《【書籍化】世界で唯一の魔法使いは、宮廷錬金師として幸せになります ※本當の力はです!》5.戸

私の頬の真ん中あたりを、レイナルド様は指で優しく拭った。それは本當にわずかな時間のこと。私は、ただ目を瞬くしかできない。

「……取れたよ」

「あ……あ、あああり、」

レイナルド様は悪戯っぽく微笑んで、指先についた土を「ほら」と見せてくる。あまりにも自然で余裕の仕草に、私はまたぱちぱちと瞬いて息が詰まった。

貴族令嬢で引きこもりで気で弱気だった私には経験のないやり取りだけれど、もしかして皆にとっては普通のこと……? ううん、そんな……?

っている私のことは気にも留めず、レイナルド様は聞いてくる。

「……今日はまたポーションを作る?」

「い、いい、いえ。あの、もう日が落ちてしまったので」

「そっか。フィーネは太があるところでしかポーションを作らないんだっけ」

私はただこくりと頷いた。いつもなら理由までお話ししたくなるところだったけれど、さっき詰まってしまったのあたりはそのままで。なんだか言葉が出てこない。

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アトリエの奧から、リン、とオーブンが溫まったことを示す鐘の音が響いた。けれど、レイナルド様は私の隣でフェンネルの加工作業を再開するのをじっと待っている。

「クライド、遅いね」

アトリエを揺らすオレンジで、レイナルド様の顔ははっきりとはわからない。けれど、しはにかんだようなこの微笑みを私は見たことがある気がする。

――もちろん、それを見たのは『フィオナ』だったと思うのだけれど。

それからしして、クライド様がおのキャベツ包みを持ってきてくださった。

私は、トマトソースとチーズがたっぷりかかったそれがオーブンで焼かれるのを眺めながら頬に殘る覚にどきどきして、それから焼き上がったフォークの上のキャベツ包みをふうふう吹いて、無心に食べた。

數日後。

「フィーネさん。こちらの処理もお願いできるかしら」

「はい、ローナ様」

今日は工房勤務の日。私が返事をすると、この工房を取り仕切る錬金師の一人でもあるローナ様は困ったように首を傾げた。

「ねえ。私はあなたの上司であって仕える相手ではないの。様づけは勘弁してもらえるかしら?」

「! も、もも申し訳ございません……!」

「ううん、いいのよ。じゃあ、ローナさんって呼んで?」

「ロ、ローナさん」

「そうよ。お願いね」

ひとつに結んだ艶やかな栗を揺らし、にっこりと微笑んだローナ様……ではなくてローナさんは、溌溂とした印象の

私よりも一回りほど年上に見える彼は王立アカデミーをでてすぐに宮廷錬金師として認められ、それからずっとここに勤めているらしい。

ローナさんがる錬金の見事さはもちろん、人員配置や指示の的確さは週に二度しかここに來ない私にもよくわかる。

薬草園で安心する香りと優しい人に囲まれて働くのも好きだけれど、工房に來ると、何となくローナさんを目で追ってしまう。

ローナさんは私が宮廷錬金師に憧れていた子どもの頃の理想そのもので。高すぎる目標に違いないけれど、しでも近づけるように頑張らなきゃ、と思う。

人知れず気合をれ直した私は冬支度用の薬草から水を払った。その瞬間に、私の隣で甲高い聲が響く。

「つまんないわぁ。冬になって、あまり頻繁に薬草園に行かなくてよくなったと思ったのに……地味なのよ、見習いの仕事って」

「! ミ、ミミミミア様」

いつの間にか並んでいたらしいミア様に、私は飛び上がってしまった。そして、ミア様は前に私に向かって自分が宮廷錬金師だと名乗っていたことをすっかり忘れてしまったらしい。上司や先輩方が聞いていないのをいいことに、言いたい放題だった。

「あーあ。ちょっと王宮で働いて箔をつけたら、侯爵夫人として引っ込むはずだったのに。なんでこんな地味な冬支度をしなきゃいけないのよ!」

「……」

「あなたもせっかく王宮勤めをしているんだから、ここで誰かいい人を見つけた方がいいわよ。どうせ、今いる場所がピークなんだろうし」

「……」

まともに答えようと思うと聲が震えてしまいそうなので、私はそっと目を逸らす。

お兄様によると、ミア様とエイベル様の婚約はなくなったらしい。アカデミーでの婚約破棄騒については真相の究明ができなかったけれど、エイベル様の振る舞いは王都でも知れるところとなっていた。

例えば、先日劇場でクレームをつけていたのはその一つで。それに拍車をかけたのがミア様だという判斷に至ったようだった。

そういう経緯から、ミア様の立場は結構複雑らしい。ミア様を養子として引き上げたアドラム男爵家も次に問題を起こせばただでは済まない、とお怒りになっているということだった。それなのにこんな風に次の手段を考えられるミア様。

……とにかく、たくましすぎる……。

けれど、事の顛末を聞いても私はミア様に同することはない。だって、私もミア様には居場所を奪われている。かと言って、もし私が『フィオナ』としてここにいたとしても腹立たしくは思うけれど仕返しをする気にはなれない。

だからせめて、アカデミー時代に『フィオナ』がしてきたこと――ミア様の代わりになって手柄を渡すようなことだけはしないと誓う。

「あーあ。こうして薬草を加工しているけど、冬用に加工した薬草じゃ生が難しくなるんでしょう? それなら溫室から新鮮な薬草を採ってきて使う方が楽よ。どうせ、ポーションが大量に必要になるような冬風邪が流行したらそっちを使うんでしょうし」

「……お、おお詳しいのですね……」

お勉強が嫌いなミア様が冬風邪に関わる錬金師の立ち回りをご存じなのは意外だった。思わず返答してしまった私に、ミア様はつっけんどんに仰った。

「ふん。それぐらいは知っているわよ。……教科書なんか読まなくったってね!」

「……?」

急にミア様のらしいお顔からは自信満々の笑みが消えてしまった。どうしたのかな、と強い違和を覚えつつ、會話が終わったことにほっとした私は目の前の薬草たちに意識を戻す。

水滴をふき取った薬草は、まだ採取したてのように生き生きとしていた。

ミア様は「溫室から新鮮な薬草を採ってきて使えばいい」と仰るけれど、溫室の薬草はいざというときのために殘しておくべきなのだ。

私は、はたと閃く。

そっか。魔法を使えばこの薬草もいざというときに新鮮な狀態にできるんだ。

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