「四罪は、無化計畫を全面的に支持する」

シャンマオのその聲は、ロクにはずいぶんと遠くから聞こえた。

それは、言われてみれば想定されるべき提案だったかもしれない。中國で対立を深める派閥の片方が、隣國の支援を要求する。その見返りは無化計畫の全面的な賛同。それは非常に魅力的で、當然の外カードだ。四罪はそれを誰よりも早く切り出した。

シャンマオの口は、まだいている。

「これは、四罪の総意だ」

どうやら、四罪とやらは統制された組織なのかもしれない。四罪は非公式の組織のはずだ。通常であれば、そういった裏組織を運営するのは非常に困難だ。日本の純人會は共有するや思想はあれども、分散し統制されてはいなかった。

「四罪は、無化計畫を全面的に支援する。並びに、四罪が進めてきた伝子強化技についても、日本國に対して公開する用意がある。我々も伝子作を推進してきた。今後、両國は連攜を強め、人類の可能を追求していくべきだ」

シャンマオの言葉には、國家と國家がわす契約の様式がうかがえた。主語と目的語は明確だが、ある程度は解釈の余地を殘した言い。しかし、それでも今の日本がから手が出るほどに求めているものだ。

計畫の就には、絶対に必要なものだ。

「現在、我々は総書記派と対立関係にある。正式に日本國と協力関係を結べる狀態にはない。しかし、その政権を奪取する日は近い。近いうちに政権転覆があるだろう。今後は、貴國と接な連攜を取りながら次期政権の運営に當たりたいと考えている」

シャンマオは息を吐いて、小さく吸う。

「ついては、四罪幹部との定期的な會合を求む。お返事を頂きたい」

シャンマオの朗読が終わった。

ロクの思考がり出す。

四罪からの協調の提案。無化計畫への全面的協力と、中國現政府の転覆計畫。四罪幹部とのホットラインの設立。

もし、これがれば日本は最適化合法化から初めての、同盟國を得ることになる。それは歴史的な転換期となるだろう。これまで伝子最適化は日本の暴走であり、世界的には犯罪行為とされてきた。それが同盟國を得ることで、一つの政治的思想（イデオロギー）として世界に提案されることになる。

それこそが、無化計畫の第一段階の目標だった。

ロクの口が開いて、シャンマオに問う。

「四罪の幹部とは？」

それが気になるところだ。どの程度の中國共産黨の高たちが名を連ねているのだろうか。法強によると軍部が中心となっているはずだ。その影響範囲によって、四罪による政権奪取の現実をはかる事ができる。

「……四人の反骨」

シャンマオはそうつぶやいて続ける。

「四種の強化個の頂點に立ち、それらを導く四人」

「四種の強化個？」

「反応特化の驩兜（ファンドウ）。覚特化の三苗（サンミャオ）、力特化の鯀（ガン）。頭脳特化の共工（ゴンゴン）」

ロクはひそめた。驩兜、三苗、鯀、共工は中國神話に出てくる悪魔たちで、これらを総稱して四罪と呼ぶ。名の由來はそれだろう。しかし、生み出した個に対して悪魔と名付ける……。ロクはそこに違和を覚えた。

「なぜ、四罪と名乗る？」

シャンマオは黙ったまま、目を細めた。

「……日本人がそう呼んだからだ」

「日本人？」

「お前たち日本人が作り、名付けた。お前たちは罪だと」

シャンマオの白い片目が鋭くロクを貫いた。彼はハッキリと言い放つ。

「四罪の起源は、戦後、中國で拘束された舊日本軍の研究者たちだ」

「なんだと」

ロクの言葉にシャンマオは目を閉じた。

「彼らは中國共産黨の軍事研究を推進した。やがて先端戦検討委員會と変え、伝子強化技を開発し、四つの特化個を産み出し、私たちを悪魔と呼んだ」

そして、それが政治に対して影響力を持つようになり、中國政府を二分する要因になっている。

「法強上將は、初期の共工型だ」

「なっ……」

「初めは駐日工作員だった。専門は技盜聴。大學の留學生として研究施設にり込み、軍事技を中心に四罪に報を提供していた。その後、中國軍部への部工作を擔當することになり、最終的には艦隊司令にまで登りつめた」

法強は若い頃は日本に留學し、軍部で異例の昇進を遂げた。それが四罪による諜報工作によるものだとしたら、法強の異様な経歴も整合する。

「上將のような例は他にもある。四罪の個は中國中樞のあらゆる場所に潛伏している。我々はやがて中國政府を主導するだろう。そして、日本政府との渉に応じる用意がある」

さあ、とシャンマオがロクに問いかける。

「以上で我々のメッセージは終わりだ。これを日本國首相に伝え、政府としての回答を頂きたい」

「……」

ロクの思考は走る。

早急に、宇津々首相に伝え、顧問委員會で協議すべきだ。

確認する事は大量にある。四罪の実、四つの強化個、法強とシャンマオへの尋問。二人をナナの監視下におく必要、外には驩兜兵のもある。解剖して生調査。中國での政権代の可能を再評価……。

「ロク」

と、背後からのおびえた聲がした。

その聲に意識が引っ張られて、思考に置き去りにされてしまう。

そこには、榊がいた。

の子だ。

失われた左腕。小さな。栄養失調による発育不全。いつも強気で毅然としている、僕よりも一歳年下の、僕が見殺しにしようとした……。

その瞳が不安そうにこちらを見ている。

思考は遠くに行ってしまって、消え去ってしまう。

……気持ち悪い。

吐き気と、

めまい。

ああ、僕は、

こんな自分が、大っ嫌いだ。

「……嫌だ」

と、ロクの口から何かがこぼれた。吐きそうなくらい、自分のことが嫌なんだ。

「嫌だ」

もう一度、言う。

「絶対に……嫌だ」

自分の言葉に、自分の全が震えている。なんて言葉だろう。そこには合理はない。理由もロジックもない。でも、自分の重心の位置はここだ。ここからいてはダメだ。

「なん、だと？」

シャンマオは眉間をしかめる。

「我々が要しているのは取り次ぎだ。宇津々首相に伝えてくれたら良い」

「伝えるつもりはない。必要もない」

「……お前の意見など、」

「あり得ない」

ロクはシャンマオを睨みつける。

「みんなを苦しめたお前たちなど、あり得ない！」

ロクのその斷言に、シャンマオは眉を跳ね上げて、聲を絞り出す。

「もう一度、言うぞ。我々は、」

「くどい」

と、ロクはそれを遮ってはねのけた。

シャンマオの目が閉じられた。彼の口がわずかにく。

「この、鬼が」と小さな悪態がこぼれたとき、

突然、シャンマオがいた。

そのきを追いかけて、二のドローンが発砲する。

シャンマオはをひねり、近くのテーブルをまるでサッカーボールのように蹴り飛ばして、左側のドローンにぶつける。ドローンは吹き飛ばされ、壁に激突してかなくなった。

殘ったドローンの銃口がシャンマオを追いかける。

シャンマオは上に飛んでをひねった。

そのままの宙返りで、天井を足で蹴り急降下する。

その急な変化に銃口は対応できなかった。連する銃弾は一発もあたらない。著地と同時の踵（かかと）落としが、ドローンを真下に叩きつけて砕した。

「ロク！」と榊がぶ。

「下がってろ！」

ロクは前に出た。

シャンマオはゆっくりと立ち上がっている。破れた大きな窓を背にして、辺りには破壊されたドローンが散らばっている。ドローンの予測撃すら間に合わなかった。

彼は三苗と鯀のハイブリッド。四罪最強の暗殺者。

その白い左目がロクを見據える。

「そんなぬるいで、」

ロクは右半に構えた。目の前から殺意がぶつかってくる。背中には榊の呼吸をじる。

「がしゃべるな！」

シャンマオが疾（はし）る。

その瞬歩と連撃に、ロクは合わせた。

うねりあがる奔流のような豪腕。

左右に散らす連撃。

それを捌（さば）いた時、ロクの足下にシャンマオの震腳が踏み下ろされた。

「がぁ」

ほぼ同時に繰り出された崩拳をにけた。ロクは後ろに吹き飛ばされる。そのまま、けと取れずに一回転して壁に衝突する。

「ロク！」と榊が駆け寄る。

ロクは朦朧とする視界を振り払いながら、見下ろしてくるシャンマオを睨みつける。

強い。

個壽命を削ってまで高めた運能力に、こちらの殺意を見る眼。孤児院の屋上での戦いでは、彼は本気ではなかった。

「その程度か？」

こちらに近づいてくる。

「お前など造作もないが、賢（さか）しいお前は打算している」

「かっ、はぁ……あぁ」

呼吸がれている。拳を腹部に打ち込まれた。ロクは、激痛を腹に抱えてのたうち回る。橫隔が痙攣して呼吸を拒否している。速すぎる。見えなかった。

「不愉快な鬼。そんなぬるい、汚のようなで生死を語る」

立て、立てよ！　足に力をこめろ。け。けよ。

「分かったような口で、生かされているだけなのに、まるで生きているかのようにしゃべる。汚（けが）れを知らない汚（きた）ない鬼が、本當に良くしゃべる！」

くそ、けよ！

その時、榊が立ち上がった。

ロクの目の前で、シャンマオに立ちはだかるように、彼は構えた。

「……鬼子の副長か」

シャンマオがあざ笑うのを、榊は睨み返した。

「が、」と榊は小さく息を吐く。「鬼だの、汚だの、ウンコだのと喚くな。子力が下がるぞ」

「は？」

「知らないか？　當然だな。私も最近覚えた。の戦闘力のことだ」

シャンマオが口の端を歪めた。

「榊……」

と、ロクは這いつくばりながら、榊に手をばした。

「らしくないな。ロク。でも、まあ、」

榊は橫顔だけを向けて、ロクにこぼす。

「……ありがとな」

榊は沈み込むように前に出た。

後ろ足をたたみこんで鋭く切り下ろすローキック。

シャンマオが一歩引いてやり過ごしたのを、を開くような打ち下ろしの手刀、突き上げの肘打ち、後ろ足を引きつけながらの前蹴り、その三連撃でシャンマオを一歩二歩と後ろに退けた。

とん、と後ろに跳んだシャンマオは口の端を歪めて嗤う。

「まさか、勝てるとでも？」

「子力なら圧勝だ」

「……どうやら、腕一本では足りぬらしい」

シャンマオのがふわりと跳躍した。

その跳躍には踏み込みが一切なかった。を沈ませることなく、足がびたまま飛び上がる。

そのままの空で、榊の顔面をなで蹴りにした。

榊は反的に前に転がってそれをやり過ごした。

すぐに振り返ると、橫毆りが顔面を襲う。脇を締めた右腕でけ止める。

打撃の衝撃でが浮き上がり、橫に吹き飛ばされる。

——このゴリラが！

著地と同時にまた打撃、かろうじてけ止め、また吹き飛ばされる。

それを続けて三度。

まるでピンポン球のように右へ左へとはじき飛ばされていく。そのけに使った腕から、覚が徐々に失われていった。

榊は、自分がシャンマオに遠く及ばないことを知していた。

ゆえに狙っているのは時間稼ぎだった。時間さえ稼げば、ここに駆けつけてくるはずだ。こんなゴリラなど相手にもならない。あの人がここに來る。その時間さえ稼げれば、後は何も問題にならない。

六度目の打撃を、もうボロボロになった右腕で迎える。

しかし、覚悟した衝撃は來なかった。シャンマオの手が、榊の右腕を摑んでいた。

「片腕だけで、よくやる」

シャンマオはそのまま榊の右腕をぐいっと引き、びきった関節の裏側を膝で蹴り上げた。

ボグゥ

と、聞き慣れない音がして。榊が絶する。

シャンマオが榊の腕から手を離す。彼の腕は、千切られて皮一枚でつながる木の枝のように、ぶらん、と肩から垂れ下がっている。その手の平は、あらぬ方向にねじ曲がっていた。

「榊！」と、ロクがぶ。

「これでしは、」とシャンマオがロクの方を振り向く。

すでにロクのは迅（はし）っていた。

止まった呼吸など問題にならなかった。酸欠のはずのはかまわず疾走していた。

シャンマオは目を見開く。

年には、黒が宿っていた。

振り上げられた年の拳に、反的にカウンターを合わせる。

完全なタイミングで、拳が年の顔面を抉（えぐ）る。

しかし、

それでも、年のは止まらなかった。

堅い崩拳を、やわらかいはずの顔面で押し込んで、振り上げた拳をそのままうち下ろす。

年の黒が、シャンマオの視界を覆い隠した。

拳はシャンマオのこめかみを振り抜いて、シャンマオの世界を反転させた。

シャンマオは頭から吹き飛ばされて、向こうに転がる。

ロクもその場でよろめいて膝をつき「榊！　榊！」と鼻をまき散らしながら呼びかける。

「騒ぐな、あっ……ぐっ」

榊は壁にもたれかかり、うめき聲をかみ殺してた。額には玉のような汗が噴き出している。その右腕はめちゃくちゃになってしおれて、白い骨が突き出ているのが見えた。

ロクの冷靜な部分が判斷する。開放の完全骨折。後癥の可能。もしかしたら、彼の腕は、もう二度と……。

ロクは振り返る。

そこには、すでに立ち上がったシャンマオが凄まじい形相でロクを睨んでいた。打ち込んだこめかみからを流しながら、彼は言う。

「腕ごときで、よくわめく」

「貴様ッ」

ロクはシャンマオを睨んでんだ。

「殺す！」

シャンマオは、ロクが燃やした黒を見ていた。