《【8/10書籍2巻発売】淑の鑑やめました。時を逆行した公爵令嬢は、わがままな妹に振り回されないよう格悪く生き延びます!》26、ミュリエルの家庭教師

「お嬢様、落ち著いてください」

メイドに呼ばれ慌てて部屋に飛び込んだトーマスは、通算何千回目になるかわからない言葉をミュリエルに投げかけた。目の前には、ずぶ濡れの家庭教師(ガヴァネス)、リーバン・シアー嬢と、顔を赤くして怒っているミュリエルが勉強機を挾んで立っている。

床には々に割れたティカップが散らばっていた。

「落ち著いているわよ! 放っといて!」

収まる様子のないミュリエルをひとまず放置し、トーマスはリーバンに聲をかけた。

「リーバン様、大変失禮しました。お怪我はありませんか」

狀況から見て、激昂したミュリエルがお茶のったカップを投げつけたのだろう。子爵令嬢であるリーバンは呆然としている。そんなことされたのはきっと初めてなのだ。

しかし、トーマスたちは悲しいことに、こういう狀況に慣れてしまっている。あらかじめ、ミュリエルの勉強の時間に出すお茶はぬるめを心がけるくらいに。だから、火傷までには至っていないはずだった。なんの救いにもならないが。

「怪我は……ありませんが、もうここに來るのは今日で終わりにさせていただきます」

何とか冷靜を保つ口調でそう言ったリーバンに、トーマスは頭を下げる。

「はい。大変申し訳ありません。謝罪は改めましてまた主人から……まずはお著替えを、ノラ!」

「は、はい! こちらへ!」

ノラに案されたリーバンは呆れたように首を振って、別室に移した。

「ミュリエルお嬢様」

「知らない!」

トーマスが何か言う前に、ミュリエルはぷいっと膨れて、自分の部屋に戻った。

後片付けを別のメイドに命じたトーマスは、新しい家庭教師の手配をしなくてはならないと段取りを考える。だが、まともな貴族からはもう來てもらえないだろうと心諦めていた。

今回のリーバンもかなり頼み込んで來てもらったのだ。なのに、一週間もしない間にこれだ。

何が気にらないのか、ミュリエルはすぐに癇癪を起こして、家庭教師をどんどん辭めさせていった。

ミュリエルが辭めさせなければ、向こうから辭めたいと言い出す始末だ。

公爵家で破格の給金と待遇でも、そろそろ限界だった。

——クリスティナ様がいる頃はまだ、クリスティナ様への対抗心がいい方向に出て、ミュリエル様も勉強に勵まれたものだが。

ため息をついたトーマスはすぐに、いや、そうではないな、と思い直す。

——今までは、クリスティナ様が上手にミュリエル様を導していたのだ。

……まあ、ミュリエル、すごいじゃない。私がミュリエルくらいの年齢だと、そこまで覚えられなかったわ。

……だからお姉様はダメなのよ。

周りから聞いていたら冷や汗をかくような會話だったが、クリスティナは苦笑しながらミュリエルをその気にさせていた。

家庭教師たちも、困ったときはクリスティナに口添えを頼み、結果、何とかミュリエルは大人しく授業を聞いていた。

——ご自分の王子妃教育もお忙しかっただろうに。

クリスティナがいなくなってから、オフラハーティ家の空気が変わったとトーマスは思う。

悪い意味で。

クリスティナがさりげなく気遣っていたことで、屋敷が潤に回っていたのだと今更ながら思い知らされる。

最近は控え目な質も変化して來て、未來の主人らしい風格が出始めていた。

——クリスティナ様は大丈夫だろう、どこでも本領を発揮していらっしゃるに違いない。

現狀なんとかしなくてはいけないのは、こちらの方だ。

クリスティナがいなくなって以來、オーウィンはさらに気分屋に、ミュリエルはもっとわがままになってしまった。

どれほどトーマスが懸念を訴えても、所詮は仕える。うるさいと一蹴されて終わるだけだった。

ただ、ミュリエルも癇癪さえ起こさなければ、呑み込み自悪いわけではなかった。

……ここぞというときには、こちらがハッとするような集中力を発揮します。

そう言って辭めていったのは、何人目の家庭教師だったか。

すべて優秀な績で學んでいったクリスティナとは違って、興味のあることには熱意を発揮するようだった。

だがミュリエルは、そこをばそうとしてくれる家庭教師でもすぐに辭めさせてしまう。

父であるオーウィンも、それを何とも思っていない様子だったのが、トーマスの最近の懸念事項だった。

やはりこのままではいけない。

——何とかもう一度、旦那様とお話しなくては。

うるさい、と怒鳴られるのを覚悟して。

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