《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[3-03]対練
布津野忠人は稽古場で運をしながら、壁に掛けてある時計をチラチラと盜み見ていた。
「何か、気になることでも?」
背中から聲がする。布津野の背を押して前屈を助けているのものだ。
「ああ、実は今日、ロクが人を連れてくるらしくてね」
「そうですか」
「そろそろ、時間なんだよ」
ぐいぐい、とに背を押され、おと太ももの筋が、ぐー、とびていくのをじる。年をとったせいか、筋がすぐに固くなる。をちゃんとしないと稽古で怪我をしてしまうだろう。
「で、それはどなたですか?」
そのは布津野の上半を抱え上げて捻りこみ、背の筋をばしていく。
「痛い……」
「痛くなければ、意味がありません」
「うう」と、布津野はきながら「法強さんだって」と顔を歪める。
「法強? もしかして元中國艦隊司令の法強上將(シャンジィァン)ですか?」
「んっ、シャンジ……?」
「上將は中國語で大將の意味です。かなりの高ですよ」
は、今度は布津野の上半を逆に捻りこむ。
「はぅ、榊(さかき)さんは法強さんのこと知っているの」
「知っているも何も、私たちが中國軍の実験部隊にいた時、法強上將の元で海上戦闘訓練をけました。ニィ隊長に拳法の手ほどきをしたのもの上將ですよ」
「そうなんだ」
「まぁ、鬼子実験部隊は軍の研究部直轄でしたし、海軍司令だった法強上將のところには數ヶ月しかいませんでした。でも、ニィ隊長は私たちの走が功したのは法強上將の援助があったからだと言っていました」
「へぇ、じゃあ恩人じゃないか」
かつて、法強は獨斷で艦隊をかし日本と中國の間に戦爭を起こそうとした。これを見抜き、阻止したのがニィ君とロクだ。かつて恩人を拘束することになったのだから、世の中は本當に複雑に出來ていると思う。
「だったら、お禮を言わなきゃね」
「ええ」
パン、と榊は布津野の背中を叩いてが終わったことを伝えた。
布津野は、よいしょ、と聲をらしながら立ち上がる。稽古場を見渡すと、皆がすでに揃っていた。全員で四十八人。ニィが連れてきた中國の走年兵だ。
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「さぁ、始めましょうか? それとも法強上將が來られるまで待ちますか?」
榊がそう言いながら、稽古著である袴(はかま)の位置を右手だけで整えている。
彼のもう片方の腕、左腕の袖はひらひらと垂れている。
そこにあるべき腕はない。走時の戦闘で左腕を失ったらしい。それはニィ隊長を庇った際に負った名譽の負傷だと、彼が誇らしげに言っているのをよく覚えている。
「……そうだね。もう約束の時間だから、もうし待ってみようか」
「わかりました」
そう言うと、榊は空の左袖をひらりとたなびかせて、みんなの方を振り向いた。軀の小さい彼の口から、よく通る聲が発せられる。
「皆、本日は法強上將が見えられることだ。約束の時間はもうすぐ、それまで現狀で待機だ」
「「了解」」とみんなは異口同音に応じる。
——なんだか、軍隊みたいだなぁ。
布津野は口元を歪めて彼らの様子を眺めた。
あれから1年半経った。彼ら四十八人の保護と存在の隠蔽を決めた日本政府は、彼らをこの施設に住まわせた。
表向きは大規模な孤児院であり、數年の間、中國の実験部隊で過酷な経験をしてきた彼らに対する義務教育の補完メンタルケアを行っている。この稽古場も孤児院の設備の一つだ。それは彼らの安全を保証する上でも、また政府の機を守る上でも、それが都合の良い処置なのだろう。
と、ここまでは良いのだが、この施設には重大な欠點がある。それは、この施設の責任者が僕だということだ。
この任命があった時、僕は何も出來ませんよ、とロクを通して異議申し立てた。しかし、こともあろうか首相自ら返事が返ってきたのだ。『お主が、その子達を救いたいと言ったはずじゃが?』という短い文言に、僕は絶句するしかなかった。
幸い、ちゃんとした教育や臨床心理の専門家を派遣するということで不安になりながらもけれざるを得ず。この孤児院の責任者になることになった。
こんな責任の重い人事にも、ちょっとだけ嬉しかった事がある。それは、僕の年収がし上がったことだ。
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実は、家族で僕は一番年収が低いのだ。政府で重要な仕事をしている冴子さん、ロク、ナナはそれ相応の報酬を得ている。當然だけど、僕なんかよりも圧倒的な金額だった。三人は特に気にしていないようだったけど、一応のところの父親である僕は、実は結構気にしていた。
それが、しだけだけど、まったのだ。焼け石に水だけど……。
「布津野先生、布津野先生、」と呼ぶ聲が、稽古場の外から聞こえる。
稽古場のり口から顔を出したのは、宇津々ながめ先生だ。彼は宇津々首相のお孫さんで、この施設に教育の専門家として赴任してきたのだ。きっと、首相からの監視役なのかもしれない。せっかくだから、この孤児院の運営について、かなりお任せさせて頂いてます。
そのながめ先生は、こちらを見つけると手を振って聲を張り上げる。
「ロク君とナナちゃん、あとご來客の方が一名、見えましたよ」
「ありがとうございます。お通しください」
「はい」
ながめ先生がそう言って、顔を引っ込めると、しばらくしてロクとナナに法強さんが、稽古場の前で一禮してってきた。
ロクもナナも袴をはいている。どうやら、稽古に參加するらしい。
僕は、孤児院の責任者になったものの、出來ることはほとんどなかった。しかも、赴任頂いたながめ先生はとても優秀で孤児院を上手く運営してくれていた。暇を持て余した僕は、育の授業の一環としてみんなに合気道の稽古をすることにした。
その稽古にロクやナナも參加するようになって、はや一年半。育としての合気道の稽古は、かつての教師時代に教えていたので何とかなるだろう、と考えていた。
しかし、僕の考えは甘かった。
ここでの稽古は學校の育とは全然違っていた。生徒である彼らは、過酷な訓練と実戦を生き延びた軍人だったことを忘れていた。緩い健康の延長程度に……と思っていた僕の甘い考えを、彼らは鼻息で吹き飛ばし、自ら追い込む過酷な鍛錬とし、僕に実戦的な技の講習を要求した。
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——稽古中の態度も、なんだか訓練みたいだし……
そんなことを憂いていると、ロクとナナの後から法強さんらしき渋面の初老さんが姿を見せた。皆は背筋をばし、敬禮をしてその人を迎える。やっぱり軍隊みたいだ。
「禮はいい、楽にしてくれ」と法強さんが周りに言い渡しながら、ロクに先導されてこちらにやってくる。
さて、なにやら大事(おおごと)だな。
布津野はロクとナナに向かって手を上げながら、三人を出迎えるように歩き出した。何にせよ、ここにいる皆の恩人だ。お禮を言わなければ、
「父さん、」とロクが立ち止まって「こちらが法強さんです」
「初めまして、布津野忠人です」
軽く頭を下げる。ちらりと法強を見ると、巖のように険しい顔つきがそこにあった。如何にも軍人といったじ。威圧がすごい。
「……貴方が布津野忠人か」
あっ、日本語だ。しかも流暢。と布津野は目を丸くさせた。
「ええ」
「聞くところによると、この二人の父親だと?」
訝(いぶか)しむように、法強の眉間のシワが増える。
「ええ、こんなんですが」
ハハッと布津野は笑う。
ふむ、と法強は息を吐くと、稽古場の周りをゆっくりと見渡した。皆がこちらを取り囲むように様子をうかがっている。ああ、そうだ、お禮を言わなきゃ。
「あの、」
「ん」と法強の視點が布津野に戻る。
「ありがとうございました」
法強の眉が下がって、怪訝な表をつくる。
「ほら、法強さんがこの子たちを助けてくれたらしいじゃないですか」
「助けた……だと。そんなことはない」
法強の眉間がさらに険しくなった。
「俺はあの実験部隊が気にらなかっただけだ。積極的に彼らの走に手を貸したつもりもない」
「そうですか」
それでも、あの捻くれ者のニィ君が、助けられたと言うのだから、きっとそうなんだと思うのだけど。
「何にせよ。ありがとうございます。この子たちを助けていただいて、」
「ふん、貴方に言われると所在ないな」と法強は口元を苦くする。
布津野は何のことが検討もつかず、ポカン、と口を開いた。
「鬼子実験部隊で過酷な実験訓練をけ、命を落としていった子供たちを哀れんでいた者は俺だけではない。むしろ、中國共産黨のほとんどが実験部隊に反対だった。あれは一部の暴走による殘な実験で、祖國の恥部だ」
法強はそう吐き捨てた。
「しかし、それでも我がをとして救おうとした人がいなかったのも事実だ。俺とて、ニィの走計畫を知りながらそれを放置し黙認しただけに過ぎない。この子たちは誰も救いたがらない、れてはならない、そういう厄介な存在になっていた」
「……」
「國や所屬は関係ない、手を差しべたのは貴方だけだ」と、法強はため息をつき「こちらこそ、謝する」と頭を下げた。
布津野は慌てた。いやいや、本當にこっちこそ何もしていない。確かに彼らを助けたいと口には出した気がするが、結局、的に彼らを救ったのはニィとロクだった。僕だけでは何一つ出來やしなかった。
さて、どう反応したものかと困っていると、法強が面を上げた。
「実は、この度、邪魔をしたのは訳がある」
「ええ、なんでしょう」
話題が切り替わって、ほっ、と布津野はをなでおろした。
「ニィに言われたことがある。困った事があれば布津野忠人を頼れ、とな」
「はい?」
「貴方を頼れ、とあのニィが言ったのだ」
「はぁ」
また何か厄介な事を、と布津野は口をゆがめる。
どうも、ニィ君は人に無茶振りをする悪い癖がある。1年半前に僕にこの子達四十八人を託したのも彼だった。ニィ君は今頃どこで、何をしているのだろう。前に電話があった時は、アメリカにいると言っていた。その前はヨーロッパだったから、どうやら各國を飛び回っているらしい。
「頼れと言われましても、僕に出來る事なんてありませんよ」
「そうかもしれん。俺にも的な頼み事があるわけでもない。しかし、あのニィがそれほどに推す人と、実際に會ってみたかった」
「はぁ、そうですか」
「今は……稽古中か?」
「ええ、始めようとしていたところですが、」
その時、ふと妙案が浮かんだ。
この法強さんは、ニィ君に拳法を教えていたらしい。そうなら、きっと相當な腕前なのだろう。立ち姿から察するに、十分以上の鍛錬が見て取れる。これは、もしかしたら非常に貴重な機會なのかもしれない。中國拳法にも興味はある。
「法強さん、よければご指導頂けませんか?」
「俺に、ここの稽古を、か?」
「はい、ニィ君に教えた事があると聞きました。僕も勉強させていただければと思いまして」
「それは構わぬが、しかし、良いのか、ここは貴方の場所だろう」
「全然、構いませんよ。是非、お願いします」
深々と頭を下げる。
これは面白くなってきた。あのニィ君を鍛えた人であればかなりの達人であろう。それに中國拳法の理を勉強できる滅多にないチャンスでもある。
「ふむ……では僭越ながら引きけよう」
やった、と布津野は拳を握った。
法強は周囲を見渡していたが、やがて目を細めて布津野を見る。
「二人一組の対練を中心に。布津野さんには俺の相手をお願いできるか」
「ええ、喜んで」
布津野は法強に向かって笑いかけた。
◇
対練というのは、組手による型稽古の一種だ。攻防の一連の所作を學ぶための鍛錬法であり、流派によって様々な型が存在する。
特に八極拳の型は、接狀況の至近による攻防が多いことが特徴だ。もとより八極拳は一撃必殺を旨とし、震腳という鋭い踏み込みに、肘や肩を使った短い打撃が多い。
法強が対練で繰り出す鋭い一撃を、布津野はけさばきながらも、何度も冷や汗を流した。
これは凄い。流的なのきが一つ一つの攻撃にまとまっている。どれを取っても一撃必殺。攻撃を捌く作でさえ、反撃の一撃の威力を高めるための予備作になっている。これほどに攻撃的な武系も珍しいだろう。
「至近での崩拳(ほうけん)の型は、後ろ足を寄せ、重心を落としながら打ち込む」
法強はそう言って、布津野の鳩尾(みぞおち)あたりに拳を當てた。
當てるだけで、打ち抜きはしない。だが、布津野には腹から伝わる拳の振から、それが十分以上の威力を有していることが分かる。
「これは、けても無意味ですね」
「防の上からも崩す打撃。ゆえに崩拳」
「躱(かわ)そうにも、ここまで懐にりこまれては余裕がない」
うんうん、と布津野は唸りながら、法強の指導された通りに対練の流れにを任せる。合気の技と通じる箇所もあれば、全く違うところもある。八極拳は剛の作が大膽だ。合気の場合はもうし直接的な崩しを嫌う傾向にある。
法強のゆっくりとした蹴りを放つ。
布津野はそれに応じて、足でける。
けた蹴りが鋭く踏み下ろされて、布津野のを崩す。これが噂に聞く震腳か。凄まじい踏み込みだ。
崩された顔面に対して、法強が短い作のアッパーを寸止めにした。
「……まったく、見えませんでした。ここで下からですか」
と布津野は息を吐く。
「鑚拳(さんけん)、と呼ぶ。踏み込みで打つため、手の作は小さくても良い」
「さんけん、ですか」
「ああ、これは八極拳の型ではなく形意拳の型だがな」
「なるほど」
流派にとらわれず、々と研鑽されているのだろう。異なる流れにあるはずの技を見事に一つにまとめ上げている。並大抵のセンスではこうはいかない。
僕なんて、合気の技だけでも一杯だというのに……。
「最後に、背撃(はいげき)につなぐ。この鑚拳を躱してみろ」
「はい」
はいげき、ってなんだろう? と思いながらも、布津野は半歩ほど重心を後ろに逃がして、寸止めされたアッパーをやり過ごす。
二人の間にわずかな間隙が生まれる。その隙間を侵食するように、法強が肩から全を潛り込ませる。そのまま震腳を踏み、の側面全で布津野にぶちかました。
その凄まじい圧力に布津野のは後ろに吹き飛び、危うくけを取り損ねるところだ。
ごろり、と仰向けに寢転んだまま、目をぱちくりとさせていると、法強が上から覗き込むようにして手を差しべた。
布津野がその手を反的に取ると、ぐいっ、とを引き起こされた。
「いや、凄まじい威力ですね。そうか、はいげきって、背中での打撃って意味なんですね」
「ああ、そうだ」
「組稽古のゆっくりとしたきでさえ、この威力なんですね。これを実戦の速度でやられたらたまりません」
「背撃を実戦でやれる者も滅多にいない」
「へぇ、そうなんですか」
「ああ、そうだな……。例えば、ニィであればやってのけるだろう。後は、あの実験部隊でさえ出來たのは一人くらいか」
ニィ君か、まぁ、あの子なら何だって出來そうだ。
布津野は、ふと懐かしく思いながら周囲を見渡した。稽古を始めて隨分と時間が経過したが、法強との対練に熱中してしまって周りの子供達のことを一切気にしていなかったことに気がついた。
しかし、他の子供たちは特に問題なく二人一組になって対練をしていた。そういえば、彼らは中國で法強さんの訓練をけたことがあるのだ。自分なんかよりも、ずっと上手い。
そういえば、ロクとナナはどうしているのだろうか?
布津野はキョロキョロと二人の姿を探す。ほどなくして、ナナの姿を見つける。どうやら仲の良いの子グループにって、丁寧に手順を教えてもらっているようだ。何かと軍隊みたいな雰囲気が殘る孤児院だが、ナナを囲んでいる時のの子の様子はどこか朗らかで、普通の子高生みたいで見ていて和む。
ニィの事件以降、ナナは彼らとすぐに打ち解けた。初めのうちは、自分たちの隊長であるニィと同じ白髪赤目のナナに対し、彼らには近寄りがたい雰囲気があったようだ。しかし、ナナのほうは特に構うこともなく、放課後になるとよく遊びに來た。いつの間にか打ち解けてしまった。今では、たまにの子同士でお泊まり會なんて事もしているらしい。
布津野は、そのナナたちの様子を微笑ましく思いながらも、次にロクの姿を探す。そして、すぐにそれを見つけることが出來た。
そこは、殺伐としていた。
ロクはあると対峙していた。
そのは右腕をすっと前にばして重心を落としている。見事な構えだ。まるで殺意を全で研ぎ澄ましたような……。
の稽古著の左袖はのっぺりと下に垂れている。その中には何もっていない。隻腕の小さな——榊夜絵の放つ殺気は、稽古のそれを明らかに超えていた。
一方のロクも負けていない。負けたら殺されてしまうかもしれない。
ロクは普段の右半ではなく、八極拳の構えをとっていた。見よう見真似であろう。そのはずだ。ロクは中國拳法の稽古をしたことはないから。しかし、ロクのそれは明らかに様になっている。すっかり長して長になった彼は、小柄な榊を見下すように睨んでいる。
先にいたのは、榊だった。
ダン、と稽古場の畳を踏み抜く音が、衝撃とともに響きわたる。小柄な彼の踏み抜きとは信じられない。凄まじい震腳。
それに応じて、ロクも前に出る。
背の低い榊が、ロクの応撃をくぐり抜けて懐に潛り込む。
二人の距離が、対極の磁石が互いに吸い寄せられるように、凝される。
気がつけば、すでに榊の右拳がロクの腹にれていた。打撃ではない。れただけだ。ゆえにロクはそれを捌(さば)かなかった。
しかし、
そのまま、榊の後ろ足が前に引き寄せられ、重心が沈む。
「チャ!」
榊の鋭い気合と共に、ロクのが後ろに吹き飛ぶ。
その後には、榊の崩拳の構えが殘った。
「寸頸(すんけい)だ」と、布津野の橫から法強の聲がした。
「すんけい?」
布津野はちらりと法強を見た。
「ほぼ接狀態から相手に打撃を加える運法だ。崩拳の極意をあの若さでこなすか。流石は鬼子の副隊長」
えっ、榊さんって、そんな怖いの子だったの?
布津野はハラハラしながら、吹き飛ばされたロクの方を見る。
ロクは、しかし、平然とそこに立っていた。構えにれもなく、呼吸は整然として、その目線は悠然と榊を眺めている。
「寸頸をけて無傷……、発勁の力を後ろに逃がしながら飛んだ、か」
法強のそのつぶやきに、布津野は「みたいですね」と頷いた。ああ、びっくりしたよ。死んだんじゃないかと思った。
ロクと榊の距離が、またまっていく。二人の間に殘存する磁力が互いを引きつけるように、ゆるい弧を描きながら間合いを詰めてくる。
制空権は圧倒的にロクが広い。
先手は、ロク。右拳の直突きが疾(はし)る。
ロクにとっての中段突きであるそれは、長差のせいで榊の顔面に迫る。
榊は、頬をかすめさせてそれを躱す。
同時に榊の下段蹴り、ロクは足を上げてそれをけた。
榊は構わずけられた蹴りをそのまま畳に踏み降ろす。
ズン、と響く震腳の衝撃。
ロクのけ足は、それに踏み崩された。
ロクのが揺らぐ。
同時に、榊の右拳が下から繰り出され、ロクの顔面を下からすくい上げる。
間一髪、でロクはそれを後ろに下がってやり過ごした。
ロクの鼻先を掠める榊の拳。
空いた両者の間隙を、すかさず榊の二歩目が潰す。
小さな軀を潛り込ませ、の右側面でロクにぶちかました。
しかし、
ロクは榊とをれ替えるように、ひらりとそれをやり過ごした。
……あれ、これさっきと同じ。型通り?
布津野は、口に溜まった固唾を呑み忘れて、ポカンと口を開けた。殺気や迫力こそ、自分が法強さんに手ほどきをけていた時とは段違いだ。でも、よく考えてみると作の手順はあくまで型稽古に沿ったものだった。
その榊の猛攻をやり過ごしたロクは、綺麗に構えを整える。両者はすでに間を取り直していた。
あまりにも激しいその攻防に、周囲の全員が二人を見つめている。
再び対峙する二人、稽古場に広がる沈黙。
「チッ」と榊の口から、の子がしてはいけない舌打ちが発せられた。
「……お前、明らかに本気だっただろ」とロクが構えを解いた。
「いや、対練の手順の通りだ。崩拳、鑚拳からの背撃、型通りだっただろ。法強上將の指導を見ていなかったのか?」
榊は右手を腰に當てて、ロクを睨んだ。
ロクは首を小さく振った。
「僕じゃなきゃ、直撃だったぞ」
「自惚れるな。ニィ隊長でもこの程度、わけもない」
「なぜニィが出てくる」
「うるさい。それに、布津野さんでも余裕だったはずだ」
そう言って、榊は布津野の方を振り向いた。
えっ、僕? 僕はついさっき、法強さんに盛大に吹き飛ばされましたけど? 手順の當ても全部當てられて、寸止めされてましたけど? 布津野はなんだか気まずくなって、頭を掻いた。
「父さんも関係ないだろ。大、お前は父さん相手にも同じことをするのか?」
「するわけがないだろう。いくらあの布津野さんとはいえ、萬が一でも怪我をさせたらどうする? お前は馬鹿なのか?」
「どういう意味だ」
ああ、なんだろう。なんだか安心するなぁ。
布津野は先ほどまでの、実戦さながらの殺伐とした雰囲気が二人の間から消えて無くなっているのにをなでおろした。二人ともよく稽古をしているから、型通りの手順でも、実戦の迫力があってドキドキする。
布津野は向こうでまだギャーギャーと言い爭っているロクと榊から、法強の方へと振り返った。
「さて、そろそろ終わりましょうか」
「ああ」
「ありがとうございました。とても勉強になりました」
「こちらこそ、だ」
法強はそう言って、頭を下げる。
布津野はそれに応じた後、聲を大きくして周囲の全員に呼びかけた。
「さあ、今日の稽古は終わりだ。みんな法強さんにお禮を言って解散。夜更かしはほどほどに」
「「はい」」と皆が頭を下げる。
稽古場に、まるで學校の休み時間のような騒がしさが広がっていく。そこかしこから、「榊副長とロクの勝負すごかったな」「あれはマジだったな」などという雑談が聞こえて來る。え、やっぱり本気だったの?
「お父さん、」とナナが駆け寄ってきた。
「ナナ、お疲れ様」
「凄かったね、ロクと夜絵ちゃんの戦い」
ナナは特に榊さんと仲が良く、榊さんのことを名前で『夜絵ちゃん』と呼ぶ。
「ああ、凄かったね」
これは稽古なんだけどね、と布津野は心の中で付け加えた。
「ナナはもうお仕事は終わりかい?」
「う〜ん、どうなんだろ」
「なんだい、もう遅い時間だけどまだあるのかい?」
「なんというか、今日は法強さんの付き添いだから」
「へぇ、変わった仕事だね」
布津野がロクの方を覗き込むと、ロクはまだ榊さんとバチバチとやりあっていた。熱が冷めるまでまだ時間がかかりそうだ。
布津野は法強に聲をかける。
「どうですか、みんなの様子は?」
その布津野の問いに、法強は眉間にしわを寄せた。
「みんな?」
「彼らのことです。走して保護されてから一年半ほど経ちましたが、まだ親さんのところに帰ることも許されていません。ここも名目上は孤児院で、表向きは親のいない孤児とされいます」
中國との戦爭を避けるために、走兵であり拐被害者であった彼らの存在は公にされていない。毎日が不安で心細いだろう。親に一目でも會いたいと思って、口に出せずにいる子も多いはずだ。
「みんなの事を心配して見に來てくださったのかな、と思いまして」
「ああ、それもあるかもな」
法強の返事はし曖昧だった。
「どちらかと言うと、貴方を見に來たのだ」
「僕を、ですか?」
首を傾げざるをえない。そういえば、初めにそう言われた気がする。
法強がその険しい顔をしやわらげた。
「ニィが俺に言ったのだ。迷うことがあれば布津野忠人に頼れ、とな」
「ああ、そう言えばそうでしたね……」
嫌な予がする。脳裏にニィ君の悪戯っぽい笑みが思い浮かんだ。
「……來て良かった」
不安そうな顔になった布津野に対して、法強は安心したように息をついた。
「どうして?」と布津野は聞く。
「不思議と、安心した」
法強はナナを見て、次に相変わらず榊と口喧嘩しているロクのほうを、遠い目で眺めた。
「布津野忠人という人が、この二人の父親で」
法強はそう言って、ちらりと橫目で布津野を見た。
「はぁ……」
「ロクと知り合って、一年以上経つ」
法強は思いにふけるように言葉を続けた。
「ロクがあんな風に、まるで子供のように振る舞っているのを初めて見た」
「そうですか」
「それはきっと、貴方が目の前にいるから、であろうな」
法強が目を閉じた。
それを橫で聞いていたナナが、にんまりと笑みを広げて言う。
「ふふ。法強さん、わかってるね」
遠くからギャーギャーと騒ぐ、ロクと榊の聲はまだ止まない。
勇者パーティーに追放された俺は、伝説級のアイテムを作れるので領地が最強になっていた
【今日の一冊】に掲載されました。 勇者パーティーから追放された俺。役に立たないのが理由で、パーティーだけでなく冒険者ギルドまでも追放された。勇者グラティアスからは報酬も與える価値はないとされて、金まで奪われてしまう。追放された俺は、本當に追放していいのと思う。なぜなら俺は錬金術士であり、実は俺だけ作れる伝説級アイテムが作れた。辺境の領地に行き、伝説級アイテムで領地を開拓する。すると領地は最強になってしまった。一方、勇者もギルドマスターも栄光から一転して奈落の底に落ちていく。これは冒険者ギルドのために必死に頑張っていた俺が追放されて仲間を増やしていたら、最強の領地になっていた話です。
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