《冥府》地獄の淵
小田一尉と石森二尉、塚崎陸曹長、そして4人の班長と言う小隊の首脳陣が、中央の家屋で一堂に會する。ここだけが2階建ての大きな家だ。
雨戸を開けて外の風を中にれると、滯留していた空気が撹拌されて息苦しさが遠のいていく。空は一面の曇り空で周囲には相変わらずの濃い霧が漂っていた。そんな中、小田が真っ先に口を開く。
「ではこれより、今後について話し合いたいと思う。まず昨日の現象から今に至るまでの狀況を整理しよう」
時刻は26時頃だった。移中に方位磁石の異変が発生。誰かのだけではなく全隊員の方位磁石にその異変は起きていた。ここで五十嵐一曹が謎の聲を耳にし、塚崎に報告。これによって多くの隊員が唸り聲か読経のような低い聲を確認している。塚崎が全隊員に対して警戒を促し、各班が集した所で殺気に近い一種の気迫が襲い掛かる。立ち上がった塚崎の聲に反応したのは、暗闇に煌々とる金の目だった。恐らく殺気はその目から送り出されたものだろう。
全員が大急ぎで下山するも、進行方向から吹き付けて來た突風でほぼ全員が意識を失い、気付けば白い霧の支配する世界に居た。そして部隊は移し、この集落のような場所に辿り著いたのである。
「地図も方位磁石も役に立たない。現在地も不明。怪我人が居ないのが救いか」
「突拍子もない意見ですが、集団でタイムスリップに遭遇している可能はないでしょうか。昨今は山奧の集落でも新し目の家があります。しかし、ここはどうにも我々が居た時間軸とは違うように思えるのですが」
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「いや、それはないと思う」
斉藤一曹の意見を石森が取り下げた。全員の視線が集まる。
「周囲の家々が、それぞれ全く違う年代のだからだ。この家にしても恐らく昭和半ばから今に掛けてのだろう。しかし2軒の家はどう見ても戦前、下手すると江戸まで遡るぐらいの間に建てられた家に見える。それにこの環境、集落にしては不自然過ぎると思わないか」
確かに幾ら山奧だとしても車で通れる道が見當たらないのは不自然だ。農機の置き場のような小屋や田植え機の車庫も見當たらないし、何より田畑の面積に対してこれでは人口がなすぎる。
「もし最近になって消滅集落と化したにしても、周辺の報は我々も知らない訳じゃない。そういう村があれば事前に勧告があるだろう。何より不可解なのは、地図の地形と現在の地形が一致しない事だ」
「二尉、回りくどい事は抜きにして結論だけ言ってみてくれ」
遠回しな意見では全員に伝わらない事を悟った小田がそう言った。石森はその言葉に逡巡したが、覚悟を決めた顔で自らの話を結論へ繋げた。
「……憶測の息を出ませんが、我々は恐らく別世界、或いはそれに類する別の空間に迷い込んだのではないかと」
誰もが「まさか」と言った表で直している。しかし、現狀を考えるとそうとしか思えない事象が発生しているのもまた事実だ。この狀況をどうやって打破するか、どうやって味方を見つけるか、どうやって生き抜くか、次々に浮かんでる事柄が脳の処理領域を埋め盡くしていく。
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小隊首脳陣が今後を話し合っている頃、各民家の安全確保を命令された隊員たちは部捜索を続行していた。どの家も脅威になりそうな存在は確認出來ないため、今は使えそうなを集める方針に転換し、工やら何やらを見つけては家の外に運び出している。
そのの一軒。首脳陣が居る中央家屋の裏手に當たる家を捜索していた隊員たちが、押れの中に埃を被って山積みにされた古い書を発見した。正確な數は分からないが30冊近い數の本が積まれているように見える。中には巻まで転がっており、相當に昔のである事が窺えた。
小銃を脇に置いた隊員は、一番上に積まれている本に手をばしてパラパラと捲りながら容を検める。何も言わない事が気になった仲間の隊員が我慢出來ず話し掛けた。
「どうした、何が書いてある」
「いや……掠れてて殆ど読めないんだ」
墨で書かれたものらしく、時を重ねた事で掠れてしまって読み取れなくなっていたらしい。かろうじて読める部分もあるが、その殆どは何が書いてあったのか想像する事すら難しい狀況だ。
「取りあえず運び出そう。役に立つかどうかは後で考えるぞ」
「了解」
本を抱えて家の外に運び出す。地べたはっているので玄関先の石板に本を積み重ねた。迷彩服や防弾ベストに著いた埃を取り払いながら作業を繰り返す。
同時刻、最初に石森二尉率いる偵察班の取り付いた古い家屋を調べていた隊員が、何かを発見していた。相を変えた1人の隊員が家を飛び出し、小隊首脳陣が居る中央の家屋へ飛び込んで狀況を報告すると、小田一尉以下の全員がそこへ向けて移を始めた。
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家屋に陣取るのは五十嵐一曹率いる第2班の隊員たちだ。急に家を飛び出した隊員に驚いた仲間たちが、何事かと不審に思っている所へ小田一尉たちが姿を現す。
「関口一士、もうし詳しく説明してくれ。何を見たんだ」
報告に飛び込んで來た関口一士はすっかり顔を悪くし、五十嵐班長の後ろに隠れて小銃を引き千切りそうなほど強く握り締めたまま震えていた。すっかり閉口してしまった彼を五十嵐が宥める。
「もう1度言ってくれるか。この家の何所でどんなを見たんだ。急に飛び込んで來て、不審な點がありますの報告だけじゃ分からないだろ」
家の中に居た仲間たちが集まって來る。他の家屋を捜索していた隊員たちも遠巻きに見ていた。関口一士は10分ほど時間が過ぎた後、ゆっくりと喋り始める。
「……家の奧を検索していたら…………聲を聞きました」
「どんな聲だ、男か?か?」
「分かりません……何かに苦しんでいるような唸り聲がしたんです」
誰しも腑に落ちない表を並べていた。しかしながら、脅威となり得る存在が居る傍では満足に休む事も出來ない。これの正を探るため、小田一尉は2班に部の再捜索を命じた。
「自分は関口と一緒に聲が聴こえた場所まで行きます。もう2人著いて來てくれ。殘りは外を調べろ」
二手に別れて捜索を開始した。五十嵐は背嚢から小銃用のフラッシュライトを取り出して89式に裝著し、先頭に立って中へって行った。
「関口、案してくれ」
「……了解」
念のため、セレクターを単発に送り込んだ。家の中は暗くて埃臭い。部屋と部屋は襖で仕切られていて、関口が奧へ進んで行った経路が一目で分かった。
「襖が開いている方へ行けば、聲が聴こえた場所に著きます」
飲み込まれそうな暗闇へ小銃を向ける。銃口の近くに取り付けたこのライト以外に源は存在しない。派手にけば埃が舞い上がって視界を奪われるだろう。
4人はゆっくりと奧へ進んで行く。農家にあるような古い家は、狹い空間で生活する事に慣れた現代人にとっては凄まじい広さをじさせた。大分進んだ所で、関口が足を止める。
「その奧です。自分はこれ以上進みたくありません」
「分かった、そこに居ろ。士長は傍にいてやってくれ。三曹は一緒に來い」
命令された三曹が骨に嫌そうな表を浮かべたが、文句を言えるような狀況ではない。2人は更に奧へと進み始めた。すると、恐らくこの家の一番奧と思われる部屋に到達。耳を澄ますと確かに唸り聲が聞こえた。三曹も無言で頷いており、幻聴でない事が判明する。しかしこの部屋は押れも何もない。屋裏かとも思ったが、どうにも壁の向こうから聞こえて來るようにじた。
そこへ外を探っていた隊員がやって來て報告をけた。冷靜を裝っているが、焦っているのが伝わって來る。
「班長、大至急で外に來て下さい。家の裏手に併設された馬小屋みたいな場所に何か居ます」
促されるまま外に飛び出し、他の隊員や小田一尉たちが集まっている所に加わった。塚崎が小屋を指差して五十嵐に命じる。
「聞いてみろ、関口一士が耳にしたのは恐らくこれだ」
小屋からは確かに唸り聲がれていた。それも1人ではない。複數の聲だ。
「……関口、この聲か?」
「これです。離れてていいですか」
「よし、中が見えない場所で待機していろ。警戒は怠るなよ」
関口一士を小屋から遠ざけ、中を調べる算段を始めた。相手が何なのかは分からないが、問答無用で発砲と言う訳にもいかない。
ドアは引き戸で錠前のような鍵は著いていなかった。手でしだけ押すと、簡単にいたため別に破するような必要もない。なので、1人の隊員が引き戸を開けたらし遠くから小銃のライトで中を照らしつつ接近する方法を立案。何か飛び出してくればそのまま撃ってしまえばいい。
「いいか、開けたらすぐに距離を取れ。こっちは任せろ」
塚崎を中心として2人の隊員が左右に展開。開ける役の隊員はビクビクしながら引き戸に手をばした。引き戸は何の抵抗もなくスーッと開いていく。同時に3人が小銃を構えて中へりをれた。 何がそこに居るのか3人共に分からなかったが、尋常でない雰囲気をじ取った隊員がセレクターを一段送り込む音を聴いた塚崎は、その隊員の小銃を摑んで下に向けた。
「落ち著け、待て」
「ばっ、バケモンが居ますよ」
「向こうがその気ならもう襲い掛かって來てる筈だ、もうし様子を見るぞ」
が小屋の中に集中する。中に居たのは、灰のをした人間たちだった。頭髪は殆ど無く、あっても疎らでまとまった髪型をしている者は居ない。小屋の床にで蹲ったまま、立ち上がろうともしなかった。低い唸り聲を発するだけである。
「小隊長、井上一曹をここへ。要救助者の可能あり」
「分かった。呼んで來よう」
4班と共に家屋の捜索をしていた井上一曹が呼び出された。
小屋の前で治療を広げ、中に居る人間たちに呼び掛けるが全く反応が無い。中に踏み込み、そのの1人を抱き起こした井上は、その形相に言葉を飲んだ。同時に、自分が役に立つような段階ではない事も悟ってしまう。
「治療は諦めましょう、ドアも閉めて下さい。後ほど説明します」
吐き捨てるように言った井上は1人でその場を後にした。全の震えが今になって襲い掛かり、冷や汗が噴出して來る。井上が落ち著くのを待つ間、小田一尉たちは小屋と井上を呆然と眺めるだけだった。
30分ばかりが経過した頃、井上はようやく戻って來た。小田一尉以下の首脳陣を前にする。
「取りして申し訳ありません。ご説明しますが、気分を悪くされる可能もあるので心して聴いて下さい」
説明が始まる。まず中に居た1人を抱き起こした際に顔を見た時、眼球が両方とも無い事が分かったそうだ。舌も何かで失ったかそれとも斬られたのか分からないが、確認出來なかったらしい。両手両足も力なく垂れ下がり、恐らく腱を切られているのが何となく分かったと説明した。恐らくあの小屋に居る全員が同じ狀態になっている可能が高い。
「はっきり言うと、治療は不可能です。設備の整った大病院であればもしかすると可能かも知れませんが、自分が持っている裝備では手に負えません」
「何故あのような狀態になったかは分かるか」
「それは何とも……あれではまるで拷問をけた後と言うか…その」
井上の視線が定まらなくなった。言っていいか分からないその言葉に迷っているようだが、全員の視線が集まるのをじた事で覚悟を決めてそれを口に出した。
「……死ぬに死ねない…………亡者か何かのような」
その場に居た全員が、底知れない恐怖をじ始めた。小田一尉たちも何を言うべきか判斷が付かない表をしている。ここで思考の海に沈むのは士気崩壊を起こし兼ねない。それをじ取った塚崎が喋り出した。
「井上一曹、念のため中の人數を數えろ。2班は替で小屋の監視を行え。この家で寢起きしたくない者は中央の家屋で寢るといい。宜しいですね、一尉」
急に話を振られた小田が容を理解するまで數十秒ばかり掛かった。全員の思考もゆっくりと回復し始め、井上は小屋の中に居る人數の確認、2班の隊員たちは中央家屋に常駐とし2名ずつで小屋の監視を開始する。
曇り空でも、が傾いて來たのはじ取れる。
あれから數時間が経過していた。3軒の家屋には既に1個班ずつが常駐し替で仮眠を取っている。食料も攜行していた3日分の戦闘糧食があるため、しは余裕があった。水も沢から汲み上げてある。
この世なのかどうかも分からない世界で、隊員たちは小銃を抱いてを寄せ合いながら首脳陣の判斷を待っていた。
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