類までっていた。
廃屋と呼ぶには真新し過ぎるのがどうにも気に掛かる。まるで過去の何所かで時間が止まってしまったような狀態だ。襖も障子も綺麗だし、埃が薄っすらと積もっているぐらいで大きな汚れは確認出來ない。
「特に異常は無し、か」
「脅威になりそうなはじられませんね。しかし、さっきの家とこっちの家の造りが全く異なるのが気になります。向こうはまるで江戸時代かそこらの家屋ですが、こっちは自然と我々にも馴染みがある造りをしています」
誰もがい頃に訪れた親戚、もしくは夏休みに遊びに行った祖父母の家に近い印象をけていた。何の躊躇いも無く畳に寢転んでしまいそうな衝に駆られるが、自分たちが危険な狀態に曬されている事実がそれを拒む。
「取りあえず、ここはこれぐらいで良いだろう。次へ行くぞ」
時間を掛けて一軒ずつ回っていった。最終的に確認されたのは合計5軒の家屋で、中心部にある大き目の家屋を四方から取り囲むように家が建っている事が判明。
小隊は中心にある家屋へ指揮所を設立し、各班が一軒ずつに常駐する形式を取る事となる。隊員たちに各家屋の更なる部検索を命じた班長たちは指揮所のある家へ集合。これからの方針についての話し合いが行われた。
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