《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[4a-04]大ニュース

布津野の孤児院にはいくつかの部活がある。

その中で最大規模のものが合気道部なのだが、そう呼んでいるのは布津野だけで、子どもたちは近接格闘訓練と呼んでいる。他にも工兵訓練や衛生処置訓練、はてはハッキング訓練などといった、なぜか訓練と名のつく部活立している。

生徒たちは各々の役割に応じて部活に所屬しているが、近接格闘訓練(合気道部)だけは全員參加することになっていた。そこには一種の強制のある雰囲気があったのかもしれない。何かにつけて生活を軍隊式に似せてしまう生徒たちの同調圧力がそこに働いているのかもしれない。

そんな訳で、今日も夏休みだと言うのに全員が孤児院の稽古場に待機している。そんな彼らの前に、布津野が姿を現したのは稽古が始まる予定を三分ほど過ぎた時だった。

「布津野さん遅刻です」

榊夜絵が目を細めて、布津野を睨みつける。

「何分だい?」

「三分です」

「良かった。前より早くついた」

「……良かったですね」

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首を左右に振った榊は布津野の背後を覗き込んだ。そこにはロクとナナがいた。その二人がいるのはいつも通りなのだが、今日はもう一人いた。

「紅葉さんじゃないですか。稽古ですか?」

「やっほー、夜絵ちゃん。お邪魔するよ」

「ええ、ご指導のほどよろしくお願いします」

周りの生徒からは、ちらほらと「あっ、紅葉さんだ」という聲が聞こえる。

前に四罪がここを襲撃した事件以降、紅葉は妙にここになじんでしまっていた。稽古のある日を選んで、ちょくちょく顔を見せ、持ち前のお姉ちゃん気質を発揮して、んな子と仲良くなってしまっている。

「いんや、今日は稽古じゃないんだよ」

「はぁ、どうされました?」

「ふっふっふっ、皆の衆! 注目だ。聞いて驚け、お姉さんの周りに集合!」

紅葉は、突然、大聲を出して周囲の視線を奪ってしまう。

榊はいつも不思議に思う。この人は部外者だというのにみんなを巻き込んでしまう。そういった勢いみたいなものは、ニィ隊長にもあった。あの人も無條件で人を従わせる雰囲気をまとっていた。もしかしたら、こういった要素は人を率いる上で必要なのかもしれない。自分はこの部隊を預かるなのだが、こういった勢いに欠けている自覚がある。

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……まぁ、別に紅葉さんみたいになりたいわけじゃない。自分が先頭に立つような人間とも思えない。自分はあくまでも補佐役だ。

榊はそんな事を考えながら、みんなと一緒に、紅葉に注目することにした。

すでに紅葉を中心にして、ちょっとしたした円陣ができつつあった。その真ん中で、紅葉はその大きなを張って、ご満悅な様子に左右を見渡す。

「今日は、みんなに大ニュースが二つある!」

「ちょっと、」

意気揚々と語りだした紅葉をロクが慌てて止めにった。

「紅葉先輩、もしかしてあの件も言うつもりですか?」

「え〜、もちろんだよ。みんなが喜ぶ顔見たいもん。私が公表してみんながはしゃぐ瞬間を満喫するの」

「別に紅葉先輩は関係ないでしょ」

「でも、私から発表するんだー」

紅葉とロクがなにやら言い爭っているのを、生徒達を遠巻きに眺めていた。どうやら良いニュースらしい。非常に気になるのだが、先ほどからロクが邪魔してなかなか話が進まない。

やがて、ロクが折れたのか「しょうがないですね」と言って、後ろにさがる。あいつは紅葉さんには妙に弱いところがある。姉弟子として教えられてきた時間が長いから頭が上がらないのかもしれない。

ふふん、と紅葉さんは鼻を鳴らして「耳かっぽじって、聞きな」と隨分と威勢の良い前口上を置いた。彼を反らしてみんなを見る。

「ニィ君のいるアメリカに、みんなで行くよ」

沈黙が駆け抜けて意味を理解するまでに隨分と時間がかかった。

「えっ」と口から何かがこぼれる。

それは、みんな同じだったらしく。ふつふつとざわめきが沸きだした。どういうことだ。アメリカにいるって本當だったのか。え、いつだ。でもどうやって……。

「やった」

と、誰かが口をついたのがきっかけになった。

歓聲が発した。言葉にならない雄びを喚き散らす男子や、涙ぐんで抱き合う子、手をたたき合って喜びあうみんな。全員がこの喜びを表現する方法を探して、無にかられてかしていた。

そんな中で、榊は呆然と立ち盡くしていた。

喜びよりも疑問が勝ってしまっていた。沸き上がるは形をとることが出來ず、榊の小さなのなかで蠢いていた。

「やったね。夜絵」と、仲間が背中を叩く。

「あっ……うん」

「何よ、反応薄いわよ。ほら、もっと喜びなよ」

ルームメイトのユキだ。彼は手の平をこちらに掲げて見せた。

「うん」

それに応じて、左手を上げようとした。しかし、かない。おかしいな。どうして……。ああ、そうか。私には左腕は無かった。

慌てて右腕をあげて、ぱちん、とハイタッチする。嬉しそうなユキの顔。そうか、これは喜んでいいのだ。もう、喜んでいいのだ。きっと、大丈夫なんだ。大丈夫なのかな。

視線に迷っていると、ちょうどロクと視線があった。あいつは腕を組んでこの歓聲が収まるのを待っていた。相変わらずの無想。それは今の私と同じ表なのかもしれない。素直に喜んでいるみんなの中で、私とロクだけが何かに囚われている。

私のは形にならない不安。

ロクにはきっと、明確な懸念があるのだろう。

「ロク!」

みんなの歓聲を突き刺すように、あえて大聲で無想に呼びかける。

「なんだ?」

「何かあるのだろう。そんな顔だ」

「……ああ」

ロクは組んでいた腕を解いて口を歪めた。全員の視線がロクに集まる。

「詳細は後で説明するつもりだった。簡単に言うと、これは単なる旅行ではない。複雑な背景と大きな困難を伴う任務だ……」

ロクは続きに迷ったように見えた。何度か首をふり、自分を覗き込んでいる周囲の生徒を見渡して、また間を置く。やがて、彼はし表を緩めて言った。

「ニィが言うには、『俺の部隊が必要になった』らしい」

その瞬間、全員が聲を張り上げて稽古場が揺れた。

その場全が、歓喜に包まれた。

榊も初めて、こみ上げてくるものが形になり、目からあふれ出て、頬をつたった。

「やるじゃん」

と紅葉にバンバンと背中を叩かれて、ロクはよろめきそうになる。十分に鍛えている紅葉は、割と豪腕だ。

「何がですか?」

「とぼけちゃって。あ〜、くっやしいな〜。ロク君に良いところ持ってかれたな〜」

「さあ、なんのことでしょう」

「てれんなよ。お詫びのハグだ」

ぱっ、と両手を開いた紅葉から、ロクは素早く距離をとった。

「むぅ」と口を尖らせて紅葉はロクを見る。

「僕はありのままを伝えただけです」

「だったら、もっと優しいじゃん。褒めちゃる。褒めさせて」

「結構です」

さらに距離をとって構えて見せるロクの姿を、紅葉は、うぅ〜、と唸ってねめつける。

「これは、今日のメインイベントの前哨戦、今やるか?」

「悪くないですね。本気なら」

「本気で、組みしいちゃる。いじり倒しちゃる」

「……勘弁してください」

ロクと紅葉が、じりじり、と互いの隙を探り出した時……。

「あの、紅葉さん」

と、姿勢を前傾に落としていた紅葉の背後から、榊が聲をかけた。

「なんだい? 夜絵ちゃん」

紅葉は聲をころりと変えて、榊のほうを振り向いた。

ロクは、ほっ、とをなで下ろした。

「メインイベントとは?」

「お、よくぞ聞いてくれました。それがもう一つの大ニュースだ!」

再び注目を集めはじめる紅葉。

はしゃいでいた生徒たちは、さら円を狹くして聞き耳をたてた。

「今夜、ここで、合気道界、いや、武道の世界に革命が起きる!」

またそんな前口上を、とロクはため息を吐きながら紅葉の背中を、じとり、と見る。

とはいえ、あながち間違いではないな、とロクは思った。革命という表現は適切ではないだろうが、これから起こることは武道の到達點となるだろう。

「最強と噂されるあの男が、ついに本気を見せる!」

朗々と流れる紅葉の臺詞をロクは聞き流して、思いに耽った。

父さんの本気。

自分はまだそれを見たことがない。

かつて、宮本さんが父さんと実戦で戦ったことがある。その時のことを何度も宮本さんから聞き出した。狀況は四対一。強襲突裝備のGOA最鋭が四名と父さん一人。

宮本さん言っていた。「絶対に勝てない」と。

その結果は赤子の手をひねるようなものだったらしい。GOAの三名は気絶させられ、宮本さんも戦意喪失。戦闘時間はわずか數分だったと聞いている。

それさえも、父さんが本気だったとは言えない。

あのシャンマオですら、敵にすらならなかった。

父さんはまだ、その実力を発揮する相手と戦ったことはない。

「なんと、その相手はッ!」

紅葉のテンションが最高に達した時、

「ちょっと、紅葉ちゃん」

と、當の本人である布津野が、紅葉の肩に手を置いてそれを押しとどめた。

「む、」

「なんか、変なじになっちゃうから。勘弁してよ」

「むぅ……」

押し黙ってしまった紅葉は、バツが悪そうに顔を曇らせて、小聲で「ごめんなさい」と言う。

急にしょげてしまった紅葉に、布津野は慌てた。

「あ、いや。怒っている訳じゃないよ。ただ……」

「はい」

「ただ、せっかくの機會だから、自然に出てくるものだけでやりたいんだ」

「……本當にごめんなさい」

「いや。大丈夫だよ」と布津野は紅葉をめて「紅葉ちゃんが楽しみにしてくれて、うれしいよ」と、もはや狼狽えだした。

もはや取り留めを失ってしまった狀況に、榊がすっと前にでる。

「つまり、どういうことですか。布津野さん」

「ああ」

助け船に摑みかかる勢いで、布津野は榊のほうを振り返った。

「実はね。今日ここに覚石先生がお見えになることになったんだ」

覚石が布津野の師であることは全員が知っていることだ。

今日の稽古は覚石先生の指導なのか、もしかしたら、布津野さんとの演舞が見られるのか……、などとそれぞれが思い巡らした時。

布津野が口を開いた。

「先生と、その……仕合のお相手をすることになりました」

全員の呼吸が止まった。

布津野がいつもよりも真面目な様子で、そこにいる全員に語りかける。

「合気の稽古は実戦を隠して行うものだから、このように先生が技を見せることは滅多ない。みんな、今日はしっかりと拝見して勉強してね」

皆は、ぽかん、と口を開いたままになった。

「僕も先生の技をしでも引き出せるように、一杯がんばるから」

そして、布津野はいつものように曖昧に笑った。

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