晴天に浮かぶ天上宮殿の東側に聳え立つ塔には百萬を超える蔵書がある。

"知識の塔"と呼ばれるその塔は、頂上まで吹き抜けになっており、どこを見回しても視界一面に無數の本が飛び込んでくる、本棚で組み上げられたかのような建だ。

「レナ聞いたか？」

蔵書の一つをレナーテが手に取ろうとした時、中央のテーブルに腰掛けていた彼の友人、クラウディアが尋ねた。

「何を？」

レナーテはの丈の半分はありそうな巨大な書巻を抱えて振り返る。

「今朝學長が來て教えてくれたんだけどさ、下で面白い講義が始まるんだって」

クラウディアの言葉を聞いて、レナーテは眉をひそめる。

「講義？　學長が天上生にわざわざそんなこと伝えに來たの？」

「そう。なんでも新生が講師らしい。行ってみたくね？　ほら、私らってそういう口実がないと堂々と下に降りられない訳じゃん」

クラウディアは言う。果てしない研鑽をするという名目で天上生になった自分達は、軽い気持ちでは地上に降りられない。かつて地上で研鑽を重ねていたクラウディアも、空に浮かぶ天上宮殿で人知れず高みを目指す彼らの孤高さに憧れたものだ。

それがアダマス學園帝國の文化であり、天上生として持つべきプライドである。

しかし講義をけるため、という名分があれば別だ。それが例え新生の講義であったとしても、なんら恥じることはない。教え、學ぶことに歳の差や、歴、分の違いは関係ないからだ。

「うーん。いつ？」

「明日の朝一。今のところ降りるって言ってるのは私だけだけどな」

「まあ、それでも結構な騒ぎになるね」

「なるな」

「まあ、私も気が向けばってじかなあ」

「そうか。おっけー」

「んじゃ」

クラウディアと別れ、レナーテは知識の塔を後にした。

一階にある大広間では組手の弾音が晝夜問わず絶え間なく響く。螺旋階段を上がって靜寂の間にると、遮斷魔により下の階の喧騒はもう聞こえてこない。

そこで瞑想する天上生達の邪魔にならないよう、レナーテは気配を極限まで消して通りすぎる。

その先にあるのは大水晶の間だ。

「はい、これであってるよね」

しいが差し込むいつもの場所に座り込むユクシアに、レナーテは知識の塔から持ってきた書巻を手渡す。

読書に耽っていたユクシアはおもむろに顔をあげ、それをけ取った。

「ありがと」

ユクシアはレナーテに微笑みかける。普段あまり表を崩さない彼が不意に笑うと、その破壊力は凄まじいものになる。

それは同であるレナーテも思いがけずドキッとしてしまう程だ。彼の友人をしていると、こういうことが多々ある。

ユクシアは絹糸のような髪を耳に掛け、読書に戻る。そんな彼にレナーテは話題を降った。

「そういえばなんか、學長お墨付きの講義が下で始まるらしいよ」

「そうなんだ」

途端に素っ気なくなったユクシアに、レナーテは小さく笑う。彼の気の移り変わりはまるで貓のようである。

しかし奔放でありながら、実力者としての気高い振る舞いは誰もが憧れる。彼は才能の象徴のような存在だ。

レナーテもユクシアの背中を必死に追いかけて來たものだが、いつしか肩を並べる友人以上に慕を向ける存在となっていた。

「ユクは行く？」

「いかない」

ユクシアはまるで興味を示さずページをめくった。

まただ、とレナーテは思う。

彼からは時折哀愁をじる。だが、天上宮殿での生活はユクシアにとっても退屈なものではないはずだ。ここは外の世界で味わってきた孤獨とは無縁の場所。化のような才能を飼っている者のみが集っている。

なのにユクシアは、どこか足りなさをじているように思える。

「じゃあ私もやめとこうかなあ」

水晶の景をぼんやりと眺めながらレナーテは言った。

ーーー

「これで治っただろう」

醫療センター勤務の醫師、シュウ・ズーシェンが霧生の右足に巻かれたギプスを取り外し、その膝を軽くポンと叩く。

「ええ、ありがとうございます」

「どうだ、問題なくかせるか？」

エルナスに敗北した日から丁度一週間。自傷魔によって運悪く折れてしまった右足も、醫療センターの高度な醫療技とシュウの治癒魔によって早くも完治に至った。

醫療センターでは高い治療費を払えば払う程、比例して高度な治療をけられる。つまりその分早く完治する。

講師となった霧生は優遇措置としてその高度な治療を無償でけられるようになっていた。

「完全に元通りです」

ベッドに腰掛ける霧生は何度か右足を踏み鳴らしてみる。

この一週間、自傷魔による傷が痛む度に例の敗北が脳裏に蘇る生活であった。そんな生活に別れを告げる時が來たのだ。

（ようやくリベンジが果たせる）

霧生は一度強めに足を踏み鳴らしてそう意気込む。この一週間、待ちんでいた瞬間だ。

「問題ないみたいだな」

霧生の前に片膝を著いていたシュウは満足げに頷いた後、立ち上がった。

日頃から手傷が多いゆえ、それなりの醫を心得ている霧生だが、この醫療センターの設備と技は流石だと唸らざるを得ない。

シュウ曰く、どれだけ重癥でも生きてさえいればおおかたは完治させることができるらしい。

「本當に助かりますよ。気軽に大怪我ができるっていうのは」

誰かに治してもらえるのなら、自力では回帰不能なレベルまで自分を追い込むことも可能だ。霧生はアダマス學園帝國の素晴らしい環境を改めてじていた。

「君な……。まあ、息があるなら治してやるが。あまり無茶して死ぬなよ」

「ハハハ、そんな無茶はしませんって」

おかしなことを言うシュウに、霧生は拳を口元に當ててクスクスと笑う。

死は勝利から最も離れた概念だ。確かに先日は気を失う程はしゃいでしまったが、ここは戦場ではない。気絶したからといって死ぬ訳では無いし、勝利の為に多の無茶が許されるのは、研鑽の場ならではである。

「いや君の自傷魔が既にかなりの無茶なんだが」