南部連合國の中でも中心都市イビトは特に戦勝気分で浮かれていた。

訓練された帝國の軍隊に対して寄り合い所帯の連合國軍は勝ち目がないと自國民にも思われていた。なのに勝ったので國民の喜びは大きかった。それは帝國の戦法をとことん調べ、作戦を練り、各部族を適した場所に配置したセシリオの指揮のおかげだった。

セシリオへの國民からの賞賛は日を追うごとに高まっている。

三十五歳獨にして眉目秀麗。その上南部連合國代表であるセシリオに熱い視線を送るは増える一方だ。

今日も書記のイグナシオがその件で頭を悩ませている。

「閣下、族長會議の後の宴會のことですが、もうし閣下も時間を取っていただけませんか」

「宴會など上の者がいない方が盛り上がるだろう」

「逆です。閣下とぜひお話をしたいとむ族長の娘たちからの申し出が殺到しています」

セシリオは書類から顔を上げて不思議なを見るような顔をした。

「それを上手に斷るのはイグナシオ、お前の仕事だろう？俺は今、に使う時間がない。帝國とのやり取りで忙しいのはわかってるだろうが」

「しかし閣下、族長たちの機嫌を損ねると厄介なことに……」

セシリオの青い目がイグナシオを見據える。

「族長たちをまとめるのは確かに俺の役目だ。だがそのために彼らの娘たちの機嫌を取るつもりはない。俺に従わなければ損をすると族長たちにわからせるように仕事をするのみだ。とにかく宴會に顔だけは出すが挨拶後はここで仕事をする」

もう下がれと言わんばかりにセシリオは會話を打ち切った。昨夜屆いた連絡に頭を悩ませていたからだ。

二ヶ月ほどかかったが、やっと例の侯爵令嬢が見つかったのだ。ホセによると

『令嬢の所在が判明。しかしセシリオ閣下の謝罪は不要、會うつもりも無しとのこと』という報告だった。

侯爵令嬢の住まいは首都イビトの中心部から外れた場所だった。そこで侍と二人で細々と刺繍したハンカチや小を売って暮らしているとのこと。

「謝罪も面會も不要、か」

彼がこの國にいる限りこちらは賠償金の不足を請求しづらい。この國は今、搾取され続けた國を立て直すのに資金が必要だ。令嬢はさっさと國に帰るものと思っていたが、予想に反してこの國に住むつもりらしい。

（しかし南部の人間は帝國側の人間を嫌っている。サンルアンの宰相の娘に商売なぞできるはずがないだろう。生活に行き詰まって死なれたりしたら厄介なことになる。直接會って帰國するよう説得するか）

セシリオはのありそうな貴族の令嬢はどんなかとしだけ興味を持った。

セシリオの仕事にし余裕ができた十日後。

首都イビトのかなり東端の、庶民が住む地區にその店はあった。

手書きの看板はこの國の文字で「刺繍とアクセサリー　ウルスラの花」と上手にペンキで手描きされていた。

ウルスラとはこの國のどこにでも生えているツル植で、飢饉のときにはっこを掘って食べたりもする。繁力がとてつもなく強いのに、赤紫の房狀の花は可憐な植だ。

この國では看板は原を使ってとにかく目立たせようとするのが一般的だが、その看板は象牙の地にウルスラの花のと同じ赤紫で店名が品良く小さめに書かれている。文字も流れるような書を使いつつ読みやすい。

「なるほど、ウルスラか。逞しく生きていこうということかな」

今日のセシリオは普段著だ。黒いシャツにゆったりした灰のパンツ、普段使いの革の短靴。イグナシオが同行すると申し出たがそれを斷って一人で馬に乗ってやって來た。

店にろうとしてり口の脇にかけられた板に「帝國語の翻訳、語學指導承ります」とあった。

「へえ」

心しながらドアを開けると、狹い店には十人ほど人がいた。だが全員が客というわけではなさそうで、五人の男が奧のテーブルでノートのようなを見ながら発音の練習をしていた。

教えているのは明るい茶の髪を後ろでひとつに縛り、こめかみの辺りの髪は編み込みにしてすっきりと顔を出しただった。

「アダン、そこは最後まで発音しないの。口の中で消えていくじでもう一度読んでみて」

「ヘナ、とても上手だわ。その調子よ」

「あらマイロ、それじゃ鶏の代わりに生きてる鶏をくれと言うことになってしまうわ」

笑顔で言葉を教えている彼が侯爵令嬢だろう。想像していたような深窓のご令嬢というじではなかった。この國の住人たちと笑顔で気さくに會話している。発音もこの國の人間と遜なく帝國風の訛りもない。

短期間に彼はこの地に馴染んでいるようだった。

彼の仕事の邪魔をしたくなくて、セシリオは耳をそちらに集中させながら狹い店を見て歩いた。

店には刺繍をしたハンカチが々、この國のたちが日常的に使う布製の肩掛け袋、日除け代わりのショールなどが展示されていて、どれにも垢抜けた刺繍が施されている。商品の數がないので店というより展示會場のような雰囲気だ。

あちこちに「お好みの図案で刺繍いたします」と書いたカードがピンでり付けられている。商品に刺繍されている図案は帝國風に洗練されていてどれもしい。いかにも帝國側の貴族の趣味、というじがする。

奧に向かって細長い店の右側をあらかた見終わって、左側の壁に移したセシリオは足を止めた。左の壁は一面ピアスやネックレス、腕などのアクセサリーが整然と飾られている。セシリオが驚いたのはそのアクセサリー類の見慣れぬデザインである。

この國では赤ん坊の時に両耳にを開けてピアスをさせる。それは伝統のある習慣で男ともにピアスをするのだが、多くは金や銀の小さな球形のピアスだ。

年頃になっておしゃれ心が芽生えるとそれを飾りのあるに取り換える者が多い。裕福な者は寶石や石、金屬のプレートを一つ二つ付けたりする。それも大きめの派手なが主流だ。

だがこの店のピアスはいくつもの小さな水晶を極細の針金で閉じ込めていたり、も形もバラバラな水晶にを開けて三つ四つまとめて揺れるタイプのピアスにしていたりする。

調を揃えているのもあれば、あえて濃いの石と半明な石を組み合わせているのもある。そしてそのどれにも製作者の名札が近くにられていた。

（これはこの國の者の名前だ。彼が作っているわけじゃないのか？）

どういうことだろうとジッと見つめていると、ベルティーヌらしきが自分の近くに立ってニコニコしながらこちらを見ていた。

「いらっしゃいませ。ピアスをお探しですか？」

「あ、ああ、そうだな。変わったデザインなので驚いているところだ」

周囲の人の耳が気になってセシリオはなんとなく自分の名前を言い出しそびれてしまった。賠償金絡みの話をここでするのは避けたかった。

「これらのピアスはどれもご主人を戦爭で亡くされたの作品です。私が材料を渡し、デザインをして作ってもらいました。材料費と売り上げの二割を引いた後の代金は未亡人たちの手に渡ります。お気に召したのがありましたら奧様か人への贈りにいかがでしょう。作ったもけ取ったも幸せになれますわ」

「戦爭未亡人がこれを……」

「ええ。戦爭は兵士だけでなく殘された家族にとっても命がけですから。しでも殘されたや子どもたちの力になれればと。わたくしもこの店を開く時にたくさんの方々に助けられましたから」

セシリオは面食らっていた。

帝國側の貴族がこの國でこんなに朗らかに生活しているとは思ってもみなかった。しかもこの國の人間に助けられた、とはどういうことだろうか。迫害されこそすれ助けられることなど想定外だった。

「旦那、このお嬢さんはなかなか肝の據わった方ですよ。引っ越してきたばかりのときに近所の夫婦喧嘩に割り込んで、奧さんをかばって亭主を怒鳴りつけたんです。『だからと馬鹿にしたり毆ったりすることは母親を馬鹿にして毆ってるのと同じだ！恥を知れ！』ってね」

「そんな危険なことを？」

「そうなんですよ。またいつもの夫婦喧嘩だと聞き流していた近所の連中が慌ててその家に走りました。手が出る男だったもんでね」

セシリオが呆れていると、令嬢は穏やかな顔で

「私ね、もう失うものがありませんから。頬のひとつやふたつ、毆られたところで別にどうってことはありません」

と靜かに言い切った。

「毆られたのか？」

慌てるセシリオにベルティーヌは穏やかに首を振った。

「いいえ。ご近所の方々が飛び込んできてその男を止めてくださったので無事でした。私、事があってこの國に來たばかりの時、數日間は水も食べもろくに與えられずに過ごしました。その時のことを思えばたいていのことは別に恐ろしくはありません。その夫婦喧嘩のおかげで今ではすっかりご近所さんと仲良しになれたんですよ」

その時の近所の人たちが店の宣伝を手伝ってくれたと嬉しそうに話してくれた。

話に加わっていたうちの一人がセシリオの顔をジッと見ていた。そして途中でハッとした表になった。セシリオはごく小さく首を振り（俺の正を言うな）と合図をした。