窓の方から顔を外さずにミレイネへ問うリーザロッテ。

「いいえ。ですが、その私を持っておられたのはすごいお方ばかりですので、何かそういったすごいものが乗り移ったのではないでしょうか」

「……あれらの源は、未練、執著、憎悪など、どろどろといつまでも分解されない凝り固まったの塊だよ」

「えっ？」

優れた王でも、晩節を汚す者が多い。徐々に衰えていく、思考、そして追いつけない時代の移ろい。それらが執著や未練を生む。自分はまだやれる、まだ國を良く出來る、名君であり続けなければならないと。志であったものが狂信へと変わる。王が狂えば民も狂う。それらが狂えば國が狂う。

そんな最悪に、玉座に座る者の首が挿げ変わる。

切り取られた首が持つ黒いや失明させるほどに眩い志はどこで消化されるのか。されずに殘り続けるのだ。

英雄と呼ばれ、勇者と呼ばれた人らはひとたび戦に出れば一騎當千、百戦錬磨だっただろう。だが、彼らが立つところには必ずが転がっている。敵のものもあれば味方のものも然り。彼らが百戦錬磨であっても、豪勇無雙であっても、親しい友人や知人は彼らのいない別の戦場で死んでいる。

幾多の凄慘な戦場を乗り越え勝利を手にしたところで、彼らは常に失い続ける戦場に毅然として立ち続けなければならない。そんな英雄らが何も思わず、狂わずいられるだろうか。

知らない誰かは守られても、語らい背中を預けた戦友は死ぬまで戦い、再會する頃には冷たくなっているものがほとんど。それでもその命を惜しむ暇も許されず死地に赴く。殘るのは何か。時の流れの中で褪せ形骸化した武勇と、勝利の酒に酔いしれ腐敗を辿る自國のみ。

「そなたらが聖と呼んでいる代は、そんな狂気の果てに殘った純粋なだ。それらは時がどれほど経とうが消えない。消えるのならば端から狂気の旅路の中で既に失っている。そなたらは、そんな狂気すらも道として扱おうと——」

ミレイネは思わず後ずさっていた。

聖人君子と呼ばれた名君の私も、國の滅亡を救った英雄の私も、そのどれもが狂気の中で、絶の中で、個人のみを、個人であることを極限にまで消去し戦い続けたれの果て。

そんなれの果てに込められたすらも他人(ひと)に読み取ってもらえず、道として『聖』などと仰々しい名稱を付けられ、ありがたがられる。

時間が経てばそんな有難みすらも風化し、単純に道としての価値だけが殘った。

そんな彼ら英霊を土足で踏みにじるような振舞いをしていたことに、ミレイネはただただ恐怖した。

「……黒炎の魔師は汲み取ったのであろう、無名な英霊のそんなれの果てを」

真っ黒なだったのか、狂気の中でも失わず守り続けた誇りだったのか、汲み取れない者には分からない。

それでも黒炎の魔師は、け取った魔力から英霊の意志をじ取ったのだろう。それが魔師の『制約』にれたのだ。

「……魔師としては短命だったであろうが、英霊すらも形骸化され価値だけが薄汚く殘る今の世で、お前だけが彼ら英霊の永遠に燻り続けるを拾い上げられたのだ」

リーザロッテは一區切りし、背筋をばしてから続ける。

「お前——、名も知らぬ黒炎の魔師、そなたに敬意を示そう」

それはミレイネがこれまで聞いたことのない溫かみのある言葉だった。

それからししてミレイネはテーブルを拭き、皿を乗せたワゴンを押してリーザロッテの部屋を出た。

一人になった大きすぎる部屋の中で、変わらず窓の方を向いたままリーザロッテは一人ごつ。

「……聖と呼ばれているものの中には、例を出させると必ず挙がる主要なものがある」

窓の外の太がうっすらと雲にかかり、魔力燈を點けていない部屋が薄暗くなる。

「その一つが、原典。エインズ、お前の記した書だ。……知っているか？　お前の書の生する魔力は、一般の人間が読めば発狂し死に至るほどの毒なのだそうだ、妾はじぬがな。聖の本質は先に話した通り」

ならば——。

リーザロッテのは、その聲からは読みとれない。

日が差し込んでいた溫かさも徐々に無くなっていき、薄暗い部屋はひんやりと冷え始める。

「お前の書、原典はそこらの聖とは比べにならん」

リーザロッテは窓の方を向きながら立ち上がり、ネグリジェをぐ。

きめ細やかながわになるが、この部屋にはリーザロッテ以外誰もいない。誰も彼のを見る者はいない。誰も彼のその時の表を見る者はいない。

「エインズ、お前は狂気の旅路で何を見た？　いまだ続く狂気の中で何を見る？　お前のれの果ては、どこにある？」

リーザロッテは引き締まったにを微かに揺らしながら足でベッドへ向かう。

「——我が師よ。妾はすでに旅路にいるのだろうか？」

リーザロッテはベッドの中へ潛り、小さくして眠った。

〇

「……そんで俺はなんでこんな堅っ苦しい執事みてえな恰好しているんだ？」

ここは居住區にあるブランディ侯爵の屋敷。

いま一つ自分の狀況を理解出來ず、執事服を著こなせていない巨大な軀の男。手はごつごつとしており、パンツに隠れる大筋の発達合は見事なもの。二つの大きな鋼鉄プレートのような大筋はその存在を隠せていない。

「ぷぷぷっ。タリッジ、君ぜんっぜん似合ってないね」

「そうですね。絶的に、壊滅的に似合っていません。馬子にも裝なんて言葉もございますが、タリッジは含まれないと但し書きをしておかなければいけませんね」

そんな目つきの悪い巨漢を前に、隠すことなく腹を抱えて笑うエインズと顔一つ変えずに冷酷な言葉を投げるソフィア。

「ソフィアって前から思っていたけど、けっこうズバズバものを言うよね」

「うじうじ煮え切らない言いは私自が嫌いですので」

澄ました顔で答えるソフィアに、

「……無理やり著せられて、こき下ろされる俺のことも考えてくれよ」

でかい図に似合わず肩を落とすタリッジ。

「まあ、いいじゃん。そのうち、タリッジのその、ぷっ、その姿も、見慣れる、ぶふっ、かもしれないん、だし？」

「おい、笑いがれ出てるぞその口から。溶接が必要か？」

なぜ今、タリッジがブランディ家の屋敷で執事服を著ているのか、話はスラムでの一件が終わった頃まで戻る。