『聖』トアリの容態は、日を追うごとに悪くなっていった。

ファンゲイルの目をもってしても、原因は定かではない。

天使のタリスマンという名の、何か魔法的な効果を持った裝飾品……それが、何かの影響を及ぼしていることは分かった。しかし、聖屬を用いているらしく、ファンゲイルには解明できない。

ならば、取り外せばいいのではないか？　無論すぐにその手段には思い至ったが、外そうとした瞬間トアリの顔が痛みに歪んだので慌てて戻した。タリスマンからびる魔力の鎖が、魂にまとわりついているのだ。

無理に天使のタリスマンを外そうとすると、魂ごと引き剝がすハメになりかねない。下手を打てばトアリが死ぬ。

まさに雁字搦めの狀態だった。

「天使のタリスマンが魂の力を吸い取っていることは間違いない……なんで教皇猊下はあんなものをトアリに……」

トアリは、タリスマンを教皇にもらったと言っていた。そして、離さず付けるようにと言われたそうだ。

トアリは害を及ぼすものを直観でじ取ることができる。毒がった食べなどは彼曰く「変なじがする」そうで、避けることができるのだ。

また、聖の魔法はの不調程度、立ちどころに癒すことができる。

だから、天使のタリスマンがただの悪意によって作られたものであれば、トアリに通用するはずがないのだ。

「ダメだ、わからない……」

ファンゲイルは、蔵書から引っ張り出してきた魔導や、あるいは聖屬に関する資料を、ページがり切れるまで捲り続けた。

ここ數日、ほとんど寢ずにトアリを治す方法を模索している。自分の研究など後回しだ。

魂の消耗は、の損傷よりも治りづらく、命に直結する。そのことを、ファンゲイルは誰よりもわかっていた。

「魂を攻撃している……？　いや、あれは攻撃というより、吸収……」

わずかだが、タリスマンの中にトアリの魂をじたことがある。

魂をに封じ込める……果たして、そのようなことが可能なのだろうか？

「トアリがけれているということは、危険はないのかな？　でも、神との衰弱は明らかだし」

ファンゲイルが知らない技だ。聖屬は専門ではない、などというのは言い訳にしかならない。魔法の専門家などとのたまいながら、大切な人すら守れないのだ。自分の不甲斐なさに嫌気がさす。

「教皇猊下に直接聞きにいこう。もしかしたら、何かの手違いかもしれない」

皇國で暮らしながらも、年中引きこもって研究をしているファンゲイルは、皇國に渦巻く権謀策を知らなかった。あるいは知識としては知っているのに、その可能を切り捨てていた。

皇國が、大切な『聖』であるトアリに危害を加えようとしている可能なんて。

「教皇猊下。最近、トアリの様子がおかしいのです。天使のタリスマンという魔導、何か不合を起こしていませんか？」

教皇にお目通りを願ったファンゲイルは、意外にもあっさりと謁見の間に通された。開口一番、直球でそう尋ねる。

公式の立場こそ一介の研究者だが、日ごろから功績を上げているファンゲイルは教皇の覚えもよく、謁見を許されたのだ。

老獪という表現が似合いそうな深い皺を浮かべる男が、面白そうに髭をさすった。

「おかしくなど。『聖』トアリは順調に聖の務めを果たしておる」

「ですが……明らかに調が悪そうなのです」

「それが正常だ」

何を言っているのか分からず、ファンゲイルは顔を上げて教皇を見た。

にやにやと、意地の悪い笑みを浮かべている。教皇だけじゃない。周りにいる樞機卿などの幹部たちも、同様に嘲笑していた。

「正常なはずが……」

「おお、噂をすれば戻ってきた。我らが聖様だ」

ぱっと振り返ると、そこには確かにトアリの姿があった。

ただでさえ華奢なはさらに痩せこけ、しかった髪は薄汚れ、は青ざめている。法だけは煌びやかで、それが不健康なを際立たせていた。

これが正常だって？　冗談じゃない。

ファンゲイルは思わずそうびそうになったが、ぐっと堪えてトアリに駆け寄る。

「トアリ！」

「……」

名前を呼んでも、虛ろな瞳はファンゲイルを見ることはなかった。

「『聖』トアリ。こっちへ」

「はい」

彼の中に燈る魂の火は、そよ風が吹けば消えてしまいそうなほど弱々しい。

橫を通り過ぎていったトアリを、愕然としたまま見送る。

彼はこの時引き止めなかったことを、最後のチャンスを逃したことを、これから五百年後悔することになる。

「仕上げだ」

教皇が天使のタリスマンに手をかざし、小さく何かを唱えた。

次の瞬間――トアリのから、魂が消えた。

「は？」

トアリのが崩れ落ちる。まるで糸を切られたり人形のように、重力に吸い寄せられた。

慌てて駆け寄って抱きとめる。

「トアリ……！　トアリッ！！」

「くくく、何、殺したわけではない。高貴なる聖様は、我らの元でさらに高みへ至るのだ。聖の権能が反応しないのも當然。悪意など一片もないのだからな」

教皇はトアリから外した天使のタリスマンをおしそうにでる。

「トアリが……死んだ……？」

魂が抜けて生きていられる生はいない。

まだし溫もりが殘っているこのは、紛れもなくトアリの亡骸だ。

その事実を、ゆっくりと反芻する。

信じたくないというと同時に、冷靜な自分が判斷を下す。『冥師』の目が、真実を正しく認識していた。

「……アイシクルショット」

「ふっ。聖結界」

取りしていた時間はほんのわずか。

ファンゲイルはトアリの亡骸を右手に抱きかかえたまま、冷徹な表を浮かべて立ち上がっていた。

原理はわからない。しかし、天使のタリスマンが何か作用したことは間違いない。

が死ぬと、魂はから抜けだしたあと、どこかへ飛んでいくはずだ。ファンゲイルはそれを視認できるのだが、トアリの魂は放流せず……天使のタリスマンに吸い込まれたように見えた。

「返せ」

ファンゲイルのから魔力が湧き上がる。

皮にも……『冥師』というギフトは、喪失や絶を糧に強くなる。

「トアリの魂を返せ」

「くくく、貴様の研究は非常に役に立った。が、もう時であるな。聖騎士よ。ファンゲイルはもう不要だ。処分しろ」

皇國の最高戦力が、ファンゲイルに迫る。

真っ先に剣を抜いた二人を、足先から氷漬けにした。

だが、聖騎士は大勢いる。対するファンゲイルは一人。

稀有な魔法の才能を持つファンゲイルでも、攻撃を防ぎながら教皇に近づくのは不可能だった。教皇は樞機卿たちに守られながら、どんどん遠ざかっていく。

ああ、もっと力があれば。

もっと知識があれば。

トアリを守れたのに。

「がっ、は……」

聖騎士の突いた剣が腹を貫いた。

いったい、何のために皇國に盡くしてきたのだろうか。

トアリもファンゲイルも、國のため、民のためにと、真面目に盡くしてきた。

結局、裏切られるのか。

「人間なんてクソだ」

そういえば、まだ試していない魔法があった。

「僕がどうなっても。トアリ。君だけは絶対に助けるよ。それが魔の道であっても、僕は諦めない」

自に魔法を展開する。

魂を保護し、を魔に転ずる。魂をコーティングした狀態で、再びに定著させる。

「『不死化』」

瞬間、莫大な闇魔力が弾けた。

「そうだ、全員殺して奪い返そう」

魔王が誕生した。

この日、新たに生まれた魔王によって皇國は甚大な被害をけ、首都を移する事態になった。

『不死の魔王』はひたすら暴れ続けた。死んだ人間はアンデッド化するため、ネズミ算式に魔が増えていった。

魔の手は教皇の首にも屆きかけたが、辛うじて逃げ延びる。しかし、混の中で寶『天使のタリスマン』は失われ行方知れずとなった。

戦は三日三晩続いたが、魔力を使い果たし多くの傷を負った『不死の魔王』が手を引いたことで一応の終息を見せた。

これが五百年前……ファンゲイルが魔王となった事件の顛末である。