《【書籍化】これより良い件はございません! ~東京・広尾 イマディール不産の営業日誌~》第二十六話 私の強み

私の強みって、なんだろう?

私が雑誌で見たのは62平方メートルで3LDKという間取りだった。廊下などの不要部分は徹底的に排除してあり、全ての部屋がリビングインと呼ばれるリビングと扉で繋がった間取りだ。

玄関からり、廊下とも呼べないような短い廊下を超えるとリビングがある。そのリビングの壁に扉が幾つもついており、各部屋に繋がるのだ。

ただ、廊下やトイレ、風呂の無駄を排除するといっても限界はある。この件の場合、寢室のうち2部屋は4畳半しかなかった。

私は雑誌を閉じ、現在売り出し中の件を見返した。久保田様の予算で1番広いのは佐伯様の件だ。58平方メートルのこの件の立地は悪くないのだが、今のところまだ買い手がつかない。現在4580萬円で売り出しているが、期限までに売れなかった場合は3800萬円でイマディール不産が下取りする事になっている。この場合、イマディール不産で全面リノベーションされて売り出される。

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産売買と言うのは、とても難しい。

すんなり決まる場合は本當にすんなり決まる。中には売り出して最初の覧のお客様がそのままお買い上げということもある。

一方、すんなり決まらない場合はなかなか決まらない。イマディール不産の営業チームの人達に聞いた限りでは、売り出して3ヶ月経っても買い手が付かない場合は値下げを考えるべきだと言うのが皆の共通意見だった。

佐伯様の件に関しては、既に売り出しから4カ月が経過している。佐伯様自も再來月には引っ越しされるので、そろそろ決まらないとかなり厳しい。

***

「リノベーション……ですか?」

私の提案に、久保田様は目をぱちくりとさせた。眼鏡の奧の奧二重の目が、忙しなくパチパチと瞬いている。

私はこれまでの売買実績から久保田様の件が出て來る可能が限りなく低いこと、現在売り出し中の件にも希にそうものは無いことをまずご説明した。久保田様は目に見えてがっかりして落ち込んでいらした。その上で、私はこの提案を行った。

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「現在売り出し中の件で、最も久保田様の希に近いのはこちらになります」

私がお見せしたのは、もちろん佐伯様の件だ。今は2DKの間取りで、広さは58平方メートルだ。

「こちらに、リノベーションのサンプル図面を用意しました。このサンプル図面でのリノベーション費用がだいたい650萬円程度になります」

久保田様は私の用意した図面に見った。私が提案したリノベーションプランでは、ユニットバス換、トイレ換、キッチン全面換、フローリング、壁紙り替えに加えて壁も一部を抜いて3LDKへの改造をしている。ただし、58平方メートルで3LDKはさすがにきつかった。リビングダイニングは10畳確保できたものの、他の部屋は全て4畳や5畳しかない。収納スペースも殆どない。

「もう1つご參考に。こちらは標準的な間取りの場合です。かかる費用は同程度です」

私はもう1枚、図面を差し出した。そちらは2LDKになっている。いわゆる、イマディール不産だったらこの件はこうするという間取りだ。11畳のリビングダイニングの両脇に、7畳と6畳の部屋がついている。収納スペースもあり、よく見る一般的な2LDKだった。

久保田様は暫くそれらをじっと見ていらしたが、「家族とも相談してみます」と言った。

「承知しました。こちらの件ですが、現在売り出し中でして……」

「わかりました。早めにどうするか考えます」

久保田様は小さく頷くと、お見せした図面をクリアファイルに挾み、それを鞄にしまった。布製の黒いトートバックを肩に下げ、ペコリと頭を下げてオフィスを後にした。

「ありがとうございました」

私は久保田様を見送った後、接客室に戻り図面の控えをじっと眺めた。

きっと、久保田様が求めていた理想の件はこれではない。

もっと広くて、家族4人で過ごすのに適したゆったりとした住まいだ。

けれど、私の力ではこれ以上はご紹介出來そうになかった。綾乃さんや桜木さんにも聞いてみたが、首を振られるだけだった。やはり、件の希と予算が噛み合っていないと言わざるを得なかった。

口惜しいがこれが限界だ。私は久保田様にご提案させて頂いたあの3LDKを、ご家族が気にって下さればいいな、と思った。

***

久保田様にリノベーションをご提案して2週間が過ぎたこの日、私はお電話で佐伯様とお話していた。

電話って、わくわくするものとどんよりするものの2種類があると思う。今のこれは、間違いなく後者だ。

「こっちも覧の時間合わせて家に居るようにしてるんですよ?」

「はい。重々承知しております」

「とにかく、頼みますよ。本當に」

「はい……。お力になれず申し訳ありません。またご連絡させて頂きます」

相も変わらず佐伯様の件は売れていなかった。先日覧にお連れしたお客様からよい反応が得られなかったことを、私はまたもや電話でチクリと言われていた。

いつぞやの尾川さんのように、電話で話しながら思わず頭をぺこぺこと下げる。胃にブスッと棘が刺さる。栗をい(・)が(・)ごと食べたらこんなじなのだろうかと、他人事のように思った。

私は電話を切り、深くため息を吐いた。

こちらとしても売りたいのは山々だけれど、なかなか売れない。はっきり言って、こっちが泣きたい気分だ。桜木さんの『擔當代わろうか?』という言葉が脳裏をよぎり、私は慌てて首を振った。桜木さんは私よりもずっと多くの案件を抱えている。きっと、その中には佐伯様のように気難しい方もいらっしゃるはずだ。もうしだけ頑張ってみよう。そう自分に言い聞かせた。

それに、久保田様がちょうど今、この件を検討中だから、もしかしたらもしかするかもしれない。その事に一縷のみをかけた。

その日の午後、イマディール不産を訪れた久保田様が仰った言葉を聞き、私は驚いた。

「エリアを変える……ですか? 學校はよろしいのですか??」

「それが、図面を見せたら妻も現実が見えてきたみたいでして。他の不産屋さんでは『ご希に合う件が出たらご連絡します』と言われたまま音沙汰が無かったから、よく分かってなかったんです。住んでみてやはり狹くて引っ越そうとなるよりは、むしろ小中學生のうちに転校してずっとそこに留まる方が妻や子どもにもいいんじゃないかという話になりまして。藤堂さん、探してくれますか?」

久保田様は申し訳無さそうに眉をハの字にして私を見た。それを聞いたとき、1番最初に私の頭に浮かんだことは『また佐伯様の件、売れなかったな』ということだった。

正直、殘念に思った。けれど、すぐにそうじゃないよねと思い直す。私の今すべき仕事は目の前の久保田様の理想のおうち探しのお手伝いなのだ。久保田様にとって佐伯様の件が売れるかどうかなんて、遠い町で起こった知らないカップルの癡話喧嘩くらいにどうでもいい話なのだ。

私は申し訳無さそうに恐する久保田様ににこっと笑いかけた。

「もちろんです。ぜひ、お手伝いさせて下さい」

「ありがとうございます」

久保田様はホッとしたように息を吐く。

「子育てしやすくて、住みやすい町がいいと思いまして。渋谷にある會社に1時間以で通えると嬉しいのですが……。いくつか紹介して頂けますか?」

「はい。沢山ありますよ」

すぐに思い付いたのは東急田園都市線沿いだった。渋谷から神奈川県に向かってびる鉄道沿いは都心のベッドタウンとして閑靜な住宅街が広がっている。最近再開発も進み、子育て世代に人気の駅も多い。それに、京王井の頭線沿いも閑靜な住宅地が多いのでいいと思った。

私はさっそく報を數枚抜いて、久保田様に差し出した。久保田様はその件案を見て、目らかく下げた。

「持ち帰って、妻や子ども達と見てみます。ありがとうございます」

いくつかのご紹介した中で気にった數件を封筒にれたものを持ち、久保田様が笑顔でオフィスを後にされる。その後ろ姿を見送りながら、今度こそ気にって頂ける件があればいいなと思った。

自席に戻ると、桜木さんに聲を掛けられた。

「藤堂さん。久保田様、どうなった?」

「あー、力及ばすでして──」

私は一部始終を桜木さんに話した。自分なりに探したけれど、ご提案できるご希件が無いこと。その上で妥協案を提案したけれど、駄目だったこと……。

「そっか。まあ、あの條件だと正直厳しいよね」

桜木さんは納得したように、しだけ肩を竦めて見せた。そして、私の顔を見るとしだけ笑った。

「藤堂さんのそういうとこ、すごくいいと思うよ」

「はい?」

私は首をかしげる。

「大抵の同業者──俺も含めてだけど──は、あの希を聞いたら、無理と判斷してかないと思うんだ。現に、久保田様のところには藤堂さん以外からは連絡がいかなかっただろ? だけど、藤堂さんは探そうと頑張った。そういう姿勢って、すごくいいと思う。藤堂さんの強みになると思うんだ。お客様に寄り添う気持ちが伝わるって言うか──」

「ご希には添えなかったですけどね」

急に褒められた私は、咄嗟に照れ笑いを作って気恥ずかしい気持ちを誤魔化した。桜木さんは微笑んでこちらを見下ろしている。

「うん、そうなんだけど──。いつの間にか、いかに売るかばっかりに目がいってたから、俺も見習おうって反省した。きっと、藤堂さんの強みになるよ」

桜木さんは會話の中で何回も『藤堂さんの強みになる』と言った。

そうだろうか? 今のところ売り上げには全く繋がらないので、そうは思えない。けれど、そうだといいなと思う。

結局久保田様のご希に沿うことは出來なかったけれど、しでも理想に近いお家探しをお手伝い出來たなら、それほど嬉しいことは無い。これからも頑張ろうと、桜木さんの言葉にしの勇気を貰えた。

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