《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[3-22]の子

ロクは法強の顔をじっと見つめて確認した。

「つまり、今回の件は四罪という組織の仕業だと」

「ああ」と法強はいつもの様子で重々しく頷いた。

ロクはに手をあてて眉をひそめた。

「四罪とは何者なんですか?」

「その母組織は、先端戦検討委員會だ。主に対日戦研究を行う研究機関だ。……鬼子実験部隊を設立し、あの孤児院の子どもたちをげてきたのも彼らだ」

「……」

沸いてきたを、ロクは奧歯を噛んで耐える。刺すような不快の正に戸った。

榊たちを苦しめた元兇が四罪と呼ばれる組織だった。その事実を目の前にして、自分が四罪に憤るのは違う気がする。自分だって、彼らを殺そうとしたのだ。奴らと自分は同じはずだ。それを棚にあげて、沸き上がる怒りらしきと榊たちへの哀れみの正こそ、いったい何なんだ……。

ロクは巡る気味の悪さを振り払って、法強に問いかける。

「四罪、確か中國神話の四人の悪魔のことでしたか……」

ロクはじっと法強をみた。

法強は固く閉じた目をゆっくりと開けて、ロクを見返す。

「祖國では昔から伝子強化の実験が行われてきた。日本の最適化よりもずっと前からだ」

「……」

「もう五十年以上前に先端戦検討委員會は四つの伝形質を発見した」

「四つの伝形質?」

「軍事利用を目的とした伝形質」

いつだって、技革新の裏にあるのは軍事目的だ。それは世界共通で、GOAに施された戦闘特化調整も質的には同じだ。

「あのシャンマオという白眼のも?」

「ああ、あの目は三苗(サンミャオ)型の形質だ」

「三苗?」

「……あれこそが、四罪が強い影響力をもつ一因だろう」

法強は唸って首をふる。

「あの白眼は、人の悪意を見る」

「人の、悪意?」

——お前の殺意は見えている。

そう、あのはそう言っていた。

僕はあの白眼に翻弄されたのだろうか、そうであれば、父さんはどうやってあのを圧倒できたのだろうか。

ロクが思考に沈んでいく中で、法強の聲が響く。

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「シャンマオは、三苗の白眼と鯀(ガン)のをもった雑種(ザージャン)だ」

「雑種?」

「複數の伝形質を同時にもって生まれた合のことだ。功率が低いため個數もない。俺もシャンマオくらいしか知らん」

神話では四罪には、共工、驩兜、鯀、三苗の四人の悪魔がいる。四つの軍事目的の伝形質をこの悪魔たちになぞらえたのだろう。シャンマオに率いられた二人の獣のような兵を思い出す。彼らはビルの壁面を駆け上がり、異常な跳躍力を見せた。法強は彼らのことを驩兜兵とよんだ。

「しかし、研究チームごときがそれほどの影響を持てますか……」

ロクのその疑問を、法強は鼻で笑った。

「お前が疑問に思うことではなかろう。日本こそがその最たる例だ。研究機関が品種改良素を生み出し、その素たちが今の政府を運営している。今のこの日本政府のあり方こそが、四罪に支配されつつある祖國の將來の姿だ」

「……」

正論だな。とロクは無言で同意せざるを得なかった。優秀な伝子を持つ個を産み出し、複雑な政治問題を解決できるよう育し、彼らが各國で紛爭解決に連攜をとり恒久平和を実現する。それは無化計畫のスコープの一つだ。その過程で、素研究を行う機関が政治的影響力を持つこともあるだろう。

しかし、と法強は口をついてロクのしい顔を見る。

「悲しいかな。祖國の伝子強化は、お前のような人間を生み出すためではなかった」

「つまり?」

「お前のような、次世代の人類を創造する、という理念がなかった。祖國のそれは単純に軍事目的の能力の強化だった。そのため、強化個の壽命は短く、お前達のようにしくも出來ていない。社會適応など度外視されていたのだ。中には異形な姿で生まれるものもいる。あの驩兜兵や三苗の白眼のようにな」

ロクは驩兜兵の二人の姿を思い出す。背を丸めて獣のような四つ足で駆け回っていた。察するにおそらく骨格レベルから現在の人類とは違った構造になっているのだろう。あのシャンマオの白眼にしてもそうだ。彼らのような形質は、日本の最適化研究ではポリシーの例外として見なされるだろう。

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「當然だったのかも知れんな。軍事目的の祖國には悪意を見る白眼が生み出され、人の未來を夢見た日本では善意を見る赤い瞳が生まれた」

ナナの異能は人間を見分ける。しかし、彼は言っていた。嫌な人にはが見えない、良い人ほどが濃い、と。彼が見るなくとも悪意ではない。

「俺が四罪について知っているのはそんなところだ」

法強はそう言って、背を椅子に預ける。

「より詳しいことを知りたければ、ニィに聞くがいい」

「ニィに?」

「言ったろう。鬼子の部隊は四罪の管轄だった。その小隊長だったニィは、奴らに通している」

「……」

黙り込んでしまったロクを、法強は口を歪めて笑った。そのまま、「ロクよ」と呼びかて、背筋をばして座り直す。

「俺は総書記のもとに戻ろうと思う」

いよいよか、とロクは頭を切り換えて法強を見直す。

「……決斷しましたか?」

「いや、まだ迷ってはいる。しかし、総書記に伝えることが多くある。主要國首脳會議の開催は一週間後だ。総書記はその數日前から日本に國するだろう。シャンマオが日本にいるなら総書記の命も危ない」

「……そうですか」

ロクは法強の表を窺った。

それはいつもの堅い表で、心を見分けることなど出來ない。総書記の命を気遣うということは、総書記は反四罪派ということだろう。中國國の対立構造は、日本における政府と純人會の対立関係に似ているのかもしれない。

「日本政府から中國外筋を通して、正式に貴方の引き渡しを申し出ることもできますが」

「それには及ばない。四罪の網がそこに張ってある可能もある。俺にもそれなりの伝手(つて)というものがある」

「……わかりました」

法強は立ち上がった。そして、ロクに向かって手を差しべた。それは握手を求める形をしていた。

「監という形ではあったが、お前には々と教えられた。禮を言わせてくれ」

ロクも立ち上がって、その手を取る。

節くれ立った巖のような手だ。父親の手にどこか似ていた。十分に鍛錬をつんだ男の手だ。

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「出來れば、貴方から寸勁を教えてしかったです」

「寸勁? ああ、あれはなかなか難しいぞ。しかし、お前であれば良い師につけば習得できるだろう」

「良い師、ですか。ご紹介いただけますか?」

「実戦レベルの寸勁を伝授できる師など、祖國でもほとんどいまい。機會があれば俺が教えよう。ニィや榊にも俺が教えたものだ」

ロクの目が細くなる。

「ええ、楽しみにしています」

二人は手を握り合って、そして別れていった。

「どうしてついて來たのですか?」

ロクは振り返って、後をついてきた自分の父親を睨みつけた。布津野は頭をかいて緩く笑う。

「ほら、今回は百合華さんに助けて貰ったから、お禮をしないといけないし……、それに壊れてしまった車のことも弁償しないと」

「父さんがいると、々と面倒くさいのですが」

ロクはため息をついて頭をふる。これから黒條會の本部に乗り込んで、黒條百合華にことの真意を聞き出すところだった。

ただでさえ厄介な相手と渉しなければならないのに、父さんと一緒なのだ。これは面倒だな、とロクは頭をふりながら、それに、と言い添える。

「あれは裝甲車ですよ」

「へぇ」

「真田さんが言うには、彼の専用車だったそうです」

布津野は、ロクの言わんとする事が分からずに首を傾げた。

ロクは、ため息を一つだけつく。

「……概算で、三千萬円」

布津野の表が凍り、二人の間に沈黙がゆっくりと橫切った。やがて、布津野は表をぼろぼろと崩して、口を開く。

「ロク……お金貸してくれないかな?」

「構いませんが……」とロクは肩をすくめる。

い頃から政府の要職についていたロクは、それなりの年収を得ていた。額面にすると年に二千萬円になる。普段から忙しくしていたし、趣味も合気道だけだったので使い途はなかったので、貯金として腐らせている。余裕があれば資産運用をしたほうが良い事は分かっていたが、資産を増やしても運用が面倒になるだけだ。

結局のところ、その給與から所得稅や保険料を差し引いたものが、そのまま殘高として積み上がっていた。三千萬円程度であれば、問題なく捻出できるだろう。

ちなみに、布津野の年収はロクのよりもずっと低い。

「でも、あれはどちらかと言えば経費ですから」

「え?」

「政府予算から捻出することもできますよ」

「本當に?」

「ええ、黒條會に直接現金を渡すと問題になりますから、方法は考えますが……。念のため一億相當は渡しておきましょう」

「一億!?」

「黒條百合華に借りを作るのは恐ろしいですからね。三倍くらいに返しておくのが安全でしょう。何にせよ、弁償の件は僕のほうで進めておきますよ」

ほっ、と安堵の息を下ろした父親から視線を外して、ロクは前を向く。そこには広大に敷地を広げる日本家屋の門がある。その支柱に掲げられた木板には、黒條會本部、と墨字で大きく書かれていた。

父さんがいると、本當にややこしくなるから面倒なのだけど……。

と、ロクはため息を飲み込んで頭を振り払う。先日の事件に黒條百合華が関與していることは確実だ。今のところ、彼が敵なのか味方なのかは不明瞭である。もしかしたら、単なる面白半分でこの件に関わっている可能すらあるのだ。

それを確かめるための會合だった。この重大な局面に、自分の父親が同席することがかなり不安だ。彼の父親に対する執著は度が過ぎている。

「……本當に、ついて來るのですか?」

ロクはもう一度確認した。

「ああ、なるべく邪魔はしないよ」

「そうですか」

信じられませんが、とロクはため息を吐きながら大きな門を押した。

「兄様、ようこそおいでくださりました」

黒條百合華は膝を折りたたみ、三つ指をついて布津野に頭を下げた。

また凄い格好だな……と、ロクの口がへの字に歪む。彼は玄関の踴り場に正座を整えて、深々と頭を下げている。覗く白いうなじは、おそらく父さんに見せているのだろう。

につけているのは黒の下地に銀糸を這わせた著だ。帯のしつけが完璧で、眼を凝らさなければ分からないほどに細かな裝飾細工が施されている。豪華ではあるが気品がある。おそらく一品ものだろう。その裝にかけた費用は裝甲車の一臺分よりも遙かに高かったはずだ。

「お久しぶりです。百合華さん」と父親の暢気な聲が場違いだ。

「そんな、ここは兄様の家のようなもの。ご遠慮されず、もっとお越し頂ければ良いのに……」

ハハッ、と曖昧に濁して父さんは黒條百合華の隣に腰掛けると、靴をぎだした。彼ぎ捨てられた靴をそつなく手にとって揃える。

ロクはその景を、ある気味悪さを覚えながら眺めていた。國最大の、いや世界的に見ても最大規模の裏組織である黒條會。そのトップ自らが、まるで家政婦のように甲斐甲斐しく父さんのの回りに配慮している。それは、ごっこ遊びだ。黒條百合華は今、父さんの妻を演じている。

「ありがとうございます」と父さんが言う。

黒條百合華は細かい髪飾りをしゃらしゃらと鳴らして、それを振り払った。

「あの、」と父さんが聲を改めた。「先日は助けて頂いて、」

その言いかけた言葉を、黒條百合華は父さんの手を取って遮った。

「こちらこそ申し訳ございません。私の対応が遅れてしまい、兄様を煩(わずら)わせることになりました」

まるで、あたかも、しおらしいかのように、黒條百合華は目を伏せた。

「いえ、本當に助かりました。おかげでみんな無事です」

「あら、良かったですわ。さすがは兄様です。真田から聞いた話ですと、喧嘩をされたそうですね」

「喧嘩?」と父さんは呆けた聲をあげる。

「ええ、大立ち回りだとか。あの白眼の山貓はいかがでしたか?」

ロクは愕然として耳をそばだてた。百合華の様子に辟易(へきえき)しながら玄関の隅で靴をいでいたところだ。やはり、黒條百合華はあの襲撃に関わっていた。そうでなければ、あの白眼のが山貓と呼ばれていることを知っているわけがない。

「山貓? もしかして、あのの人のことですか」

「ええ、どうやらロク年は負けてしまったみたいですが、」

百合華は、隅にいたロクを橫目で流し見た。

ロクはぐっと口を引き結んで、百合華を睨みつけた。負けた訳ではない。勝負の途中で父さんに邪魔されただけだ。

「そんな事は、」

と、言いかけてロクは口を閉ざす。

「あら、どうしました? ロク年?」

百合華が興味深そうに輝かせる瞳から、ロクは視線をそらした。

これから彼渉相手にして戦わなければならないのだ。余計な事で心をされてどうする。彼の父さんへのびた振る舞いだって、こちらの揺を引き出す芝居の可能だってあるのだ。彼はそれくらいのことなら、息をするように自然とやってのける。

「……さっさと始めましょう。僕は先に部屋にっています」

「どうぞ、」と百合華は言い捨てて周りに控えていた使用人に聲をかける。「ロク年を応接間にお通しして」

ロクはかしこまった使用人に案されて、屋敷の奧へと歩いて行った。背後からは貓が甘えるような百合華の聲がする。どうやら、そこでしばらく父さんと戯(たわむ)れたいようだ。ナナがこれを知ったら一気に不機嫌になるだろう。

された応接間のソファに腰を下ろすと、ため息が、はぁ、と押し出された。片手で頭を抱えて、これからのことに頭を痛める。

法強が日本政府を離れて數日が経過していた。おそらく、主要國首脳會議のために日本に前りしている総書記との接を図っているだろう。そこで彼が無化計畫について賛同するように説得できるかが今後の焦點となる。

宇津々首相は會議で無化計畫を公表する予定だ。伝子最適化技の公開とその施の全面的な支援を発表する。これに賛同しれる主要國がどうしても必要になるが、宗教的理由から歐米各國の賛同は得られないだろう。ゆえに中國のれ表明は是非とも獲得したい。

この狀況で、さらなる懸念が一つ追加されたのだ。

総書記派と対立を深める四罪という組織が暗躍している。先日の事件で、法強暗殺を謀ったと思われる四罪の小隊を確保できたことは大きい。その裝備や通信端末を解析することで、狀況を把握することが出來た。彼らは相當の戦力を國に潛伏させていた。

數年前の純人會との闘爭をへて、國の防諜制は徹底している。本來であれば、この東京周辺にあれほどの戦力を展開するのは不可能なはずだ。

つまり、彼らにはそれを可能にした國の協力者がいるはずだ。

すっ、と応接間の障子が開かれる。

ロクはそこに現れた黒條百合華を座ったまま睨みつける。

おそらくその協力者こそ、この黒條百合華だろう。黒條會の実力と裏社會のネットワークを駆使すれば、政府の防諜監視網をかいくぐることだって不可能ではない。

ロクは、百合華が布津野を案してソファに座らせるのを、じっと待った。そして、彼が向かいに座ると同時に口火を切る。

「四罪の部隊を國に手引きした理由はなんですか」

うんざり、とした表を百合華は浮かべる。

「隨分と前のめりね」

急の事態です。貴方の言葉遊びに付き合っている余裕はありません」

「あら、自分の余裕のなさが故(ゆえ)のツケを、相手に求めるなんて子どものやることよ。ああ、貴方はお子様でしたね。ロク年」

ロクは表を変えずにまっすぐと百合華を見る。彼がこのように自分をあざ笑うのはいつもの事だ。いちいち気にしてはいられない。

「何を企んでいるのです」

「さて」と百合華はその細い指でこめかみをでる。

「答えられませんか?」

「答えたくはないわね」

ロクはため息を飲み込んだ。厄介な相手だ。彼の思考は合理に欠け、予測できない行が多い。今回の件だって、四罪の部隊を手引きしたかと思えば、父さんに協力して幹部の真田を派遣している。行に一貫がない。結局、彼は何がしたいのか。

「どこで四罪と接したのですか?」

「ロク年? しいいかしら」

百合華はロクを遮る。

「先ほどから、當たり前のように質問を重ねているようだけど、どうしてなのかしら」

「……」

「どうして、貴方は私が答えるのを當然のように考えているのかしら?」

本當に厄介だ、とロクは頭を抱えたくなるのを必死で堪えた。

二人の間にひりつくような沈黙が広がる。

そのに耐えかねたのは、先ほどからロクの隣で黙って見ていた布津野だった。

「あの、」と彼が聲を発した矢先に、

「何でございますか、兄様」

と、百合華がすぐに応じた。先ほどまでの剣呑な様子はつゆもない。びるように聲をらせて、笑みで顔をほころばせていた。

「あの、先日は百合華さんのおでみんな無事でした。ほら、襲われた時に、電話で教えてくれたじゃないですか。それに車も」

ロクは思わず自分の父親の方を振り向いた。百合華から直接連絡があったことは初耳だ。どうして、そんな大切なことを自分に言わないのか。

いいえ、いいえ、と百合華はし大げさなくらいに首を振って見せる。

「あの程度のこと、何でもありません」

「それと、車の弁償代のことですが、」

そう切り出そうとした布津野を、百合華は押しとどめて頭を下げた。

「大変、申し訳ありませんでした。あのような安しか手元になく、結果として兄様のお手を煩わせることになってしまいました」

あ、いえ、と布津野は戸って、「弁償なんですが、」と追いかける。

「結構です」と百合華はし強めに言い置いて「無粋なことは言わないでください。でも、そうですね。よろしければですが、今度お食事に連れて行ってくださいますか」とらかくねだる。

布津野は、はぁ、それでいいなら……と曖昧に答える。

「うれしい」と百合華は笑った。

まるでのようだな、とロクは若干の悪意が混じった想を抱いた。

分かっていたことではあるが、黒條百合華の自分と父親への態度には雲泥の差がある。彼が公言していることだが、父親にをしているらしい。は個人の自由だが、不倫は立派な法律違反だ。不倫の法律的な定義として関係を必要とする。まぁ外食程度であれば問題にはならないが……。

ロクの思考が脇道にそれ出した時、布津野が何気なく百合華に問いかけた。

「あの白眼のの人と、百合華さんは知り合いなんですか?」

「ええ、一ヶ月前から。黒條會は不法國の斡旋もやっていますので、中國のマフィアを経由して三十人規模の斡旋依頼があったのです」

ロクが眼をむいた。言いたいことは山ほどあった。しかし、どうしてこのは父さん相手になると口が軽くなるのだろうか。

「その隊長さんが山貓さんです。ミステリアスな眼をされていたでしょう。あの目は、人の悪意を見るそうですわ」

「へぇ、人の悪意、ね」

「まるでナナさんのように」

ガタ、とロクは音を立てて立ち上がった。百合華はそれを非難の目で一瞥して座るように促す。

ロクは立ち盡くしていたが、百合華と布津野が構わずに話し出したので、やがて元の場所に座り直した。彼はあの白眼の能力も知っている。一、黒條百合華はどこまで把握しているのか。

百合華はどこか得意気に、布津野に語りかけている。

「彼らはしばらく用意した隠れ家に滯在していたのですが、急に車を數臺用立ててしいと言ってきたので、後をつけてみたのですよ」

「それはそれは……危ないことをしましたね」

あら、と百合華はわざとらしく口に手を當てる。

「そんな事はありません。昔から尾行は得意なのですよ。でも、そうですね。兄様のおっしゃる通りだったのでしょう。あの山貓さんはすぐに私に気がつきました。それで不思議に思って探り出してみれば、あの目には悪意が見えるのだとか」

なるほど、と布津野は無邪気に頷いている。

「彼は私に言いました。『悪意とも似つかぬ好奇心で、首を突っ込むことではない』と。拙い英語でしたが、そのような意味合いのことを言われて、私はピンと來たのです」

百合華は楽しそうに笑う。

「これは何かある、と。ついて行かねば大事になると、そこで彼らに協力を申し出て、ご一緒させて頂いたのです」

布津野は心したように聲をあげる。

「そうなんですか。おで助かりました」

布津野はそう言って、深々と頭を下げた。百合華は「お役に立てて何よりです」と言って頬を染める。

ロクはその百合華の様子を胡散臭い様子で眺めていた。どうにも、彼の言をそのまま信じることが出來ない。ああやって、笑って見せている裏で、彼がどのような取引をしているのか、分かったものではない。それに彼は不法侵を斡旋していると証言した。つまり、自分の懸念は的中したのだ。

「つまり、黒條會が四罪を國に招きれた、という事ですか」

そう橫から口を挾んだロクのほうに百合華は顔を向けると、さっ、と表を不機嫌にする。

「ロク年、ひとつ良いことを教えましょう」

「……」

ロクは黙って、百合華の無表を見る。その表には興醒めが張り付いているのが見て取れた。彼の口が開いて、トーンを落とした聲がこぼれる。

「そんなだから、貴方はモテないのよ」

このような、いわれのない非難は黒條百合華の常だ。

「……関係ありません」

「大いに関係があるわ。しは兄様を見習いなさい」

「全然、関係ないでしょう」

ロクがそう言い切った時、布津野は思わず百合華のほうにを乗り出した。百合華は再び笑顔を咲かせて、布津野の方を向く。

布津野の手がびて、百合華の腕をとった。百合華は拍子に、あっ、と聲をらした。

「百合華さん、」

と、いつになく真剣な表で、布津野は百合華を見る。

「なんでしょうか。兄様」

「あの……」

布津野は、百合華の手を強く握りしめる。

「ロクがモテないって、本當ですか?」

布津野のその聲はかすれ気味で、悲壯があった。

全員の息が止んだ。

そして、すぐに、はじかれたように、黒條百合華は笑い聲を上げた。

「兄様、兄様、ああ、兄様」

そう言って、彼は顔を伏せて、摑まれた布津野の手を何度もでては握り返す。

「兄様、ああ、そうですね。なんてこと……」

くつくつ、と苦しそうに彼は笑いを堪えて、やがて大きく深呼吸をして、震えるを落ち著かせる。そのまま顔を上げて真剣な表を作って、布津野をまっすぐと見返す。

真剣な二人の顔が、互いを見つめている。

「殘念ながら、ロク年はの子にモテません」

はそう斷言した。

なんでモテないの?

布津野には納得がいかなかった。全然、納得がいかなかった。だっておかしいじゃないか。そんな事あるわけがない!

布津野はロクの方を振り向いて、その呆れた様子の顔をじっと見る。

確かに無想なところはあるかもしれない。しかし、それを差し引いてもまったく気にならないくらいの超絶イケメンじゃないか。神的な白髪赤目に、背だって高い。それに、まだ十五歳だというのに年収だって僕よりもずっと稼いでいる。將來だってバッチリだ。

「なんで?」

と、布津野はロクに直接問いかける。

「……何をまた馬鹿なことを言っているのですか」

ロクは超然とした様子で、眉をひそめて布津野を睨んだ。そんな冷めた様子にさえ、鋭いしさがある。男の自分だって、思わず見とれてしまう時だってあるくらいだ。

なぜ、それなのにモテないんだ。

布津野はショックだった。てっきりロクはの子にモテモテなのかと思っていた。だって、漫畫に出てくるような完璧イケメンが現実化しているのだ。モテて當然だ。もしかしたら、このしキツい格が原因なのだろうか? 別に、いいじゃないか。こんなにカッコいいのだから、しツンツンしているほうが魅力的じゃないか……。

「ねぇ、ロク」

そう問いかけて、息をのんだ。

「……なんですか?」

「彼は、いるのかい?」

ぷっ、と橫で見ていた百合華が吹き出す。

ロクはこの狀況をとても不快にじた。目の前には、なぜか真剣な表で場違いな質問をぶつけてくる父親がいる。質問の意図が見えない。答える必要も見當たらない。

「なんでそんな事を聞くのですか」

「だって、おかしいじゃないか」

「おかしいのは父さんの頭の中ですよ」

「いるの?」

父親は一歩も引く気がない。珍しくもこだわっているようだ。はぁ、とため息と一緒に答えてやる。

「いませんよ」

父親の表が、くしゃり、と歪んで崩れ落ちる。開けたままのその口からは、「そんな」や「なんで」や「どうして」をランダムに繰り返している。

何やらショックをけているようだが、どうにも解せない。しまいには「やっぱり、モテないんだ……」などと不思議な結論を口にした。

「父さん、後にしてもらえませんか」

そのロクの非難を、布津野は聞いてなかった。

「百合華さん」

「はい、兄様。なんなりと、」

笑いを必死に堪えながら、百合華は姿勢を正した。

「どうして、ロクはモテないのですか?」

「……簡単な事ですわ」

百合華は極上のワインの余韻を楽しむように、もったいをつけた。

「それは、の子にできないから」

ロクは、非常に象的な議論だな、と心辟易していた。

を、の子に……」

しかし、布津野は何かしら銘をじてしまっていた。

彼は、必死になって百合華の意味することを考えた。の子に……それは的な意味なのだろうか。だとすれば、ロクはその男としての機能的な問題を抱えているのだろうか……。

「ええ、兄様がなさるように、夢見るの子にできない。の子をなりたい自分にさせてくれない」

「夢見るの子……」

どうやら機能の問題ではなかったらしい。

は男を鏡と見立てるものです。男が寫し出す己の姿を見て、自分を確認するものです」

百合華はうっとりと顔をほころばせて、ソファから崩れ落ちるように前に出て布津野の隣に寄り添った。そのまま、両手で布津野の手を包んで、まるで鏡をのぞき込むようにじっと見る。

「まるで萬華鏡」

百合華のその言葉に、布津野は戸った。

「兄様の前では、私は百面相。極道でも組長でもない、んな百合華でいられる。もし違う生い立ちであれば、なれていた百合華に會わせてくれる。普通のの子の百合華にも、理想に焦がれる百合華にも、王子様に憧れる百合華にも……。それに引き替え、」

と、百合華は布津野ごしにロクをのぞき込んだ。

「ロク年は、確かによく磨かれた鏡でしょうが、単なる事実しか寫し出しません。なれば、それは安の鏡でも同じでしょう。わざわざ覗いて見る価値などありません」

ロクは百合華を睨み返す。彼の含意に富む不明瞭な言いは理解しがたいが、侮られているのは間違いない。

布津野が藁(わら)にもすがる様子で、百合華に問いかける。

「どうすれば、ロクはモテるようになりますか?」

「兄様のように振る舞うことです」

「……僕のように?」

布津野は首を傾げた。それはどういう意味だろう。イケメンに馬鹿なことをさせて、ギャップ萌えを狙う作戦だろうか?

の子のなりたい自分に、お付き合いしてあげる事ですわ」

ふふっ、と百合華は笑う。

「例えば、先ほどのやり取りを思い出してください」

百合華は指をしならせて、それを布津野の元に這わせる。

「兄様は私に、ありがとう、と言いました。私のおでみんなが無事だった、とも。その瞬間、私はから子どもたちを救った英雄の一人になったのです。兄様のお側に仕える端(はしため)に過ぎない私を、兄様は英雄にしてくださった」

それに引き替え、と言って百合華はピタリと這わせていた指を止めた。

「ロク年は私を、まるで謀を企んでいるのように扱いました。私、怒っていますのよ。斡旋している不法國者のうちに、怪しい一団を見つけ、危険を冒して探りをれて兄様にお知らせしたというのに、それがこの仕打ち。このようなの扱いを知らぬ子どもといては、の品格が下がります」

はぁ、と布津野は頬を掻いて曖昧に頷いた。

百合華さんの言うことが何となく分かった気がする。確かに、ロクは事実をそのまま言ってしまう癖がある。それは正しいことなんだろうけど、もっと配慮とかあってもいいとも思うんだ。

「ロク」と布津野は問いかけた。

うんざり、とした様子でロクはそれに答える。

「なんですか?」

「もっと、の子に優しくしようよ」

ロクは呆れてしまって「黒條百合華をの子と思っているのは、父さんくらいなものです」という言葉を苦労して飲み込んだ。

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