《【書籍化】これより良い件はございません! ~東京・広尾 イマディール不産の営業日誌~》第四話 お客様

ああ、私、面倒くさいお客さんでごめんなさい。

翌日出社すると、私のデスクの上には1冊のファイルが置かれていた。中を開くと、イマディール不産が手掛けた1Rと1Kの報が沢山載っている。

「それ、うちでリノベーションを手掛けた報。今ちょうどオーナーさんが居者募集しているやつだから、気にったのがあったら言ってよ。案する」

パラパラと捲っていると、前に座る尾川さんが聲を掛けてくれた。私は頷いて、置いてあるファイルに視線を落とす。パラパラと捲って見るかぎり、広さは20から30平方メートル位が主流のようだ。リノベーションするくらいなので、築年數はそれなりにいっている。だいたい、築20年から築30年位が多い。けれど、寫真で見る室の様子はまるで新築みたいだ。

リリリーンと電話が鳴る。

「はい、イマディールリアルエステートです。はい、はい……。今日これからですか? 々お待ち下さい……。大丈夫です……」

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電話に出た、正面に座る尾川さんは話ながらペコペコと頭を下げ始めた。電話なのに、まるでそこに人が居るみたいな態度だ。電話が終わると、尾川は私に向かって両手を合わせるポーズをした。

「藤堂さん、ごめん。栗川さんがこれからリノベ終えた件見たいって言ってて。行かないと」

「栗川さん?」

「うちのお得意様だよ。社長が前の會社の時代からの大顧客。何軒も不産を持っている、すっごい大金持ちなの」

綾乃さんが橫から解説する。なるほど、それで電話なのにペコペコしていたのかと私は納得した。

「凄い人なんですね」

「うちみたいな若輩の不産屋にとっては神様だよ。まさに、神様、仏様、栗川様。社長がここに開業した決め手の1つも、栗川さんのお宅が近いから。あともう1人神様がいて、その人は桜木が擔當してる。その人もこの辺に住んでいるのよ。すっごい大豪邸」

綾乃さんはなむなむと仏さまに祈るようなポーズをした。

広尾に大豪邸って、聞いてるだけでも凄そうだ。尾川さんはそうこうする間に書類などを用意して鞄に詰め込んで、あっという間に事務所を飛び出して行った。

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川さんか行っちゃったから、おうち探しはまた今度かな。そう思った私は見ていた報を機の端に寄せた。うーんと大きくびをすると、こっちを見ていた桜木さんの切れ長の瞳とばっちり目が合い、私は慌てて姿勢を正した。

「藤堂さん。件選びするなら、擬似お客様をする? 藤堂さんがお客様で、俺が接客する。シミュレーションになるから、今後のためにもなるだろ?」

「え? いいんですか?」

自分の件選びはまた今度だと思っていたので、私は桜木さんの提案に目を輝かせた。

「どうせ引っ越すなら、件は選ばなきゃなんだろ? うちの手掛けた件をみるいい機會だし、接客の勉強にもなる。藤堂さんは元々接客していたから慣れているだろうけど、勝手が違うところもあるだろうし。さっそくやろうか? 形はちゃんとした方がいいから、接客室でいい?」

「はい!」

私はさっそく立ち上がると、接客室に向かった。

「こちらにどうぞ」

勧められるがままに椅子に腰を下ろした。

オフィスの一畫にある接客室は、狹いけれど壁の一面がガラス張りなので、圧迫は全くない。桜木さんは私の前に先ほどまで私が見ていた報とアンケート用紙を置いて、

「こちらにご記頂けますか? あと、こちらは報ですのでご自由にご覧下さい」とにこやかに告げると部屋を出た。

「どうぞ」

「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」

アンケート用紙を記して報に見っていると、桜木さんにホットコーヒーを出されて、私は慌ててお禮をいった。桜木さんは接客室の裏側の辺りを指さした。

「裏にお客様専用のコーヒーメーカーがあるから、接客の時はそれを使ってね。俺らの使うやつよりちょっと高級なやつ。今日は特別ね」

桜木さんがちょっぴりいたずらっ子のような笑みを浮かべる。言われてみれば、出されたコーヒーからは芳ばしい香りが立ち、昨日教えられた給湯室のインスタントコーヒーとは明らかに違う。一口飲むと口の中にコーヒー獨特の酸味と苦味が広がった。

「イマディールリアルエステートへようこそ。件をご案する前に、いくつか確認させていただいてもよろしいですか」

「はい。お願いします」

桜木さんは早速接客モードにった。私もピンと背筋をばす。今まで接客する側で毎日こういうやり取りをしていたのに、いざ久しぶりにお客様側になるとちょっと張した。桜木さんは私の記したアンケート用紙を確認しながら、こちらを見た。

「獨り暮らし用の件をお探しで、ご希の間取りは1Kか1Rでよろしいですね?」

「はい」

「畏まりました」

桜木さんはタブレット端末を作しながら、私に質問を重ねる。

「希のエリアや駅が空欄ですが、どこかご希はございますか?」

「えっと、特にないですけど、広尾駅の近くにあるオフィスに通勤時間30分位で行けるところがいいです」

「希の沿線もないですか?」

「無いですけど、乗り換えがない方が有難いです」

「最寄りはバスでも構いませんか?」

「構いません」

桜木さんがタブレット端末に何かを力しながら、顎に手を當てた。私の希が非常に曖昧なので、どの場所を勧めるかあたりを付けているのかも知れない。

「桜木さん、喋りは普通で大丈夫です」

私はこそっと小さな聲で桜木さんに告げた。

先輩社員に敬語で喋られるのはちょっとやりにくい。ここは砕けた喋り方でも、実際に自分が対応するときはきちんとできる自信はある。5年間も不産屋さんの窓口をしていたのだから。

「そう? 失禮ですが、ご予算はありますか?」

「はい。5萬円位だと助かります」

「5萬円……。家賃補助前で10萬円ってことでいいかな?」

苦笑気味の桜木さんを見て、私も苦笑いした。流石に5萬円で借りれる件は、ここにはないらしい。

「はい。家賃補助前で10萬円で」

「うーん。最寄り駅には全く希が無いんだよね?」

「はい。ないです」

桜木さんの眉間に僅かに皺が寄る。こんな曖昧な要のお客様はそうそう居ないのだろう。たしかに、私が窓口で対応してきたお客様も、大抵は最寄駅かエリア位は決めていた。

「趣味は……昨日の飲み會で料理が好きって言ってたっけ?」

「?? 趣味? はい。料理かな……」

なぜに件選びに趣味?? と私の頭にはクエスチョンマークが沢山浮かぶ。桜木さんは真顔でタブレットを弄っていた。

その後もいつかの質問をやり取りして、桜木さんは時折手もとのタブレット端末を作していた。しの沈黙の後、桜木さんが顔を上げる。

「藤堂さんはだし、獨り暮らしだし、セキュリティ対策がしっかりとしたマンションがいいと思うんだ。ただ、そういうマンションは相対的に家賃が高くなる。例えば、尾川が恵比壽で家賃10萬円って言っても、あいつのマンションはオートロックがない。この予算でセキュリティ対策のしっかりしたマンションだと、山手線の外側に出るか、駅から離れるとだいぶ選択肢が増えるんだけど、どうかな?」

私はし首をかしげた。この辺りにあまり土地勘が無いので、何とも言い難かった。ただ、元々郊外に住んでいた人間なので、山手線の外側とか側とかにこだわりはない。

「特にこだわりはないので、おすすめの場所があったら教えてしいんですけど……」

おずおずとそう言うと、桜木さんはタブレット端末を何回かタップして、機の上に置かれたファイルから3件ほど報を選び、私の前に並べた。

「エリアが決まってないから、特徴的な件を3つ選んでみたよ。1件目はこれ。最寄駅は恵比壽、白金臺、広尾駅の3駅だけど、どの駅にも徒歩15分くらいかかる。ただ、ここまでは歩いて20分かからないし、バスもある。休日も渋谷に行くバスのバス停が近いから、そこまで不便ではないと思うよ。築24年の1R、家賃は管理費込みで105,000円。2件目は日比谷線中目黒駅徒歩10分。築16年の1K、家賃は管理費込みで98,000円。広尾までは電車で1本だから、通いやすいと思う。最後は1回乗り換えがあるけど、駅近件。東急東橫線の祐天寺駅徒歩4分。築12年の1K、家賃は管理費込みで92,000円」

並べられた件を一つ一つ指さして話す桜木さんの説明を聞きながら、私は報に目を通す。どの件も最初に桜木さんがお勧めしたとおり、オートロック付だ。

1件目の件は、恵比壽、白金臺、広尾駅の3駅が最寄りと言っていた。恵比壽、白金臺、広尾駅の3駅はそれぞれが2キロほど離れた三角形を描くように位置している。広尾から見ると、西南西に恵比壽駅があり、南に白金臺があるのだ。つまり、そのどの駅も使えるということは、どの駅も1キロ以上離れているということだ。

ぱっと見では1番新しい3番目の件に惹かれたけれど、どれがいいかすぐには決められなかった。

「実際に見に行こうか。うちの手掛けた件見たいでしょ?」

「はい、行きたいです!」

桜木さんがニッと笑って立ち上がったので、私は慌ててその後を追いかけた。

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