《【書籍化】雑草聖の逃亡~出自を馬鹿にされ殺されかけたので隣國に亡命します~【コミカライズ】》欠けゆく月 02
ゲイルは二階にある自分の寢室で寢込んでいた。
マイアは寢室のドアを軽くノックする。
「誰だ」
「リズです。ってもいいですか?」
「ああ」
許しが出たので寢室にると、ゲイルは酷くだるそうな様子でベッドに橫たわっていた。普段からが悪いのに、更に目の下の隈が追加されて骸骨みたいになっている。
「大丈夫ですか、伯父様」
「……こちらが言い出した事だが、聖殿に伯父様と呼ばれるのは何かいたたまれない気持ちになりますね」
調子が悪いせいなのか、複雑そうな顔をするゲイルに笑いが込み上げてきた。
「演技を徹底するなら普段から、ですよね? 伯父様」
マイアはクスクスと笑いながらゲイルに近付いた。そして提案する。
「治癒魔をかけても構いませんか? しはがマシになると思います」
新月癥候群の原因はまだ完全に解明されてはいないが、月から送られてくる魔素が減することで、魔力が循環不全を起こす事が一因だと言われている。治癒魔でその循環不全を治してやれば、完全には治らなくても癥狀は和らぐはずだ。
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「今この時期に魔力を使ってリズは大丈夫なのか?」
「私は元々そこまで新月の調不良は出ないんです。近點月だとちょっと不安ですけど、たぶん癥狀が出るのは新月の日だけだと思います。今までもそうだったので」
「軽いんなら何よりだな。俺は駄目だ。新月の前後は一週間近くの調子が悪くなる」
それはマイアが知る中でもかなり癥狀が重い。思わず同の目をゲイルに向けると苦笑いが返ってきた。
「もしリズの魔力に問題がないのならかけてもらえるとありがたい。こんな事で聖の力を使ってもらうのは気が引けるが……」
「こんな事じゃないですよ、伯父様」
マイアはゲイルの手を取ると魔力を流した。
魔力は心臓の右隣、の正中線上に存在する臓だ。
そこが本來の機能を取り戻し、の魔力が正しく循環するよう願いを込めて魔力を送る。
「聖の魔力というのは気持ちいいものなんだな。まるでぬるま湯に浸かってるみたいだ」
「治癒をけた事はないんですか? 伯父様は《貴種(ステルラ)》なのに」
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マイアの中の常識では、聖の治癒は貴族、魔師、そして軍人の為のものだ。
國に囲いこまれる聖の治癒は、魔力に限りがある事から誰に施すかの優先順位が決められていて、特権階級に獨占されている。
聖の治癒魔で病を治す事はできないが、の痛みを和らげる効果はあるので、平民の重傷者よりも持病持ちの貴族の老人の痛みの緩和が優先される。
平民が聖の恩恵をけられるのは、基本的に月に一度、首都において行われる施療院の市民解放日の時だけだ。
なお、國に多額の寄進ができる大富豪はその限りではないところがこの世の中の世知辛い所である。
また、市民解放日は平民に対するご機嫌取りの政策だが、遠方の街や村からも膨大な數の申請があるので選によって順番が決められる。この選が公正なものなのかは正直疑わしい。というのも、市民解放日の治療に訪れるのは、綺麗な人が多いのだ。下町の人間と思われる人がいない訳では無いがない。選を行う人間の作為が働いているのではないかとマイアは疑っていた。
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なお、市民解放日の薄汚く荒々しそうな労働者や面倒な格の貴族など、聖の間で汚れ仕事と呼ばれる仕事はだいたい平民出の聖に回される。生まれた階級による格差というやつである。
それはさておき――。
「アストラの《貴種(ステルラ)》はこっちより數が多いからな……聖の治療順位は向こうにもあるが、優先順位が高いのは軍屬の魔師や軍人、次いで中央の政治屋や僚だ。俺は諜報に異する前は研究者だったんでな。大きな怪我をしたこともなかったからご縁自がなかった」
ゲイルの言葉にマイアは目を見張った。
「伯父様は研究者だったんですか?」
「ああ、魔の研究者だった」
ゲイルはベッドからを起こしながら答えた。心なしか顔が良くなっている。
「ありがとう。隨分と楽になった」
とはいえまだ本調子では無さそうで、痩せて管の浮いた腕が痛々しい。
「実は今でも研究は続けているんだ。々事があって諜報に回る事になって、糸屋を営む事になったから、これも何かの縁かと思って、布への魔付與を研究してる」
ゲイルはどこか遠くを懐かしむような眼差しで告白した。
「……そうだ、リズ、気が向いたらでいいから研究に協力して貰えないか」
「協力……?」
首を傾げたマイアに頷くと、ゲイルはベッドから降り立った。その途端ふらついたので、マイアは慌てて支えてやる。
人男ではあるが、ゲイルは小柄で痩せぎすなので、マイアでもどうにか支えられた。
「無理に起きない方がいいです。私が代わりに取りますから」
「けないな……すまないが、そこの戸棚の上に置いてある赤い冊子と、戸棚の上から二番目の引き出しの中にれてある箱を取って貰えないか? これくらいの奴だ」
言いながらゲイルは指で橫五センチ、縦七センチほどの長方形を作った。
マイアは頷くと、指示されたものを探し出して、ベッドに戻ったゲイルに手渡す。
するとゲイルは、一旦両方をけ取ったあと、冊子を開いてこちらに差し出してきた。
マイアは中を目にして目を見張った。
分厚い赤の冊子には、絹と思われる艶のある生の生地に、金糸で様々な魔式の刺繍が施されたものが何枚も綴られていた。
「これは……」
「魔布と呼ばれるものだ。魔の一種だな。その刺繍に使用している糸は、月晶石を線維化したものが混ざった絹糸だ」
月晶石というのは魔の核となる原料で、魔力を貯め込む質を持った鉱石である。魔が高価なのはこの月晶石が希なせいだ。
何度も繰り返し使える魔には研磨加工が施された月晶石が埋め込まれているし、使い捨ての呪符タイプの魔には月晶石の研磨過程で出た石屑が使われている。末狀にした石屑を練り込んだ特殊な紙とインクで作されるのだ。
「アストラシルクの染技を開発した研究者が次に作り出したのがこの月晶糸だ。この糸と特殊な針を使って魔式の刺繍を施すと布を強化する魔を付與できる事がわかった。それも一般的な魔と違って、込めた魔力がかなり長く持続する」
「長いってどれくらいですか?」
「刺繍の出來栄えにもよるが、俺の技量だとだいたい半月程度だ」
それは長い。マイアは目を見張った。魔の中に組み込まれた月晶石が魔力を留めておける時間は、もって丸一日程度というのがマイアの中の常識だったからだ。
そのため、魔は魔力保持者が魔の準備時間(キャストタイム)を短する為の便利な道という位置付けになっている。
「今は鎧並みの強度を持つ布がようやく実用化の目処が立ってきたって段階なんだ。布の質を殘しつつ強度を高めるのがなかなか難しくてな……今後は発熱・保溫効果や冷卻効果、魔耐を上げる布なんかを作れたらと思ってる」
「……もし功すれば、鎧や服の歴史が変わりそうですね」
マイアは布に目を落としてつぶやいた。半月も効果が持続するという事は、魔力保持者が定期的に魔力を補充してやりさえすれば、普通の人間の裝備としても転用できるという事に繋がる。魔力保持者の多いアストラにおいては、大幅な軍備増強に繋がるのではないだろうか。
「研究が進まない一番の原因は、それなりの裁の技を持つ《貴種(ステルラ)》がない事だな。なんせ魔力の発達が認められたらひたすら魔の勉強に打ち込むからな。そいつを刺したのは俺だが、この研究の話が來てから一から裁を始めたから、自分で見ても初期の作品はかなり酷い出來だ」
「…………」
確かにゲイルの言った通り、冊子の後半の方は様になっているが、前の方の作品は布が引き攣れたり線がガタガタになっていてお世辭にも上手とは言えなかった。
しかし率直な想を述べるのはさすがにはばかられ、マイアは沈黙する。
「布に魔を付與する為には、単に刺繍を刺すだけでは駄目なんだ。魔力を持つ奴が、自分の魔力を込めながらここにある月晶石製の針を使って刺さなきゃいけない。ついでに刺繍の出來も品質に影響する」
そう言いながらゲイルは手元の小箱を開けた。
その中には、金の糸と一緒に金の刺繍針が太さ違いで二本っていた。
「だから私に聲をかけたんですか?」
「それもあるが、聖の魔力そのものを閉じ込めた布が作れないかなと思ってな。治癒質を持つ魔力を付與した布を作れたら、兵の死亡率を下げられるかもしれない。だけど本國でも聖は希でね……そう簡単に何かを頼めるような存在じゃないんだ」
「……なるほど」
「嫌なら斷ってくれてもいい」
「いえ、面白そうなのでお手伝いします。的には何をすればいいですか?」
道中のいい暇つぶしができたと思えばいい。マイアは引きける事にした。
「材料と図案を渡すから、アストラに向かう道中でしずつでも刺繍を刺して貰いたい。最終的に首都にいるナルセス・エランドという《貴種(ステルラ)》に提出してしい。そいつが月晶糸の開発者だ。試してもらいたい新しい魔式ができたらその都度通信魔で連絡する」
「わかりました」
「できる範囲でいいからな。セシルにも伝えておく」
「はい」
「ありがとう」
ゲイルから深々と頭を下げられ、なんだか照れくさかった。
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