《【コミカライズ&書籍化(2巻7月発売)】【WEB版】婚約破棄され家を追われたの手を取り、天才魔師は優雅に跪く(コミカライズ版:義妹に婚約者を奪われた落ちこぼれ令嬢は、天才魔師に溺される)》婚約破棄
誤字のご指摘をありがとうございます、大変助かります。修正しております。
「……イリス、話がある」
目の前に立つ、背の高くてがっしりとした婚約者ケンドールの、冷淡な視線と低い聲に、イリスの肩はびくりと跳ねた。彼の腕には、妹のヘレナが、その細く白い腕を絡ませ、熱のこもった視線で彼の顔を見上げている。
(ああ、とうとうこの日が來たのね)
イリスにだって、薄々予想はついていた。昔はイリスに優しい微笑みを向けてくれたケンドールだったけれど、彼が騎士としての頭角を現し、その地位が上がるにつれ、彼の微笑みは、次第にイリスではなく、しい妹のヘレナに向けられるようになっていった。ヘレナが嬉しそうにその貌を輝かせる度、ケンドールの心がヘレナに惹かれていくのを、イリスには止めることができなかったのだ。ケンドールが頬を染めて、自分に婚約を申し込んでくれた時のことを、イリスは遙か昔のことのようにじていた。ここ最近は、彼からイリスに笑顔が向けられたことなどなかったのだから。
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「はい。どのようなお話でしょうか?」
この狀況で考えられる話など1つしか思い浮かばなかったけれど、イリスはどうにかぎこちない笑みをその顔に浮かべた。
ケンドールは、表を変えずに淡々とイリスに言い放った。
「イリス、君との婚約は破棄させてもらう。
魔師の家系に生まれながら、何の魔法の屬さえも認められない君は、今の僕には相応しくない。……わかるね?
僕は、ヘレナと婚約することにした」
イリスは、改めてケンドールの顔を見上げた。逞しく長して、力も地位も得た威圧のあるケンドールに、出會った頃の面影はあまりじられなかった。ほんの數年前までは、まだひょろひょろとした細で頼りなく、気弱な笑みを浮かべていたケンドール。けれど、そんな彼のはにかんだ様子の素樸な笑顔が、イリスは大好きだったのに。
しかし、イリスが好きだったそんな彼は、もうどこにも見當たらなくなってしまっていた。
「……承知いたしました」
イリスがその言葉だけをようやく絞り出すと、ケンドールはイリスにくるりと背中を向けて、橫でぴったりとを添わせていたヘレナに甘い聲で囁いた。
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「さあ、行こうか。僕のしいヘレナ」
「ああ、嬉しいわ、ケンドール様。ようやく、あなたと婚約できるのね」
去り際に、ヘレナはイリスを振り返って、妖艶にその口角を上げた。彼の両目に映る嘲笑は、見逃しようのない、あからさまなものだった。
イリスはヘレナから目を逸らすと、急ぎ足で自室へと向かい、ベッドに突っ伏して、聲を殺して靜かに涙を流した。
***
部屋のドアが強くノックされ、イリスは真っ赤になった目元を拭うと、ベッドから立ち上がり、様子を窺うようにそっとドアを開けた。
そこには、勝ち誇ったような表のヘレナと、義母のベラが立っていた。
ベラは泣き濡れたイリスの顔を、笑みを含めた顔で見下ろした。
「まあ、みっともない。
……ヘレナから聞いたわ、ケンドール様はあなたとの婚約は破棄して、ヘレナと婚約を結び直すのですってね。まあ、當然よね。あなたとケンドール様では、まったく釣り合わないもの。彼ほどの騎士には、ヘレナくらいの才能がないと、見合わないわ。稀なの屬を生まれ持ち、しく育ったヘレナなら、彼の橫に立つのに相応しいけれど。……ねえ、ヘレナ?」
「仰る通りですわ、お母様。
今まで、お姉様がケンドール様と婚約していたことが、間違っていたのよ」
(……私がケンドール様に婚約を申しれられた時には、よく私を彼に押し付けようとしていたのに……)
父が他界してからというもの、後妻にった義母のベラと、その娘として生まれた異母妹のヘレナが、家を牛耳るようになっていた。當時は、冴えない騎士家の三男だったケンドールからの婚約の申しれに、これ幸いとイリスを押し付けようとしていたのが目に見えていた。さっさとイリスにこの家から出て行ってしい、と、あの頃から、2人の顔にはそう書いてあった。
まさかケンドールが、イリスとの婚約後、あれほどの速さで騎士団の出世の階段を駆け上がるとは、當時の2人は予想もしていなかったに違いない。ヘレナは、次第に嫉妬を込めた視線をイリスに向けるようになり、ケンドールにしずつ、り寄るように近付いていった。控えめな容姿のイリスとは異なり、人目を惹く貌の妹にケンドールが骨抜きにされるまで、そう長い時間はかからなかった。
ヘレナが、うっとりと左手を見つめてから、見せつけるように、薬指にはめた大きなダイヤのついた指をイリスの前に差し出した。
「ほら、しいでしょう?今日、私への婚約を申しれるために、ケンドール様が用意してくださったのよ。先程、帰り際にも、できるだけ早く私と結婚式を挙げたいと仰っていたわ」
「……」
イリスは口を噤んだまま、俯いた。ヘレナとケンドールの距離が日増しに近付いていく様子には気付いていたけれど、彼が今指を手にしているということは、自分の婚約を解消する前から、彼はヘレナに贈る婚約指を用意していたということになる。イリスがケンドールとの婚約を結んだ際には、いつかお金を貯めて君に指を贈るから、という言葉だけしか彼からはもらえなかったけれど、當時のイリスには、自分をし、必要としてくれた彼の気持ちだけでも十分だった。ケンドールの気持ちが離れていくことを半ば諦めながらも、婚約という形だけが最後の頼みの綱だったイリスにとって、既に彼に裏切られていたという事実は、自分をとてもみじめにじさせた。イリスは、膝の上に置いた両手を、思わずぎゅっと握り締めるとを噛んだ。
ベラが、畳み掛けるようにイリスに告げた。
「ケンドール様はこの家を継ぐために、婿りしてくださることになるわ。
ねえ、あなた、元婚約者が住むことになるこの家に、まさか居座る気はないわよね?」
「……はい。この家からは出て行きますわ、お義母様」
「あなたも常識は持ち合わせていたようで、よかったわ。
あなたが荷をまとめたら、出立の馬車をすぐに用意させるから。いいわね?」
ベラは、ようやく絞り出されたイリスの返事に満足そうに頷くと、娘のヘレナの肩を嬉しそうに抱いて、イリスの部屋を出て行った。バタン、とドアの閉まる大きな音が、小さなイリスの部屋に響く。
「困ったわ……」
イリスには義母の前で拒否権などない。咄嗟に家を出て行くと義母には答えてしまったものの、特に行先が決まっている訳でもないイリスは、途方に暮れて深い溜め息を吐いた。
***
イリスの住むティナリア王國では、王族以外の住人は貴族階級と平民に分かれ、さらに貴族階級は主に魔師と騎士に區分されている。
ティナリア王國において、魔師と騎士は貴重な軍事力である。外面を考慮して軍事力を備えておく必要は勿論のこと、魔の出沒もなくないこの王國においては、國の平和と安全は魔師と騎士の力に依存している。また、その魔法や剣の腕といった能力も伝によるところが大きいことから、魔士と騎士の家には國の守護に貢獻する見返りとして、その貢獻に見合った貴族位が授與され、代々け継がれる能力が大切にされていた。
ティナリア王國の魔師団と騎士団は、それぞれ5つの隊に分かれており、それぞれの隊を指揮する団長がいる。イリスの父は、ティナリア王國第2魔師団の団長を務めた人で、炎魔法の優れた使い手だった。その長として生まれたイリスも、當然のように魔法の能力を期待されていた。魔師のを引く子孫であれば、魔法の5つの屬-・火・風・水・土のいずれかをけ継ぐのが通常だ。魔師と騎士が結婚することもなからずあったし、また、時々、両親と異なる屬の魔法を使える子が生まれることもあるものの、母も父と同様に火をる魔法使いであったことから、イリスは、恐らく火の屬を有するのだろうと予想されていた。ところが、イリスがこの世に生まれ落ちた時、彼の魔法の屬を測るために待機していた魔師は、殘念そうに首を橫に振った。……イリスには、火の屬はおろか、ほかの4つの屬のいずれも認められなかったのだ。
それでも、両親はイリスのことを大切に慈しんで育てた。イリスは、優しい母の聲を今でも覚えている。けれど、病弱だった母が早世し、後妻として父の元にベラが嫁いでくると、イリスの生活は一変した。元々、魔師団の仕事で家を空けることの多い父による、イリスが寂しくないようにとの思いからなされた再婚だったけれど、ベラは、魔法の屬を持たないイリスに冷たく當たった。それは、ベラの娘であり、イリスの妹であるヘレナが間もなく生まれると、さらにエスカレートした。ベラは、夫が帰って來た時だけはイリスに義理の娘として接するも、夫の留守中はイリスに侍と変わらぬような働き方を強いた。そんなベラに苦言を呈したベテランの侍長はクビにされ、他の侍や執事たちも、ベラに対して強く出ることができなくなっていた。
……幸か不幸か、そのために、イリスは料理から掃除、洗濯、アイロンかけやベッドメイキングに至るまでの一通りの家事を、その辺りの侍と遜なく、いやむしろそれ以上に、手際よくこなすことができる。「お嬢様にそんなことをさせるなんて」とはじめは戸っていた侍たちも、魔法も使えないし、將來のためにしでも何かできるようになっておきたい、というイリスの言葉に応えてしずつ仕事を教えると、吸収が早くて働き者のイリスは、あっという間に貴重な戦力になった。時折、近隣で魔が出沒した時は、家に運び込まれた怪我人の治療に當たることもあったし、近隣の森で、旬の山菜や、珍しい薬草を見付ける方法も侍仲間や執事たちに教わった。
イリスが、初めてケンドールと出會ったのは、そんな侍の仕事にも隨分と慣れて來た時だった。家の裏山に山菜採りに出掛けていた時、イリスは細い道の途中で、を流して倒れているケンドールの姿を見付けたのだった。
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