「し、喋った……！？　フェンリルが……！」

レジーナが思わず大聲を発すると、ギンシロウと名乗ったフェンリルが目だけで微笑んだように見えた。

「お若い方、ヴリコのフェンリルには初めて會うのだろうな。驚くのも無理はない。ヴリコ以外の土地では言葉を持たぬ同胞も多いからな」

フェンリルは金の目でレジーナたちを見つめた。

「だが我々フェンリル族は本來、あなた方人間族に劣らぬ知能を有する誇り高き種族。ことこのヴリコの山岳地帯に限って言えば、言葉をる特技は人間族に限ったものではないのだよ」

なんだか古武士のような口調で、フェンリルは目だけで笑ったように見えた。何だか逆に諭された気分になったレジーナが呆気にとられていると、グルルル……という、地の底から響くような唸り聲が発した。

突然闖してきたフェンリルに対し、大グマは鼻面に皺を寄せて歯をむき出しにしている。

形相だけは恐ろしかったが、その威嚇には先程の覇気はなく、どことなく怯えたような雰囲気があった。

自分の數倍も巨大なクマの威嚇をけても虎のフェンリルは怯えた風もなく、レジーナたちから視線を外し、実に悠然とした所作で大グマに向き直った。

「生憎だが、この旅人たちを貴様ら狂ったならず者に喰わせるわけにはいかん。ここで黙って引き下がるのなら見逃しもしようが――どうだ？　次の返答には慎重になるがいい」

まるで引導を渡すかのようなフェンリルの言葉に、ガォーン！　という凄まじい咆哮が答えた。

ふん、と鼻を鳴らしたフェンリルは、憐れなものを見る目でクマを見つめた。

「愚かな……この【流星のギンシロウ】を前にして虛勢を張るとは――」

フェンリルが地面を蹴って跳躍した。巨獣は流石の素早さで立ち上がり、前足の爪を振り抜いてフェンリルを叩き落とそうとする。

喰らったら一撃で魂まで砕されてしまいそうな爪撃は、しかしフェンリルを捉えることはなかった。

空中で用にを捻り、間一髪の間合いで爪を回避したフェンリルは、そのままの勢いで大グマの鼻先に喰らいついた。

「グオオオオオオッ！」

周囲の大気をぶるぶると振させてクマが咆哮し、フェンリルの牙がクマの鼻面を引き裂いた。

派手に噴き出した鮮が高い青空を真っ赤に穢し、大グマは苦悶の聲を上げてを捩ると、凄まじい砂埃が巻き起こった。

その図に見合わないほど軽やかに地面に降り立ったフェンリルは、しかし次の瞬間には再び空にを躍らせ、顔を背けて大騒ぎする大グマに再び噛みついた。

ゴリ……！　と骨が軋む不気味な音とともにフェンリルの牙が大グマの頸を絞め上げると、大グマは気が狂ったかのように腳を振り回して悶絶する。

「參ったで、こいづは怪の喧嘩だでぁ……！」

オーリンは真っ青な表で喚いた。確かに、この大グマとあのフェンリルの戦いは、真実、怪同士の闘いだった。

滅茶苦茶に首を振り回し、フェンリルの牙を振りほどこうとした大グマが重心を失い、遂には後ろに向かって倒れ込んだ。

大グマの巨もろとも地面に叩きつけられる寸前、大グマから飛び退ったフェンリルは、仰向けになったままの大グマに向かって嗄れた聲で語りかけた。

「まだ戦うつもりか？　ここで大人しく引き下がるなら我が相棒の礫も屆かぬぞ。ここで死ぬは犬死にだ。大人しくねぐらへと帰るがよい」

靜かに、あくまで冷靜さを取り戻させようとしているギンシロウの聲に、鼻面を鮮に染めた大グマの唸り聲が答えた。

ふう、とまるで人間のようにため息をついたギンシロウは、四肢を踏ん張り、生え揃った牙を剝き出しにして唸り聲を上げた。

「あくまで退く意志なし、か……。よかろう、私は貴様を最早野蠻な獣とは思わん。真の男と認めようぞ――」

真の男？　それはいつぞや、どこかで聞いた臺詞だとレジーナは思った。

そういえば、あの饂飩屋の前で聞いた男の聲は、思えば間違いなくあの一匹の犬から発していたように思う。

まさか、まさか、ヴリコの犬って喋るの――？　レジーナがそんな馬鹿げた想像に達しかけた時だった。

ふと――レジーナは背後に、何かの気配をじて振り返った。

じゃりっ、じゃりっ……と、山道の小石を踏む足音は――間違いなく二足歩行の人間のそれだった。

その音に、あるいはその人が持つ、今までじたことのない鋭い空気に、オーリンさえ怯えたように振り返った。

「アンタたち、この山に命を捨てに來たの？」

呆れたような、その度に心したというような、間延びした甲高い聲だった。

え、この聲の高さ、まさか――とレジーナがはっとした途端、しい銀のが視界に弧を描いた。

「多魔法が出來るぐらいでこの山を歩こうなんて愚の骨頂だ。この山は化けどもの牙城、普通の人間なんてエサでしかないんだよ――」

さらりと背中までばされ、束ねられた、しい銀の髪。

いまだかつて見たことのない、しいこの銀、これはまさか。

と、そのときだった。今まであまりの景に半ば失神しかけていたイロハの両目が、急に焦點を結んだ。

「え、エルフか――！？」

イロハが素っ頓狂な聲を発した。

この、やはりエルフのそれか、と思いかけたレジーナだったが、意外な程に小柄なその人の耳は、予想とは裏腹に人間のそれだ。

第一、この格好は――レジーナの目がその人の細部に注がれる。

獣の皮で作られたと思しき服を著た、それでもやけに出の多い出で立ち。

のを知らぬような白いに、切れ長の黒い瞳の――しい。

【ヴリコの子　何しに綺麗だと聞くだけ野暮だんす】――。

、だ。レジーナはその事実にぎょっとした。

しかも――思わずゾッとしてしまう程に端正な顔立ちの、同年代の。

この怪たちの大喧嘩に割ってるにはあまりに異質と思える存在に、レジーナは聲すら発することが出來ずにその人を見つめた。

【オノノ＝コマチの生まれ在所を　お前さん知らねのけ】――。

オノノ＝コマチ。その歌の妙なる事だけではなく、絵にも描けぬ絶世のとして歴史にその名を殘した歌姫。

數百年も前の人である彼がこの世にまだ生きているとするならば、もしかすればこんな容姿であったのかもしれない――。

思わずそんな馬鹿げたことを考えてしまうほど、目の前のはしく、圧倒的なオーラを放っていた。

お互いに牙を剝き、威嚇しあっている二の巨獣を前に、ふう、とは息を吐いた。

「下がってろ。アイツは今から私が仕留める」

「し、仕留めるって！？　そ、そんな無茶な……！　さっきあれだけ攻撃しても避けられたのに……！」

「逆だ。あれだけ攻撃したから避けられたんだよ」

さっきのオーリンをどこかで見ていたのか、小馬鹿にするように笑ってから、は背中に背負った何かを降ろし、両手に持った。

黒りする木製のグリップと無骨な鐡(くろがね)の筒で構された――レジーナにはよくわからない何か。

こんなもので何をするのだろう、と見ている目の前で、は筒先を巨獣に向けて構えた。

「一発で仕留める、それが鉄則だ。覚悟のない一発じゃヴリコの獣は仕留められないさ――」

途端に、の放つ空気がカミソリのように研ぎ澄まされ、刃となってレジーナの橫を吹き抜けた。

なんだ、一何なのだ、この殺気は。レジーナの額に冷たい汗が滲んでも、は筒を構えたまま、彫像のようにかない。

「グォーッ！」

ギンシロウが凄い咆哮を発して大グマを威嚇した。

その咆哮にいきり立ったかのように、大グマは前足を持ち上げ、そのまま人間たちを踏み潰そうとするかのように後ろ腳で立ち上がる。

そのとき、大グマのの部分――そこだけ染め抜かれたかのような、白い三日月模様がわになった。

なにか頃合いを見計らうかのように靜止していたが、鋭い聲で一喝したのはそのときだった。

「跳べっ、ギン！！」

その途端だった。ぐっ、とを撓？めたギンシロウが地面を蹴って跳躍した。

瞬間、の放つ空気が一層鋭くなり、構えた筒の引き金が引かれた。

シュパァッ！！　と、空気を切り裂く音が発し、青白い閃が大グマを抜いた。

まるで紫電のように放たれたは目標を過つことなく空中を疾駆し、大グマのの三日月模様を直撃した。

ビクン！　と、大グマが痙攣した。

一瞬、巨を直させたクマのから大量の鮮が迸り、周囲の木々を赤く濡らした。

大グマの両目から、が消えた。

よたよたと數歩後退したクマが――桃の舌をだらりと垂れ下げ、仰向けに倒れ込んだ。

大地を震わせる震が駆け抜け、巻き？起こった砂埃が風に吹き散らされたときには――全てが決著していた。

クマはもうピクリともくことなく、ひと目で致死量とわかる量のを流し、逆だっていたを萎れさせ、絶命した。

しばらく、何も言えなかった。

オーリンもイロハも、そのままの狀態でまだかないを食いるように見つめたままだ。

誰も彼もうめき聲ひとつ上げることもなく、ただただその場に立ち盡くしていた。

無詠唱で展開されるオーリンの防障壁すら避けたあの巨獣を、本當にたった一発で――。

あまりの景に絶句する他ないレジーナの前で、がいた。

「勝負。勝負した――」

周囲に聞こえるぐらいの聲量ではそう言い、筒先を降ろした。

その聲が聞こえたのか、ギンシロウが殺気を収め、を振り返った。

にいっ、と、ギンシロウの口角が持ち上がった。

このフェンリル、また笑った――レジーナがそう思った時、ギンシロウの満月のような瞳がを見つめた。

「見事だ、ユキオ。確かに一発で仕留めてみせたな。流石だ、我が相棒よ」

「たげおもしぇ」

「続きば気になる」

「まっとまっと読まへ」

そう思らさっていただげるんだば、下方の星コ（★★★★★）がら評価お願いするでばす。

まんつよろすぐお願いするす。