《【8/10書籍2巻発売】淑の鑑やめました。時を逆行した公爵令嬢は、わがままな妹に振り回されないよう格悪く生き延びます!》76、盾と剣
「ミュリエル嬢も宮廷にいる。謹慎扱いだけど待遇は悪くない」
「謹慎?」
「『聖なる者』を騙ったからね」
ああ、そうか、と私は思い出す。隨分前のことのように思うけど、お兄様の卒業パーティでミュリエルを『聖なる者』としてお父様が紹介したのだ。でも。私は思わず言い添えた。
「でもイリル、あれはきっとお父様の考えよ。ミュリエルが言い出したことではないわ」
『魔』と契約するほど強な父だ。事の重大さも知らずに、ミュリエルは丸め込まれたのだろう。イリルも頷く。
「その可能は大きいね。もちろん、ミュリエル嬢からもちゃんと話を聞くよ」
「よかった」
「ドゥリスコル伯爵に関わった人たちのことも調べ直すつもりだ。ギャラハー伯爵夫人も意識が戻ればいろいろと聞きたいな」
私はドゥリスコル伯爵にべったりと寄り添って幸せそうだったギャラハー伯爵夫人を思い出した。イリルはめるように呟いた。
「夫人はきっと元気になるよ」
「そうよね」
切に願いながら、私はずっと気になっていたことをイリルに聞いた。
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「ねえ、イリル、どうしてあのとき屋敷にいたの? 宮殿にいたんじゃなかった?」
屋から現れたときのことだ。イリルはあっさりと答えた。
「クリスティナのことが心配だったから様子を見に行ったんだ」
「それだけ?」
「他に何がある?」
ドーンフォルトに不穏なきがある今、イリルが宮廷を離れるのは難しいはずだ。なのにイリルは當たり前のように言う。
「公爵家へ寄越した遣いが戻って來たと思ったら、王笏がわずかながらってね。気付けば駆けていた」
その王笏は今私が橫になっている寢臺の橫に、守り石とともに置かれている。屋敷からイリルが持ってきてくれたのだろう。
「大変なときにごめんなさい」
「そんなことはいいんだ。とにかく間に合ってよかった」
「イリル、本當にいろいろありがとう」
それしか言えないのがもどかしい。イリルは私を包み込むように見つめて笑った。
「知ってる?」
「何が?」
「今、クリスティナがここにいるのが、僕にとってなによりのご褒だってこと。さあ、とにかく眠って」
え? え?
が忙しくて思考が追い付かない。イリルはそんな私を楽しそうに見つめている。仕方なく眠ろうとする私だが、その前にもうひとつだけ気になっていることを口にする。
「ねえ、起きたらミュリエルと話せるかしら?」
イリルは肩をすくめた。
「調整する。だけど今日じゃなく、もう1日くらい後にしよう」
「どうして?」
當たり前じゃないか、とイリルは私の寢を肩までかける。顔と顔が近付いて、こんなときなのに私は死ぬほど張した。イリルは私の張など寄せ付けないほど真剣な口調で言う。
「これ以上君に何かあったら僕が病気になる。頼むから、今は安靜にしてくれ」
「……わかりました」
「ルシーンを呼ぼうか?」
「嫌」
自分でも驚くくらい素直な言葉が出た。イリルが驚いたように聞き返す。
「嫌なの?」
「眠るから、それまでここにいてしいの……できればでいいから、しだけ」
寢に潛り込みながら、私は蚊の鳴くような聲で訴えた。見えなくてもイリルが笑ったのがわかる。
「眠るまでここにいるよ。その代わりちゃんと顔を出して」
「うん……」
イリルの前で寢顔を見せるのは恥ずかしいと思いながらも、私は枕の上に頭を乗せた。すぐに抗えない眠気がやってきて、私の瞼は重くなる。遠のく意識の中で私はぼんやり考えた。
最初の卒業パーティのときといい、ペルラの修道院の手前で伯爵と対峙したときといい、今回といい、守り石は私とイリルがいるときだけき出す。それにはどんな意味があるのかしら……イリルにも聞いて……調べて……ペルラの……
クリスティナの寢息が規則正しく、深いものになったのを確認したイリルは、ルシーンたちを呼びに部屋を出ようとした。
が、最後にもう一度、振り返る。
クリスティナがそこにいるのを確認したかったのだ。
クリスティナは変わらず気持ちよさそうに眠っている。イリルは安堵を噛み締めた。
大事な人はここにいる。それがどれほど幸せなことか。
不意に、リュドミーヤの言葉がよみがえる。
--聖なる者は人々を救う。しかし、聖なる者を救うのは、殿下、あなたです。
自分は彼を救えたのだろうか?
その問いは自分では答えられない。イリルはもうひとつの言葉を思い返した。
ーーその者からもらったものが盾となり、與えたいと思うものが剣になるでしょう。
クリスティナからもらったものを盾として、クリスティナに與えたいものが剣になる。
彼を傷つけようとしたという理由で彼の父親を躊躇いなく斬りつけた自分は、彼を害なす者から彼を守れた。安堵と同時に自分を誇る気持ちがある。
だからこそ気を付けなくてはいけない、とイリルは思う。常に自分に問いかけなくてはいけない。
ーー自分が今、何を盾として、何を剣にして戦っているか。
ときにその剣は、彼を守っているつもりで彼を傷つけるかもしれない。そんな可能だってある。
深呼吸して、イリルは扉を開けた。
廊下には、彼を心配する人たちが待っていた。イリルは一番手前にいたルシーンに聲をかけた。
「眠ったみたいだ。後はお願いできるかな」
「はい」
そして自分は第二王子としての職務に戻る。
巡り巡って、それも彼を守る盾のひとつとなる。
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