《不死の子供たち【書籍販売中】》07 簡単じゃないんです re

聲が聞こえた。

それは何処か、自分の手すら目視できない深い闇の中から聞こえてくる。私は聲の主を探すが、真っ暗でなにも見えない。ずっと暗くて、深い場所から耳に屆く聲は、まるで水中にいるときのようにくぐもっていて不明瞭だった。

その聲を聞くと私はが締め付けられて、気が付くとの波に捕らわれ溺れる。心を満たし、行き場を無くしたは涙となって頬を流れる。

私は苦しみの理由も分からず困し、その聲から逃れようと両手で耳を塞ごうとするが、私は自分自の手の存在を認識することもできなかった。聲は絶えず私の名をぶ。それはやがて苦痛を帯びた悲鳴に変わる。

ふと、朧気(おぼろげ)な郭が闇に浮かぶ。

それは赤に淡く燈る。

目を細めて淡いを注視すると、いびつな形をしたの塊が見えた。

苦しみにぐそれは闇の中をゆっくり這いながら近づいていくる。

臓を引き摺り、を垂れ流しながら。

何かが私の(からだ)にれ、そして幾(いく)つもの眼球が私に向けられる。

それは口を開いて聲の限りんだ。

『助けて』と。

確かに、そう聞こえた気がした。

アラームで目が覚める。

を起こすと寢汗をかいたのか、シャツがに張りついていて気持ち悪かった。私はそのまま部屋にあるシャワールームに向かった。鏡に映る顔には乾いた涙のあとが見て取れた。泣いた記憶なんてなかった。

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朝の支度を済ませると、リビングに向かう前に武庫の代りに使用していた倉庫に立ち寄ることにした。倉庫にるとプラスチック籠にったバックパックを拾い上げる。それからリビングに向かい、家政婦ドロイドが用意してくれていたコーヒーを紙コップに注ぐ。

コーヒーを飲みながらキッチンに向かい、バックパックの中から水筒を取り出してスポンジで綺麗に洗っていく。それが終わると乾燥させるために水筒を逆さにして放置する。それからバックパックを開いて、空のペットボトルを取り出して〈リサイクルボックス〉に放り込んでいく。

拠點のあちこちに〈リサイクルボックス〉と呼ばれる裝置が置かれている。それはゴミ箱にしか見えない特徴のない細長い金屬製の箱だが、なかに放り込んだモノを分解したあと、それを材料にして、新しい製品を作製するための資材をつくり出すことのできる舊文明期の便利な機械だった。

ちなみに再利用される資材は種類ごとに分けられて、拠點の〈資源保管庫〉に自的に備蓄されていく仕組みになっていた。

「おはようございます」ミスズの元気な聲で顔を上げる。

のとなりには家政婦ドロイドがピタリとくっついている。

「おはよう」

私が返事をすると、家政婦ドロイドも短いビープ音を鳴らした。

「うん、おはよう」

「ありがとうございます」とテーブルについたミスズは、家政婦ドロイドから差し出されるコーヒーをけ取りながら謝の言葉を口にした。

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『ミスズに懐いてるみたいだね』と、カグヤの聲が室のスピーカーから聞こえた。

たしかにミスズのことを気にっているみたいだった。口うるさい家政婦ドロイドの意外な態度に、私は困していた。

味しいです。このコーヒーはどこで出にれたのですか?」

ミスズが當然の疑問を口にした。

「〈鳥籠〉に軍の販売所として機能する舊文明期の施設があるんだ。金さえ払えば當時の兵士に支給されていたのと全く同じ製品が手にるんだ。東京の施設では、どうやって資を確保していたんだ?」

私の問いにミスズはしばらく天井に目を向けてから答えた。

「詳しいことは分かりませんが、施設では合食品……みたいなモノが住人に支給されていました」

「人工とか、オートミールみたいな?」

「はい……たぶん、そういうモノだったと思います。毎日、同じようなメニューでした」

「大変だったんだな。種類の富な戦闘糧食でさえ、俺は飽(あ)きているのに」

「どうしてですか?」と、ミスズは首をかしげた。「あんなに味しいのに」

「人間は何にでも慣れる生きだからね」

紙コップをリサイクルボックスに放り込むと、夢中になってカグヤと何(なに)かを話していたミスズをリビングに殘して、私は廊下に出る。

「意外だな」と誰にともなく呟(つぶや)く。

カグヤってあんなにお喋(しゃべ)りだったのか。

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靜かな通路を進み倉庫にる。武庫として使用している部屋の中央には作業臺があって、それを囲むようにして種類別に整頓された武が壁側に並んでいる。

家政婦ドロイドが壁際に寄せるようにして床に置いてくれていたプラスチック籠を拾い上げると、持ってきたバックパックと一緒に作業臺に載せた。

舊式の手榴(しゅりゅう)弾とスモークグレネードを幾(いく)つか手に取ると、チェストリグのポーチにれていく。火薬を使用する裝備が主流だった時代から數世紀のときが流れたであろう現在でも、それら舊世代の裝備が使用される理由にはコストの問題があるからだと思っている。

舊文明期に使用されていた裝備、例えばレーザーライフルなどは軍の販売所でも手にるが、値段が高く、スカベンジャーをしながら得られる報酬では手の屆かない高嶺(たかね)の花だった。

ベルトポケットに挿(さ)していた空の弾倉を抜くと壁際の棚に向かい、口徑別に整頓されていた弾薬箱から目的のモノを手に取り作業臺の椅子に座る。

弾倉に弾丸を込めているとミスズが倉庫にやってきた。

「私も手伝います」

うなずいて許可すると、彼は慣れた手つきで弾丸を込めていく。彼のとなりには家政婦ドロイドがいて、用に作業を手伝ってくれる。

ミスズはしばらく何かを言いたそうにしていたけど、下を噛んで困ったような表で作業を続けていた。

「捕まった日からずっと考えていたんです」

やがてミスズは、何でもないことのように言葉を口にした。けれどその言葉が何度も口の中で転がされて、使われるそのときのためにしっかりと準備されていた言葉のようにじられた。

「仲間とはぐれて、施設に帰る方法も分からなくて……この過酷な世界で、これからどうやって生きていけばいいのだろうかって考えていました」

私はちらりとミスズに視線を向けたが、すぐに手元に視線を戻して作業を続ける。

「レイラとカグヤさんがいなければ、きっと私はもう生きていなくて……。だからすごく謝しています。だって私は、を守るための武もなければ、生きていくのに一番大事な水すら持っていませんでしたから」

ミスズは自傷気味に乾いた笑いをみせる。

「だから私は二人の助けになりたいのです」と彼は言う。

私は顔を上げると、ミスズの琥珀の瞳を見つめながら言った。

「助けてもらった借りを返すためにそんなことを考えているんだったら、別に気にしなくてもいいよ。先に手を出して助けたのは俺なんだ。この世界で苦労せずやっていけるようになるまでの面倒ぐらい、ただで見る――」

「違うんです」ミスズは私の言葉を遮(さえぎ)る。「違うのです……私はレイラやカグヤさんみたいな強い人間になりたいのです。だから二人と一緒にいたいのです。弱くて力のない人々に無償で手を差しべられるような人間に、いつかなれるように。二人が私にしてくれたことができる人間になれるように……」

『下心があったのかもしれないよ』とカグヤが言う。

「下心があったのですか?」

「ないよ」と、私は頭を振る。

『汚染地帯での取得は拾得者に帰屬する。これは組合で定められた権利です。そして拾得者は私。ミスズのは私のものだ』

スピーカーから聞こえるカグヤの下(げ)衆(す)な聲に、ミスズは自を抱きしめると、この世の終わりのような顔をした。けれどすぐに笑顔を見せると、カグヤと一緒になってクスクス笑った。

「冗談です」ミスズは微笑む。「でも二人のためなら、なんでも頑張れるような気がします」

私はライフルを分解、整備しながらミスズに訊(き)いた。

「大事なことを、そんなに簡単に決めてもいいのか」

「簡単じゃないです」ミスズはしっかりと私の目を見つめながら言った。「安易な思い付きでもないです。それに、二人が私にしてくれたことは、とてもすごいことなんです。正直、私はどうすれば二人に恩を返せるのか、それが分からないほどの恩をけたんです。

だってこの世界で一番大切で重たいモノは、きっと自分自の命なんです。その大切なモノを、あの地獄から拾い上げて、救いだしてくれたのは他の誰でもない、レイラとカグヤさんなんです。だから……簡単に決めたなんて言わないでください」

ミスズの言葉に私は戸い、視線は彼の瞳に釘付けだった。に合わせて瞳は奇妙に発していただろう。それでもを抑えることができなかった。人を助けても唾を吐かれるような世界にあって、これほど純粋な謝の気持ちを向けられたのは初めてのことだった。

オイルで汚れた手をウエスで拭くフリをして、心を落ち著かせてからミスズに手を差し出した。

「なら、今日から俺たちは同じ未來を生きる仲間、同志になろう」

ミスズは私の手を握る。

「同志ですか。なんだかとってもかっこいい言葉ですね」

『よし!』と、カグヤの機嫌のいい聲が倉庫に響く。『こうしちゃいられない。レイ、あれを出して』

「あれってなんだよ」

『〈攜帯報端末〉だよ』

家政婦ドロイドは短い足でトコトコと棚まで歩いていくと、手のひらに収まるほどの小さな端末を手に取って私に差し出した。キューブ狀の黒い端末を眺めながら私は訊ねる。

「これをどうするんだ?」

『接接続を使うから、ミスズと手をつないで』

カグヤの指示に従うと、微弱な電気が手のひらに流れる痛みをじた。

『これで完璧』

「説明してくれるか?」

報端末にミスズの生報を登録したの』

ミスズは端末をけ取ると、ぽかんとした顔でそれを見つめた。

『握ってみて』と、カグヤは言う。

ミスズが端末を握るとキューブ狀だった端末は一瞬で球に変わり、手の中に隠れる。そして彼は驚きの聲を上げる。

「これはホログラム……ですか?」

ミスズの視線の先に、私の視界に投されているのと同じようなインターフェースが、ホログラムとして投影される。これでミスズが端末を所持している限り、軍事衛星から送信されるカグヤからの報を信できるようになる。

攜帯報端末は私との通信を可能にするほか、地図上の報や偵察ドローンから信する映像なども表示できるようになっていた。得られる報は多岐にわたる。ミスズ自のバイタルサインすら、知りたければ表示されるのだから。

もちろんデータベースに接続することもできる。データベースのネットワークを利用してライブラリーに登録されている舊文明期以前の、膨大な映像作品や書籍を手することもできるようになった。

『その端末はと熱で充電されて、半永久的に使えるから離さず持っていてね』とカグヤが言う。

「これって舊文明期の貴重なですよね……」と、彼は困ったように言う。

『そうだよ。でもこの世界で生きていくために必要なモノだから、遠慮せずにけ取って。

『あれも出してくれる?』と、カグヤに急かされながら家政婦ドロイドは未使用品のイヤーカフ型のイヤホンと、防弾仕様のタクティカルゴーグルを棚から取り出す。

『レイ、それを持ったままミスズと手を繋いで』

「なぁ、これって毎回やらないといけない――」

痛みのあと、私は手のひらを指で(こす)る。

報端末に接続しといたよ。これでタクティカルゴーグルからも各種報が見られるようなった。今度から地上に行くときは、イヤホンと一緒にそのゴーグルも裝備していってね。ちなみにイヤホンは耳を塞がないタイプで耳に挾むだけだから、周囲の音を聞き逃すこともない』

「ありがとうございます」

ミスズは嬉しそうな表で手渡されたゴーグルを眺めていた。

『本當はナノレイヤーので眼球を覆っちゃえば楽なんだけどね。そんな高価なものは持っていないし、持っていても醫療設備が使えないから無駄になる。だけど防弾能のあるゴーグルも悪くないでしょ? 廃墟は危険でいっぱいなんだから』

「それから……これも必要だな」と私は言う。

棚の中から銀のカードが詰まった箱を取り出し、その中から適當に一枚引き抜くとミスズに手渡す。

「これは?」とミスズは黒髪を揺らした。

「廃墟の街に點在する舊文明期の施設に出りするために使用されている〈IDカード〉だ。人々が安全に暮らしている鳥籠にるさいにも、通行許可を取る必要があるんだ。そのカードには分を保証する報が書き込まれるようになってる」

分……私の報ですか?」

ミスズはIDカードのことを知らなかった。そうであるなら、おそらくミスズの個人報はデータベースに登録されていないし存在しない。ミスズが暮らしていた東京の施設では、IDカードを必要としなかったのだろうか?

あるいは、レイダーに殺された隊長が何かしらの権限を持っていて、個人でカードを所持する必要がなかったのかもしれない。

『指先を舐めて、それからその指をカードに押し付けて』とカグヤが言う。

ミスズが指示通りにすると、カードは一瞬だけ白いを発した。

『これでミスズの生報が登録された』

カグヤの言葉にミスズは首をかしげた。

「さっきみたいに、手をつながなくてもいいのですか?」

「生報の登録だけなら必要ないよ」と、私は答える。「報端末が特別だったから、カグヤの手助けを必要としたんだ。けどIDカードに個人の生報以外のデータを登録するときには、それぞれの鳥籠にある議會が所有している端末が必要で、今からやるように勝手に登録を行うのはご法度なんだ」

「いけないことなのですか?」

「信用問題につながることだからな。個人が勝手に報を登録するようになると、例えば犯罪者やレイダーの一味が報を改変して、カードに偽報を登録して、一般市民として鳥籠に自由に出りできるようなってしまう。そうなると鳥籠の治安が悪くなって人々が生活できなくなる」

「悪いことをすると、自的にカードに記録されちゃうのですか?」と、ミスズは疑問を口にした。

「そんなに便利なものじゃないよ。さっきみたいにれただけで登録できた生報は、本人確認にしか使えない。だから個人の職業とか犯罪歴だとか、そういった報は議會の専用の端末を使用してIDカードに書き込むようになっている」

「そうなのですか、びっくりしました。舊文明期のものなら何となくできちゃいそうな気がしたので……報の書き込みが出來る端末を所有しているのですか?」

「接接続でカグヤにやってもらうんだ。カードをかしてくれる」

ミスズは先ほど自分の唾を付けたIDカードを丁寧に拭いてから、私に手渡した。

『名前はどうするの、偽名にする? それともミスズでいい?』

カグヤの質問に彼はうなずいてから答えた。

「ミスズでお願いします」

『漢字はある?』

「海に鈴です」空中に文字を書くように、彼は指をかしてみせた。

『海(み)鈴(すず)ね。素敵な名前』

「ありがとうございます……」

『年齢は?』

「十八です」

『一般市民で犯罪歴はなし、と。所屬の組合はスカベンジャーで、出の〈鳥籠〉は適當な地區を登録して……うん、これで問題ないはず。レイ、カードをミスズに』

私は痺れる手でミスズにカードを返した。

『これで大抵の鳥籠に問題なく出りできる。ちなみに二人は兄妹の設定ね』

カグヤの言葉に彼は驚く。

『ダメかな』

「ダメじゃないです。でも私とレイラはあまり似ていないから」

『そうかな? 似ていると思うけど。背も高いし』

「背は確かに高いですけど……」

『これで私たちは家族だね』とカグヤが言う。

「家族ですか……なんだかいいですね、家族って」

家政婦ドロイドもなぜか得意顔だった。

私はミスズの本當の家族について考えたが、彼が口にしないのには理由があるのだろうと思い無理に訊(たず)ねなかった。

それから私たちは黙々と作業を行った。ミスズのスキンスーツはパワーアシスト機能のついた優れたものだったが、ボディアーマーは人擬きから逃げる際に強靭な爪にやられていて、防刃防弾布が破れて使いにならなくなっていた。

倉庫に設置してあるリサイクルボックスに放り込むと、予備に持っていたボディアーマーをミスズに手渡し、使用していなかったバックパック等の裝備も彼のために用意していった。

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