《【書籍化決定】読家、日々是好日〜慎ましく、天無に後宮を駆け抜けます〜》30.白蓮の一日
下っ端醫の朝は早い。冬場はまだ暗いに起きて醫の準備をしなくてはいけない。
一通り用意が終わった頃、先輩醫が起きて來て、留守番を殘して朝飯を食う。粥と野菜の煮込み、それに小魚といった質素なで、中々腹が膨れないので三回はおかわりをする。
食事が終われば回診が始まる。上級妃は五日置きに、中級妃嬪については週に一回程度、下級嬪は二週間に一回の割合で定期的に行っている。今日は俺と韋弦が當番で、淑妃、貴妃、賢妃の順で回診を行う。
今回の診察は、韋弦が見守る中俺一人でする事になったので、いささか張している。
最初に行ったのは淑妃の宮だ。
上級妃三人のうち、空燕(コンイェン)の母親である淑妃のみが俺が白蓮である事を知っている。だからと言う訳ではないが他の妃よりは気が楽だ。
今後宮にいる妃嬪の中で最も古株なのが淑妃だ。約十五年前に俺の母親が死に、暁華(シャオカ)皇后が皇居に移ったあと後宮を束ねてきたのが彼だ。
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火種だった暁華皇后がいなくなったのもあるが、後宮を分斷するような大きな派閥爭いがないのは彼のおだと思う。
目立った容貌をしている訳ではないけれど、頭の良い人で後宮を実にうまく纏めている。それだけでなく、後宮で得た報を帝に進言する事も多い。帝に取って貴重な報源であり知恵者(ブレーン)でもある。淑妃を皇后にしなかったのは、政を恐れてというのもあるけれど、彼を後宮に置いておきたかったのもあるだろう。そういう意味では帝の片腕でもある。
次に行ったのは貴妃の宮だ。布団を綿に変えてから調はどんどん回復し、咳も蕁麻疹もおさまっている。食事もしっかり摂れているようで頬に赤みが差しておりもう心配なさそうだ。
その代わり、三歳の公主が元気がないという事だったので、診をして風邪薬を処方しておいた。どうも最近、後宮でタチの悪い風邪が流行っているようだ。
最後に行ったのが賢妃の宮だ。
賢妃は用があるため今日の診察は不要と言うことだ。いや、今日もと言った方が良いだろう。もう一ヵ月以上何かと理由をつけて診察を斷られている。
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特に強制ではないので、こちらから何かを言える訳ではない。仕方がないので帰ろうとしたら、公主が風邪をひいたようなので見てしいと頼まれた。
この公主、數週間前から調があまり良くない。寢込む程ではないが、回診の度に何かしら薬を処方しているようだ。
「では、診しますのでお腹を出して頂けませんか?」
二歳年下の妹は、俺が白蓮だとまだ知らない。來年の元服にあたる裳著(もぎ)が行われるので、その時に話す予定ではある。
その妹が顰めっ面で俺を見るばかりで、いっこうに腹を見せようとはしない。近くにいる侍に何やら耳打ちをしている。耳打ちされた方は困った表でこちらを見る。
「あの、醫様。著の上から診して頂けませんか? 公主も年頃ですので、男にを見せるのは抵抗があるそうです」
ほう、俺は兄だが?
とは言えない。
まあ、そういう年頃になったという事のようだ。
とはいえ、著の上から診をすることは出來ないので、著の合わせから手を差し込み、前掛けの上から直接をれないように診をした。
「あと、公主は最近貧気味ですので、そちらのお薬も頂けませんか?」
「分かりました」
迷わずに処方する俺の隣で、韋弦が頷いている。どうやら今日は及第點を貰えそうだ。
公主は、賢妃の娘と貴妃の娘以外に他にもう二人いる。中々の子沢山だ。そういう意味では帝はきちんと役割を果たしている。
その二人の公主の母親はそれぞれ中級妃だ。同じ時期にし、年も同じ、親の地位や権力もほぼ同等な上、公主を産んだ日も一日違いと様々な事が重なっている。
その為、こっちを立てればあっちが立たない。
約十五年前、暁華妃が皇后となり徳妃の席が空いた。本來ならどちらかがその席に座るのだが、此方を立てれば彼方が立たない。妙な権力爭いが起こる可能を危懼し、それならいっそ空席にしておこうとなったらしい。
二人揃って妊娠した時は皆ヒヤヒヤしたそうだが、どちらも公主だったのが救いだった。これで男なら將來的に火種とりかねない。
帰りに中級妃達の宮の前を通りながら、ふと思い出す。
「そう言えば、公主二人にも薬が出ていたな。風邪と貧だったと記憶しているが合っているか?」
寒風吹き荒ぶ中、誰もいないので白蓮の口調で韋弦に問いかける。たとえ自分が処方していなくても中級妃以上に渡した薬は覚えておくようにと日々言われている。
「はい、お二人とも月のがくるようになり、そのせいか最近貧気味だそうです。風邪はあちこちで流行っていますので、白蓮様もお気をつけてください」
元気に長しているなら良い事だ。
いずれ、政治絡みで嫁がされるだろうが、兄としてはそれが良縁である事を願おう。それにしても今日は寒い。明渓に教えて貰った溫石(カイロ)もすっかり冷えてしまった。
午後からは朱閣宮に向かう。
足取りが軽いのは気のせいではない。
そもそも、臨月でもないのに毎日通う必要はない。しかも、香麗(シャンリー)妃にすれば四度目の妊娠。実に落ち著いている。
その辺りは、まぁ、皇族の特権としてごり押しした。普段頑張っているのだし、それぐらいは許されるだろう。
脈や腹のハリ合を見て、今日も何事もなく香麗妃の検診を終えた。
韋弦を先に帰し、ちょっと一休み、とばかりに明渓を探す。
先に言っておく。
決して、こっちが目的ではない。
居間の奧の長椅子に明渓と雲嵐が仲良く座っているのを見つけた。何やら書を読んでいるようだが、やけに距離が近くないか?
近づいて本を覗き込もうとすると、遮るように手で隠された。
「白蓮様、母の検診が終わったなら早く帰られたらどうでしょうか」
上目遣いの目に加え、口調も生意気だ。昔は可かったのに。
「茶ぐらい飲ませろ」
お前がどこかに行け、と心の中でぼやきながら二人の前に腰をおろす。
卓には數冊の本が置いてあるので、手に取ると全部異國の言葉で書かれていた。パラパラとめくりながら、さっと目を通したじでは、本は短い話をいくつか集めただった。初心者というか、子供向きの容だけれど、異國の言葉に慣れるにはちょうど良い本だ。
どうやら雲嵐が明渓に異國の言葉を教えているようだった。
「異國の言葉なら俺が明渓に教えるから、お前は向こうで公主達と遊んでいろ」
「いえいえ、白蓮様はお忙しいですし、実際に異國に行った私の方が適任です。それに、妹達はお晝寢中です」
屁理屈までこねるようになってきた。
空燕の悪影響だ。そうだ。そうに決まっている。
「午前中、二人で剣の稽古をしたのです。すると、雲嵐様がお禮に異國の言葉を教えると仰ってくださり、公主様がお晝寢中の時間を使って教えて頂いているのです」
面白くない。剣の稽古をした事も雲嵐の肩を持つところも。癪にる。
「雲嵐、剣なら燗流(カンルー)に教わればいいだろう? あいつの腕は中々だし、お前の側近なんだから」
「その言葉、そっくりそのままお返しします。醫でありながら側近でもある韋弦はかなりの豪剣。なぜ明渓に教えを請うのですか?」
うっ、しまった。藪蛇だった。
皇族には必ず一人側近がつく。俺にとっては韋弦、雲嵐にとっては燗流だ。
どう言い逃れすべきか考えていると、突き刺さるような視線を真正面からじた。目線を雲嵐から橫にずらすと、ゾクリとする目で俺を睨む明渓と目が合った。
「……そうだったのですか。では、お二人とも、私が教える必要はそもそも無かったのですね」
これはまずい。大変まずい。
バレてしまった。怒っている。
何か良い言い訳を、理由を考えなくては。
しかし、焦れば焦る程頭が真っ白になる。あの冷たい目線で見つめられると、の奧がゾクリと痺れて何やら頭がぼーっとなってしまう。焦る気持ちだけが空回りしていると、
扉が勢いよく開き、東宮が走り込んできた。
普段と明らかに様子が違う。
顔が悪いだけでなく、危機迫った表から尋常ならざるものをじた。俺のから、甘なゾクゾクとしたじがスッと消えた。
席を立ち走り寄る。
これは尋常ではない。冷や汗が額に浮かんでくる。
「東宮、何かあっ……」
「賢妃が死んだ。白蓮、明渓を連れて賢妃の宮に行け!」
東宮のび聲が宮の中に響き渡った。
一瞬意味が分からず東宮を見つめた後、中に鳥が立ってきた。俺が振り返るより早く、明渓が駆け寄ってきて青い顔で東宮を見上げる。
東宮はその細い肩に手を置き、焦燥の表を隠す事なく言った。
「頼む! 呪詛の正を暴いてくれ!!」
貴人が死にました。二章、最後の事件です。
明渓と三人が頑張ります。
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