《【8/10書籍2巻発売】淑の鑑やめました。時を逆行した公爵令嬢は、わがままな妹に振り回されないよう格悪く生き延びます!》63、こんなに退屈なところ
ミュリエルとオーウィンが宮廷で暮らすようになってから、フレイアはずっとイライラしていた。
二人が贅沢をしていることに、ではない。クリスティナが今どこにいるかわからないのに、心配もせず毎日はしゃいでいるその態度に腹が立っていたのだ。
「公爵、失禮します」
ついに我慢できずに、フレイアはミュリエルとオーウィンの続き部屋を訪れた。
「これは妃殿下、どうしました?」
まるで自分の屋敷のように寛いだオーウィンが出迎える。ミュリエルは離れたところで何をするわけでもなく、侍の隣で座っていた。フレイアを見ると一応出迎えようとしたが、それを制してフレイアはオーウィンに言った。
「またドレスを新しくしたと聞きましたわ」
オーウィンは機嫌よく答える。
「これはお耳が早い。『聖なる者』としてミュリエルは活躍の場が増えるでしょうから、必要なのですよ。あのマレードというのは優秀なお針子らしいですな」
「では、早速活躍していただきたいのですけど、よろしいかしら?」
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「というと?」
「陛下の調を治してくださらない? できるんでしょう?」
オーウィンは、はっはっはと腹からの笑い聲を上げた。
「もちろんできますよ、妃殿下。それが『魔』によるものだとしたら」
「では一度診てくださらない」
「そうしたいのは山々ですが」
オーウィンは芝居がかった仕草でフレイアを見た。
「……守り石がないんですよ」
フレイアの苛立ちがさらに増したことに気付かず、オーウィンは続ける。
「殘念ながら、第二王子とその元婚約者が持って逃げていったので手元にないんです。早く取り戻してください」
「元婚約者って……クリスティナとイリルはまだ婚約中です」
「そのうちにここにいるミュリエルの婚約者になる予定ですよ」
フレイアは耐えきれなくなってんだ。
「クリスティナだってあなたの娘でしょう?! どうしてそんなにミュリエル様とイリルの婚約にこだわるんですか?!」
「それはもちろん」
ところがそこでオーウィンは、ぜんまいの切れた機械のようにぎこちなく固まってしまった。
「それは……もちろん……もちろん……もちろ……ん?」
「……公爵?」
ただごとではない何かをじ取ったフレイアは、思わず距離を取った。それまで黙っていたミュリエルも心配そうにオーウィンを見ている。そして。
「……ああ、これは失禮しました。疲れているのかもしれません」
オーウィンはまたらかに喋り出した。
「とにかく、クリスティナとイリル殿下を探してください。守り石はミュリエルのものだ」
「……わかりました」
どちらにせよ、クリスティナたちを保護しなくてはいけない。フレイアは今見たことをレイナンに報告しようと部屋を出た。
その場に殘されたミュリエルは、自分も一緒に外に出たいと思った。でも言えなかった。どう考えてもフレイアが自分を連れ出してくれるとは思えない。それくらいはわかっている。
「寢るわ」
「かしこまりました」
ここ數日自分の世話をしてくれる宮殿の侍にそう言い、ミュリエルは続き部屋の向こう側に行った。そこには公爵邸よりも豪華な天蓋付きの寢臺がある。ここでずっと眠ればいい。
いつもそうだった。
辛いことやわからないことがあれば眠る。眠っていればなんとかなる。小さい頃からそうだった。
ーーそれにしても。
絹のシーツのを味わいながら、ミュリエルは考える。
ーー宮殿がこんなに退屈なところだなんて思わなかったわ。
クリスティナが出仕した當初はうらやましくて悔しくて、お姉様ばかりずるいずるいとオーウィンやトーマスを困らせていたものだ。しかし、いざ自分が毎日そこで過ごすとなるとただただ退屈だった。を飾ることしかできない。
……やっぱり私への対抗意識だけでそこに立っているのね。
不意に、クリスティナに言われたことがよみがえった。
「何よっ!」
ミュリエルは思わず宙に向かって枕を投げた。枕はらかい音を立てて、床に転がる。
「どうされましたか?」
侍が様子を見にきたが、ミュリエルは答えない。侍は黙って足元の枕を拾い、どこかに行った。
……ミュリエル、あなたに覚悟はあるの?
投げる枕はなくなったのに、クリスティナの言葉はミュリエルの頭の中で響き続ける。仕方なくミュリエルは寢に顔を押し付けてぶしかない。
「知らないっ!」
くぐもった聲はすぐに消えるのに、クリスティナの言葉は次から次へと現れる。
……自分に課せられた重責をきちんと背負う覚悟よ。
「うるさいってば!」
……私のものばかりしがってもあなたは幸せになれないのよ?
「うるさい! うるさい! うるさい!」
どんなにんでも、もう誰も來なかった。屋敷ならトーマスが駆けつけてくれるのに。マリーなら何度でも様子を見にきてくれるのに。
「何よ、どうすればいいのよ……」
オーウィンは続き部屋の向こうで寢てしまったのだろう。ひとりぼっちなのを確認して、ミュリエルは呟く。
「しがらなきゃ、何も手にらないじゃない」
何も持っていないミュリエルは、何もかもしかった。それだけだ。
エヴァもオーウィンも、ミュリエルを見ているようで、利用しているだけなのは薄々気づいていた。だけど、ミュリエルにはどうでもよかった。だって、あの二人はしいものをくれないもの。ミュリエルですらわかっていない、本當にしいものを。
ミュリエルがクリスティナにばかりわがままを言うのは、クリスティナだけがちゃんと困ってくれるからだ。
シェイマスは、本ばかり読んでミュリエルを見ていない。トーマスは論外だ。クリスティナだけが、何度も何度も困ってくれる。だからミュリエルは何度も繰り返した。もっと困ってしかった。
「……捨てないって言ったのに」
クリスティナの誕生パーティで令嬢たちに囲まれたときのことを、ミュリエルは何度も思い出す。あのとき、クリスティナは令嬢たちに向かって、ミュリエルを捨てるなんてありえないと言った。そのくせ、自分はどんどん家から離れていってしまう。ミュリエルのことなんて忘れて新しいところに行こうとする。噓つき。
ーーあれはやっぱり噓だったのよ。だって、私、お姉様に何もあげていないもの。何かをあげなきゃ、人は優しくしないものでしょう? お父様が優しくなったのは、私が「特別な子」だから。そうじゃなければ、きっとずっと放って置かれた。お母様のように。
だからお姉様の一番大切なものがしい、とミュリエルは考える。それはつまりイリルだ。イリルの隣に立てばきっと満たされる。お父様のことなんてどうでも良くなる。
「私が『聖なる者』だとしたら、お姉様は泥棒よね? 私から守り石とイリルを盜んだもの……だとしたら、取り戻さなくちゃいけないわよね?」
ーーそうだ、明日それを言ってみよう。お姉様を捕まえて。イリルを取り戻してって。
そこまで考えたミュリエルは、ようやく眠りに落ちることができた。最後まで侍は枕を持って來なかった。
‡
ブリビートの村で、リュドミーヤは祈っていた。せめての希は呪いが就しなかったら、かけた者に呪いが跳ね返ることだ。リュドミーヤは、イリルが今クリスティナとペルラに向かっていることを知らない。だが、この祈りが屆くように、何かの手助けになるようにと願うことはできる。
公爵邸を任されたシェイマスは著々とオーウィンを隠居させる手筈を整えていた。アルバニーナの実家にも協力を頼み、回しをする。領地での祭祀も忘れない。クリスティナのブレスレットを見つめながら、シェイマスはクリスティナとイリルの無事を祈る。
そして、王妃ルイザは、オトゥール1世の看病をしながら、クリスティナのブレスレットを陛下の手に通した。
「……効いて」
醫者に診せても原因がわからなかった。あとはこれしか。
‡
ギャラハー伯爵家の別邸にいるドゥリスコル伯爵は、ここにきて張り巡らせた蜘蛛の巣のような罠がうまくかないことに気付いた。「人形」たちの調子も悪い。
「やっぱり、あのブレスレットのせいか?」
予想以上にブレスレットが広まっているのだ。それらが『聖』の気を張り巡らしているのだろう。
「邪魔だな……元から斷つか?」
仕上げくらいいてもいいだろう。だいぶ力は溜まった、とドゥリスコル伯爵は思う。クリスティナを殺すことはできないが、イリルなられるかもしれない。追いかけてイリルにクリスティナを殺させようか。本當は縁のものーーミュリエルに殺させるのが一番確実なのだが。
「ねえ、アラナン、トロフェンという村でブレスレットが奇跡を起こしたらしいわ。あなた、ブレスレットのことならなんでもいいから知りたいと言っていたでしょう?」
「ああ、ケイトリン」
ドゥリスコル伯爵は満面の笑みを浮かべて、ギャラハー伯爵夫人を抱きしめた。
「君は一番嬉しいニュースをいつもくれるね」
「役に立てたなら……嬉しいわ」
「ケイトリン、もちろんさ」
「彼」の目が赤くった。
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