《6/15発売【書籍化】番外編2本完結「わたしと隣の和菓子さま」(舊「和菓子さま 剣士さま」)》前に進む、鈴木學君の三月(三月)

番外編その1

和菓子さまこと、鈴木學君の語です。

快晴の三月の朝、鈴木 學(すずき まなぶ)君は、京都へと向かう新幹線に乗り込んだ。

同じ高校に通っていた同級生のほとんどが進學するなか、學君は、京都の和菓子屋での修業を決めた。最低でも三年間、実際にはさらにびるだろうといった予はある。

新幹線が橫浜を過ぎたあたりで、學君はリュックを開けた。そして、家を出るときに父親に持たされた包みを出した。見慣れた鈴柄の「壽々喜(すずき)」の包裝紙を開けると、白い上用饅頭が出てきた。そして、その饅頭の上には、小さなトンボの焼き印が押されていた。

菓子の意味を思いながら、學君は自分の心に問いかける。

――いったいなにが、自分をここまでかしているのだろう。

ホームドラマでいうところの朝の匂いといえば、母親の作る味噌や、パンを焼く匂いだろうか。

ところが、學君が育った鈴木家は違った。小豆を炊いたり、もち米を蒸したり。そのうっすらと甘い香りが、鈴木家の朝の匂いだったのだ。

學君の家は、曽祖父の代から和菓子屋「壽々喜」を営んでいる。店は駅からやや離れた住宅街にあり、お客様はもっぱらご近所のみなさまだ。

お隣のおばあちゃんから、地元の企業まで。私立の稚園から高等學校。町會に老人ホームに趣味のサークル。地元のみなさまのネットワークのおで、「壽々喜」はり立っている。

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「壽々喜」は、資金力に長けたわけでもなく、歴史があるわけでもない。個人が起こした小さな店だ。その店が、こうして何十年にも渡り家業を続けられるのは、ご近所のみなさまに支持される味や技に加え、「壽々喜」の店名にもあるのではないかと言われる。

「壽々喜」の店の名に、祝い事や長壽といった意味の漢字が使われているからだ。結果、ご近所のみなさまに、慶事の菓子なら「壽々喜」だといったイメージが刷り込まれたとか。

初代の曽祖父が、そこまで見越してこの名付けをしたのかは不明だが、自分が付けた名で得をしていると知れば、喜んでいるに違いない。

そんな「壽々喜」で育った學君。彼は、父親が働く姿を見るのが好きだった。小豆や砂糖、うるち米やもち米から作られる様々なを使い、父親が菓子を作り出す様子は、手品にも思えたし、もっと言えば、魔法のようだとも思った。

父親のように菓子を作りたい。

いつしか芽生えたその思いは、年月を経るごとに漠然としたものから、ゆるぎない決心へと変わっていった。

高校三年生の十一月、學君は保護者のサインをもらうために、進路希用紙を父親に渡した。遅い夕飯を食べていた父親は、進路先として書かれた京都の和菓子屋の名を見て目を細めた。

「やっぱり、おまえも、こっち側に來ちまうんだな」

「いまさらだね」

「朝は早いし、休みはないし、やることは多いのに儲けはない」

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「だけど、やりがいはある」

「そうなんだよな。そこなんだよ。ほんと、困ったもんだよ」

そう言いつつも、父親の顔はちっとも困っているようには見えない。

「あのな、京都に行ったからって答えが見つかるなんて思うな。この仕事、一生、答えは見つからないからな」

學君は、はっとした。父親が、今でも材料の一つ一つの産地や作り手を試行しているのを知っていたからだ。

「一生、片想いみたいなもんだ。繋がったと思ったら、また離れて行く。を作るってことは、その孤獨な作業を延々と続けていくってことなんだろうな」

父親らしい言葉だと學君は思った。

「片想いねぇ。だから、元(はじめ)君は、モテないんだねぇ」

風呂上がりの祖父が、湯気をまとい學君と元さんの間に座る。祖父のかな銀の髪からは、學君とも元さんとも違うシャンプーの香りがした。おそらく、祖父のファンからの貢だろう。

「俺がモテようが、モテまいが、菓子作りに関係ないだろう」

「菓子に気は必要でしょう」

祖父は、やれやれといった顔をすると、孫である學君をじっと見た。

「答えはね、見つけるものじゃないよ。ある日ね、ふっと隣にやってくる神さまみたいなものなんだからね」

祖父の「神さま」発言に、父親は咳き込んだ。

「でも、神さまにそばに來てもらうためには、きちんとしたアプローチも大切だよ」

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薄茶の瞳で祖父は學君にウインクをしてきた。ストイックな父親と、自由人の祖父の言葉。真逆ながらも、それぞれが本人たちにとり真実なのだろう。

「大丈夫。學君には、學君だけのピッカピッカの道があるんだから。こんな、修行僧みたいな、枯れたおっさんの言うこと、まともに聞いちゃだめ」

「俺がおっさんなら、お父さんは、じじいだな」

「じじい! なんて口の悪い。そんな息子に育てた覚えはないですよ」

祖父と父は、顔を合わせると喧嘩になる。

海岸線が見えてきた。トンネルが多くなる。

自分が住んでいた街から、どんどん離れていく。

おまえは一人で、今までとは違う場所に向かっていくのだ。

が、そう教えてくれる。

「手紙、出したいので」

卒業式のあと、學君は校舎に戻る柏木 慶子(かしわぎ けいこ)さんを追いかけた。福地 裕也(ふくち ゆうや)君たちに冷やかされたけれど、関係ない。

階段を上り三年B組のり口に立つと、柏木さんはこちらに背を向け、黒板の端を見ているようだった。學君は、そんな彼の後ろ姿をしばらく見つめた。

柏木さんは、どこもかしこもらかそうだ。特に髪は、ったことはないけれど、きっとらかい。長さは、中學生の頃から肩につくかつかないか位で、話すたび、笑うたびにかすかに揺れた。

大學にったら、ばすのだろうか。

剣道部の山路 茜(やまじ あかね)さんが、人式で著を著るために髪をばすと言っていた。柏木さんもそうだろうか。ばすのだろうか。

なんとなく、ばしてしくない気がする。

「柏木さん」

埒もない考えを追いやり、彼の名前を呼んだ。柏木さんは驚き、忘れかと聞いてきたので、そうだと答えた。ほんと、隨分な忘れである。

教室は、がらんとしていた。慣れ親しんだ部屋だったはずなのに、居心地が悪い。卒業するとは、こういうことなのか。

柏木さんが京都の住所を教えてしいと言ってきた。手紙をくれるのだそうだ。

メールじゃないところが、さすがというか、柏木さんらしいと思った。住所を空で言えるようになっていてよかった。

手紙は嬉しい。それは、友達としての縁が続くことを意味しているからだ。ただ、反面、そこから先には進めないだろうなと思った。

この一年間、學君は柏木さんのそばにいるのが當たり前のようになっていた。クラスでも剣道部でも、そして店でも。

京都に行かずに、そのまま大學に進んだら。

もしくは、修業先を京都ではなく、東京に決めていたら。

のそばにいる生活は、今まで通り続いたのかもしれない。そして、それだけそばにいたら、友達なんかでいられないってことは明らかだ。

そんな、もしもの未來を、思い描かなかったかと言えば噓になる。

けれど、學君は京都行きを決めた。祖父や父から紹介された、いくつかの店を訪ね、話を聞き、自分で決めた。

京都の修業先への挨拶から帰ってきた二月のこと。不用品をまとめていた學君の部屋に、ふらりと祖父がって來た。

「おつかれさん」

祖父は學君に茶を勧め、一休みするよう促した。

「聞いてよ、學君。この間ぼくね、とても綺麗なもの見ちゃった」

恐らく、家族の中で綺麗なものやしいものに一番敏なのは祖父なので、學君はなんだろうと興味を持ち耳を傾けた。

「あのね、近所に白いしだれ梅あるでしょ。あの可い花が咲く。そこにね、二羽の緑したメジロがチュンチュン跳ねてを吸っているの。空は青くてね、ほんと綺麗だった」

「しだれ梅って、うちの常連さんの家のあの木だね」

「そうそう。毎年ぼく、楽しみにしているからさ。絶対、見るじゃない」

「梅はいいよね。ぼくも好きだ。爽やかな甘い香りがいい」

「そうそう。でね、それをね、大切そうにしそうに見上げているの子がいてね、その姿がね、ほんと絵みたいに綺麗だったのね」

祖父の言葉に、學君のお茶を飲む手が止まった。

「もしかして、柏木さん?」

祖父が、ふふふと笑う。

「學君のおばあちゃんをね、鈴子(すずこ)さん。思い出した。ぼくね、小さいころから鈴子さんと一緒だったからね。ずっと一緒だったからね。ずっと見てたね。今思うと、とても贅沢ね。鈴子さん、もうぼくのそばにはいてくれないけど、でもね、覚えてる。うん、全部覚えてる。その記憶、全部、ぼくのものね」

祖父と祖母はなじみだ。

外國のが流れ、生き辛かった祖父を鈴木家は守り、ついには婿養子として人生全部も引きけた。

祖父から聞く、曽祖父のエピソードはどれもこれもカッコいい。

「饅頭がどこから來たのが存じか」

和菓子屋のくせに、外國人なんかを婿にしてという誹謗中傷をけたとき、今は亡き曾祖父は、文句を言ってきた自稱常連客の方々に、靜かに問うたらしい。

「では、仏教がどこから來たか存じか」

相手はなにも言い返せなかったらしい。

「どこで生まれたかとか、どこのを引くかなんて、関係ないのです。育んでいく心が大事なのです。その志が尊いのです。優れたものしいものに、外國とか日本といった垣はありますか」

今でも、祖父が曾祖父の話をするときは、尊敬とがあった。

穏やかで灑落者の祖父と、數々の武勇伝を殘すお転婆な祖母は、孫の學君から見ても仲が良かった。元気な祖母が亡くなってから、早いもので、もう九年が過ぎていた。

ロマンチストでもある祖父は、學君に、ことあるごとに柏木さんの話をふってくる。學君が彼を好きだと斷定しているのだ。否定できないところが、なんとも……なんともなのである。

の子はね、の子としての綺麗な時は、ほんの一瞬なのね。もちろん、そこからの綺麗さになるんだけど。の子の、なんていうかな、ある意味潔いというか、何のにも染まっていないわずかな瞬間ね。あれは、本當に綺麗だね。學君にこそ見てほしかった。ぼくが見ちゃって、もったいないね。多分、あの姿見たら、學君は京都に行けなくなるよ」

「……また、人の足をひっぱるような」

「ひっぱるなんて、人聞きの悪い。そんなことを言う學君って、わからないなぁ」

「行かせたくないわけ、京都に」

「行かせたいか、行かせたくないかって聞かれたら、行かせたくないよ。だって、ぼくが淋しいじゃない。學君いないと。でもね、行った方がいいか、どうかって聞かれたら、行った方がいいねって言うよ。そりゃ、京都はすばらしいもの」

祖父の言葉に學君は唸る。

「ただね、長いこと生きているとね、いろんなことがあるわけ。正しい道ってないんじゃないかなぁって思ったり、いろんな道を通っても、辿りつく場所は同じかもねぇと思ったり」

「そんなこと言われても、困るよ」

「學君、意外と一途だからさ、なんていうか、周りにはこういったいい加減な大人もいて、それなりに功しているってとこを見せておこうと思ってさ」

そう言うと、祖父はよっこらしょと、立ちあがった。

「心は大事にして。技は習うことができても、君の心は君しか守れないから」

邪魔したねと言うと、祖父は學君と自分の茶碗を重ねて部屋を出て行ったのだった。

――君の心は君しか守れないから。

トンネルにり暗くなった車窓を鈴木君は眺めていた。

二月の雪の日、山路さんからの電話で、學君は柏木さんを駅まで迎えに行った。柏木さんは、誰かに來てもらえるとは思ってもいなかったような顔で、學君を見ていた。

あの學君の父親でさえ、天候が悪いときや、遅くなったときは母を駅まで迎えに行く。大切な人を迎えに行くのは、別に、特別のことではない。

柏木さんだって、父親が駅まで迎えに來てくれることは、あるだろう――そこで、はたと學君は気が付いた。

いや、ないのだ。

柏木さんには、そんなことをしてくれる人がいないのだ。柏木家で優先されるべき人は、娘ではなく病み上がりの母親だった。

學君は、たまらない気持ちになった。

早く大人になりたいと、強く思った。

しかし、自分が大人として柏木さんの前に立つためには、しなくてはいけないことや、行かなくてはならない場所がある。そこをやり遂げないと、自分は彼とは向きあえないだろう。

けれど、それは學君の考え方である。自己満足ととられても仕方がない。

約束できない自分は、柏木さんを繋ぎとめることはできない。彼が京都から帰って來るその時まで、彼の隣が空いているとは限らないのだ。

「おかえり、って言ってもらえるかな」

學君が言えた一杯は、その言葉だった。

柏木さんと揃って校舎を出た。彼は、待っていた山地さんと常磐 冬子(ときわ ふゆこ)さんの三人で、帰っていった。

そして、學君が戻ってくるのを待っていたのは、福地君と和歌山 真司(わかやま しんじ)君と北村 颯(きたむら はやて)君だ。にやにや顔の三人に、柏木さんとは何の約束もしなかったことを告げると、絶句された。

「あんだけ威嚇撃しながら、なんで言わないの。無駄撃ちだ。信じられねぇ、ありえねぇ」

福地君が騒ぎだした。

「まぁ、気持ちはわかるけど。俺なら言う。絶対に言う。とことん言う。けなくても、泣いてでも、待ってもらう約束をとりつける。で、休みごとには、東京に帰っていちゃつく」

和歌山君に呆れられた。

「面倒なことになるなぁ」

北村君がぼやく。

「四年間限定」

福地君が、右手の四本指を立てた。北村君も頷く。

「四年間は、同じ大學にいる間は、柏木さんをなんとか見守る。でも、それ以降は責任持てない」

そう言うと福地君は「功報酬は、スターウォーズのフィギュアでいいから」と言って、腕を組んだ。

トンネルを抜けると、再び海と青空が見えた。

――いったいなにが、自分をここまでかしているのだろう。

あの春の日、迷子のように柏木さんが學君の前に現れなくても、おそらく自分は京都に行ったし、もちろん店も継ぐことになっただろう。

事柄だけ見れば、そこに変化はない。

けれど、柏木さんがいたから、彼の存在があったからこそ、自分はより高いところをんでしまうのだ。

の瞳に映る自分が、自分で誇りに思えるようになりたい。

自分が作る菓子で、彼を笑顔にしたい。

になりたい。

學君は、父親が作った饅頭を食べた。

旅立つ息子に父親が贈ってくれたのは、トンボの焼き印のついた、白い上用饅頭だった。

上用饅頭は、素材がシンプルなだけに、誤魔化しがきかない菓子だ。

そして、トンボは、後ろに戻ることなく、前に向かって進んでいく蟲だ。

その質から勝蟲と名付けられ、縁起とされていた。

おい、學。

俺は今、ここにいる。

おまえは、どこまで行けるのか。

ともかく、気が済むまでやってこい。

父のそんな聲が聞こえた気がした。

新幹線は、速度を上げて進んだ。

その加速に、気持ちが高揚する。

この線路の先には、學君の未來がある。

長い歴史と技を持つ古都が、自分を待っているのだ。

十八歳の春に東京を出た學君が、予想通り三年では済まない修業を終えて東京に戻り、柏木さんの左薬指に指をはめるのに功するのは、まだまだまだまだ、先の未來。

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