《【8/10書籍2巻発売】淑の鑑やめました。時を逆行した公爵令嬢は、わがままな妹に振り回されないよう格悪く生き延びます!》9、これは公にできない話なんだけど

さすがに、息が止まった。

なんとか言葉を紡ぎ出す。

「……ど、どういう意味ですか?」

イリルは私の顔を覗き込んだ。

の長さまでわかる近さに、別の意味でまた息が出來ない。

「さっきからずっと思っていたんだ」

イリルは続ける。

「この前、アメジストを屆けに來たときとクリスティナの雰囲気が全然違う。あんなに気を遣っていた妹君にも、今日は別人のように毅然と接していた。でも」

決して大きくはないのに、威圧じさせる聲が響く。

「決定的なのは呼び方だね」

ーーあ!

私は思わず手で自分の口を押さえた。

言われるまで気づかなかったが、確かにそうだ。

「クリスティナは今まで、僕のことを敬稱を付けて呼んでいたよね? イリル様って。何回呼び捨てでいいよと言っても、恥ずかしがって変えなかった」

その通りだ。

私はずっと『イリル様』と呼んでいた。かたくなに。

「でも今日は、僕と二人のときだけイリルと呼んだ。それも自然に使い分けてる。咎めているわけじゃないんだよ? 呼びたいなら呼べばいい。でも僕の知っているクリスティナなら、呼び方を変える前に、僕に聞くだろう」

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「それは……」

十七歳のときから、呼び方を変えた。

気持ちを伝えた私を抱きしめたイリルが、耳元で囁いたのだ。

これからはイリルと呼んでほしい、と。

すっかり習慣になっていて気付けなかった。

「気持ちの変化だけでは説明できない、違和だった。だから聞いている。君は誰なの? 誤魔化そうとしても駄目だよ」

ーーああああ。やっちゃった……。

「クリスティナ?」

揺を隠しきれなくなった私を見て、イリルの聲音はし、らかくなった。

「だから、咎めているわけじゃないってば」

距離は相変わらず近い。

「でも、この間までの君と今日の君は、途切れてるというか、つながっていないんだよね。それがなんなのか僕は知りたいんだ」

「……わか……た」

「ん?」

私はなんとか聲を出した。

「わかりました……説明するので、どうかもうし離れてくださいっ」

真っ赤になって下を向いた私から、イリルは慌ててを離した。

「ごめん、つい」

「いえ……」

落ち著いた私は居住まいを正して、呼吸を整えた。

「信じられないとは思うのですが、最後まで私の話を聞いていただけますか?」

「もちろん」

イリルは、真剣な顔で私を見つめ返す。

「なるべく手短に話します」

そして私は説明し始めた。

の鑑をやめると決めたことと、あの夜の火事のことを。

「三年後にそんなことが?」

すべてを話したあと、さすがのイリルも驚いたようだった。

「やっぱり信じられませんよね」

けれど、それには首を振る。

「いや、そんなことはないよ。疑ってはいない。でも、えーと……ちょっと頭の中で整理する」

イリルは眉間に皺に寄せて、黙り込んだ。

その間に、話している間にすっかり冷めてしまったお茶を、もう一度溫かいものに変えるよう指示を出した。

いい香りのするそれを一口飲んでから、イリルはようやく話し出した。

「クリスティナ、これは公には言えない話なんだけど」

「はい。どこにもらしません」

第二王子から語られる『公にできない話』に、私は張する。

「先々々代の王陛下の妹、シーラ様のことを知ってる?」

私は急いで記憶を手繰り寄せた。

「……確か、ペルラの修道院を作られた方ですよね」

「そう、その方だ」

海に面した小さな町ペルラに、古い修道院がある。それを作ったのがシーラ様だと聞いたことがある。

「実は、シーラ様も、君のように、未來に行って戻ってきたことがあると聞いたことがある」

「え!」

「そのおかげで二回ほど、戦爭を防いだとか」

まさか、似たような経験をしている方がいるとは思わなかった私は、ただただ目を丸くして固まった。

ーーあ。

そして思い出す。

「関係ないかもしれませんが」

「何? なんでも言って」

イリルが、優しい眼差しでその先を促した。

「そういえば、あの火事のし前、私、そこを訪れました」

「そこって、ペルラの修道院?」

「はい。母の、オキャラン伯爵家とも繋がりがある修道院なので、結婚前に行っておいたほうがいいと、オキャランのお祖父様がおっしゃったのです。特に何があったわけではないのですが」

しかし、イリルは興味を抱いたようだった。

「シーラ様、ぺルラの修道院。このふたつを調べてみてもいいかもしれないな。何か出てきそうだ」

いつもと変わらないその態度に、が熱くなった。

「あの……私の話を信じてくださるんですか?」

「當たり前じゃないか」

荒唐無稽だと退けられても仕方ないのに、イリルはあっさり頷く。

「どうしてですか?」

簡単だよ、とイリルは焼き菓子に手をばした。

「僕の中では、辻褄が合ったんだ。目の前のクリスティナは、やっぱり僕の知ってるクリスティナだとしっくりきた。それだけだよ」

「ありがとうございます……」

私は瞬きを何度もした。

涙がこぼれるのを誤魔化そうとしたのだ。

なのに目敏いイリルはためらいなく指をばし、それを拭う。

ーーか、簡単にそういうことをするのやめてほしいっ。

イリルの指が離れても、固まったままの私にいたずらっぽく笑う。

「ねえ、さっき最後に言っていた、淑の鑑をやめる話」

「はい」

「それは無理だと思うよ」

「え?」

なぜ、と聞く前にまた笑った。

「反対してるわけじゃない。やってみたらいいと思う。けど、無理だと思うな」

「出來ますよ!」

珍しく私はムキになる。

「いいね」

なぜかイリルは嬉しそうに笑った。

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