――この世界は、夜で固定されている。

◇

「俺達が生まれるずっとずっと前はな、太は平等だったんだ」

まだい頃の話。ヤクモを肩車した青年は、昔話を聞かせるように言った。それは歴史である筈なのに、言っている青年も実が湧かないのだろう、言葉はどこか自信なさげ。

「びょうどう？」

ヤクモは真っ暗闇の空を見上げ、首を傾げる。

「あー、今みたいに、街の外にいる人間は日の目を見ることも出來ないなんてことはなかったらしくて。太は世界中を照らしてくれたんだよ。のを浴びることに、資格なんて要らなかった」

青年の言っていることがよく分からなくて、ヤクモは混する。

「んー、とだなぁ。つまり、誰でも太のを浴びてよかったんだよ」

「ヤマト民族でも？」

「そう、ヤマト民族でも」

黒い髪に黒い瞳。他の民族と比べると頼りなげな格。多手先が用で知恵が回るのが特徴と言えば特徴だが、それらも用貧乏・淺知恵などと揶揄される。それがヤマト民族。

彼らには、この世界における人としての立場が無い。人権は半ば剝奪されていると言っていい。

なにせ、人類の生き殘りに貢獻出來ない。

ヤマト民族は生來、魔力を作る機能が低いから。

その世界の空には、太が無かった。月明かりが無かった。星々の煌めきが無かった。

在るのは夜だけ。

「太は、どこへ行っちゃったの？」

「太は隠された(、、、、)んだ。太だけじゃないけどな。もう數百年も前のことなんだと」

そう教えてくれた優しい青年も、もういない。

かつて、人は世界の半分以上を支配する種族だったらしい。

そして殘りは、魔族の支配下。

人類はを浴びることで魔力を生み出し、魔族は夜闇に浸ることで魔力を生み出す質だった。

爭いは激化し、力は拮抗していた。

だがある時、均衡が崩れる。

魔族の王が、天空と地を遮る魔法を発したのだ。

如何なる方法を用いたかは定かになっていないが、それによって世界は夜で固定された。

「昔はさ、季節が四つもあって、太は世界を照らして、月や星ってのが夜でもってたらしい」

世界が夜で固定されれば必然、魔族は常に魔力に溢れ、人は魔力の確保に苦心した。

狀況は一変し、人類は滅亡へ大きく傾くことになる。

次々と同胞が狩られる中、人類はどうにかそれを生み出すことに功。

生命力を魔力へと変換する技。魂という不可視のを、魔力を生み出す臓と接続する手段。

しかしこれもまた問題があった。

命を魔力に変えると、神を大きく疲弊し魔法が使えないのだ。

魔力があっても、使う神が機能しないのでは意味が無い。

滅びを目前にした人類にはもう、平時に発揮されていた倫理観は殘っていなかった。あるいは苦しみの中、実行するしか無かったのか。

「人の意思ってのは凄いよな。が消えちまっても、諦めなかった」

どちらにしろ、その実験は行われた。

魂の魔力爐接続により、魔力の生までは葉う。

変換時、接続者の神が正しく機能しないという弊害がある。

では、接続者の代わりに魔法を行使する者がいればいい。

魔力を生む接続者と、更にそこへ接続し魔法を使う者を用意するという発想。

そこまでならまだいい。

だが、二人一組の思想も現実的ではなかった。

魔力を生む者は神が疲弊して、まともにけない。

戦場で、けない者は足手まとい以外の何でもない。

だから、人の発想は更に飛んだ。

ならば接続者を持ち運べる(、、、、、)ようにすればいい(、、、、、、、、)。

単に攜帯するのではなく、武として運用出來れば無駄もない。

そうして、接続者は更に武へ変じる機構を組み込まれた。

生きた武の登場により、人は戦うことが出來るようになった。

それでも、充分ではなかった。

「んで、今があるってことなんだけどさ。って、お前にはまだ早いか」

人は事実上の敗北を迎え、どうにか建設の間に合った城塞都市へ逃げ込んだ。

當時は三十確認されていた都市も、現在人の活が認められるのは――七都市のみ。

人は緩やかに、滅びへと向かっている。

それに歯止めをかけているのは二つ。

前述の接続者――《偽紅鏡（グリマー）》と、その遣い手《導燈者（イグナイター）》。

そして、現存する都市全てに配備された――模擬太。

莫大な數の接続者の犠牲の果てに、人々は太を創り出した。

その太が――都市に限ってではあるが――かつての日中に相當する時間帯に夜を払い、人々に魔力を與える。

そして、生み出された魔力を、人々は稅として納める。

納められた魔力で、また模擬太を稼働させる。

日中は模擬太、夜間は《偽紅鏡（グリマー）》《導燈者（イグナイター）》含めた領域守護者によって、人類領域は守護されていると言っていい。

時間稼ぎの、まやかしの朝と夜を繰り返し、人々は息を繋いでいる。

だが、そのの中にれない者達もいた。

例えばそう、魔力稅を納められない者。

定められた魔力を供出することの出來ない人間は、都市で暮すことを許されない。

強制退去が執行され、壁の外へ放り捨てられる。

見殺しにするのは面が悪いのか、時折死なない程度の食料が提供されるが、それだけ。

模擬太のさえ屆かない真の闇で、人類を滅ぼそうと壁まで迫る魔族に怯えながら生きることになる。

追い出されるのは先天的な疾患を抱えた者か傷病人、そして――ヤマト民族。

致命的なことに、ヤマト民族の魔力爐能はあらゆる民族の中でも最低値を記録していた。

彼らは迫害されていた。

黒は夜を連想させ、夜は魔族を連想させる。人並みの魔力も生み出せず、だからといって他に役立つわけでもない。領域外に放り出されたあとでさえ、人類に寄生して卑しく生き繋ぐ。

殘飯を貪る不吉な夜（よがらす）。

遠峰夜雲(トオミネヤクモ)は、ヤマト民族だった。

生まれた時から闇しか知らず、日々を生きるのも比喩抜きで命がけだった。

領域守護者は、領域の外を守護してはくれないらしかった。

家族は、同じように追い出されたヤマト民族だけ。の繋がりはなくとも、彼らだけが家族。

いつも頭をでてくれたが喰われ、よく肩車してくれた男が喰われ、食べられる草や蟲について教えてくれた老人も、遊び相手をしてくれたお姉さんも、みんな、みんな。

ある日喰われて、いなくなる。

村落の人々はヤクモにとって大切な家族で、けれど失うことを避けられなかった。

彼に逢うまでは。

漆黒の世界にも、天気は存在する。

そのは、雪のをした髪を垂らしていた。

そしてそのは、夜の闇を固めたような瞳をしていた。

ヤマト民族を蔑視するこの世界において極めて珍しい存在――ヤマト民族と他民族の混。

ヤクモの村落に放り出されたを、みんなは家族としてけれた。

だがは、家族を「汚らわしい夜」と言い捨てた。

とてもとても腹が立ったけれど、それまで壁の中の常識で生きていたならば、仕方がない。

ゆっくりと、仲良くなればいい。

そんな時間が、許されるかは別として。

実際、許されなかった。

魔族の群れに村落が襲われる。

家族は絆が強い。若い男が率先して子供、老人を守ろうとする。でももう若い男はいなかった。若いもいなかった。子供はヤクモとだけだった。老人しか殘っていなかった。

みんな、食べられてしまったから。

ヤクモはまだ五歳だった。

怖かったけれど、とても怖かったけれど、震えが止まらなくて、呼吸が苦しくて、歩くことさえままならなかったけれど、鍬を手に取った。

だって、ヤクモが戦わなければどうする。

が襲われそうになっていた。

四足獣タイプの魔族に鍬を振り下ろす。

刃床は獣のにれるより前の空間で阻まれ、柄から圧し折れた。

通常の武は魔族に通用しない。

そんなこと、知っていたけれど。

「逃げて！」

ヤクモはに向かってんだ。

いつも仏頂面で、喋りかけられることさえ鬱陶しそうにしていた。

ヤクモとそう歳の変わらないの子は――恐怖に涙していた。

ヤクモが助けに來たことが、理解できないという顔をした。

何もおかしくなんてないのに。家族を守るのは當たり前のことだ。

ずっとそう守られてきたヤクモだからこそ、當たり前のようにそれが出來た。

折れて木の棒となったそれを構える。

「……なんで」と、呟く聲が聞こえた。

ヤクモは笑う。今にもを噛み千切られて死ぬかもしれない中、気丈に笑う。

「兄ちゃんが妹を守るのは、當たり前のことだよ」

都市から弾かれた人間は、人としての尊厳すら剝奪される。

だからせめて弾かれた者達同士で尊重し合わなければ、もう人ではいられない。

ヤクモの言葉に、・アサヒは。

「……ばかなやつ」

冷たくそう呟き、そして――ヤクモの手を握った。

逃げることなく、溫かい手で。

「……わたしの銘(な)を、唱えて」

どういうわけか、分かった。

アサヒ、ではない。

名ではなく、銘。

その刃は、彼の髪と同じく――雪をしていた。

避けられぬを避け、抗えぬに抗い、斬れぬを斬る。

雪のをした、夜を斬る白刃。

人並み以下の魔力爐しか持たぬ《導燈者（イグナイター）》と、一つたりとも魔法を保有していない《偽紅鏡（グリマー）》。

地上で最も無能な守護者がそこに誕生した。

その時は、何者も知る由もなかった。

最弱の剣士が、やがて夜を切り開くことになるなどとは。