《6/15発売【書籍化】番外編2本完結「わたしと隣の和菓子さま」(舊「和菓子さま 剣士さま」)》5・天の川に思いを込めて/(七月)
梅雨と夏の二つの顔を持つ、七月。
あちこちに飾られる七夕の笹も目に涼しく。
下げられた短冊のも楽しげだ。
そんな、文月。
ちょっと変化が起きた月。
王様の耳はロバの耳。
最近、柏木(かしわぎ) 慶子(けいこ)さんの頭の中には、小さな頃に読んだあの絵本の題名がこだますることがある。口止めされた訳じゃない。でも、だからって、誰にでも話せることではない。
つい最近、慶子さんは和菓子さまと、珍妙な出會いをしてしまった。
それは、ついこの間の日曜日のこと。
滅多に行かない遠くのスーパーで、小さな男の子を連れた和菓子さまと遭遇した。しかも、和菓子さまは、お店や學校では見せたことがない(とりあえず、慶子さんは拝見したことがない)満面の笑みを、その子に向けていたのだ。
見て見ぬふりをする間もなく、ばっちり顔を合わせてしまった、和菓子さまと慶子さん。 永遠とも思える間(ま)の後、和菓子さまは「これ、弟」と、その子を慶子さんに紹介してきたのだ。
弟。
ブラザー。
慶子さんは、紹介されてからスリーテンポくらい遅れて、心の中で「え!」と、驚いた。でも、これを表に出すと弟君が怯えるだろうと考え、「こんにちは」とだけ挨拶をした。
それで、別れた。
和菓子さまには、弟君がいた。慶子さんが會っていなかっただけで、二人兄弟だったのだ。ただ、慶子さんは、弟君の靴に書かれた、名まえも見てしまった。「たなか さとし」くん。兄である和菓子さまの名字は、「鈴木」だ。
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もしかすると、靴は「たなか さとし」君からのお下がりなのかもしれない。もしくは、弟と紹介はされたけれど、弟みたいな子って意味なのかもしれない。
慶子さんは、深呼吸を大きく二回した。とりあえず、買いをしよう。わからないことは、心の中の引き出しにしまっておくことにした。気のせいか、最近、和菓子さま絡みの謎が多いような。
あの日曜日から數日後の、ある晴れた朝。慶子さんが學校の正門をくぐると、隣に並んできた人がいた。
「柏木さん、おはよう」
その聲に、びくりとする慶子さん。聲の主は王様、ではなく、和菓子さまこと鈴木(すずき) 學(まなぶ)君。
同じクラスで隣の席で、おまけに同じ剣道部。和菓子さまはいつものごとく、さらりとしたお顔で慶子さんを見下ろしていた。慶子さんも、いつものごとく「おはようございます」と、丁寧な挨拶を返す。周りから見ると、同級生なのにちょっと変な関係の二人だ。
「子部の新生八名だっけ。全員部するって? すごいな」
「山路さんの頑張りのおかげです。新しい名簿、わたしの名前もれて福地君が作ってくれました」
「そっか。もらいに行こうかな。一年の名前も覚えないとな」
「一年生と言えば。試験が終わったら、わたしと山路さんと一年生で、剣道著を買いに行く約束をしているんです」
七月の半ばには、恐怖の定期試験がある。慶子さんが憂鬱だと話すと、なにか楽しい予定をいれれば頑張れるんじゃないと山路さんから提案をけ、お出かけの約束となったのだ。ちなみに、山路さんも英語が苦手だそうだ。ただ、彼はそれを克服すべく、塾に通っているとも聞いた。
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「そうか。もう、仲良くなったんだ。すごいな」
「山路さんのおかげです」
「柏木さんのおかげでもあると思うよ」
「わたしは、特になにもしてないです」
「そうかな? ぼくはそう思わないけどな」
なぞなぞのような和菓子さまの言葉に、慶子さんは戸う。
「おっはよう、柏木さん、鈴木」
朝から元気な山路(やまじ) 茜(あかね)さんの登場により、慶子さんと和菓子さまの間にあった、なんともいえない空気は吹き飛んだ。噂をすれば影なのだ。山路さんは、すすすと和菓子さまに近づくと、プリントを一枚彼に渡した。
「鈴木クン、合宿に來るよね?」
「あぁ、大丈夫。ん、あぁ、どうかな。微妙」
「なんだと。はっきりしない返事だな。君には重要な任務があるのだぞ、わかってるよね。だから、欠席なんて、とんだもない話だよ。ねっ、柏木さん」
いきなりの、山路さんからのパスに戸う慶子さん。頭に浮かぶは、和菓子さまとブラザー。
「ねぇねぇ、鈴木。ワタクシ、こんな時の為に、鈴木が思わず合宿に參加したくなるような、とっておきのを握っているのよ」
山路さんが肘で和菓子さまを小突く。怪訝な表を浮かべる和菓子さま。
「わたし、見たんだよね」
見た。
その言葉に、慶子さんは、勢いよく山路さんの方を向いた。
「柏木さんも気になる? うふふ、特別に教えてあげる。先々週かな? 鈴木が年上の綺麗なと歩いているのを目撃したの。隨分とハイグレイドなと付き合っているじゃない? 鈴・木・クン」
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山路さんの言葉に、をなでおろす慶子さん。山路さんが見たのは、弟君ではなかった。ほっとして、のんびりムードになった慶子さんとは相反して、和菓子さまは顔をしかめた。山路さんが口を開く。
「まさか、人妻? いやん。鈴木のお母さんが聞いたら悲しむぞ」
人妻。
「まぁ」
慶子さん、「まぁ」だなんてちょっとオクサマがった相槌をれてしまう。
「鈴木の噂、聞いたよ。なんでも、鈴木がお店にいるとマダムなお客さまが多いって。鈴木目當て? この、マダムキラーめ」
マダム。
慶子さんは、「嘉祥菓子」を買いに行った時を思い出した。たしかに、あの日の「壽々喜」は、町會のご婦人のみなさまが全員集ったかのような賑わいだった。
あれは、菓子目當てではなく、和菓子さま目當て? 和菓子さまは、マダムキラー! まだ、高校生なのに凄い。
尊敬の眼差しで和菓子さまを見上げる慶子さん。そんな慶子さんの視線に、渋い顔をする和菓子さま。
「……限界ってことか」
ぽつりと和菓子さまが言う。
「山路は、福地と同じクラスだよね。今日の晝休み、悪いんだけど奴をって部室に來てくれるかな」
「ラジャー」
「で、柏木さんもね」
「わたしも?」
「柏木さんもこの話につきあってよ」
和菓子さまはそう言った。
晝休み、お弁當を食べ終えた慶子さんは、和菓子さまの視線にわれるように廊下へと出た。
「急がせて悪いね」
「大丈夫です」
確かに、いつもよりも急いで食べたことは噓ではない。はっとして、口元に手をやる。
もしや――。
「いや別に、ご飯粒はついてないけど」
慶子さんの心を読んだかのような、和菓子さまの言葉にびっくりする。
和菓子さまって、エスパー?
「そういえば、七月にってから七夕に向けた菓子を出し始めたよ」
「七夕ですか? 七夕と言えば、笹の葉とか、短冊でしょうか」
「天の川や、織姫にちなんで糸車とか、そんな菓子を用意しているよ」
「織姫って機織りですもんね」
「そうそう。だから糸車とか、糸をモチーフにした菓子を作るんだ。七夕が過ぎたら下げちゃうから、よかったらそれまでに店においでよ」
「はい。ありがとうございます」
一どんなお菓子なんだろう。あれこれ想像し、期待する慶子さん。にまにましている様子は、しっかり和菓子さまに見られています。
部室とは、男子部の部室のことだった。
慶子さんと和菓子さまが著いた時には、山路さんと男子部部長の福地(ふくち) 裕也(ゆうや)君はすでにいた。そして、なにやらめていた。
「ちょっと、福地。なによ、この部屋。もうし掃除をきっちりしなさいよ」
「ゴミないし、別に、汚くないじゃん」
「埃っぽいでしょう」
山路さんと福地君のやり取りを聞いていた和菓子さまが、慶子さんを見た。
「子の部室は、ここよりもきれいなの?」
「きれいだと思います。特に今は、新生がる前に、山路さんと念りにお掃除をしたので、ぴかぴかですよ。わたしの家からハーブも持ってきたんですけど、それもいい匂いです。もしかして、今日、子部で話せばよかったですか?」
「いや、それはますいでしょう。でも、ハーブか、いいなぁ。こっちはし悲慘かも」
和菓子さまの言葉通り、慶子さんはいきなりケホケホとむせてしまった。山路さんは「換気、換気」と、言いながら窓を開けている。そんな中で、福地君は「大げさじゃないの?」と、あまり自覚がないようだった。
誰かの何かで(布らしきもの)、ベンチを拭き、よくやく座った四人。話しをする雰囲気はできた。
「で、なんだって? 鈴木君」
福地君が口火を切る。
「わざわざ集まってもらって悪かったな。話は、福地が聞きたがっていた、ぼくが部活を休む都合についてだよ。近々、子どもが生まれるんだ」
和菓子さまの言葉に、福地君の鼻がきゅっと萎む。
山路さんの口は、あんぐりと開いた。
そして、慶子さんは、あの日會った和菓子さまの弟君を思い出した。あの子の下に生まれるってことだろうか。生まれてくる子は、「鈴木さん」だろうか。それとも、「たなかさん」だろうか。
「いつ生まれるんですか?」
三人の中で、この件に関して一番質問しなさそうだと思われていた慶子さんが、和菓子さまに訊く。
「予定では、七月上旬。だから、もうすぐなんだ」
「おめでとうございます」
「ありがとう」
生まれてくる子は、男の子だろうか、の子だろうか。
どちらにせよ、慶子さんは兄弟姉妹がいる人が羨ましい。
「そこのお二人さん! なに、フツーに話しているのさ。子どもって、なんだよ。俺たちはどう反応すりゃいいんだよ。とんだ弾発言だよ」
「そうよ、柏木さん、そんな仏の様な顔でこの男をけれちゃダメよ。子どもよ、子ども。つまり、鈴木はね、生意気にもあの年上のを孕ませたって――うがが」
山路さんの口を福地君が塞ぐ。
「おまえ、なんて骨な表現を。柏木さんが驚くだろう、ねぇ、柏木さん」
福地君からの振りに柏木さんは、曖昧な表を浮かべた。そして、考える。
慶子さんはてっきり、生まれてくる子は和菓子さまの弟だと思った。けれど、山路さんも福地君も、和菓子さまの子が生まれると思っている。
――そうか、勘違いしてしまった。
「ご結婚、されたんですね」
和菓子さまが十八歳なら、結婚できる年だ。年上のとお付き合いしているのなら、そういった可能は十分あるだろう。
スーパーで紹介されたあの男の子は、弟みたいな子っていう意味だったのだ。そして、相手のの名字が「たなか」さん。なるほど、そう繋がるのか。事実はすっきりしたけれど、なんとなくもやもやしたものが、心に芽生えた慶子さん。
「柏木さん、真面目な顔でそんなこと言わないでくれる。ちなみに、ぼくはまだ十八歳じゃないんで、結婚できないし」
「そうだ。鈴木は、七夕なんてロマンチックな日に生まれた男だった」
和菓子さまは、七夕生まれ。七夕までは、あと數日。
「ぼくの言葉が足りなかった。子どもを産むのは、母親。で、その母親の旦那が長期海外出張中で々と心配なので、學校終わったらなるべく母の家にいるようにしているってわけ」 「じゃあ、お店も大変ってこと?」
山地さんが訊く。
和菓子さまが、はぁとため息をつく。
「やっぱり、そこからの説明だよね。ぼくの産みの母は、和菓子屋の父と離婚しているんだ。で、今度赤ちゃんを産むのは、その産みの母。母は、數年前に再婚して子どもが一人います。そして、もうすぐ、次が生まれるってこと。これで全部。何か質問はある?」
「ごめん。一ついい? わたしが見た年上のは、鈴木の本當のお母さんってこと?」
「たぶん、そうだろうな」
「ネタがパーだわ」山路さんがぼやく。
「俺もいいかな。言わせてもらえればさ、それ、隠すことかな。もっと早くに言ってくれれば、俺だって……。あんなにあれこれ突っかかるような真似は、しなかったよ。たぶん」
福地君は、どこか歯切れが悪い。山路さんも表を曇らせた。
そして、慶子さんは――慶子さんは、言葉が何も出なかった。
將さんは、和菓子さまの本當のお母さんじゃなかった。
山路さんと福地君は、ひきつづき夏合宿の相談にった。部室を出た慶子さんは、和菓子さまから聞いた話を反芻していた。
「危ない、柏木さんっ」
いきなり腕を摑まれたと思ったら、慶子さんのすぐ側に和菓子さまがいた。
「そこ、段差あるし」
新校舎と舊校舎を結ぶその場所は、人にはあまり優しくない段差が存在していた。
「ありがとうございます」
慶子さんは、危うく転んでしまうところだったその箇所を、注意深く足を運ぶことで切り抜けた。
慶子さんの隣を和菓子さまが歩く。
「さっきのあれ、母親が本當の親じゃないって。柏木さんは、聞きたくない話だった?」
「そんなこと、ないです」
そう答えながら、果たしてそれは本心なのか自信のない慶子さん。
「離婚なんてよくある話だよ。福地だって山路だって、全く堪えてない顔をしていたし」
和菓子さまえの言葉を探す慶子さんの橫を、子生徒が走っていく。購買部のパンの袋を持っていた。お晝を食べ損ねたのか。そろそろ晝休みもおしまいなのに。
「だから、柏木さんだけだよ。そんな顔をしているのは」
「ごめんなさい」
そんな顔がどんな顔だか、慶子さんにはわからない。けれど、和菓子さまがわざわざ言うってことは、あまり好ましい顔ではないのだろう。
「謝ってしいわけじゃないし。ただ――ただ。きっと、何年か前のぼくもそんな顔をしていたんだろうなって思ったから」
和菓子さまの言葉に、慶子さんは顔を上げて和菓子さまを見た。
和菓子さまは、いつもの小さな笑いを浮かべていた。
「ぼくも知らなかったんだ。お袋が実の母じゃないって。知らないっていうのは、変か。正しくは、忘れていたというか、そこらへんのごたごたを覚えていなかったんだ」
和菓子さまは、そう言った。
慶子さんが帰宅すると、玄関まで母親がお出迎えしてくれた。
「ただいま。夕飯は、カレーかぁ」
慶子さんが鼻をくんくんさせると、母親が笑った。慶子さんの母親が作るカレーは、毎回味が違った。気まぐれに、いろいろな種類のルーを買うといった理由もあるだろうけど、がおにじゃがいも、ニンジン、玉ねぎといったスタンダードな時もあれば、ナスやトマトやキャベツ、冬になると大がる時もある。カレーに関して、母親は自由人なのだ。
だから、その度に味の違うカレーを、慶子さんと父親で、あーでもない、こーでもないと想を言いながら食べるのが、柏木家のカレーだった。
ふと、和菓子さまの家のカレーはどんな味なんだろうと思った。カレーは、各家庭によって様々だからだ。
和菓子さまを産んだお母さんと、育てた將さんとでは、きっとカレーの味は違うだろう。 弟君と一緒にいるときの和菓子さまの満面の笑みを思い、和菓子さまはどちらのカレーが好きなんだろうかと、思った。
七夕のお菓子は、やっぱり七夕に食べたいと思っていた慶子さんは、當日、いそいそと「壽々喜」に向った。暮れた空に、どんよりとした雲が広がっている。今にも雨が降りそうだ。
閉店間際だったけれど、予め菓子の取り置きをお願いしていたので、安心だった。店頭には將さんがいた。和菓子さまの話を聞いてから、會うのは初めてだ。なんとなく気まずい。
そのせいか、「こんばんは」の挨拶もいつもよりもおとなしくなってしまった。
「いらっしゃいませ。お待ちしていました」
將さんは、菓子の箱をショーケースから出すと「こちらでよろしいですか」と、その蓋を開けた。
中には三つの上生菓子がっていた。電話で説明をけていた、「天の川」と「糸巻き」と「笹の葉」だ。
「天の川」は、大きなかささぎの形をした錦玉羹の真ん中を帯狀に天の川が流れていて、その両側にピンクした星と水の星が置かれていた。
「糸巻き」は、俵型した白い糸巻きにピンクや水した糸が巻かれている、とてもかわいいものだった。
「笹の葉」は、葛だんごの上に、ペロンと緑の葉が載ったシンプルなものだった。
どれもこれも食べるのが勿ないほどに、可い。
慶子さんは、將さんが手際よく菓子を包む様子を見ていた。
「外、雨はまだ大丈夫でしたか?」
「一応傘は持ってきました。空は、今にも降り出しそうな暗さです」
慶子さんがそう答えると、將さんは包んだ箱を袋にいれて、慶子さんの側までやってきた。
「お天気、なんとかもつといいですけれど」
將さんが、慶子さんに袋を渡しながらそう言った。
將さんのその言葉は、慶子さんに向けられたものだ。慶子さんが帰宅するまで雨が降りませんように、という意味で言ったのだ。けれど、慶子さんには「息子の七夕の誕生日に雨が降りませんように」と、言っているようにも聞こえたのだった。
その夜、慶子さんの自宅に一本の電話がきた。
和菓子さまだった。
弟が生まれたという電話だった。
電話をける慶子さんの視線の先には、雨で濡れた窓があった。
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