ニィは片手を上げ、指で左右を指し示してから握り拳をつくった。

すると、彼の背後にいた數名が無言で散開していく。

その前方のはるか遠くには四罪の強化個がを潛めているのが辛（かろ）うじて見える。この距離だ、流石に背後にせまるニィたちには気がついていない。

強行偵察は小さな部隊で戦闘を仕掛けて相手の戦力を探る戦で、ニィはこれを好んで用いた。

彼の場合は、偵察の範囲を超えてこれを運用することが多い。奇襲的に仕掛けて、相手を混させ、そこを広げるように攻撃を加えて布陣を崩す。その直後に、本隊が火力を整えて敵を圧倒する。

この強行偵察を擔當する部隊を彼は自らが率いた。それは、獣が急所であるはずの頭を曬して、最大の攻撃手段である牙で相手を噛み殺すのと同じなのかもしれない。

戦況の判斷起點である指揮が常に最大のリスクポイントにをさらし、リアルな報を大量にあび続けて瞬時に判斷すべし。

ニィのその姿勢はロクの戦略的視點と背反することが多い。それは二人の格の違いによるものでもあるが、任されてきた責任の質の違いによるものでもあるだろう。

ニィは、自分の部下たちの命をその責任としてきた。

ロクは、日本國という概念に責任を問われ続けてきた。

一方は顔の見える人間に対して、もう一方は巨大で象化された集団に対して、そこには大きな違いがある。似た伝子を持つはずの二人の思考の差異は、問われ続けてきた責任の質的な違いによるものだ。

「準備、整いました」

背後から榊の聲がした。

數名からなる分隊規模の強行偵察の場合、榊はニィの背後に位置して直接援護する事が多い。

「相手は一人、か」

「すでに敵はセンターの包囲を完了しつつあります。おそらく、數分後には侵を開始するかと」

「つまり、藪（やぶ）をつつくには絶好のタイミングだな」

さて、とニィが背に隠したサブマシンガンに手をかけた。

その瞬間。

はるか遠くにいた敵がニィのほうを振り向く気配がする。

——気づかれた！？　馬鹿な、この距離だぞ。

「榊、逃げるぞ」

「総員待避、ポイントE0まで」

「「了解」」

耳にねじ込んだ通信イヤホンの応答を聞き流しながら、ニィは前を睨みつける。

咄嗟に撤退を判斷してしまった。

嫌なじがするのだ。なぜ、この距離で気がついた？

奇襲に失敗したから撤退する。と言うのは後付けの理由でしかない。なぜ、やつらは三苗型もいないのに、こちらの奇襲ポイントに気がついた？　三苗型をさらに外周に配置しているのか？

不可解だ。仕掛けるべきではない。

前方の敵がニィたちに向かって走り出す。

速い。しかし、正面から突撃だと。ふざけているのか？

ニィは抜きざまのサブマシンガンの照準を引き寄せるなり、相手に向かって引き金を引いた。

その銃口から火がふく直前で、敵は橫っ飛びになって銃撃をかわす。

まるで、撃つ瞬間をあらかじめ知っていたかのような挙。

——チッ、そういうことかよ。

ニィは、元の通信端末を指で叩いてオンラインにし、ピンマイクを襟元によせる。片手で、サブマシンガンを撃ちばらまきながら、聲を張り上げた。

「おい！　引きこもり！」

撃ちつくしたサブマシンガンを地面に投げ捨てて、腰から拳銃を引き抜く。

敵は榊たちの援護撃を避けながら、単でこちらに迫ってくる。

顔は覆われているが目抜きから見える瞳は片目だけ白い。格は鯀（ガン）型にしては小柄で細だが、もしあれが型なら納得だ。しかも、遠距離からでも銃撃を察知して銃弾すら避けてみせる。こんなやつには覚えがある。數年前の出戦で何度も煮え湯を飲まされた。

くそっ、これだけ揃えばもう確定だ。

「敵の個はシャンマオと同じハイブリッドだ」

「放、どういうッ」

ロクの返答が終える前に、目前まで迫った敵が飛びついてきた。

「ちぃ」と奧歯を食いしばって、ニィは前に出た。

敵の跳び蹴りを、脇を引き締めて肩の裏側でけ止める。

ほぼ同時に、至近距離で拳銃を放つ。が、すでにをひねっていた敵に躱（かわ）された。

ちくしょうが、銃の重さで反応が遅れる。

銃を放して、両手で構えをとる。

左右から連撃が、ちらつく。

咄嗟にニィは左を躱して、右の打撃はけた。

け手の骨がきしむ。のくせに、重がのってやがる。

「ニィ隊長！」

「榊は、出てくるな！」

ニィはけ止めた敵の腕を摑んだ。

もう、あの時の自分じゃないんだ。榊の腕を犠牲にして、何とか生き延びた自分とは斷じて違う。

敵を摑んで固定した至近距離。が見えたとしても、この距離なら。

相手が膝蹴りを繰り出す。

それを空いた腕の肘で打ち落として、その拳をそのまま相手の腹部に添えた。

——これなら、見えていても

「よけられねぇだろ！」

後ろ足を前に寄せ、その重心移を敵に添えた拳に発させる。

寸勁。

腕を摑まれを固定された敵はこの威力を逃すはない。が見えていようが、すでに當たっている拳をかわすことなど不可能だ。

直撃をけた敵は、その衝撃で頭を前後に激しく振った。やがて、そのままガクン、とうなだれてかなくなる。

ニィはそのを地面に転がして、顔を覆っていた布をひきはがした。わになったの顔を覗き込んで「やはりか」と、こぼす。

彼は、肩口にとめたピンマイクを口元に引き寄せた。

「おい、引きこもり……」

「何があった？」

「相手の正が分かったぞ」

ニィが足元に転がしたそのの顔はまだ十代のさが殘っている。しかし、それはニィのよく知っている顔と同じ造形をしていた。

「シャンマオの、クローンだ」

◇

ニィからのシャンマオのクローンと戦した、という報告は最適化センターのモニタールームに響き渡った。

別室にいた布津野とナナも移して、そこに詰めていた。

ニィの報告を聞いて「……そうか」とロクは応答した。そのまま、腕を組んで目を閉じると、小さく唸り聲をらした。

「私のクローンか、」とシャンマオは薄く笑って、モニタを覗き込む。「莫煌（ムーファン）はそんなものまで確保していたのか」

モニタの上では、センターを包囲していたクローン達が一斉に施設に侵を開始する様子が見えた。ニィの襲撃につつかれた形で決行をはやめたのだろう。到著次第の侵になっているため、まだ施設には數名がバラバラとり込んでいる。

シャンマオはその襲撃者の様子を見て、腕を組んだ。

「格はすでに長期は過ぎているな。きにも十分な鍛錬が窺える。……おそらく、老人たちのだろうよ」

シャンマオは、ロクの肩に手をおいて顔を寄せた。

「問題ない。私のクローンではお前の機械兵は止められんよ」

「……」

「施設の配備はすでに終えているのだろ？　後は起するだけだ。ものの數分で全滅だ」

ロクは橫目を細めてシャンマオを見た。

ゆっくりと自分の攜帯端末を取り直した。パスワードを力して、起コマンドの力コンソールを立ち上げる。

そのコンソールに「>auto-killing」と力して、ピタリ、と指を止めた。そのまま、コマンドの文字列を眺めたまま、ゆっくりと深呼吸をした。

妙な寒気がする、とロクは不思議に思った。

我ながら、馬鹿馬鹿しい。あれはシャンマオじゃない。あれは同じ伝子を持った、完全に別の個だ。

「どうした」とシャンマオが問いかけてくる。

「……いいのか？」

「何がだ？」

「あれは、お前のクローンだ」

「一、何を言っている？」

二人のやり取りは中國語で行われていた。

やり取りの容を理解できない布津野は橫で何かあったのかと不思議に思った。喧嘩しているように見えたからだ。ニィ君の報告は聞いている。シャンマオさんのクローンがいたらしい。それが何か関係しているのだろうか？

二人の喧嘩は、徐々にヒートアップしはじめた。

「どうした？　さっさとやれ」

「まて、今、考えている。これは、……罠、かもしれないだろ」

「はぁ、分からんな。らしくないぞ。あれは恐らく莫煌の奧の手だ。ここで十分に殺しておけば、奴の戦を制限することもできる」

「それは、そうだが」

二人の頭上に並んだモニタには、施設に侵したシャンマオのクローンたちの姿が増え始めていた。足音を忍ばせて廊下を駆け抜けていく。

「時間がないぞ、もう隨分と中にられた。各個撃破は戦の基本だろう。ニィの導が無駄になるぞ」

「分かっている……。奴らの目的くらいは確認したい」

「本気で言ってるのか？　最適化センターの隠侵をしている時點で、目的は配合施設の可能が高い、とお前が言ったぞ」

「それを、確かめるんだ」

「もう確定だろ。奴らは明らかに施設の地下へと向かっている」

布津野はその様子を見ていられなくなってきた。

せっかく結婚を前提にしたお付き合いを報告してもらったばかりだというのに、もう喧嘩している。しかも中國語だ。二人きりの時は中國語を使うんだね。

「ねぇ、ナナ」と布津野はたまらず橫に目をむけた。

そこには、満面の笑みを浮かべて二人の喧嘩を眺めているナナがいた。

「ん、なぁに？」

「二人は何を喧嘩しているのか、分かる？」

「ん、大はね。ヤエちゃんみたいに中國語は得意じゃないけど、で大は分かるかな」

ナナはうっとりと目を細めた。

「ロクはね、殺したくないの」

「ん？」

「シャンマオさんのクローン、だからボタンを押したくない」

「……」

「でも、シャンマオさんにはそれがちょっと分からない」

「なるほど、ね」

——つまり、完全な癡話喧嘩じゃないか！

布津野の頬がゆるむ。

そうか、そうか。ロクはもう、めろめろなんだなぁ。

「ねぇ、ナナ」

「なに？」

「ちょっと、二人の喧嘩をとめてみたい」

「お、いいねぇ〜」とナナは親指を立ててみせた。

布津野は立ち上がって、「ロク」と聲をかけてみた。

シャンマオに追い込まれていたロクは、さっと布津野に視線を逃がした。シャンマオも、布津野が聲をかけてきた瞬間に口を閉じて大人しく引き下がる。

本當にいい娘さんだよ。僕が出てきたらすぐにかしこまってしまう。

「なんですか、父さん」

「シャンマオさんに、ちゃんと言ったほうがいいよ」

布津野はゆっくりとロクに語りかけた。それは、完全には日本語に慣れていないシャンマオへの配慮もあった。

「……何をですか」

「結婚を前提に付き合っているんでしょ？」

「はぁ！？　おい、ナナだな」

「違うよ〜。ロクがバレバレだっただけだよ〜」

「ナナ！」

布津野は、ナナを追いかけようとしたロクの肩を両手で摑んで正面を向かせる。

本當に大きくなった。とってもイケメン。しかも、立派なお嫁さんまでつれてきて、本當に誇らしい。

「だから、ちゃんと言いなさい。じゃないと、シャンマオさんが困ってしまうだろ」

「……なにをですか」

「の人には、ちゃんと言わないと伝わらないこともあるんだ」

「父さんがそれを言いますか」

「何度だって言うさ」と布津野はそこで聲をひそめた。「僕だって、冴子さんにいつも言っているよ。してるって」

「……なんなんですか、それ」

「好きなんだろ？」

ロクは、ぐっ、と言葉につまって、シャンマオのほうをチラリと見た。

事の経緯を十分に把握しきれていないシャンマオは、しだけ首を傾げて表をしかめていた。ロクはため息を吐きながら、頭を左右に振る。なんなんだ。ナナは余計な事ばかり告げ口するし、父さんはいつも勘違いばかり。

それに……、彼もかなりの鈍だ。

「シャンマオ、」と、彼を正面からみる。

のモヤモヤを深呼吸で飲み込む。

「クローンとはいえ、お前を殺したくない。……なんか嫌だ」

そう言い切ると、シャンマオの表がくずれた。

広がって、もどって、下に垂れて、曖昧な形になっていく。こういう、予期しがたい彼の曖昧な反応を楽しんでいる自分に気がついたのは、確か、稽古で始めて彼に勝てた時だったような気がする。

「でも、お前の言うとおりだよ。あそこには、數萬以上の新生児がいる。それに、あれはお前じゃない」

あのクローンは、今のお前みたいな面白い反応はしないだろう。

攜帯端末の起コマンドをみる。後は実行キーを押すだけだ。もう、十分に部に引き込んでいる。恐らく一瞬で終わるだろう。襲撃者が殺されて、數萬人の新生児は何事もなく明日を迎える。それだけだ。

後は、本當に、このキーを押すだけ。

ロクの指がいて、端末のキーを押そうとした瞬間。

ひょい、と端末が布津野に取り上げられてしまった。

「……父さん？」

「人數はたしか、10人くらいだっけ？　シャンマオさんのクローンさん」

「返してください」

「ロクは、ここでナナとシャンマオさんをお願い。僕はちょっと行ってくるよ」

「父さん！」

布津野は背を向けて、取り上げた端末を橫に立っていたシャンマオに押しつけた。そのまま、ドアノブに手をかけて扉を開く。

「大丈夫だよ。ロク」

顔だけ振り向いて、布津野はおだやかに微笑んだ。

「殺さないから」

扉が閉じて、布津野の姿を隠した。