《【書籍化】これより良い件はございません! ~東京・広尾 イマディール不産の営業日誌~》第二十四話 ハロウィン

仕事だもの。たまには嫌なことだってあるよね。

宅建試験の終わった翌週、私は尾川さんとあの問題が難しかったね、なんて話題で盛り上がりつつも、日常業務に取り組んでいた。

水谷様のご契約を頂いた以降、私はもう1件ほど契約に持ち込むことに功していた。とは言っても、私の営業スキルが向上したと言うよりは運がよかっただけだ。お客様がホームページを見て指定した件にお連れしたところ、そのまま約となったのだ。でも、約は約。嬉しくないと言えば噓になる。実を言うと、めちゃくちゃ嬉しい。この調子で最低でも月に1~2件はコンスタントに約出來るようになりたい思った。

そんな中、私は接客室でお客様──佐伯様と向きあっていた。

「やはり、現狀維持でのご売卻をご希ですか?」

「ええ。短期間に転居するのもリフォームするのもお金が掛かりますからね」

何回目かの確認に、目の前の佐伯様ははっきりと言い切った。

イマディール不産では中古件をリフォームやリノベーションして高く売卻することを得意としている。しかし、お客様の中には、リフォームやリノベーションをしたがらない方もいらっしゃる。

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リフォームやリノベーションするためには売る前に自分が別の場所に転居する必要があるし、お金がかかる。リフォームやリノベーション費用は、件をイマディール不産で購した場合はイマディール不産で負擔するが、オーナーさんが保有したままの場合はオーナーさんが負擔する。

その數十萬円から高い場合は1000萬円を超えるリフォーム、リノベーション費用の負擔を嫌い、現狀維持のまま、即ち、住みっぱなしのままで売卻をご希される方も多いのだ。

「ハウスクリーニングはしたんですよ。もっとそちらが頑張って売ってくれないと困りますよ」

そう言って佐伯様はコーヒーをごくりと飲んだ。

「はい……」

怒るわけでもない、落ち著いた冷ややかな口調に、胃がキリキリと痛む。お晝に何か変なもの食べたっけ? いや、このタイミングだし、原因は目の前のこの方か。

頑張ってくれないと困ると言われても、こっちにも々と言いたいことはある。まぁ、お客様に向かってそんなこと、當然言えるわけないんけどね。

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佐伯様の件は、既に売り出しから3カ月が経過していたが、未だに買い手がつかない。今日の打合せに際し、しばかりの値下げ、もしくはリノベーションをすることを再度こちらから提案したのだが、やはり良い返事は得られなかった。

リフォームやリノベーションを渋るお客様に、こちらがそれをする事を強要する事は出來ない。となるとそのまま売るわけなのだが、これがなかなか難しいのだ。同じ件でも、かたや新築みたいにピカピカの件と、かたや薄汚れてフローリングに傷が付いてたり、生活が溢れている件。

買う方は何千萬円も支払うのだから、そのマイナス要素が購のお客様に與える心理的影響は大きいのだ。

「では、現狀でのお寫真を撮らせて頂きまして、報を近々更新させて頂きます」

「よろしくお願いしますね」

「はい。覧のお客様がいらっしゃいましたら、ご連絡させて頂きます」

佐伯様は笑顔で頷かれると、イマディール不産を後にされた。やっと帰ってくれたと、胃に刺さった棘が何本か抜け落ちるのをじる。

私は表に出て佐伯様の背中をお見送りしたあと、資料の殘る接客室に戻った。そして、報をもう1度読み返す。

住所は渋谷區広尾。築34年、11階建てのマンションの4階だ。駅までは徒歩9分とそこまで遠くは無く、駅からは大通りを通るので道は明るい。管理制はそこそこで、晝間は管理人さんがいて、夜は無人になるが、オートロックは付いている。條件はなかなかいいと思う。

ただ、最大の問題は裝だと思った。築34年。建ったのは昭和の時代、バブルよりさらに前だ。この時にはまだ多かった、玄関を開けたからすぐにダイニングキッチンが広がる間取りは流行遅れだと言わざるを得ない。キッチンの中にガス給湯があったり、お風呂もコンクリート床にバスタブが置かれていたりと水回りも古く、至る所に古さをじさせた。

「うーん、勿ないね。500萬円かけてリノベすれば、上手く行けば1000萬円上乗せできるかもしれないのに」

私からその話を聞いた桜木さんは、眉を寄せて頭の後ろで手を組んだ。

「そうなんですよ。でも、何回かご提案したんですけど、住んでるうちに売卻をご希みたいで」

「そっか。じゃあ、仕方ないね」

殘念そうに眉を下げる桜木さんに、私も同意の意味を込めてしだけ肩を竦めて見せた。本當に殘念だ。でも、お客様がそれをおみなら、そうするしか無い。

「藤堂さん、大丈夫? 俺が擔當代わろうか?」

私はよっぽど暗い表をしていたようで、桜木さんは心配そうに私の顔を覗き込んだ。

「大丈夫です。ご心配おかけして申し訳ありません」

「そう? 無理だと思ったら遠慮なく言ってね」

こちらを見つめる桜木さんの眉間が、僅かに寄っている。きっと、職場の先輩として心配してくれているんだろう。

優しいなぁ。あなた、これ以上私を惚れさせて一どうするつもりですか? と聞きたいくらいだ。聞けないけど。

かわりに私が両手に拳を握って『頑張ります』のポーズをすると、桜木さんも釣られるようにしだけ笑ってくれた。

貴重な桜木スマイル、頂きました!

これで今日も私は頑張れそう。

接客を終えてしだけ時間に余裕が出來た私は、オフィスの端に置かれたレジ袋を持って外に出た。

今月末はハロウィンなので、その飾り付けに、レジ袋にっていたオレンジのカボチャとコウモリのオブジェをオフィスのり口付近に置いた。10月下旬ともなると外の風はだいぶ涼しくなる。僅かに吹く風はれるとひんやりとした。

***

「trick or treat!」

「もちろん、トリートよ。はい、どうぞー」

小さなモンスターに脅されて、私はお菓子の袋を差し出す。10円の駄菓子をいくつか詰め合わせたそれは、イマディール不産の広告りだ。お菓子の袋をけ取った子ども達は、それを持っている袋にいれると、満足げな表を浮かべて次のお店へと向かう。

10月の最終日はハロウィンだ。

田舎育ちのせいか、私が子どもの頃は、ハロウィンはそれほどメジャーなイベントでは無かった気がする。けれども、いつの間やらどんどん浸して、今や國民の一大イベントに長したらしい。ニュースではクリスマスの経済効果を超えたと言っていた。

イマディール不産がオフィスを構える広尾では、外國人居住者が多いこともあり、ハロウィンはとてもメジャーなイベントのようだ。夕方になると、辺りの住宅街には可らしいモンスター達が至る所に出沒し始める。その可らしいモンスター達は住宅街から流れて商店街の中までやってきて、「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」と、なんとも可らしい脅しをしてくるのだ。地域に馴染んだこの商店街らしい景だ。

「あの子、袋パンパンだったねー」

「そうですね。沢山回ったんでしょうね」

一緒に対応する尾川さんと話ながら、私は先ほどの子供を思い出して頬を緩めた。小さなスパイダーマンは、持っていた白の巾著の袋にお菓子を詰め込みすぎて、まるでサンタクロースのようになっていた。

「これ、自分も子どもの頃にやりたかったなぁ」

「無かった?」

「え? 無いですよ。尾川さんはありました?」

「無かったと思う」

「よかった。うちが田舎だから無かったのかと、ちょっと焦りました」

私達は顔を見合わせてあははと笑う。そんな立ち話をしていると、こっそりと近づいてきた魔法使いに「お菓子をくれなきゃ魔法をかけるぞ!」と脅された。

「それは困った。これでご勘弁を」

「よし。勘弁してやろう」

お菓子の袋を差し出すと、嬉しそうに笑い、手を振って去ってゆく。その次に來たのはプリンセスだった。ドレス姿にティアラをつけて、「trick or treat !」。なにこれ、可すぎるんですけど。

怖いんだけど可らしい、ちょっと心がほっこりとした秋の夕暮れだった。

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