ロクはその日は一人で帰ることにした。

「一緒に帰ろう」と聲をかけてきた布津野をそっけなく斷り、「用事があるので數時間ほど遅れて帰ります」とだけ伝えて帰り道を歩いていた。

とは言え、本當は用事などない。

ただ、ロクは一人になりたかっただけだった。

あんなものを見せられて、平靜でいられるわけがなかった。

僕だって、

僕だって武道家なのだ。

目的もなく人気を避けて歩いていると、自然と公園へと行き著く。

夏の夜。った空気。聞こえるのは蟲の音ばかりで、ホームレスなどの気配もない。

ロクは目を閉じて、深く息を落とした。

瞼（まぶた）の裏に焼き付いたイメージが薄れぬうちに、をそれに沿わせてみる。

対峙する二人の姿。

自分も同じ構えをとってみる。

この右手が殺意を握っていれば、二人分の間合いが必要になる。

あの二人はその間合いを戦ったのだ。

その瞬間、ぞくり、とが冷えた。

仕合の後に刀を持たされて対峙した覚がよみがえる。

ああ、

どうして、僕じゃなかったのだろう。

想像してみる。

自分の向こうには、二人分の間合いをおいて、父親がいる。

その充実した気をけながらも立つ自分は、

……何も出來なかった。

「シャンマオ！」

と、ロクは聲を張り上げた。

すると、背後から片目だけ白眼のが姿を現す。闇に溶けていた彼は腰に手をあてて、その長をやや傾けて立っていた。

「……どうした」

「見たか？」

「それは、あの仕合のことか？」

「そうだ」

ロクは振り返りもせず、空を見上げている。

シャンマオはその背中に目を細めた。がひどくれている。普段のこの年のは落ち著いたものだった。しかし、今は燃え広がろうとするのを必死になって押さえつけている。

「まあ、見たぞ」

「どうだ」

「ふむ……」

シャンマオは腕を組んだ。

先日の事件以降、この年の側が自分の住処となった。四罪にいた時とは違い謀略の依頼があるわけではない。正直に言えばかなり暇になった。用事があると言えば、年がんだ時に仕合の相手をしてやるくらいだ。

他にやることがないし、この年は多忙だった。外出先に生まれた合間に仕合をむことも多い。ゆえに、普段から彼の影に溶け込んでいた。

シャンマオはロクの問いかけにし迷った。

しだけ、この年がむ答えを言ってやりたい気がした。この半年間、年の必死さをけ止め続けてきたのだ。彼の執著は尋常ではない。

「まあ、諦めるな。お前はまだ若い」

「……」

ロクがこちらを振り返った。

公園の該當に縁取られて、ロクの姿が立ち上る。しい年だ。その整いすぎた容貌のせいで冷たい印象すらある。

しかし、その赤い瞳は燃えていた。シャンマオが見えるもたぎっている。

自分の壽命はあと數年。この年が夢を葉えるまで、おそらく自分は生きてはいまい。

そう思うと、し殘念だ。

「どのくらいだ？」と、年は問う。

年にしては曖昧な質問だ。しかし、その意図は分かりきっている。

「分からん。あれは次元が違う。私では測れんよ」

「……」

「焦るな。なくとも、私に勝てないようではあれには屆かん」

年のがさらにれたが、その目は輝いて口元が笑う。

年は明らかに歓喜している。

この年はドMだな、と改めて確信する。

不可能な壁が目の前にある時ほど、この年のは濃くなる。

相手をしてやっている仕合でもそうだ。指導のつもりで手を抜いてやると、途端に機嫌を悪くする。徹底的に叩きのめしてやれば、目を輝かせて、もう一度、もう一度、と子どものようにせがんでくるのだ。

「僕と父さんの差、なんだと思う」

「のことか？」

「なんでもいい。技論でもいい。気がついた事を教えてくれ」

ふむ……。

正直なところ、よく分からなかった。

あの男、この年の父親、名は布津野忠人。の無い男。

あれはすでに次元を別にしている。驚くべきは、あの男と同じ次元にいる武道家がもう一人いたことだ。あの老人だ。聞けば、あの男の師父（シーフゥ）らしい。

「分からんな」

「……」

年は目をしかめた。納得していないようだ。

ふぅ、ため息をついて頭をふった。適當なことは教えたくないのだが、何か與えてやらねば不機嫌になる。やる気のありすぎるのも大変だ。こちらが疲れてしまう。

シャンマオは片目を閉じて、白眼だけでロクを見た。

「殺意とは自然に出るものだ。功夫（コンフー）が足らぬ者は、殺意ではなく恐れがでるがな。いずれにせよ、その発をこの目で見極めて対応する。それが私の武の神髄だ」

年はゆっくりと頷く。

彼のは、ここ最近で深く練り上げられてきている。殺意を當たり散らすことなく、細めて穿つようになった。

私の鍛錬のおだな。

「しかし、だ。あの男たちは、殺意を意のままにることができる。自然に出るわけではない。自らの意思で殺意を発し、殺意を隠す」

「……どういうことだ」

「分からん、と言っただろう。あの二人は互いを認め合い、相手を殺す気は無いくせに、殺意のを発して戦っていた。……そうだ」

シャンマオは思い出した。

「お前は、父親に言われて刀を構えただろう」

「ああ」

「あの時、お前と父親の間には殺意が介在した」

ロクは目を閉じて、思い出した。

右手にぎらつく白刃。圧してきた父さんの気に當てられて、僕は思わず飛び退いた。その後に出來たのは、二人分の間合い。

それは歩み寄るために必要な距離らしい。

「……」

「あれは擬似的な殺意だ。おそらく、お前が殺意を扱えぬので刀で代用させたのだろう。武にはそういう質がある。殺すことが出來ない素人でも、殺せるようにする」

「……僕が未とでも？」

「勘違いするな」

シャンマオは、ぴしゃり、と言う。

「武を使って殺意を研ぐのは、むしろ普通の事だ。私でさえも素手で殺すことは、ほとんどない」

「……」

「道があれば、道で殺す。ナイフよりも銃、銃よりも狙撃、狙撃よりも毒を好んで使う」

「相手との距離があれば安全だから、」

「まったく違う。それも見當違いだ」

まったく、……ひよっこが。

「道を使えば、自分を騙（だま）すことができる」

シャンマオの右手がいた。いつの間にか、ロクの目の下に二本指が當てられていた。

ロクの眉間が歪む。急所に指を當てられた不快さゆえではない事をシャンマオは知っていた。この年は咄嗟に反応出來なかった自分自を不甲斐ないと責めている。

その指はそのまま、とんとん、とロクの頬を叩いた。

「こうやってお前の眼球に指れ、そのまま脳に向かって抉りこみ、脳片をかきして、引きずり出す。……そうやって殺すよりも、気持ちが安まるからだ」

シャンマオはもう片方の手で、ロクの顔を挾み込むようにして、顔を近づける。

赤い瞳と白い瞳がお互いを覗きこんだ。

「ない殺意で、お前を殺せるからだ」

すぅ、とシャンマオは手を引いた。

立ち盡くしてしまったロクを見て、シャンマオは笑いたくなった。汚れをしらない純白の年を、殺意で汚す。なるほど、多は快を覚えなくもない。

愉快だ。……ちゃんと答えてやるか。

「お前の父親は、素手で人を殺せるよ」

「……」

「殺意をれるからな。自分を騙す必要がない。ちゃんと責任をもって殺せる男さ。武なんかに頼らない」

ぱっ、と年の顔を離すと彼は數歩後ろに下がった。曇っていた彼の表はしやわらいでいた。その結論を年が理解したのかは分からない。しかし、取りあえず満足はしたようだ。

「シャンマオ」

「なんだ」

ロクは自分のを抱いた。

そのは火照っていた。行き場が分からない何かが、まるで的求のように自分のあちこちを駆け巡っている。抑えきれない疼（うず）き。

ロクは思った。このままで家に持ち帰るわけにはいかない。

「ここで、しよう」

「ふふ」とシャンマオは笑った。「お前は本當に好きだな」

「本気だぞ」

「それは、お前次第さ」

シャンマオは構えを取った。

年もすでに構えている。そのは……まるで発した狼みたいだ。これを相手にじゃれ遊ぶには骨が折れるだろう。

その時、シャンマオはロクとの距離に気がついて思わず笑ってしまった。

本當に若い。教えられた事をすぐに使ってみたいのだろう。

ロクとの距離が隨分と遠い。

そこには、二人分の間合いがあけられていた。

いつもお世話になっています。

舛本つたな　です。

さて、ここで第四部Ａパートの前編が修了しました。

今回は半年ぶりの投稿再開になりましたが、皆さまからの想やブックマーク、本當にありがとうございます！

連続投稿はまだ続きますので、引き続きよろしくお願い申し上げます。

前編はあんまりニィが出てきませんでした。どちらかと言うといつもの布津野の話でしたね。

前編は実はある頂いた想から著想を得たプロットでした。前回の三部で意外に人気があった覚石と布津野との話しをメインにしてみました。

いかがだったでしょうか？

さて、中編からは舞臺をアメリカに移して、あのニィがはしゃぎ回ります。

引き続き、お楽しみ頂けると嬉しいです。

それでは、今度は４部Ａパートの中編の最後にお會いしましょう〜。