《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[3-32]イタリアン
本當に久しぶりな布津野家の食卓には、冴子が腕によりをかけた料理がならんでいた。
「これは?」
と布津野が皿をのぞき込んで聞いた。冴子はいだエプロンを畳み、椅子の背にかける。
「キノコとタマネギのチーズリゾットです。それにオリーブサラダの上から包丁の背で荒削りにした巖塩をまぶしたもの。後はアスパラとベーコンのミネストローネですね」
「ミネストローネって、なんだっけ?」
と、首を傾げる布津野にロクが答える。
「基本的にはトマトをベースにした野菜スープのことです。トマトがってないのにミネストローネと呼ぶこともあるので、曖昧な定義ですが……。それにしてもグランマ、今日はイタリア料理ですか」
「ええ、まだ早いですが春野菜が店に並ぶようになったので、ほら、そのアスパラとかですね」
ナナがテーブルにつくなり頬を膨らませる。
「もう、うんちくはいいから。早く食べようよ」
「そうですね。忠人さん、ワインがいいですよ」
冴子が戸棚からグラスを取り出しながら聞いてくる。
「え、ああ。うん、お願いします」
「白? 赤?」
「おすすめは?」
「どちらかと言うと、白ですね」
グラスを二つ指に挾み、もう一方の手にはボトルを攜えて冴子が食卓につくと、それでようやく全員がそろった。待ってました、とばかりに全員の両手が合わさる。
「「いただきます」」
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唱和の後は、しばらく食べることに集中し無言になるのはいつものこと。空き腹が一段落して、味わう余裕が生まれてくると自然と會話が始まる。
普段はナナがあれこれと會話を散らすことが多いが、最近は冴子から二人に政府の仕事について質問することも多くなった。閣代行役をロクに引き継いで以降は彼が直接、政府に関わることは減ってきている。
「……主要國首脳會議の結果は、上手くいったようですね」
「ええ」とロクはスプーンを置いてリゾットをゆっくりと飲み込んだ。「各國の反応は思った以上にでした」
「中國政府からは全面的な賛同は得られなかったようですね」
「もとより、完全な合意は期待していませんでした。今回の試験的な導に合意を得られただけでも功と言えます」
「ええ、今はゆっくりとした変化が最良なのかもしれません」
シャンマオの襲撃以降も、何とか會議は継続された。會議において最大の論點となったのは無化計畫であり、會議の終了時には、各國は計畫に対する方針を宣言した。結果は、賛がゼロ、部分的合意は三、反対が五となった。
部分的合意を表明したのは中國とアメリカとイギリスだ。特に中國は、自國に特區を作り、最適化の試験的導計畫についてまで言及した。特區の選定については後日決定する予定だが、香港が選ばれる可能が高い、と考えられている。
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アメリカとイギリスは的な導計畫こそ宣言しなかったものの、日本からの技提供についてはけれる方針を表明した。施合法化については自國で十分に協議する必要があるとし、態度を保留している。
その曖昧な態度は、最適化技の手を目的にしたものだろう。しかし、同時に最適化が議論に値することを外的に認めたことになる。この意味は大きく、長らく外的に孤立していた日本にとっては大きな進歩であるとも言えた。
他の五カ國であるロシア、ドイツ、フランス、カナダ、イタリアは會議の終了時に計畫への反対を宣言した。特にキリスト教徒の有権者が多い歐州各國は、足並みを揃える形で改めて伝子作に対し、斷固とした反対を表明することになった。
冴子はサラダをとりわけながら、ロクに言う。
「中國政府の部分的けれが大きいのは當然ですが、アメリカとイギリスが明確な反対をしなかったのも大きいですね」
「ええ、本當に。予想外でした」
「上手くいった、と見るべきでしょうか?」
冴子は、ワインの香りを楽しみながら目を閉じた。
「それは……ニィの歐米工作が、ですか?」
「ええ」
ロクは眉間をしかめてミネストローネを口に含んだ。口の中の傷に、スープが染みこんでし痛い。
「あいつからの報告がほとんどないので、何とも言えませんね」
「それでも想定外の結果が発生しました。それも、こちらにとって有利な異常事態です」
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冴子は白ワインを手元に寄せて、そっとを濡らす。
「ニィの功績である可能はあります」
ロクは口を曲げて、匙をおく。味しいはずの料理が、なんだかしょっぱい気がする。きっと、それは口の中の傷のせいだろう。
「ニィだとすれば、わずか一年半でターゲットの外態度を緩和させた方法が気になります」
「そうですね……。心當たりは?」
「……ありません」
ロクはふと布津野の顔を見る。
「なに?」
サラダを小皿に取り分けていた布津野は驚いた。
「父さん、何か聞いていますか?」
「ん?」
「ニィから、何か、聞いていませんか?」
「ニィ君から?」
「ええ、」
「何かって……、特に何も」
ロクは目を細めて、布津野を見據える。
「特に何もないのに、毎週のように電話がくるのですか?」
「そうなんだよね」
「……的に何を話しているのですか? 例えば、最近の電話とかは?」
「えっと、最近のは……」
布津野は天井を見上げて記憶を探る。
最近のは……、そう言えば、ニィ君に榊さんと話して貰ったっけ。それで、孤児院の子たちがロクに協力することになって……。
「あ〜」と布津野はうなる。
「なんですか?」
なんとなく、それはロクに言っちゃダメな気がする。
「……」
「なんですか、それは」
「言えません」
「父さん、何を話したんですか!?」
ハハッと布津野は曖昧に笑って、箸を取り直した。そのまま、小皿に取り分けたサラダを口にれて、もっしゃ、もっしゃ、と咀嚼する。時折、かりっ、と巖塩の塊が砕けて、塩分が口のなかではじけた。味しい。
そういえば、
「あのシャンマオって人は、どうなったの?」
と、布津野は咀嚼の合間にロクに聞く。
「……まず、口の中のものを飲み込んで」
しばらく、布津野は味わうのに集中する。生気の強い生野菜をオリーブオイルで整えたサラダ。それを荒い巖塩と一緒にかみ砕くように食べる。草食なのに食みたいなじがする不思議なサラダだと思う。
ごくん、と布津野のが鳴った。
「で、あのシャンマオって人は?」
ロクは呆れた顔で、じとり、と布津野をねめつける。
「監して検査中です」
「そうなんだ。怪我とかしたのかな?」
「ん、まぁ。そんなところです」
ロクは答えを濁した。
四罪の伝子強化個のハイブリッドであり、重要な暗殺任務を擔當していた彼は機報の塊だ。検査の目的は治療ではなく、報収集にある。彼の伝子検査やその異能を実現する視聴覚部分の脳検査は徹底して行われるだろう。
ロクが言葉を濁していると、ナナがリゾットを平らげて口を挾む。
「あの人、きっと大変だよ」
「大変って?」
布津野がそう反応したので、ナナはにこりと笑う。
「がね、不安定だから」
「不安定? シャンマオさんのこと?」
「うん、だからちゃんと見てあげなくちゃダメ」
ナナはそう言って、ロクを睨みつける。
「……なんで、僕を見る」
「他にいないじゃん」
「心理カウンセラーなら、専門家を手配している」
「出た。ロクのお役所仕事」
そう言ってナナは口をとがらせた。
「そうだ、」
ナナは手を叩いて、を乗り出す。
「ねぇ、ロク。夜絵ちゃんはどうなったの?」
「やえちゃん? ああ、榊のことか。こっちは院して治療中だ。酷い骨折だったが、幸いリハビリに功すればくようになるらしい」
「ええ! お見舞い行かなきゃ。ねぇ、お父さんも一緒に行こう」
「そうだね。行こう」
「やったー。じゃあ、明日ね」
怪我人の見舞いを喜んでいるナナの様子を、ロクは橫目に見ながらため息をつく。榊が院して五日間がたっていた。確かにそろそろ様子が気になる頃合いだ。仕事の合間を見つけて、様子を見に行ってやろう。
ロクは、殘りのリゾットを口にれて、口の中の傷を避けながらゆっくりと味わった。
◇
「そろそろ行くのか?」
宇津々首相は、向かいに腰掛ける法強をじっと見據える。
「世話になった、と言うべきか悩みますな」
法強は口を歪めて見せた。
首相は、とんとん、と杖をつく。
「帰國後は総書記の側近か?」
「ええ、俺は亡命者でもある。分は隠すことになるだろうが」
「二重スパイは続けるつもりか」
「いや、もう無理だろう。今回の件で、四罪も俺を裏切り者と斷定したはずだ」
首相はゆっくりと息を吐いた。
「四罪か……。よもや、あの舊日本軍がその前だったとはな」
法強は口に拳を押し當てて、しばらく黙った。やがて、その口をぼそりと開いた。
「近代以降、祖國は日本から影響をけ続けてきた」
水を濁したような、法強の言い方に、首相は何かをじ取る。
「悪影響を、か」
老人の穏やかな目が、法強の鋭い視線をけ止めている。
「悪影響のほうが強く記憶に殘るような歴史が、祖國と日本の間にはある。大戦から百年も経過していない。それを忘れきるにはまだ短すぎるだろう」
「當時の日本の亡霊が、四罪と名を変えて中國になおも取り憑いている」
「……そうだ」
法強は目を堅く閉じる。
「そして、今も、無化計畫への參加を表明したことで、祖國は日本の影響をけることになる」
「恨むか?」
「それは祖國の民であれば當然のだ。當然、」
恨んでいる。
法強はそう言うのをためらう気持ちがあることに気がついた。今、思い出したのだ。同じようなことを、自分もあの人に聞いた。
あの人は當然のように「誰をですか?」と聞き返した。誰を恨めばいいのか? 布津野さんは、まるで、人類の原罪を問うように、誰を恨めば良いのかと聞いたのだ。
——あの子たちがよく覚えているのは、
これも、布津野さんの言葉だ。
——良くしてくれた人のことばかりです。
「……やめよう」と、法強はそう言って頭を左右に振った。
結局のところ、四罪がはびこった責任を日本政府に求めた時點で、俺はあの人にもあの子達にも遠く及ばない。戦爭は人を殘酷にさせる。殘酷になることが賞賛されるのが戦爭だ。そんな狀況でさえ、あの子たちに優しくした祖國の同胞がいた。同じような優しい人間が、前大戦の日本人にも多くいただろう。平和になった今、それを無視して、ことさら人の殘さを責めてはなるまい。
法強は首相のほうに向き直した。
「俺に良くしてくれた人は、日本にも多くいた」
「……そう言ってくれるか」
二人はしばらく間を置いた。今までのやり取りを噛みしめるための猶予が必要だった。法強は、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「布津野忠人とは、何者だ?」
ふむ、と老人がわらう。
「むしろ、お主の想を聞きたいの」
「貴方は、あの人を『一人目』だと言った」
そして、俺を『二人目』と評した。
「あれは、ナナが見い出し、ロクが承認した初めての人間という意味じゃ。子どもは親を選べぬものだが、あれは子どもに選ばれた父親よ。養子にったのは、たしか五年ほど前じゃな」
「俺を二人目と評するのは、過大評価だな」
「なぜじゃ」
老人はを乗り出して問いかける。法強はし驚いた。その老いた瞳が、年のようにきらめいていたからだ。
「布津野さんと俺では違いすぎる。年齢だけは俺が上だが、とうてい及ぶまい。あの人は、偉大だ」
とんとんとん、と老人は杖をならしてを揺らした。その口の端は、ゆるんでいた。
「あれの普段のは抹茶らしいの。マリモに似ているらしい」
「? ナナのか」
「そして、お前は黒と白の混在。どちらも珍しいらしい。唯一といってもよいほどにな。今にして思えば、お前ののは二重スパイを長年続けてきたゆえの合いだったのかもしれんな」
法強は、あらためて恐ろしい能力だと思った。
シャンマオなどが持つ三苗型の白眼にはそんな知覚能力はない。あれは悪意を見るが、白黒グレーの単しか見えない。ナナのもつ彩世界は、それに比べてはるかにかで多彩だ。
「しかし」と老人は続ける。「布津野にはもう一つがあるらしい。滅多には見れないらしいがな」
「それは?」
「漆黒。沼底のような闇のらしいの。ナナが言うには優しくて綺麗な黒らしい。あやつが戦う時だけに見せるじゃ。奇(く)しくも、あのシャンマオという目も、あやつの黒を見たらしい。とても恐ろしいだと言っていたようじゃの」
くつくつ、と老人はわらう。
「人間のと悪意のが同じだというのも皮なものよ。お前はどう解釈する?」
「……ニィにも同じ事を言われた」
「ほう」
「あの人だけは、敵にまわしてはいけない」
老人は、とん、と杖を強くついて、をのけぞらせて笑った。
「まさしくよな。味方であれば、あれの黒は頼もしい限りじゃろうが、敵であればどうしようもあるまいよ」
ひとしきり笑い終えた老人は、ふと腕時計に視線を落す。
「殘念じゃ。……そろそろ時間じゃな」
「そのようだ。日本の首相もまだまだご健在のようだ。隣國としては由々しき問題ですが」
法強は立ち上がって手をさしのべた。首相は座ったまま握手に答えた。
「そうじゃの。ここに來てさらに人生が面白くなった」
「計畫も上手くいっているようで」
「それもあるな。じゃが、」
首相は杖を引き寄せた。
「読めなくなったのは」
「どういうことで?」
「先がの。読めなくなったから、楽しみじゃ」
法強は両手を組んで、目の前の老人に意識を集中した。彼は杖の上に顎を転がして、まどろむように頭を揺らしている。
「どういうことだ?」
主要國の、三カ國から部分的けれを獲得し、中國からは的な導計畫まで言及させた。この外的果ことを、老人は楽しんでいるわけではない。そんな直が法強にはあった。
「予想外、だったの」
「予想外」
「つまり、儂らが把握しておらん流れが起きている、ということじゃ。法強よ、お前にはその正が分かるか?」
法強は両目を閉じる。予想外の外向果の原因。特に、アメリカとイギリスの二カ國の聲明は意外ではあった。
「さて、分かりかねますな。歐米にはニィを派遣したと聞く。あるいは、」
「いや、そうじゃない」
首相はわらう。
「あのロクが最適解を選ばなかった」
法強は目を開けて、首相を見つめ直す。
「お前がロクに突きつけた選択肢じゃ」
「それはシャンマオから提案させた四罪と協力するかしないか、のことか?」
「そう。奴は『嫌だ』と言った」
法強はあの時の音聲を思い出す。ロクは確かに言った。中國語だったが『絶対に、嫌だ』と。
「ふふ」
と老人はわらう。
「らしからぬ。ますます、意図せぬ形に変化しよる。儂が思い描いた意思決定モデルから外れて長を止めぬ」
「……貴方が意図した改良素による意思決定システムが、変わってきていると?」
「ゆえに、面白い」
ふふ、と笑いを含んだ聲が、法強に鼓に妙に印象的に殘った。
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