《【書籍化・コミカライズ】無自覚な天才は気付かない~あらゆる分野で努力しても家族が全く褒めてくれないので、家出して冒険者になりました~》2
「おかえりなさい、リリアーヌ」
「お母さま。……ただ今帰りました」
剣大會のトロフィーを侍従に預けたリリアーヌの元に、玄関ホールで自分を見下ろすアジェット公爵夫人、ジョセフィーヌが現れる。子供が六人いるとは思えない、若々しくしい華のような人がそこにいた。社界のボスとも呼ばれるが、かつて伯爵令嬢だった時は歌姫として國外でも活躍していた。音楽の庭の神が嫉妬する才能だと言われた歌はこの年でも衰えることなく、むしろ艶が出て魅力が増したという聲すらある。
リリアーヌとは姉と妹でも通用しそうなジョセフィーヌは、しかし公爵夫人らしい威厳をまとって末娘を出迎えた。
母親に向けるにしては禮儀作法に則りすぎた完璧な淑としての挨拶であったが、騎士服にを包んでいるためスカートをつまんだカーテシーではないのにその完璧な笑顔と優雅なふるまいは凜々しい裝いなのに誰よりも淑らしい。
ふわりとかぐわしい香りがしそうな空気にホールで出迎えていた使用人達は心で小さくため息をらしていた。
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「また男にじって大會に出ていたそうね?」
「はい」
「リリアーヌはの子なのに、困ったわねぇ」
「申し訳ありません」
剣大會で優勝するだけの者なら、じゃあこれを命令したウィルフレッド本人にそう言ってくれと反論でもしそうなものだが、リリアーヌは粛々と頭を下げる。優勝したのだと果を誇ることもなく、指南役であるウィルフレッドがそう指示したからだと弁明をすることもない。
トロフィーをけ取った、リリアーヌ付きの侍のアンナがぐっと息を呑む。
「暴な事ばかりじゃなくて、ピアノの練習もちゃんとしてるの?」
「はい、お母さま」
「んーん、ダメよ。昨日サロンで弾いていたけど運指に気を取られていてを込めるべきところでもたついてたわ。音楽には毎日れないとダメよ?」
「かしこまりました。……ウィルフレッドお兄様の帰宅後にご指南いただくことになっているので、それまでピアノに向かいます」
「まぁ、まだ剣を振るの……? はぁ……傷が殘るようなことはやめて頂戴ね」
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「かしこまりました」
けだるげな空気を醸し出しながら、しい顔(かんばせ)に憂いを滲ませたジョセフィーヌはゆったりした足取りで玄関ホールを後にした。
傷が殘るかどうかは武の指南役のウィルフレッド次第なのだが、事実だとしてもそう伝える事をしなかったリリアーヌは頭を下げてそれを見送る事しかしない。
「リリアーヌ、おかえり」
「……コーネリアお姉さま、ただ今戻りました」
ピアノに向かう前に一度騎士服を著替えようと自室に戻るところだったリリアーヌは、アジェット家の次、コーネリアに呼び止められて足を止めた。
その手には、昨日リリアーヌがコーネリアに提出した魔道の仕様書がある。常に眠そうな目をしているこのはリリアーヌと並ぶと姉と妹を間違えそうな小柄なだが、この若さで國外でも有名になっている數々の発明をした、稀代の魔と名高い錬金の天才だ。
「これ。仕様書通りにかしたいなら魔導回路の設計が甘い。理想環境でしかこの數字出ないから」
「はい、申し訳ありません」
「もうし実際に使えるもの作ろうか、リリアーヌ」
たとえばここ、と立ったまま解説を始めたコーネリアの手元を真剣な目で覗き込む。特徴的で、天才ゆえに覚的な話し方をする、常人では理解が難しいコーネリアの言葉に、まだ學園では習っていない高度な容の次元でリリアーヌは食らいつくように付いていっていた。
「再提出は今週中に」
「かしこまりました、コーネリアお姉さま」
仕様への書き込みで真っ赤になった書面をけ取ったリリアーヌは、自室の機にそれを置くと騎士服を著替えるのを諦めてサロンに向かった。ウィルフレッドが勤務を終えて帰宅するまでと考えると練習時間はあまり殘っていないと判斷したためだったが、騎士の姿のままピアノを奏でていたのをジョセフィーヌに見咎められ、また注意をけてしまうのだった。
「リリアーヌはもう寢てしまったのか?」
プライベートフロアのサロンにやってきたアジェット家の主、公爵が長男のジェルマンに聲をかけた。王太子の執務室で側近を務める息子が、自分よりほんのしだけ早く帰宅していたのを知っていたからだ。
「私が帰宅した時にはもう明かりが落ちていたからとっくに寢てると思いますよ」
殘念そうにそう告げるジェルマンに、公爵も眉を下げる。公爵は、宰相として城で過ごす部屋を與えられてるというのに家族の顔を見るために出來るだけ家に帰りたがる妻家で子煩悩な仁だと有名だった。
繁忙期となっているせいで二日ぶりの帰宅になったが、どうやら一番の目的は葉わなかったらしいと察した家令が気の毒そうに壁際で控えたまま苦笑いをする。
「また今日もうちのお姫様にはおやすみすら言えなかった」
大げさに、がっくり肩を落として見せた父の姿に、ジェルマンを含めたその場にいた家族は笑った。
「私ももう三日もリリと會話ができていません。王太子の付き添いの剣大會で、あの凜々しくも可い姿を遠目に見ただけで」
「私に比べればまだマシだろう。陛下がこき使うせいで毎日家に帰る事すらできないなんて」
末娘に會えないと嘆く二人を前に、ジョセフィーヌはその社界の華と呼ばれる見惚れるような笑顔を向ける。
「可哀そうだわぁ、二人とも。夜が遅いせいで、まだリリの練習を聞けないなんて」
「母上、うらやましくなるので自慢はおやめください」
「最近また腕を上げたのよ! あの年であの譜面をあそこまで正確に奏でられる奏者なんて他にいないんじゃないかしら。あそこにさらにが込められたら……ああ! 年末の謝祭が楽しみだわ」
「自慢はやめてくださいと言ったじゃないですか!」
「兄さん、元気出して」
「コーネリア……」
「まぁ、私はリリと魔道の設計について有意義な時間を過ごしたけど」
「お前も自慢か」
やれやれと言ったようにジェルマンは首を振る。
「ここのところ剣大會前の追い込みだと言ってリリはウィルフレッドに獨占されてたと思ったら、開発中の魔道のブラッシュアップでコーネリアに取られそうだな」
「無駄に獨り占め、してるわけじゃない。必要な事。リリがせっかく開発する魔道に、ケチつける奴が絶対出てしくないだけ」
「そんなこと言って、開発會議だって口実にリリとお茶でも飲みながら楽しい時間を過ごしてるんじゃないか?」
「そんなことしてない。厳しくしてるもん。リリが店を出すときに経営で口出してた自分の自己紹介? 兄さんこそ経済の講義だって言いつつ、甘やかしてるんじゃないの?」
「私は甘やかしてなんかいない」
にらみ合ったままバチバチと火花を散らすニ番目と三番目に、あらあらと困った顔をしたジョセフィーヌが仲裁する。
「二人とも、リリの取り合いをしないの」
「俺は母さんこそリリを甘やかしてそうで心配だが」
「あら、私は音楽に関してはびいきはしないと決めてるのよ!」
「兄弟の中で唯一音楽の才能があるからと、リリをいつもベタ褒めしてる方の言葉ですからね……いまひとつ信憑が」
「ウィルフレッドこそ、しでも一緒に過ごす時間を作りたいからって、いい加減リリに武を仕込むのはやめなさい。護ならもう十分でしょう、リリが怪我したらどうするの」
「俺が教えるときは十分に注意してますし、何よりあの才能なんですよ? 別を理由に取り上げるなんて時代遅れだ」
「じゃあ他の人が教えるんでもいいのかしら?」
「ダメだそんな! ……いや、俺が教えたいからではなくて、可いリリに騎士とはいえ男を近づけるのは……」
言い訳をするウィルフレッドの姿に、兄姉は「仕方がない奴め」という顔をする。
「アルフォンス、晝夜逆転してるお前はリリと生活サイクルがずれてるくせに余裕だな。お前もリリとしばらく口を利いてないんじゃないのか?」
「ん? 俺はね、明日の朝にリリの新作を添削指導することになってるから。その時たっぷりリリを摂取できるからいいんだよ」
「まったく、お前も自慢か……稀代の小説家A・Aが手ずから文章を指導するなんて、お前のファンが聞いたら嫉妬の嵐が吹き荒れるな」
「いやいや、アネット・Jのファンとしてこれは俺の趣味でやってるんだよ」
「それよりも、お前がリリの起床時間に合わせて起きられるのか?」
「大丈夫、実はさっき起きたところでね。このまま朝まで執筆と、リリの新作を読んで校正もれるつもりだから」
「不健康な奴め」
長男が嫉妬半分で弟をいじる橫で、國で最強の魔導士と呼ばれる公爵閣下は寂しそうに、「リリが魔法の指南をけたがるような用事は何かないか?」と家令に確認をしていた。
「まぁでもアンジェリカよりは恵まれてるだろう。なんたって私は同じ屋敷で暮らしているわけだからな……」
「いや、アンジェリカは王太子妃としてリリにまた肖像畫の依頼を出してたからしばらく定期的にリリを獨り占めするんじゃないかな」
「なんだって? そんなもの、リリに會う口実じゃないかどう見ても! おのれ職権用しおって……」
「まぁでも、リリは実際あの年で王宮のお抱え絵師に並ぶような絵が描けるんだからすごいよ」
「いいや、それもあるが口実に決まってるだろう! 第一絵ならアンジェリカが自分で描けばいいじゃないか! もちろんリリの描いた絵はアンジェリカの作品にも迫るような素晴らしいものだが……」
「それはそうだけど」
畫家として、海外にも出店する大人気ブランドを立ち上げたデザイナーとして有名な王太子妃。その長と勝るとも劣らないと言葉を盡くして賛辭を贈り、盛大に末っ子を可がる父の言葉に、その妻と子供たちは微笑ましいものを見る目を向けた。
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