マチルダが奴隷として売られたのはまだ10歳にも満たないときだった。

獣人の扱いは地域によってさまざまで、人間と変わらない扱いをする國もあれば、一律に奴隷として迫害する國もあれば、逆に獣人が人口の大半を占め、普通の人間を差別する國もある。

ロードベルク王國は獣人にとって、どちらかと言えば悪い國と言えるだろう。

決して法制度によって差別されているわけではない。獣人であっても才能によっては出世の道は示されているし、ごく數だが獣人の貴族や騎士、學者というものもいる。

しかし、全的に見れば、數種族として侮られ、社會構造の底辺に置かれがちな存在だった。

王國南部に住むマチルダの両親もその例にれず、金も學もなくかろうじて奴隷落ちを免れている程度の貧しい小作農で、そのわりに雙子や三つ子の多い兎人の特として、子どもは8人もいた。

當然、全ての子どもを満足に食わせるには金が足りない。

家を継ぐ長男が最重要視され、それ以外の子どもは必然的に軽んじられた。

それどころか、末の子どもたちはある程度の年になると、口減らしとして奴隷商に売り払われた。

四というみそっかすも甚だしい順番で生まれたマチルダも、金貨1枚であっさりと親元から引き離されることになる。

ロードベルク王國は南部ほど獣人差別が激しく、北部ほど獣人に寛容だ。

なので、南部で奴隷落ちし、この地の領主だという伯爵家に買われた兎人であるマチルダの日々は悲慘だった。

大した労働力にもならない子どもの奴隷で、しかも獣人だ。

水汲みや厠の掃除など他の者がやりたがらない仕事ばかりを押しつけられ、何かと理由をつけては毆られる。泣けばそれが気にくわないとまた毆られる。

人生に何の希も見出せなくなり、が生きたまま心が死んだような狀態になった15歳のとき新たに與えられた仕事が、ある年の世話だった。

「――以降は伯爵家の屋敷には一切近づかず、の回りの用は全てこの奴隷に言い遣わすように。奴隷は好きなように扱ってよいが、殺してしまった場合はお前の生活費から奴隷の代金を差し引く。以上が旦那様からの言伝となります」

マチルダを引きずるようにしてこの場へと連れてきたメイド長は、口調こそ丁寧に、しかしまるで汚でも見るような目を年に向けながら言い放つ。

貴族當主の息子だというその年はなぜか屋敷から隔離され、敷地の隅にある小さな離れに住むことになったのだという。

そして、自分が彼の世話係になったらしい。

用件を言うだけ言ってメイド長は帰っていき、その場には年とマチルダだけが取り殘される。

ああ、次はこの年が自分を毆るのか。下手をしたら自分を殺すのか。

そう考えていたマチルダに近づいた年は、彼の痣と傷だらけの顔に手をばし、

「痛そうだね。可哀想に」

優しい表でそう言って頬をでた。

・・・・・

同されたのか、はたまた気まぐれだったのか、もともと獣人への差別を持たれていなかったのかは分からないが、ノエイン様は初めてお會いしたときから優しく接してくださった。

毆られることはなくなり、痣ができることもなくなり、は綺麗になっていった。ボサボサだった黒髪にも、次第に艶が戻っていった。

そればかりか、ノエイン様は自が9歳で隔離されるまでに學んだ文字や算の知識をそのまま私にも教えてくださった。

その結果、私は一通りの読み書きと計算ができるようになった。

さらにノエイン様は、難解な格闘の指南書を読み聞かせてくださり、そこに書かれていた訓練方法を私にも理解できるようにかみ砕いて教えてくださった。

私の兎人としての能力を活かせるようにという彼なりのだったらしい。おかげで実戦経験に欠けるとはいえ、私はそれなりに系的な戦いのをに著けることができた。

人生で初めての穏やかな生活を與えられ、知識も與えられ、ともに日々を過ごした。々な話をした。ノエイン様の境遇も知った。

それまでの私の人生から見ればあまりにも多くの慈悲とを與えられ、それが數年も積み重なれば、も心もこの方に捧げたいと思うのはごく自然なことだろう。

出會った當初はまだ子どもだったノエイン様は、やがて青年へと長された。

私は文字通り全てを彼に捧げ、彼もまた全でそれをけ止めてくださった。歪んだ環境から生まれたものでも、貴族と奴隷という超えられない分差があっても、はだ。

ある日、15歳の人を迎えられたノエイン様を、キヴィレフト伯爵が訪ねられた。

それは、ノエイン様をこの屋敷から追い出すという話だった。そうなるだろうと、ノエイン様からはあらかじめ聞かされていた。

「伯爵家の奴隷を一人いただいてもよろしいでしょうか？」

「それはお前の世話をしていた兎人のか？」

「はい」

「……いいだろう。ただし手切れ金からあのの代金は引くぞ」

「もちろん構いません」

そう。ノエイン様は私が必要だと、伯爵家を出ても傍にいてほしいと言ってくださった。私を求めてくださった。手切れ金を減らされることなどまったく厭わず、他の何を求めるでもなく、私だけを求めてくださった。

辺境の開拓だろうと構わない。ノエイン様のお傍にいられるなら森でも荒野でも戦場でも地獄でも行こう。

私はそう決意していた。

・・・・・

そうか、昨日から私たちはノエイン様の領地へと住まいを移したのか。

ようやく空が白んできたほどの早朝に目を覚ましたマチルダは、自分がテントの中にいるのを見てそのことを思い出した。

過去を振り返るような夢をみたのは、この新天地にたどり著いたという慨があったからだろう。

橫でスウスウと寢息を立てる主の顔を見て、彼のことがどうしようもなくしい気持ちになってそっと頭をでる。

執念にも似た決意を抱えてこの地へ來られたとはいえ、ノエイン様はまだあどけなさを殘した、半分は年と言っても差し支えない年齢だ。

人の貴族らしくあろうとする晝間とは違って素の表で甘えてくる昨夜の彼を思い出しながら、テントの中に散らばった自分の服を拾い集めて著ると、朝食の用意をするために外へ出た。

ベゼル大森林にる前にケーニッツ子爵領の街で買っておいた牛をポットに注ぎ、「火魔法・火種」の魔道で焚き火を起こして牛を煮立たせると大麥をれ、麥粥を作る。

音と匂いで目を覚まし、テントから顔を出した主に「おはようございます、ノエイン様」と聲をかけた。

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大幅加筆によってWeb版から更に容の深まった本作、お手元に迎えていただけますと作者として何よりの喜びです。何卒よろしくお願いいたします。