《[完結しました!] 僕は、お父さんだから(書籍名:伝子コンプレックス)》[4a-18]大統領

「我々の完敗だったな」

ロジャース中佐がビアグラスを掲げてきたので、布津野は慌ててグラスを持ち上げた。キン、と互いに打ち鳴らして一緒に口をつける。海水に長時間浸かった後の、がふやけたような疲労に炭酸とアルコールが染みこんでいく。

ああ、味しい。

「何にせよ。良い戦いだった。正直なところ、専守防衛などとぬるい事を言っている日本軍なぞ大したことない、伝子最適化部隊など機上の空論だ、と思っていたが。いやぁ、やられた」

「オー、イエス」

布津野は下手な英語で相づちを打った。

負けたのに隨分と気だな、と心は不思議に思いながら、心はヒヤヒヤしていた。翻訳機を取り戻し、何を言っているのはなんとか把握できるようになった。とは言え、自分から発言は出來ないのだ。先ほどから適當に、オウ、アハ、などと映畫で見たことのある如何にもな英語で答えているが、これで何とかなるのだろうか?

「それにしても、ミスター・フツノのあの格闘技はなんだ?」

「オー、アハ」

「ふむ、かな?」

「……ノゥ」

あ、だめだ。全然なんとかならない。

布津野は隣に座っていたナナにすがりついた。

「ナナ、お願い。通訳して」

「まかせて!」

「とりあえず。え〜と、僕のは合気道だって」

「うん……。合気道って英語でなんていうの?」

オゥ、ノウ。……ネットで検索しなきゃ。

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布津野は攜帯端末を取り出して、「合気道 英語」まで力を終えたところで、どうやら気になったロジャース中佐はもう別の話題に移り始める。

「それにしても、とてもしいお嬢さんだ」

中佐は目を見開いてナナを覗き込む。

「あら、ありがとう。貴方も素敵よ」

「君もGOAの育部隊なのかい?」

「違うわ。私はお父さんの通訳」

ナナはそう言って、布津野の裾を摑んで肩を寄せて笑う。

その時、布津野はようやく合気道は英語でもそのままAikidoであることを突き止めたところだった。急に近づいてきたナナに驚いて「アイキ」と良く分からない聲がこぼれてしまった。

「ほう、ミスター・フツノの娘さんでしたか」

「アー、イエス」

「失禮ながらあまり似ていない……。ああ、そうだった。日本ではこれが普通らしいな」

「アー、はい。イエス」

布津野はなんだか面倒になって、もうイエスって言っとけば良いんじゃね、という気持ちになってきた。心では、ナナは養子だ、とか、もう一人息子がいる、とか々とおしゃべりしたかった。しかし、もうすっかり自信がなくなってしまったのだ。

本當は、この軍人さんのことをもうし知りたい気持ちもある。

先ほどの戦闘で相対した時、この人からじた雰囲気は本だった。あれほど気と対することなど稀だ。それは格闘における優劣とはまた違う。気構え、とか、姿勢とも言える何か。それは法強さんにじものとも似ていた。

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布津野は、ちらり、と目の前のアメリカ軍中佐を見る。

英語をしゃべることが出來たら良いのに、と後悔した。今、自分がビールを飲みわしているのはきっと凄い人なのだろう。それなのに會話も出來ないのは殘念なことだ。

「また、ずいぶんと適當な返事ですね」

背後から突然、ニィ君の聲がした。

それに気がついた中佐は、手を上げてニィ君を迎えれる。

「ほう、あの時の年か」

「お待たせしました。流石は海兵隊。強敵でしたよ」

ニィはわざとらしい敬禮を完璧に決めて、皮に笑う。

しかし、中佐はその含みのある部分を笑い飛ばすようにグラスを、ぐいっとあおって、それを掲げて見せた。

「君たちの勝利に」

「……やれ、アメリカ人ですね」

ニィは片目をつぶって、テーブルから適當なグラスを手にとると中佐のグラスにかち合わせて音を響かせる。

グラスを戻した中佐は息をつく。

「貴の言うとおりだったな。林を進軍させた別働隊は全滅したよ」

「……まあ、事実を認めるならば、俺たちも隨分と手を焼きましたよ。本當ならそのまま殲滅するつもりでしたが、貴方の別働隊もなかなかやりますね。相當に粘るものだから予想以上に時間がかかりました。海中陣地との挾撃にい込めなければ夜間まで続いていたでしょう」

「ほぅ、つまり一矢は報いた、と」

「殘念ながら、認めてあげましょう」

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「ふむ、ミスター・フツノ?」

急にロジャース中佐に問いかけられて布津野は驚いて、口につけたビールを吹き出しそうになる。

「彼は貴方の副かね?」

イヤホンから翻訳された日本語を聞いても、咄嗟にはそれを理解することが出來なかった。返答に困って左右に視線をさまよわせる。

ニィ君は笑って黙っているばかりだし、ナナは目をキラキラとさせてこちらを見ているだけだ。

「えっと、もう一度言ってください、って言ってちょうだい」

布津野は、通訳をしたがっている様子のナナに頼んだ。

ナナはそれをすぐに英語に訳して伝える。

I'm sorry, but please tell my daddy again what you said.

「ふむ。この白い髪の年はあなたの部下なのかね」

「お父さん、ニィがお父さんの部下なのかって聞いてるよ」

それは分かってました。すみません。

布津野は頭をかいた。なるほど、年齢差のせいだろうがそのように見えなくもないのかもしれない。それにしても部下とは隨分な間違いだと思う。ニィ君の方が風格はばっちりなのに。

さて、取りあえずどう答えたものか……。

「友だちかな?」

チラリ、とニィ君のほうを見ると、彼はまんざらでもなさそうに笑った。うん、間違ってはいなかったようだ。友だちで問題はないだろう。

My daddy said "He is my friend".

ナナがそう翻訳したのを聞いて、ロジャース中佐は目を見開いた。そのまま怪訝に顔をしかめて、今度はニィの方に顔をむける。

ニィは面白がるように頬をなでながら片目をつむってみせた。

「立場上、布津野さんは俺の上ですよ」

立場上と言っても、それはこのアメリカ滯在中の仮のものだ。今ここにいるニィはGOA育部隊の一隊員で、その隊長は布津野になっている。

ニィは頬をゆるめた。

「友だちのような関係である、ということです」

「ふむ」

ロジャース中佐は頬をでながら、その老いに濁りはじめたブラウンの瞳で、じっ、とニィのほうを覗き込む。

「老婆心ながら、貴にアドバイスをしたい」

栄ですね」

「貴は優秀な兵(ソルジャー)であり、卓越した戦家でもある。若いうちから部隊を任されることもあるだろう」

「それはまた、買いかぶりですよ」

布津野は曖昧に笑ってしまう。こういう噓ばかりの謙遜なら、この子も出來るのだ。

「しかし、出來るだけ長い期間、タダヒトの下についておくが良いだろう。優秀すぎるのも問題だ。貴には、煩わしいものが降りかかるだろう。しい鳥を逃がさぬように、その羽を切ろうとする輩も多い。そんな連中からタダヒトなら守ってくれよう」

「……やれやれ」

ニィは首をふって、大きくため息を吐いた。

「ご大層にもったいぶって何を頂けるのかと思えば、そんな當たり前のことですか。そんな事は分かっていますし、わきまえてもいます。いいですか、この俺がわきまえているのです」

「ふむ」

「俺がこの人の部下になるためにどれだけ苦労したのか、教えてあげたいくらいですよ」

「そうか。余計なお世話だったようだな」

ロジャース中佐は肩をすくめてグラスを手にとる。グラスの中は空だった。橫にいた布津野は慌ててビール瓶を手に取ろうとしたが、ニィはテーブルを、とん、と指で叩いてそれを制した。

「酒はそれまでにしたほうが良いでしょう」

布津野はグラスをつかんだまま顔をしかめた。

ニィの指が、ひらり、と宙を舞って、笑みの形にゆがめたそのをなでた。

「布津野隊長は、これから合衆國大統領との會談ですから、ね」

現職のアメリカ合衆國大統領アダム・ハワードは、理想的アメリカ人(ジ・アメリカン)と呼ばれている。

大統領としての彼の評価は、歴代の大統領としては比較的良好だった。

元空軍パイロットだった彼は、筋骨たくましく、寡黙で、真面目な男だ。大統領の就任初期こそ、その厳格さに評価が分かれることも多かったが、最近は國民への談話や演説の時には笑顔を見せることも多くなった。年齢は50を超えているが、大統領としては十分に若い。顔立ちも整っていた。時折、爽やかに笑って表を崩す瞬間が、とてもチャーミングだ、と層からの支持も厚い。

初めの任期満了を控えて、アダムは二期目の大統領続投にむけて選挙戦を戦っている最中だった。現職大統領としての評価も上々、二期當選は確実、というのが大方の予測だったが、最近になって大きく勢が変わってきている。

その原因が、ハリウッドスターのイライジャ・スノーの出馬表明だった。

イライジャは自由至上黨の大統領候補として政界に現れ、その支持率を10%まで急上昇させた。

自由至上黨はれっきとした第三勢力として頭角を現した。これはアダム大統領の再選を阻むだけでなく、長らく続いたアメリカの二大政黨制を変えうる可能めている。

そんなイライジャが今、アダム大統領の目の前に座っていた。

「こんなところで會えるとは」

大統領はイライジャに手を差し出した。一方のイライジャはその手を睨んで微すらしなかった。大統領の手はそのまま空気を摑む。

「ふむ」と大統領は顔をしかめる。

「……いえ、」

イライジャは目を逸らしたが、それでも握手に応じようとはしなかった。

大統領は目を閉じて差し出した手を元に戻した。行き場のない沈黙がおりてくる。立ちっぱなしの大統領の橫にいた男が取り繕うようにイライジャに問いかけた。

「自由至上黨の候補者である貴方が、どうしてこのような場所に?」

「ここに呼ばれただけです」

「呼ばれた? 誰に」

「……」

無言になったイライジャに向かって、大統領の側にいた男は手を広げてみせた。

「それは、もしかしてニィという名前の若い男では」

「ご存じなんですか?」

「彼は非常に有名な諜報員ですよ。まさに現代のジェームズ・ボンド。日本の凄腕の諜報員。コードネームは白髪の男あるいは(ホワイト・オア・)黒髪の(ブラックビューティー)。……失禮、自己紹介がまだでしたね。私は大統領ほど有名ではありませんので」

男は手を差し出しながら、そのやけに薄いをさらに細めた。

「ラルフ・ロスです。中央報局、つまりCIAの長をつとめています」

「あなたの事はTVで見たことありますよ。俺はイライジャ・スノーです。政治の勉強もしたことがないバカな俳優ですよ。TVで見たことはあるでしょう?」

イライジャは今度は握手に応じた。「ええ、もちろん」と言ったCIA長はその手を離そうとはせず、もう片方の手でイライジャの肩を摑んでその顔を覗き込んだ。

「君を大統領候補に擔ぎ出したのは日本の諜報員だと言うことは、ご存じでしたか?」

イライジャは、CIA長の探るような目線を不快に思った。

「……知ってましたよ」

「ほう、驚いた。だったら発言には気をつけたほうがいい。例えば今の會話が録音されていて、それがメディアに流れたら大変なことになる。今、話題の大統領候補イライジャ・スノーは日本のスパイで、傀儡なのだ、とね」

「好きにしたらいいさ」

「意外な事を言う」

「それよりも、そろそろ手を離して貰えませんか?」

「こりゃ、失禮した。イライジャ・スノーは潔癖癥でしたか。顔に負けずに綺麗な手だ。大丈夫、トイレの後は必ず手を洗う男ですよ、私はね。アルコール消毒だって、完璧だ」

そういってCIA長はまるで蛇が這うようにイライジャの手をなでて、ようやく握手を解いた。イライジャはそのに背中が泡立ったが、顔を引きつらせながらも何とか耐えた。

その時だった。

ノックもなしに三人の背後の扉が勢いよく開いた。

「お待たせしました。おや、大統領閣下すでにお待ちでしたか。これはこれは、お會いしたかった」

わざとらしいほどにおどけた様子で姿を現したのは、ニィにつれられた布津野とナナだった。

ニィはスタスタと大統領の前に歩み寄ると、その手を強引に取って両手で握手を包み込んだ。

「俺のことはニィと呼んでください」

「アダム・ハワードだ。活躍は聞いているよ」

「これは恐です。きっと良い噂に違いない。貴重なお時間が勿ないので、その噂の的な容は聞かないでおきましょう」

悪戯っぽい笑みを浮かべて、ニィは後ろの二人を指し示す。

「ご紹介しますよ。俺なんかよりも重要な人たちだ」

「ほう」

の子がナナ・フツノ。真ん中のいまいちな顔のがタダヒト・フツノ。よろしければ握手を」

ニィはものの數秒でその場を取り仕切りだした。その強引さに口元を歪めながらも、大統領はナナの前に歩いていき、手を差し出した。

「アダム・ハワードです。しいお嬢さん」

「あら、ありがとう。ナナ・フツノです。素敵なおじ様」

大統領の大きな手に、ナナの華奢な手がすっぽりと包まれた。

見上げるナナの大きな赤い瞳を見て、大統領は目を細めて「似ているな」とこぼした。

「なにか?」とナナが首をかしげる。

「いや……、あのニィという年と似ているな、と」

「ああ、この髪とかこの目とか。でも私はニィみたいに意地悪じゃないです」

「噂によれば、日本には君とおなじ姿をした人がいるらしいね」

「ええ。でもむずかしいお話ならニィにしてくださいね。ナナはお父さんの通訳で忙しいから」

「お父さん?」

「そう。ほら、次はお父さんの番よ」

ナナが隣の袖を引っ張って布津野を前に引き出す。驚いた大統領と呆然としている布津野はしばらく無言で違いの顔を眺め合っていた。

「あっ」と布津野は口を開いたが、それは言葉にはならなかった。

両手をそわそわとさまよわせて、次にどうすれば良いのか迷っていたが、誰もそれを教えてくれなかった。

「僕は……、アイアム、ジャパニーズぅ」

「私はアダム・ハワードだ」

大統領は手を差し出した。

ナナが笑って布津野に聲をかけた。「お父さん、握手だよ」と言ってから「ナナがいるから、日本語でいいよ」と添える。

布津野は慌てて大統領の手を握る。大きな手だった。

「彼の父親ですか」

「えっ、はい。一応」

ナナはそれを単純に「Yes」とだけ訳す。

「……貴方がこの部隊の指揮?」

「あ〜、えーと。そうみたいですね」

ナナが「Yes, I'm the commander of this unit」と添えた。

「今日は我々の完敗だったようですね。おめでとう」

「いえ、大変でした。勝てたのは私ではなくニィ君たちのおでした」

ナナの通訳を聞いて大統領はニィのほうを振り返る。

「彼のお?」

「はい。作戦とか指揮とかはすべて彼まかせです」

「なるほど。噂通りか。……そろそろテーブルに座ろうか」

「はい」

二人が離れようとした時、「おや、お嬢さん。何を怖がっておられる?」とおどける聲がすぐ隣から上がった。

大統領と布津野がそちらのほうを振り向くと、そこには手を差し出したCIA長とそれを嫌がるように後ろに下がるナナがいた。

「ナナ?」と布津野が聲をかけると、彼は布津野の後ろに隠れてしまった。CIA長は手を差し出したまま、首を水平になるまで傾げてナナを覗き込もうとする。

「殘念ですね。こんなしいお嬢さんなのに。ほら、こっちにおいで。キャンデーをあげよう」

しかし、ナナはますます布津野の後ろに隠れる。その手が自分の背中を摑んで小さく震えているのが、布津野に分かった。

「嫌、」とナナの日本語が布津野の鼓をうつ。「この人、がない」

その瞬間、布津野は前に出てCIA長の差し出した手を取った。

「おや、お父上ですか? お羨ましいことです。こんなにもおしい娘をお持ちとは。私も是非にしい」

「アイ、アム、タダヒト、フツノ」

唯一しゃべれる英語を言葉に刻みながら、布津野は長の目をじっと見た。

のっぺりとした顔にガラス玉のような瞳が二つ。その薄いが妙に印象にこびりつく。

そのたたずまいに殺気の類いはじなかった。しかし、ナナは言ったのだ。

この男にはがない、と。

布津野は手を離すと、後ろを振り返ってナナの肩に手をおく。布津野は小柄ではあるが、十分に鍛えてもいる。そのまま、ひょい、とナナを抱き上げてしまった。

「ニィ君、ナナの調子が悪いようだ。退室してもいいかな」

「ええ、構いませんよ。……それと布津野さん」

「なんだい」

ニィは布津野に近寄ると、そっ、と耳打ちをした。

「今夜は、ナナから絶対に離れないように」

布津野はニィを、ちらり、と見て頷いた。そのまま部屋の扉まで歩いて振り返る。

「それでは失禮します」と、日本語で頭を下げて、布津野は部屋から出て行った。

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