マチルダは兎人なので普通の人間よりも遙かに聴覚に優れているし、気配にも敏い。

しかし、そのマチルダを以てしても、傭兵として長い経験を積み「茂みに隠れて気配を消し、じっと息を潛める」という行為に習していたその男たちには直前まで気づくことができなかった。

彼が気づいたのは3人の男たちが茂みから飛び出してくる直前。

咄嗟に「ノエイン様っ！」とんで主人に注意を呼びかけ、右の茂みから聞こえた音に向けて蹴りを叩き込み、主人の方を振り向いたときには、

「おっと、くな。くなよ……」

彼の大切な主人は、首にナイフの切っ先を當てられて捕らえられていた。

當のノエイン本人はあまりにも突然のことで、まだ自分の狀況をいまいち飲み込めていない様子だ。

「こいつはお前の飼い主なんだろ？　こいつが大事ならくな……そしたら命までは取りはしねえよ」

ノエインの首にナイフを當てた男が、マチルダを見據えながらそう警告する。

おそらく30代半ばほどで、半袖からびる屈強な腕にはいくつもの傷跡がある。

一目見ただけで、戦いにを置いてきた人間だと分かる空気を漂わせていた。おそらくこいつがリーダーなのだろう。

その橫で、こちらはノエインの腹に剣を突きつけている細の男も戦い慣れた表だ。

「おいラドレー、生きてるか？」

リーダー格の男がそう呼ぶと、先ほどマチルダが蹴り飛ばした男が「へい、お頭……」と返事をする。

男は顔面に蹴りを叩き込まれて鼻が折れたのか、鼻をダラダラと流しながらも立ち上がって隙なく剣を構え、マチルダの正面に回る。

「……えーっと、何が目的かな？　お金？」

張り詰めた空気の中ではやや場違いに聞こえる呑気な聲で、ノエインがそう言葉をこぼした。

口調とは裏腹に、その顔面は恐怖のあまり蒼白だ。

しい主人が刃を突きつけられて怯える姿を見て、マチルダのがざわつく。だが、今は彼を救うはない。

「ああ。金目當てだよ。おとなしくしてれば殺しはしねえ。その雌兎は暴れさせたらしばかり厄介そうだからな。飼い主のお前に人質になってもらう」

そう説明しながらも、リーダー格の男はマチルダから目を離さない。先ほどの蹴りを見て戦闘技があると判斷したのか、警戒しているらしい。

「とりあえずラドレー、その雌兎を縛れ。こいつを連れてとっとと逃げるぞ」

「へい」

リーダー格の男に命じられて、鼻男は縄を手にマチルダへと近づいてくる。

マチルダが鼻男を睨みつけながらを引くと、「おいおいおい、別に殺しも犯しもしねえよ。縛るだけだ。俺たちが遠くへ逃げるまでお前をけなくするだけだ……くとあのガキが痛い目見るぞ？」と警告される。

その言葉に合わせてリーダー格の男がノエインの右目へとナイフの切っ先を近づけ……

「分かった。おとなしくする。だからその方には何もしないでほしい」

ナイフの先がノエインの眼球に屆く前にマチルダはそう言い、その場に膝をついた。

鼻男は彼を手際よく縛り上げると、荷馬車を漁り、食料のった袋をいくつか擔ぐ。

一方で細の男はノエインの服をまさぐると、「ありましたぜ、お頭」と言って、ノエインの全財産がった袋をリーダー格の男に渡した。

金と食料を奪い、男たちは目的を達したらしい。

「それじゃあ俺たちは逃げる。その途中でこのガキは解放してやるが、お前が後を追ってきたらこいつは切り刻んで殺す。それが嫌ならそこで縛られたまま転がってな」

リーダー格の男がそう言い殘すと、3人はノエインを抱え上げて去っていく。

「大丈夫だよマチルダ。僕は大丈夫、大丈夫だから」

まだ15歳の主人は、不安げで泣きそうな顔とは裏腹にそう気丈な言葉をマチルダに伝えると、荷のように持ち去られていった。

彼の姿が見えなくなる寸前、

「っっ！　ノエイン様っ！　ノエイン様っっ！　いやああぁぁっ！」

揺を必死に抑え、主人を救う手立てがないか考えを巡らせていたマチルダは、ついに限界を迎えてんだ。

・・・・・

ノエイン・アールクヴィストは格がひねくれているが、だからといって神的に強かったりタフだったりするわけではない。

生まれが不遇だったので他者から嫌われる分には平気でいられるが、本気で殺意を向けられたり、まして刃を理的に向けられたりすることには慣れていない。

荒事は苦手で、も小柄で、戦闘訓練をけた経験もなければ、本格的な命の危機を経験したこともない。

なので彼は今、とてもビビっていた。「逃げる途中で解放する」とは言われても盜賊の言い草など信用できるはずもなく、自分は切り裂かれて殺されるのではないかと本気でビビっていた。

殺されたくない。領主としても一個人としても、まだこの世に未練が溢れるほどある。

なら、どうやってこの場を切り抜けるか。

武力では天地がひっくり返ってもこの盜賊たちには敵わないだろう。

では頭で、言葉で、話で狀況を打開するしかない。別に話に自信があるわけではないが、腕力で挑むよりはよほど希があるはずだ。

そうこう考えているうちにも、盜賊たちはノエインを抱えて移を続ける。どうやらベゼル大森林の淺い部分をなぞるように、南へと進んでいるらしい。

その途中で盜賊たちの仲間なのか、新たに2人が合流した。こちらは男一人ずつだ。

「お頭、無事に獲を捕らえられたようで」

「おう。お前らもよくやった……ここまで來れば、もうこいつも用済みだな」

合流した部下にそう言いながら、リーダー格の男がこちらを見る。

他の4人の視線もこちらに向いた。合計で5対の目がこちらを見ている。

怖い。

「……あの街に潛伏して報を集めているうちに知ったが、お前、貴族らしいな。”森の士爵様”」

リーダー格の男がそう言う。それに合わせて、それまではの見えない顔をしていた男の顔に、みるみるうちに憎悪が浮かんだ。

「さっき解放してやると言ったのは噓だ。普段の俺たちは本當に人質を無傷で解放してるんだが、貴族だけは別だ。貴族は殺す。だからお前も殺す」

そう言ってナイフを抜く男。

まずいまずいまずいまずい。本當に殺されてしまう。

「な、なん、何で貴族だと殺すの？　き、き、貴族をう、恨んでるのは何故？」

1分1秒でも延命するために咄嗟に口を突いて出たのは、そんな言葉だった。

「……そうか。知りたいか。どうせ殺す相手だ。教えてやるよ。俺たちが貴族を恨んでるのはな、貴族が俺たちを殺そうとしたからだ」

そう言って男は――ユーリは自分たちの境遇を話した。

それなりの規模の傭兵団として活し、自分がその団長を務めていたこと。

東のパラス皇國との紛爭に供出する兵力として王國南部の貴族に雇われ、戦場に出向いたこと。

そこで雇い主の正規軍から捨て駒にされ、何人もの仲間が無殘に死んだこと。

生きるために戦場から逃亡し、その際に騎士を何人か切り殺して軍に追われるとなり、盜賊にを落としたこと。

自分たちをこんな境遇へと陥れた貴族階級を恨んでいること。

自分でもなかなか悲慘な話だと思っているユーリのの上を聞いた貴族のガキは、同を見せるでもなく、むしろ思案するような顔になっていた。

話の流れを考えると奇妙なリアクションだ。

「おい。何を考えてやがる」

「……もしかして、もしかしてなんだけど、あなたたちを雇って捨て駒にしようとしたのはキヴィレフト伯爵だったりする？」

「っ！」「て、てめえ！」「なんでそれをっ！」

ユーリは咄嗟に表を固めて揺を押し殺したが、部下たちはそこまではできなかった。骨に反応して、自分たちがキヴィレフト伯爵領軍の指揮下から逃亡したことをあっさりとバラしてしまう。

すると、それまで失せんばかりに怯えていた貴族のガキは表をがらりと変え、邪悪な笑みを浮かべる。

「そうか。そうかそうかぁ。君たちもあのクソ父上に振り回された口かぁ」

その笑みは、人しているかどうかも怪しいガキが、先ほどまで半泣きになっていたガキが見せる表としてはあまりにも異質で異形だった。

數多の戦場を知るユーリでもし怯んでしまうような、邪悪な笑顔だった。