《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[2-24]僕は、こんなんだけどお父さんだから

ニィの震腳がタンと響く。

打ち込んだその崩拳をロクは払らいのける。わす手を払い絡めながら、ニィは強引に二足目を踏み込んで肘打ちを叩きこんだ。

ロクは脇腹にそれをけながらも、ニィの頭部を手刀で薙(な)ぎ払う。

互いにけた打撃に両者はをのけ反らせながらも、一歩も引かず互いに組み合った。

複雑に両腕を絡ませ、直する。相手の手首を摑み、攻撃を封じながらも相手の勢を崩し、崩させまいと次々と足の置き所を踏みかえる。

ふと、ロクがニィの腕を離した。途端にニィが自由になった拳でロクの眼球を突く。ロクはその拳に対し、頭を下げて額でけた。

ゴッ、と頭蓋が軋む音。

しかし、ロクはひるまず、全重を額にのせてニィの拳を押し返しながら、空いた腕を振りぬいてニィの顔面を橫毆りにした。

その衝撃でニィは半歩後退する、その間隙にロクはその長い腳を折りたたんで、鋭いローキックを放つ。

パシィ、と鞭を打ち付けるような打撃音を立ててニィの膝を打ち抜く。

しかし、ニィはそれに構いもせず、大きく一歩前に出ながら當たりでロクを押し込んだ。

ローキックの最中で片足立ちだったロクはバランスを崩した。

ニィは、その隙を下から両斷するように大きく蹴り上げた。そのつま先がロクの顎をとらえて、彼の意識を跳ね飛ばす。

ロクは膝をつき崩れ、ごろごろと転がってニィから距離をとる。

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しかし、その明らかな隙に対してニィは付けることは出來なかった。互いに呼吸を整えるので一杯だった。

二人はそうやって、何度も衝突し距離をとっては數瞬の休憩を繰り返していた。

互いにれる呼吸が、やがて収まっていき一瞬ピタリと止まる。

次の瞬間、二人はまた同時にく。

打突が差し、互いに円を描きながられ撃つ。

躱(かわ)し、いなし、外(はず)し、ずらし、打ち込み、崩し、極める。

二人の戦いが後半になるにつれ、最初の様相とは明らかに変わりつつあった。

初めは互いに相手の攻撃をけることは、ほとんどなかった。蝶のように舞い躱し、蜂のように鋭く攻める。多彩な連打も痛烈な一撃も隠された裏打ちも、そのほとんどを互いに捌ききっていた。

しかし、時間が経過するにつれ互いの攻撃をけることが多くなっていた。

特に、致命的ではない連撃の數打など無視して相手に踏み込み一撃のカウンターを繰り出すことが多くみられている。

明らかに両者の疲労が増すにつれ、その攻撃は多彩さを潛め、致命打のみを繰りわす息をのむような展開が繰り広げられている。

また互いに距離をとり、何度目かの対峙に戻った。

ニィは朦朧とする意識の中で、顔面から流れるをぬぐい取ろうともしないロクの顔を見た。

――しつこいッ

ニィにとって、ロクが格闘戦で自分に食い下がることは想定外だった。

ニィの見立てでは格闘において自分の実力はロクのそれを圧倒しているはずだった。

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しかし、実際のところ、互いの実力は明らかに拮抗していたし、油斷が許されぬほどに迫もしていた。

どこでこれほどの訓練をロクはけたのだろうか。その格闘は明らかに政府の意思決定顧問としては不要で不適切なほどに実戦的ですらある。

ニィは肩で息をしながら足を組み替えて構えを整える。

ニィの技は実験部隊で叩き込まれた軍隊格闘だ。八極の型を取りれたこの実戦技を彼は全力で習得した。あの地獄の中で、ニィは殺すための技を全全霊で練り上げた。

この五に宿る技は全てロクを殺すためにある。ロクに相対するときに備えて、ありとあらゆる技能を磨き上げてきた。生と希を削り、この瞬間のためだけ錬磨してきたのだ。

醜悪な共産黨高どもに抱かれながらも想笑いを浮かべ、

軍隊の拷問まがいの責め苦にも耐え抜き、

何人もの仲間の死を目の當たりにしながらも平然を裝って、

ただただ、ロクを殺すためだけにここまでやって來た。

「……ハッ」

ニィは鋭く息を吐き、ゆらりと構えを組み替えた。

「家族ごっこやってたお前なんかに!」

ニィは腰の裏に右手を隠した。ベルトに備えたナイフの柄を摑む。

出來ればロクを素手で殺したかった。この手で直接、ロクの命を握り潰したかった。しかし、もう手段を選ぶつもりはない。

ニィは右手に摑んだナイフを隠しながら、ロクに向かって大きな前蹴りを繰り出した。

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ロクはそれを拳で叩き落としながら、ニィの側面に回り込む。

ニィはそれを追いかけるようにを捻り、その捻転を利用して右手に摑んだナイフを振りぬく。

が赤い糸を引いた。

ナイフの刃は、それをけ止めようとしたロクの腕を深く切り裂いた。違和に顔を歪めたロクは後ろに飛び退く。

彼の腕からは鮮が川のようにあふれ出し、ニィの右手にはナイフが赤く濡れている。

「お前なんかに、よぉ!」

ニィは間をおかずにロクに薄する。構えたナイフを下に垂らして、二足で間を詰めた。

ニィは小さくナイフでフェイントを織りぜロクの意識を散らす。疎かになったロクの足元を狙い、その膝を橫なぎに蹴りぬいた。

ロクがを崩して膝をつく。

ロクの顔面がの高さまでに落ちた。ニィは全のバネをつかって、そこに白刃を突き出す。

刃がロクの頭蓋に迫った。

しかし、がっしりとした生暖かい抵抗が、ニィのナイフを持つ手を包み込んで止めた。

それは、ニィの知っているナイフで骨を穿つではなかった。もっと優しくて強い。手元を見ると誰かの手がニィの手を握りしめていた。

「ニィ君、」

聞き覚えのある優し気な聲がして、ニィは顔を上げた。

目の前には、布津野がいた。

彼はいつの間にか二人の間にり込んで、ニィの手首を抑え、ロクを守るようにして立ちはだかっていた。

「……布津野さん」

「ニィ君、約束が違うよ。僕を殺すまでロクには手を出さないって、」

布津野がふっと浮かべた悲しそうな表に、ニィは冷水を飲み干すような罪悪を覚えた。

布津野は握り込んだニィの手を離した。ニィは後ろに飛び退ってナイフを構え直す。

しかし、そんなニィの臨戦態勢に対して布津野は、そのまま振り返って背を向けた。彼の視線の先にはロクがいた。

ロクは膝をついて口を開けたまま閉じる方法を忘れたように、呆然と布津野を凝視していた。

「ロク、謝りたい事があるんだ」

布津野がそう言ってかがみ込んだ。

ロクは震える手を、溺れる様に布津野に向かって掻いた。その手は布津野に向かって何度も手をばそうとしては、しかし迷って引っ込む。それを何度も何度も繰り返していた。

布津野は首を傾げると、自ら手を差しばしてロクの手を握りしめた。溫かいが手をつつみ、ロクの目の前には父親のいつものけない顔が広がっていた。

「僕は未調整で馬鹿だから。ロクの悩みとか苦しみとか、責任とか……。何一つ分かってなかった。実は辛いのはロク自だったのに、そんなこと當たり前だったのに、」

ロクは夢のような錯覚を覚えて、目をきつく閉じた。

その瞬間に、乾いていたはずの目にこみあげていた水分が目の端からこぼれ流れていく。

ゆっくりと目を開けても、けない笑顔はまだそこにいた。

ロクは何かをしゃべろうとした。しかし、それはにこみ上げてくるに邪魔されて、上手く言葉にならなかった。

「ごめんね。ロクはいつだって、みんなを助けようと頑張っていたのに……。そんなことも分からずに、ロクをぶってしまった」

ロクは首をふった。

「駄目な父親だと思う。何もしてやれないのに、ロクを傷つけただけだ……」

――違う! そうじゃない。

ロクは口を開いたが、「あっあっ」という聲が絞り出されるばかりで言葉にすることが出來なかった。

もどかしくなって、ロクは布津野に抱きついてしがみついた。懐かしい匂いがに広がって、自分の肩が布津野の腕に包まれるのをじた。

ロクはその時、ある事に気が付いた。父親の背中は思った以上に大きく、その手はどんなものよりも力強かった。

「……ごめん、なさい」と、ロクはようやく言いたかった事が言えた。

布津野の背中をギュッと握りしめて、もう一度ロクは言うべきことを、言わなければと思っていたことを絞り出す。

「ごめんなさい、父さん。酷いこと言って、ごめんなさい」

「……ロクは悪くないさ」

ロクは布津野のの中で、首を振った。

「ごめんなさい。未調整のくせに、なんて言って、本當にごめんなさい」

「そんなこと、気にしてないよ」

「ごめんなさい、……ごめんなさい」

ロクは嗚咽を上げて泣きじゃくった。

ニィは渦巻いていた憎しみが夕暮れの引きのように引いてなくなっていくことに困した。

目の前では、ロクがまるで子のように布津野に抱き著いて泣いていた。

時折、聞こえてくる「ごめんなさい」というロクの聲が殘響になって鼓にこびりついている。その景は、ニィの理解を凌駕していた。

目の前にいるロクは、憎き最適解ではなかった。

泣きぶロクは、自分と同じ13歳だった。

みんなと同じ、子供だった。

手にしたナイフの反が目を刺す。握りこんだ柄のがひどく冷たい。白刃の上には糊が付著している。それはロクので、普通の赤いをしていた。

殺意が剝がれ落ちていくのをじる。ニィはそれをかき集めて再構築しようと必死になるけど、水が指の隙間から流れ落ちるように、止めることが出來ない。

――ふざけるなッ

こんな茶番、馬鹿にしている。何人も死んでいった。あいつの判斷で何人も見殺しにされたんだ。

「ふざけるなッ!」

ニィは自分をい立たせるように聲に出した。

布津野は、しかし、ニィに対して無反応だった。彼はロクを抱きしめながら微だにしない。

それは、不思議とニィを苛立たせた。

「ふざけんなよ、何なんだよ、今さら! 今さら、何なんだよ!」

何かを振り払うようにびながら手にしたナイフを床に叩き捨てると、ニィは腰に差した拳銃を引き抜いた。そのまま、ガシャ、とスライドを引いて薬室に初弾を込める。

「殺しておいて、あれだけ偉そうに殺しておいて、今さら何なんだよ!」

銃口をロクに向けたとき、ニィは息をのんだ。

布津野が立ち上がって、こちらを向いて立っていた。

彼はロクを後ろにして、向けた銃口に対して立ちはだかるようにして立っていた。その表からは何も読み取れない。

ニィは、しかし、布津野のその反応に妙な充実を覚えた。

「ふっ……ははっ、はぁ~」

ニィの口から、奇妙な、聲にならない嗤い聲がこぼれる。

愉快だった。ようやく、布津野がこっちを見ている。ロクなんかよりも自分をだ。

「そうですよ。布津野さん、そうだ。今から約束を果たしましょう。順番が間違っていました。俺のミスです。貴方を殺し、ロクを殺す。確かにその約束でした。申し訳ありません。本當に申し訳ありません。思わず興が乗って、フライングしてしまいましたよ」

ニィは片手で口を抑えたが、ニンマリと大きく歪む口の形を覆い隠すは出來ない。嗤わずにはいられない。止めようとしても無理だ。

布津野さんを俺が殺して、その後、その後は……、ロクを、

……いや、ロクなんてもうどうでもいい。

あいつはあのまま無様に生き続ければいい。俺が布津野さんを殺した後の世界で、あいつは生き続ければいい。それがお似合いだ。

俺はもうどうだっていい。……そうだ、いい事を思い付いた。

「さぁ、布津野さん。一緒に死んでくださいよ!」

ダンッ

ニィの銃口が跳ねた。

しかし、布津野はその銃火が吹くと同時に、首を傾けて銃弾をやり過ごした。

ニィの嗤いが凍り付いた。

布津野は何事もなかったようにニィに向かってゆっくりと一歩一歩近づいてくる。

ニィは拳銃を両手で摑んだ。この距離で外すわけがない。脇を締めてアイアンサイトを覗き込む。息を止めての微すら抑え込む。銃口はぴったりと布津野の頭部に據えられている。

ダンッと、目の前に火が吹く。

硝煙が目にしみるのを構わず布津野を凝視する――しかし、弾丸に貫かれたはずの布津野は、まるで何事もなかったように歩いてくる。

ただ彼はわずかにを捻って半になっていた。まるで先ほどの弾丸を躱(かわ)したかのように……。

馬鹿なッ

ニィは一歩後ずさり、近づいてくる布津野の目を見た。

布津野は寂しそうな顔でこちらを見ていた。

「あっ、あ、ああああああ!」

ニィは震える銃口を無理やり抑え込んで、今度は布津野のに狙いを定める。

ダンッダンッダンッ

闇雲に連する。

ダンッダンッダンッ……

気が付けば裝填スライドが引いてかない。弾切れだ。

ニィは銃口の先を見た――布津野が消えていた。

「ニィ君、」

右の耳元で鼓を直接でるように、布津野の聲がした。

振り返ると、目の前に布津野がいた。

「ひっ」と、ニィは反的に聲をらして距離を取る。

布津野はそれを追いかけるように一歩前に出る。無傷だ。先ほどのは一発たりとも當たっていない。

ガシャ、と手から零れ落ちた拳銃が床に跳ねた。

「ああああああ!」

沸き起こる恐怖を振り払うようにニィはぶと、布津野に向かって渾の直突きを放つ。

その拳に対して、布津野は手刀をかざすと迎えれるように合わせた。

そして、全てが靜止した。

ニィはけなくなった。まるで全重を込めて放った打撃が、布津野の手刀と合わさった自分の拳を通して返されている、そんな錯覚に全が支配されている。両足が大地にを張ったかのようにかすことが出來ない。抵抗すればするほど、その重圧はさらに増していった。

顔を上げると、布津野はふっと優しく笑うのを見えた。

次の瞬間、急にが軽くなったかと思うと、視界が回転し反転した。

まるで踴らされているように、布津野が緩めた力の逃げ道に追い込まれて導され崩されていく。

気が付けば、ニィは背中から布津野にまるで父親のように抱きしめられて座り込んでいた。

「ニィ君、」

耳元から、あの優し気な聲が語り掛けてくる。

ニィは後ろから回された布津野の腕をぎゅっと摑んだ。

「なんなんですか、貴方は」

ニィは泣きそうになった。まるでロクと同じように、こみ上げてくるものに負けてしまいそうだった。

「もう、めちゃくちゃ、じゃないですか」

「ごめん」

「……謝らないでくださいよ」

「うん」

ニィは笑いたくなった。

笑ってしまおうかと思い、目を上げるとそこには仲間たちがこちらを心配そうに見ているのが見えた。

全員そこにいる。48人の仲間たちが、布津野に預けた帰還組もそこにいた。

「ニィ君、お願いがあるんだ」

「……なんです? 聞きたくありませんよ」

「君に頼まれたあの子達のことだけど、やっぱり僕一人じゃ、助けることが出來ないと思うんだよね」

「……」

本當に、そうだろうか?

貴方に出來なければ、誰にも出來ませんよ。とニィは思った。

「一緒に協力して、彼らと政府のこととかが上手くいくようにもうし頑張ってみてくれないかな? ニィ君がいないと、多分ダメなんだ」

「それは、つまり、俺にどうしろと?」

「それが僕には分からないんだ。出來れば一緒に考えてしい」

ハハッ、と耳元からけない笑い聲がして、ニィは全の力を抜いて布津野にもたれかかった。

結局、何も変わってないじゃないか。本當にちゃんと考えてみたのだろうか。この人は最後まで、とことん諦めが悪い。

「……分かりましたよ」

「本當にかい?」

「俺の負けです。貴方のいう事なら、何だってやってみましょう」

ニィは目を閉じて、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。

そして、ぼそりと呟くように、布津野に伝えた。

「でも、ロクを許すことは出來ません」

「……そう、だよね」

「だけど、俺には貴方を殺せないから、ロクは生かしておいてやりますよ……そう言う約束でしたから」

「ありがとう」と耳元で布津野の聲がして「ロクにはまず、君たちのことを知ってもらわないとね」

「あいつに理解出來るでしょうか」

ニィはチラリとロクを見た。

ロクは座り込んだままで、真っ赤に泣きはらした目でこちらを凝視している。俺も今、同じ顔をしているのだろうか。

「ちゃんと教えるさ、君たちのこと」

布津野はしっかりした聲でそう請け負うと、そのままニィを解放する。ニィはその場にへたり込んでしまい、そのまま顔を上げて布津野を見上げる。

布津野が、よっこらしょ、と言って立ち上がった後に、彼の口から小さく零れる言葉がニィの心の奧底に染み込んでいった。

「僕は、こんなんだけどお父さんだから」

ニィは、ただただ無にロクのことが羨ましくなった。

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