《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[2-30]し長めの後日談―その4

「好久不見、法強」とニィは男に呼びかけた。

「……」

その男は白髪を短く刈り込み皺の深い顔をしている。齢50は超えているであろうが、屈強なつきに淺く日焼けしたはそれをじさせないくらいに悍な印象を相手に與える。

そこは小さな、しかし清潔な部屋だった。機に椅子にベッドに本棚とロッカー。必要なものは全てあるのに、潰せる時間はない。そんな部屋の中で彼はここしばらく監されていた。

男は椅子に座りながら、両手を組んで前かがみの姿勢を保ち続けていた。その鋭い眼は真っ直ぐ、先ほど開かれたばかりのドアを見ている。

そこには開きっぱなしのドアの淵に背もたれて、白髪赤目のしい年がこちらを見下ろしていた。

「ニィか……」

「在這里,適應了嗎?」

「……日本語で構わん」

ニィは、そうか、と言ってもたれかかっていたドアから背を離した。そのまま一歩だけ部屋に足を踏みれる。

「こうなるとは、な。久しぶりの日本はどうだ? 法強」

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法強と呼ばれた男は、ゆっくりと目を閉じて小さく息をはく。

「変わったな。私がこの國に留學していたのはもう何十年も前だ。まだ伝子最適化法が施行されて間もない頃だった」

「そうか、どうだ? モドキばかりになった鬼子(グイズ)の國は、」

「……私が學生の頃は、この國から學び、祖國に持ち帰ろうと必死になったものだ。教育もインフラも制度も、格段に優れていたが、祖國もいつかきっと追いつき追い越すのだと信じて疑わなかった」

法強は、目を開いてニィを見上げると、ため息じりに「しかし、」と呟く。

「この國は待ってくれはしなかった。我々は急速に発展していき拡大していったが、この國は質的に変わった。より高く、より深く、劇的に。世界に並ぶもののない存在へ、と……」

法強がそう言うと、両手で顔を覆った。

ニィは何も言わずに、彼を眺めていた。しばらく沈黙が続いて、耐えかねたように法強が聲をらす。

「ニィ、あの艦隊はなんだ」

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「……」

「あの兵たちは一なんだ。高速で縦橫無盡に飛び回る戦闘機が空を埋め盡くしていた。パイロットが過負荷で死にかねないほどの加速旋回で、何百もの戦闘機が互いに衝突することなく複雑に絡まって艦を包囲していた……まるで、イナゴの大群に囲まれたようだった。あれは一、なんなんだ?」

「……AI艦隊の無人戦闘機群による連攜戦アルゴリズム」

ぼそり、とらしたニィの言葉に、法強はピクリと肩を震わせた。

「ロクが開発した自最適化戦闘(オートキリング)システムの一つだ。広域データリンクシステムを使い、數パターンに応じて無人機の集団戦闘行を制するアルゴリズム。統制された計畫的戦爭(ゲーミングウォー)構想の実現を可能にする日本の中核戦力があのAI艦隊だ」

「……」

法強は顔を覆っていた両手を離して、その掌(たなごころ)をじっと見る。その手はわずかに震えていた。

「仮に、艦のシステムがダウンしていなくとも、あれには勝てん。例え、世界が団結して挑んだとしても、勝てるわけが……」

「可能は五分だ」

法強は顔を上げて、ニィを見た。

「……なくとも、ロクの戦力分析によれば可能は五分らしい」

そうか、と法強は深くため息をついた。

「あれほどの戦力を持ちながらも、なお奢(おご)らず、か」

「……ゆえに、このタイミングで攻勢を仕掛けたお前の判斷は間違ってはいなかった。ゲーミングウォー構想はまだ発展の途上にあり、これ以降、他國との軍事技格差は拡大し続ける一方だろう」

めはいらんよ。つまるところ、私は敗者であり、祖國もまたそうだ……」

法強は天井を空(むな)しく振り仰いだ。

ニィはそれを見て、薄く笑った。

「さて、法強、お前にアドバイスがある。思うに、これはお前の余生と祖國の將來にとって非常に重大な意味を持つだろう」

「……私に祖國を裏切れと」

「ははっ、そうじゃない。お前はそういった賢(さか)しい奴ではないことは、十分に知っているつもりだ。例え息子夫婦が人質になろうとも、な」

「……なんだ?」

にやり、と口を歪めたニィは「一つ、」と言って、人差し指を法強に向けて突き出して見せた。

「日本政府には絶対な信仰を集めている巫がいる」

「巫……だと」

「ああ、その巫がお前を見て宣ったそうだ。『あの人は良いをしている』とね」

「……どういうことだ」

眉間に皺寄せる法強に向かって、ニィは突き立てた指を左右に振る。

「考えてはいけない。これは信仰であり宗教だ。ここでは、その巫が言ったことは原則として尊重される。多くの場合、ロクの判斷よりも優先される」

「……」

「白化計畫は第三段階にった。日本政府はお前と協力したいと思うはずだ。それを頭ごなしに否定しない事だ。宇津々首相の視野は日本國だけを見てはいない」

「ニィ、説明が足りてない」

「直接教えることは出來ない。ここの會話は録音されている」

「……」

ニィは、次に中指をたてて「二つ目だ、」と言って法強を覗き込んだ。

「もし困ったら、布津野忠人という人間を頼るといい」

「布津野、忠人……?」

「未調整の男だ。それ以上かもしれないが、それ以下ではない」

「……どういう事だ。政治家か僚か?」

「いいや、父親だ」

「……?」

法強の目が困に押しつぶされて細くなる。

それを、カラカラとニィは笑った。

「意味は分からないだろう。しかし、よく覚えておけ。布津野忠人だ。間違っても、この男だけは敵に回してはいけない」

それだけ言い捨てると、ニィはくるりと後ろを振り向いた。

法強に向かって背中越しに手をヒラヒラと振って見せ「じゃあな」と言い置いて、そのまま部屋から出て行く。

バタンと閉じた扉を、法強はしばらく、じっと眺めていた。

ニィが外に出ると、布津野が手を上げてそれを出迎えた。

「終わったのかい」

「ええ、」

ニィは頷くと、肩に手を當てて布津野に笑いかける。

されている法強との面會を終えたのは丁度數分前だ。その間に布津野は外に待たせていた。

あの事件から三日が経過して、事態は収拾に向かいつつある。この間、関係者たちは対応に忙殺されていた。特に、中國部の事通しているニィには數多くの対応依頼が舞い込んでいた。

その協力依頼をける対価として、ニィは布津野の同行を要請した。布津野がいる必要があるのか、とロクなどは怪訝な顔をしていたが、ニィは斷固としてその要求を譲らなかった。

「後始末は大方、終わらせましたよ」

「そう、法強さん、無事で良かったね」

布津野のその想に、「ん?」とニィは片目だけ見開いて理由を催促した。

「中國での知り合いなんだろ?」

「ああ……そうですね。アイツは、まぁ、軍の中では隨分とまともな奴でしたよ」

「なら、良かったじゃないか」

「そうですねぇ」

日が傾いていた。

橫から差し込むオレンジの太から、ニィは手を掲げて目を守った。

「布津野さん、」

ニィは日差しに耐えきらなくなって目を閉じる。

「俺、決めましたよ」

「何を?」

「何かを、です」

ニィが薄く目を開けると、そこにはぽかんと口を開けたままの布津野がいた。

ニィは思わず吹き出す。

「ハハッ、はぁ~。……貴方は本當に面白いですね」

「そうかい?」

「ええ、本當に」

ニィは納得いかない様子の布津野を流し見て、口に含んだ笑いを寂しく飲み干した。

「俺は、行きますよ」

「……」

「どこか遠いところに、行ってしまいます。どうですか、寂しいでしょう」

「……ああ、寂しいよ」

「どのくらい?」

「とっても、さ」

そうですか、そうですか、とニィは指を口に押し當てて、じっと布津野を見つめた。

そのあまり整っていない顔は夕暮れの日差しに當てられたせいか、郭が曖昧に見える。

ニィは何かを思い出したように、クスッ、と笑った。

「最後に、実は貴方にプレゼントがあります」

「へぇ、嬉しいね」

「本當に?」とニィは一歩、近づいて布津野を覗き込む。

「本當に」

「じゃあ、手を出してください」

そう言われて、布津野は無造作に手を出した。

小さな手だ。この小さな手が、自分達を救ったのだ。

ニィはポケットから紙を取り出して、そこに何かを書き付けた。そして、それを差し出された偉大な手の上に乗せる。

「これは?」

「俺の連絡先です。」

「君の?」

「ええ、俺は遠くの國の、連絡のつかない場所に行きます。でも、その番號にかけてもらえれば、何時だって貴方のところに戻って來ますよ」

「へぇ、それはいいね。旅行とか、また會いたくなったら連絡するよ」

そう言ってこちらを見上げる布津野を見て、ニィは初めてある事に気が付いた。

――そうか、この人は俺よりも背が小さいのか。

ニィは、ふっと笑った。

紙を載せた布津野の手を、ニィは握り、目を閉じると、お辭儀をするような自然さで布津野に顔を近づける。

そして、そっと、彼のに自分のを重ねた。

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