ぽっかりと開いた大からは、相変(あいか)わらず大粒の雨が建に吹き付けていた。

雨に濡れながらヴィードルのコンテナを開くと、レインコート代わりに使用していた外套(がいとう)を取り出して羽織(はお)る。それからミスズのために用意していた外套も手に取る。

外套は汚染対策が施されていて、周囲の相を瞬時にスキャンして外套の表層に再現する〈環境追従型迷彩〉と呼ばれる學技を備えた舊文明のだった。完全に姿を消すことはできないが、かなければ敵に見つかることはない。

この外套は以前、軍関係の施設を探索していたときに偶然見つけただった。売ればそれなりの値段になるが、売る気は全くなかった。

ミスズが外套を羽織るのを手伝ったあと、橫付近の天井を見上げる。上階からは滝のように雨水が流れてきていたが、崩落した瓦礫(がれき)の上を移すれば、簡単に上階に登ることができそうだった。ヴィードルに積んでいた荷の中からクライミング用のロープを取り出すと、それを肩にかけて瓦礫の側まで向かう。

背負っていたバックパックをミスズに預けると、足元に注意しながら瓦礫を登っていく。雨に濡れていて苔生した地面はひどくる。倒れてつまらない怪我をしないよう、慎重に瓦礫をあがり、上階へと続く天井のに近づいた。

そのままに向かって飛ぶと、天井の縁に摑まる。外からは絶えず雨が吹き込み、外套に雨粒を叩きつけていた。私はり落ちないように気をつけながら、腕に力をれて一気にを引き上げる。

階下の景と代り映えのしない空間が広がっている。鳥の群れがいて昆蟲がいて、雑草とゴミに覆われている。周囲に視線を向けて、危険がないか確認していく。天井に目を向けると上階へと続く縦はなく、上階に向かうのであれば、階段を使う必要がありそうだった。それはつまり、巨大な蜘蛛が餌場にしていないような、安全な道を探す必要があるということでもあった。

周辺索敵が終わると、持參したクライミングロープを瓦礫に巻きつけたあと、階下に垂らした。

最初にバックパックをロープに巻き付けてもらい、それらを上階に引き上げた。それが終わるとミスズを引き上げていく。ロープはまた使うことになるので、適當な瓦礫に巻き付けておいた狀態で放置する。

探索の準備ができると、まず橫の周囲を探索していく。予想通り、大の修復するために用意されていた舊文明の鋼材を含んだ金屬板を見つける。四十枚ほどの板はとりあえずその場に置いておいて、我々は付近の探索を続ける。

腰ほどの高さの雑草が生い茂っている場所の側をミスズが通ったとき、黒い影が草の間に見えた。私は散弾銃を素早く構える。カグヤはミスズに危険を知らせて、彼を茂みから遠ざけた。

六十センチほどの蜘蛛がミスズに向かって跳び掛かってきたのは、ちょうどそのときだった。文字通りに、大きく跳躍してみせた蜘蛛に向かって私は発砲した。蜘蛛は周囲にをまき散らしながら後方に吹き飛んでいった。

散弾銃を構えたまま周囲の安全確認を行う。銃聲は鳥の群れを恐慌(きょうこう)狀態にしていた。壁の大から外に飛び出して行く鳥もいれば、暗闇が支配する通路に向かって飛び去って行く鳥もいた。

私とミスズは銃を構えてその場で膝をつくと、室を飛び回る鳥をやり過ごした。しばらくして騒ぎが収まると探索を再開した。茂みから距離を取って、外から戻ってきた鳥の翼から滴り落ちる雨粒に打たれながら、巣が集していた場所を通る。

鳥の群れを抜けると、外のが一切屆かない領域にる。ミスズはアサルトライフルのフラッシュライトを點けると、私も元の照明裝置を使って暗闇の先を注意深く見つめた。しばらく二人でじっと暗闇を見つめていると、得の知れない生がを嫌うように暗い空間を橫切るのが見えた。

ミスズはソレのあとを追うように照明を向けるが、すでに何もいなかった。私の目にもソレをハッキリと捉えることはできなかった。ソレは人擬きではなく、変異した昆蟲の類(たぐい)、それもひどく危険そうな生だった。

「行こう、ミスズ」彼に聲をかけると、後方の暗闇に警戒しながら移した。

暗い通路を進むと、バリケードが設置された通路に出る。人擬きとの爭いなのか、人間同士の爭いの結果なのかは分からないが、周囲には苔と雑草に覆われた人間の骨が散らばっている。それは破壊されたバリケードの先にも続いていた。

ミスズをその場に待機させると、バリケードの先を確認しに行く。散弾銃を構えて、引き金に指をかけた。薄暗い空間の先は機や椅子の殘骸で溢れ、先に進むのも困難に思えた。閑散とした通路に出ると、天井付近に青にるものが蠢(うごめ)いているのが見えた。

目を細めて確認すると、二十センチほどのイモムシのようなものが、弱々しく発するの先端を天井から垂らして、ゆっくりと揺らしているのが見えた。

魅られたように青のを眺めていると、天井のイモムシがガサガサとく。が、イモムシのような形態だと思っていた生のは、どうやら尾の一部でしかなく、本はサソリにも似た吐き気を催(もよお)す類の気味の悪い昆蟲だった。

その巨がくと、天井から尾を垂らしていた他の昆蟲もガサゴソと不気味な音を立てていた。恐怖に全の鳥が立った私は、そこで進むのを諦めた。

端末を介してミスズに戻ると連絡すると、天井にいる昆蟲を刺激しないように、音を立てないように慎重に歩いてバリケードの前まで戻る。バリケードを越えるときには、誤って撃たれないようにミスズに聲をかけてからいた。正直、この場所も安全ではなかったが、ミスズの姿を見て私は安堵に包まれた。

通路の先がどうなっているのか手短に説明してから、我々は探索を再開する。しかしどの通路にっても、やがて巨大な昆蟲の巣に出くわすことになった。錆びて骨格だけの椅子が大量に殘された部屋に出たときには、人擬きを食している數百匹の小さな黃金の甲蟲を見た。

人擬きはの半分ほどをすでに喰(く)われていたが、それでも時折(ときおり)ビクリとをかして抵抗していた。しかし黃金の甲蟲の群れは鈍く輝きながら宙に舞ったあと、すぐに人擬きに取り付いて食事を再開する。

高層建築に侵して初めて死の恐怖をじた。あの小さな黃金の甲蟲に纏(まと)わりつかれたら、もはや死を待つしかないのではないか？

我々は靜かに部屋を出ていく。走って逃げだしたい気持ちを抑えて、音をできるだけ立てないようにして歩いた。遠くから聞こえる鳥の騒音でさえ、今はもどかしかった。

通路を引き返していると、先ほどは気がつかなかった茂みの盛り上がりを見つける。警戒しながら近づくと、複雑に絡みつく草の間から赤茶に錆びたヴィードルの車が見え　た。どうやら、高層建築の上層を探索しようと考えた者は私だけではなかったようだ。

それはそうだろうな、と私はあらためて考える。上層にやって來られる裝備を持つ人間はないかもしれないが、存在しないわけではない。

建の外壁を登ってこられるようなヴィードルにしても、私だけが所持しているわけではないのだろう。數は限りなくないが、所有する人間はいる。そういった探索者がこの場所までやってきた。では、その人間は何処に行ったのだろうか。考える必要もない。この異様な空間に喰い殺されたのだろう。

貴重なヴィードルがまだくのか、その確認をしたかった。かなくても、狀態がいい部品が手にるかもしれない。けれどこの場所に長居することはできない。私は暗闇に潛む得の知れない生からじるプレッシャーに背中を押されるようにして、その場を離れた。冷たい汗が首筋に流れていた。

來た道を戻り鳥の群れを通り過ぎるころには、ひどく汗をかいていた。保育園の拠點に帰って、すぐにシャワーを浴びたかった。清潔な場所でゆっくりと(からだ)を休めたかった。けれど、まだやることは殘っていた。

私はミスズと協力して舊文明の金屬板を回収すると、崩れた床の近くまで運んでいく。それが終わると、ミスズにロープで先に下に降りてもらい、上階に殘った私は金屬板をロープで縛ってから階下におろしていく。

階下で金屬板をけ取ったミスズはロープを解く。そうやって何度かに分けて全ての金屬板を下ろし終えると、私もに飛び込んで階下に戻った。

金屬板をすべて回収することはできなかった。コンテナにりきらなかった分は後日の回収にまわして、我々は帰り支度を整えていく。と言っても、とくにやることはない。

バックパックをコクピットの後部座席後方の空間にれると、水溜まりでコンバットブーツの汚れを洗い流していった。鳥の糞やら雑草、小さな昆蟲の死骸が水の流れに乗って建の外に流れていった。

上階にと向かうときに濡れないために著ていた外套は、雨に打たれていたが雨水を弾くようにできているので全(まった)く濡れてはいなかった。その外套をコンテナにれようと考えたが、コンテナは金屬板がぎっしり詰まっていた。私は諦めると、外套をヴィードルの後部座席後方に放り込む。

ミスズが乗ったことを確認してから、私も乗り込もうとしてコクピットの縁に手をかけた。鳥の群れが騒ぎ始めたのはそのときだった。視線を向けると通路の暗闇から人擬きが飛び出してくるのが見えた。四足歩行する追跡型だった。きが早く、あっという間に巣の中心までやって來た。

人擬きの狙いは我々ではなかったが、私は散弾銃を構えて、いつでも撃できるように化けに銃口を向けた。と、暗闇の中から白く輝く糸がびてきて人擬きに絡みつく。化けは地面に倒れ糸を解こうと暴れるが、そのまま暗闇に引き摺(ず)り込まれた。

その様子をぼうっと眺めていると薄暗い通路の先から、灰のに覆われた太い腳があらわれる。二本、三本と増えていき、大きな赤い毒々しい腹部を持った巨大な蜘蛛が姿を見せる。の下で見るグロテスクな蜘蛛は、複數の黒い瞳で私を真直ぐ見ていた。その大きな黒い瞳は、橫から差し込む日のを反して寶石のように輝いていた。

「レイラ！」

ミスズの聲で意識を引き戻されると、私はヴィードルに飛び乗る。一メートルほどの高を持つ大蜘蛛の姿を確認しようとして振り返ると、我々に向かって猛然と駆けてくる蜘蛛が見えた。ヴィードルの加速に(からだ)をシートに押し付けられながらも、私の目はしっかりと蜘蛛を捉えていた。

「飛びます！」

ミスズは加速させたヴィードルを大へと走らせ、壁の縁(ふち)ギリギリの場所でヴィードルを外に飛び出させた。宙に落下しながら蜘蛛から逃れられたと考えた瞬間、白く輝く糸がヴィードルの腳に絡みつくのが見えた。次の瞬間、ヴィードルは振り子のように高層建築の壁面に叩きつけられる。

ミスズは素早くヴィードルを反転させ、腳先に重力場を生して衝撃を相殺した。が、蜘蛛の糸は尚(なお)もヴィードルの腳に絡みつき、引っ張るようにしてヴィードルの車を蜘蛛のもとに引き寄せようとしていた。

私はを乗り出して、ミスズがシートベルトをしているか確認をする。急いで乗り込んでいたので、ミスズはベルトをしていなかった。私はミスズの(からだ)にれることを伝えたあと、彼の腰にしっかりとベルトをかけた。

それから急いで後部座席後方から狙撃銃を取り出し、自分自もシートベルトを裝著する。いい加減コクピットからの撃は止めたいが、ヴィードルに武裝を施していないため、自分自で攻撃するしかなかった。

ミスズにキャノピーを開けてもらうと、大付近の壁面に張り付いていた蜘蛛に向かって銃を構える。照準で捉えた蜘蛛の眼は真っ黒で、その下にはがビッシリと生えた太い牙があった。その牙からはが滴り落ちていた。恐らく毒だ。あんなものを注されたら命はないだろう。

蜘蛛の太い腳に向かって撃を行う。カグヤが表示していたターゲットマークに向かって弾丸は真直ぐ飛んでいった。しかし突風の影響で、もうしのところで弾丸は蜘蛛の腳を外れる。

大丈夫。と、自分に言い聞かせて息を吐く。

何も問題はない、冷靜にもう一度撃てばいい。ボルトハンドルを作して、薬室に弾薬を送り込む。そしてハンドルを倒すと私は息を止める。

銃聲が建に反響する。

ヴィードルが一瞬、數メートル下に落下して止まる。が、それもしの間で、すぐに凄まじい速度で落下を始めた。腳を失いバランスを崩した蜘蛛が、我々と一緒になって建から落下する。ミスズは急いでキャノピーを閉じると、ものすごい速度で落ちていくヴィードルの姿勢制機能を使って、ヴィードルを落下の衝撃に備えさせる。

腳先に重力場を発生させて、空中を蹴るようにして落下位置を調整する。ヴィードルは他の建に接しないように落ちていき、道路に散する瓦礫がハッキリ見える距離に近付いた。私は浮遊に顔をしかめ、衝撃に備える。が、ミスズは音も立てずにヴィードルを著地させた。

ヴィードルの著地と同時に廃墟の街に破裂音が響き渡る。一緒に落下してきた大蜘蛛が、地面に接したときの衝撃音だろう。ミスズはヴィードルを蜘蛛の落下地點へと走らせる。私はセンサーで周囲の狀況を確認していく。

周辺一帯にいる人擬きが、先ほどの破裂音で巣のある建から出てくるかもしれないので警戒は怠(おこた)らない。蜘蛛が落下した地點に近付くと、潰れた蜘蛛の殘骸が散らばっているのが確認できた。

ヴィードルの側には蜘蛛の太い牙が転がっていた。建を仰ぐと、蜘蛛が落下した際に壁面に衝突して殘したと、太い腳の一部が建のに突き刺さったまま殘されているのが見えた。

周囲の安全を確認したあとヴィードルを降りると、車両の腳に絡まっていた蜘蛛の糸を剝(は)がそうとするが、裝甲に絡まる糸は強度があり簡単に剝がせない。ナイフを取り出すと、それを使って糸を丁寧に取り除いていった。

糸は白く輝き、とても綺麗だった。その糸をひとつにまとめると荷にしまった。鋼のように頑丈な糸には使い道があると考えた、ヴィードルの車を支えても切れないほどなのだから。

「帰ろう」ミスズに聲をかけると、我々はその場をあとにした。