《冥府》撤退戦
鬼の時間作によって時刻は進み、こちら側はすっかり真夜中になってしまった。警戒陣地には既に4人の隊員がサーマルナイトゴーグルを裝著してタコツボに収まり、鬼の接近を逸早く察知するべく木々の間に目をらせている。
時計の秒針はまるで誰かが直接摘んでいるかのように早く進み、誰もが獲である自分たちへの執念をじていた。今までこの異世界に迷い込ませたのが江戸時代ぐらいの人間である事を考えると、鬼自にここまで深手を負わせた存在は恐らく我々が初めてだろう。どうやら鬼もここに來て、面白い連中を引きずり込んだ等と思っているに違いない。
異変に最も早く気付いたのは、最左翼のタコツボにっていた2班の偵察斥候を擔當する、井上や宮下と共に特務班を組んだあの植田三曹だった。視界が突然、黒い靄のような何かで満たされていくのをじたのだ。ゴーグルをズラすと、それが眼でも見る事が出來るのを確認する。
「監視02、前方に黒い靄を確認。各自警戒せよ」
他のタコツボに居る仲間へ警戒を促した瞬間、後ろで落ち葉を踏む足音がした事に気付いた。咄嗟に小銃の安全裝置を連発へ送り込み、音を立てないようにゆっくりと振り向く。そこには、仁王立ちの鬼が棒を肩に擔いだまま金の目玉で植田を見下ろしていた。
「敵襲、後方浸された! 直ちに」
大聲で異変を報せるが、振り下ろされる巨大な棒が植田とタコツボを一撃で砕した。衝撃が地響きとなって當たりに木霊する。
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その景を見た3人は大急ぎでタコツボから這い出して、後方の主要陣地へ向けて全力疾走を始めた。お互いを援護する事もせず、攻撃も加えずにただ逃げた。唯一彼らが行った事と言えば、主要陣地の位置を簡単に悟られないよう、バラバラの方向に逃げた事ぐらいである。
主要陣地でも、鬼の振り下ろした棒の音が聴こえていた。ここに陣取る1班から4班の機関銃擔當たちが音の方角へ向けて計4丁のMINIMIを睨ませる。同時に両翼の火網陣地へレーザーポインターで攻撃準備を要請した。その中でMINIMIを構える3班の巖樹二曹も、すっかり暗闇となってしまった前方を睨み続けている。
(この暗闇だと、ヤツの目玉がいい目印になるな)
金にるあの目はその存在を際立たせるのに十分だ。先にあの目を見つける事が出來れば、不意打ちを食らわせる事も難しくはない。機関銃による弾幕できを封じ、無反砲の連続攻撃で更にダメージを與えられるだろう。
「……目標視認」
木々の間に揺れくあのり。間違いなくヤツだ。同時に、警戒陣地から逃げて來た隊員3名がそこに加わる。
植田の姿が見えない事に気付いた2班機関銃擔當の飯島三曹が彼らに訊ねた。
「おい、植田はどうした」
3人は俯いて黙ったまま顔を上げない。どうやらあの音は植田を殺した棒の音らしかった。それを察した飯島三曹は小さく舌打ちし、MINIMIのフレームが軋むぐらい力をれて構えている。ここまで來て仲間をまた1人失った憤りを、この22口徑弾1発ずつに込めて撃てればどれほどのダメージになるか、思い知らせてやりたかった。
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「飯島、落ち著け。冷靜さを欠いたら死ぬぞ」
前方を見続ける巖樹二曹が飯島へ忠告した。これ以上はもう誰も失いたくない。そんな思いから出た言葉だった。階級は1つ違うが、巖樹と飯島は同期で撃の腕は匹敵している。
「死ぬ時はヤツの足1本ぐらい道連れにして死んでやるよ。所でこの世界で死んだら、どうなっちまうんだろうな。強制的に地獄逝きコースか?」
小隊首脳陣しか知らないを考えれば、その言葉は言い得て妙だった。しかしそんな事は誰もが思っている。ここで死んでしまえば、確実に天國へは逝けない。いや、寧ろこの異世界こそが地獄なのかも知れないのだ。であれば、死もまた救いになり得るだろうか。
「目標接近中」
鬼は木々を掻き分けながら近付きつつあった。に引っ掛かる枝を鬱陶しそうに叩き落している。どうやらを持ち合わせているようだが、ヤツにとってのとは、殺戮や獲を追い詰める楽しさで満ちているに違いない。
「……よーい、撃っ」
靜かな掛け聲と共に4丁のMINIMIがりを上げた。數発毎に裝填されている曳弾が暗闇にその存在を主張し、照準の目安となる。同時に左右の火網陣地から発された4発の榴弾が1発ずつ著弾。直撃はしなかったが、発による破片効果できを封じる事には功した。
「裝填!」
「早くしろ!」
後ろで89式を撃つ隊員たちは當然だが撃ち盡くすのが早い。30発の弾倉が空になるのが異常なスピードに思えた。しかしここに來てMINIMIも弾切れが起こり始める。
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「裝填する! 援護してくれ!」
「こっちもだ!」
弾幕が一時的に弱まったのを、鬼は見逃さなかった。その巨からは信じられない俊敏さで主要陣地へと一気に距離を詰めて來る。
火網陣地は斉ではなく互撃で無反砲を撃ち、鬼の針路上へと榴弾を著弾させていった。そのの1発が足元を吹き飛ばし、鬼は衝撃波で真橫に吹っ飛んだ。次いで降り注ぐ小銃擲弾の発で視界を奪われる。
「裝填よし、何所に行った」
「10時の方向。擲弾の発してる所に居るぞ」
「かなり近付いたか、これ以上進ませるな」
そこへ再び無反砲の攻撃が行われる。しかし鬼は既に移しており、これらは無意味となってしまった、だが主要陣地前方へ設置したトラップに引っ掛かり、自の位置を呈する。
「2時方向! フラッシュ!」
暗闇に鋭い閃が走った。木々の間にワイヤーを張り巡らせ、引っ張るとフラッシュのピンが抜けて発する仕掛けだ。これでこっちから探さなくても勝手に向こうが居場所を報せてくれる。
相手が人間であれば當然この種のトラップを警戒して接近を躊躇するが、我々が相手にしているのはほぼ人間の形をしているとは言え異形の存在だ。自分が何をしたかなんて理解もしていないだろう。
「撃て!」
源へ向けて弾幕が襲い掛かる。不意に視覚と聴覚を奪われ、機関銃と無反砲の攻撃で押し込まれていく。並の人間なら戦意を喪失するだろうが、ヤツは常識を超越した存在だ。こっちを殺そうとしてくるなら、全力で抗うしかない。
激しい戦闘が展開されるが、こちら側の世界は靜けさに満ちていた。夜風に木々が揺れる音とかがり火の靜かな燃える音だけが聴こえる。
白裝束にを包んだ無量塔氏と、彼の息子が社の前に大麻(おおぬさ)を持って現れる。社を四角形に取り囲むように敷いた白い布の上に足で立ち、黙禱を始めた。その様子を中隊の全員が固唾を呑んで見守っている。無量塔氏の息子が振り返り、こちらへ聲を掛けた。
「それではこれより、三神様鎮祭の儀を執り行います。各位、ご準備は宜しいでしょうか」
2人の後ろには第2小隊を覗いた3個小隊と、社を十字砲火に収められる位置に重機関銃班が展開。無數の無反砲とパンツァーファウストⅢも社に照準を合わせていた。
「こちらは大丈夫です。どうか、宜しくお願いします」
中隊長の新岡以下、全隊員の思いが通じるかの賭けが始まった。2人は宙を見つめ、読経を唱えつつ大麻を一定のリズムで振りながら、白い布の上を歩き始める。400年前に途絶えた儀式が現代に甦った瞬間だった。
山に座す我らの三神主
鎮まりたまへ
我らを導きたまへ
嘗てのやうに
穏やかにあられることを
読経に混じって獨特なまじない言葉が続く。なるほどこれは確かに神々を鎮めると共に、昔のようにバランスが保てていた時代を取り戻したいとの願いが込められていた。
このままでは満足に死ぬ事も出來ない。病死や事故死した命まで問答無用に地獄へ突き落とされるようでは酷過ぎる。だから、どうか仲良くやってしい。そういう思いが込められた儀式なのだ。しかし、この儀式が行われるようになった段階では時既に遅く、荒魂乃神の力は圧倒的なになっていた。400年の歳月が流れた今、力の弱まった荒魂乃神に願いが通じるかは分からない。だが、我々にはもうこれしか縋れるがなかった。これに全てを賭けるしかないのだ。
祭事が始まって10分が経過した頃、向こう側の戦況は芳しくなかった。鬼が弾丸を棒で防いだり弾き返したりするせいで、ダメージが通り難くなっている。この僅かな時間で何かを學習したらしい。
「くそ、急に手強くなったぞ」
「本陣まで下がるぞ! このままじゃ危険だ!」
火網陣地へも撤退を促す。警戒陣地から來た3人も後退し、元々ここに居た4人が逃げようとしたその瞬間、巨大な何かが主要陣地に飛んで來た衝撃で4人は吹き飛ばされ昏倒した。一番最初に意識を取り戻した巖樹二曹が見たのは、陣地に突き刺さる棒を引き抜こうとする鬼の姿だった。
「……くそったれめ」
鬼は引き抜いた棒を肩に抱え、品定めをしている。意識をまだ取り戻していない4班機関銃擔當である宗田三曹の首を摑んで持ち上げ、そのまま力任せに圧し折った。一瞬だけが跳ねてかなくなった宗田三曹を放り捨て、今度は1班の板橋二曹を摑もうとする。
「これ以上……やらせるかっ」
フラッシュを取り出し、ピンを抜いて投げ付けた。しかしが言う事を利かず、鬼に屆く前に落ちて著発してしまう。意識を無理やり覚醒させながら手元のMINIMIを手繰り寄せ、眩しそうな仕草の鬼に向けて連をお見舞いした。同時に別の方向からも銃撃が行われる。これは飯島三曹の撃だった。
どちらの弾かは不明だが、1発が鬼の左目に飛び込んだ事で猛獣のようなき聲が聴こえた。
「撃ち続けろ!」
「下がれ! 早く下がれ!」
激痛に悶え苦しむ鬼が板橋二曹から離れた瞬間を見逃さず、救出に功。
板橋二曹のドラッグハンドルを摑んで引きずりながら本部陣地へと辿り著き、醫療擔當たちにへ無事に預けた2人は小田一尉の元へ向かった。
「どうだ」
「攻撃は効いていますが、やはり尋常じゃない強靭さです。このままでは弾切れの前に全滅する恐れがあります」
「4班の宗田三曹がやられました。銃は回収出來ましたが、コイツに詰める分の弾がありません」
「89式の弾倉を使え。まだ予備が何本かある筈だ」
いよいよここまで押し込まれた。もう後が無いのは承知だが、ただで死ぬつもりは微塵もなかった。
イザとなれば、地面に埋めたC4を起させてやる。この世界で生きびても仕方ない。もしかすれば、向こう側に戻れる可能もあった。それにまだ社は何の反応も見せない。まだ全ての可能が潰えてはいないのだ。
その主要陣地がある場所に、無量塔氏が立っている。社の周りを5周し、今はり口を前にして読経を唱えていた。
読経を全て唱え終わったその時、社の扉がひとりでにスーッと左右に開いた。そして青白くて淡いりが社をゆっくりと包み込んでいく。誰もが目を疑うが、それは現実の出來事だった。井上もその景に釘付けとなる。
「何だこれは……っ」
ふと、頭の中に天導乃神の聲が聴こえた。もう1度だけ力を貸してしいと頼まれる。何をすればいいか訪ねると、社にって向こう側へ行って貰いたいと言われた。
(…………もしかして俺たちを嵌めたのか)
荒魂乃神の力に唯一影響されない存在が自分だと言われる。向こう側に居るのは人の命を護りつつ人の命を奪う役目を負った人間だから、その〈奪う〉所へ付け込まれると救い出せなくなるらしい。天道乃神の言葉に逡巡していると、社から向こう側で見たのと同じ放電現象が発生した。どうやら自分がやるしかないようだ。
「裏切ったら俺も鬼になってやるからな!」
井上は吐き捨てるようにそう言うと、社へ向かって走り出した。制止しようとする仲間を振り切って小さな階段を駆け上がり、放電現象の中心部へと飛び込んで行った。
社の前に集結する第2小隊。怪我人も多く、殘弾も乏しい。無反砲も1人當たり2発となり、1回の撃が勝負を分けるだろう。社はまだ何の変化も見せず、夜風の音がサラサラと流れるだけだ。
「一尉。どうやら、覚悟を決める時のようです」
塚崎が腕時計を小田に見せた。時刻は26時20分ちょうどで止まっている。竜頭をかしても一切反応しない。これも鬼のす技なのだろうか。
「……嬉しい事じゃないか。ヤツにとって、我々が時間を止めてまで仕留めたいと思う相手だと言う証拠だ」
「迷極まりないですね。誰もんで相手をしている訳ではないですし」
「石森二尉、各自の準備は」」
「完了しています。弾薬は均等に配分しました」
誰もが、元の世界へ帰れそうにない事を悟り始めていた。自分たちがここで死ぬ運命にあるらしい事をじると共に、最後まで足掻く事を諦めない矛盾した何かが彼らを突きかしている。
近付きつつある鬼へ全ての銃口が向いている。どれだけ持ち応えられるかは、もう誰にも分からなかった。
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