《【第二部完結】隠れ星は心を繋いで~婚約を解消した後の、味しいご飯とのお話~【書籍化・コミカライズ】》5.愚癡もなにもかも、全て食べて飲んでしまおう

「で、お前はこれからどうするんだ?」

「どうする、とは?」

わたしが空豆の皮を剝いていると、ロールキャベツをぺろりと食べ終わったノアが口を開いた。全て皮を剝いてから食べようと端に寄せた空豆を、いくつか小皿に載せてからノアの方へと押しやった。わたし達の間には席一つ分が空いているから、同じお皿からつまむ事は難しい。

「仕事。やめるつもりだったんだろ?」

「まぁねぇ。婚約相手が子爵家嫡男だったし、わたしも家にるつもりだったけど……明日上司に相談するつもり。このまま働かせて貰えないかって」

「お前なら家の手伝いでも生活していけそうだけどな」

「わたしは司書の仕事が好きなのよ。家族はいつでも商會の仕事を手伝ってくれていいって言ってるけど、甘えるのもなぁってじ」

剝き終えた空豆をひとつ口にれる。ほろ苦さとしょっぱさにエールが飲みたくなる味しさだ。ほくほくとした食を楽しんでからエールを呷った。

「いい機會だし一人暮らししようかなって考えてるのよね」

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「親父さんが泣くぞ」

「間違いないわね。でもわたしも二十歳のいい大人だし? いつまでも実家に甘えていられないじゃない」

ノアは頷きながらホットワインを飲んでいる。仄かに香る葡萄の匂いに、やっぱりエールはやめて次はそれを飲もうと決めた。奢りだし。

「まぁどうにかなるでしょ。あんたは? 何かいい話とかないの?」

「ねぇなぁ。出來る事なら毎日だらだらして過ごしてぇ」

「本當に何をしているか謎な男よね」

「男は多謎があるくらいでいいんだよ」

肩を竦めるノアがワインのおかわりをエマさんに注文する。わたしを見て、いるかとばかりに首を傾げるからひとつ頷いた。それを見たエマさんはわたしの分のワインも用意してくれるだろう。

「そういえば婚約解消の件なんだがよ、本當に解消出來んのか? 相手方から持ってきた縁談だろ。相當ごねるんじゃねぇのか」

「ごねるだろうけど、條件が覆されちゃったもの。父が絶対に守って頂きたいって口を酸っぱくしていたのが『わたしを蔑ろにしない事』だったけど、それが破られたわけでしょう? なんせ真実ので結ばれた二人だものね。ちゃーんと元婚約者にもそのお相手にも、相思相であるって一筆を貰っているから、相手方は解消をれるしかないんじゃないかしら」

「この後いろいろめんどくせぇ事になりそうだけどな」

「やめてよ、こわい事言うのは」

肩を竦めながらも、心でわたしもそれは考えていた。

ブルーム商會の援助がしいトストマン子爵家は、どうにかして関係を繋げていたいと思うだろう。商會は貴族社會との繋がりもあるから、多の事は問題にはならないだろうけれど……なんだか面倒な事になりそうだとは思っていた。

「まあ、愚癡くらいならいつでも聞いてやる」

「え、ノアが優しい」

「お前は俺を何だと思ってんだ。傷心のに冷たくあたるほど酷い男じゃねぇよ」

「別に傷心ってほどは……ううん、まぁ多はちくちくするけど」

空豆を食べながら、ホットワインを傾ける。程好く溫められた赤ワインがのあたりをじんわりと溫めてくれる。ふぅと吐いた息は酒が濃い。

ノアはテーブルに頬杖をつきながら口元に笑みを浮かべている。分厚い前髪と眼鏡のせいで目元は全く分からないけれど、気遣ってくれているのは雰囲気でわかる。

「……好きか嫌いかって言われると、別にときめくようなはなかったのよ。それでも、穏やかで誠実な人だと思ったから、それなりに仲良くやっていけると思ったの。別に貴族に嫁ぎたいわけじゃなかったけれど……たかが裕福な商人の娘だとか、平民風だとか、そういう差別意識を強くぶつけられると何だか、ねぇ。そういう人だったんだって、落膽してしまうのよ」

ノアは何も言わずに、ワイングラスを傾けながらただ頷いている。

カウンターの向こうでは、マスターとエマさんが仲良く並んで洗いをしている。流れる水の音、食がぶつかる音、それがなんだか心地よかった。

「うまくやれると思っていたのはわたしだけで、向こうにとってはそうでなかったのよね。會う間隔が空いていって、會う日にだって迎えに來なくなって、遅刻をするようになって。季節の挨拶に手紙を送っても無視されて、こまめに贈ってくれていた花もなくなって……蔑ろにされるのって、やっぱり苦しいわ。そういう意味では傷ついているのかもしれない」

「裏切られるってのは大なり小なり苦しいもんさ。傷付くのも當たり前だろ」

「そうね……うん、そうよね」

寄り添うような優しい言葉に小さく頷くと、鼻の奧がツンと痛む。それを誤魔化すようにグラスに口をつけると、まだ溫かなワインを口に含んだ。ゆっくり飲み込むと、の奧につっかえていたもやもやまで溶けていくようだった。

「どうしても嫁に行きてぇなら、俺が貰ってやるから心配すんな」

「求婚するなら顔を見せてからにしてよね」

「はは、違いねぇ」

冗談めいた言葉を本気にするほど、いわけでも真っ直ぐに在れるわけでもない。それでもこんな気軽なやりとりに心が救われるのも本當で。

浮かれた気持ちと悲しい気持ち、両方がじった不思議な覚も全て飲み込んでいけそうだ。

「……婚約解消できて嬉しいけれど、それも……あの人が浮気なんてしなかったら、わたしを裏切らなかったら解消をむ事もなかったなんて、なんだかよく分からないわね」

「結婚する前で良かったじゃねぇか。浮気する男は結婚する前だろうが後だろうがするぞ。だけど婚約解消と離婚とじゃ手間も面倒も変わってくるからな」

「隨分詳しいのね。経験者?」

「黙権を発する」

けらけらと笑いながら言うものだから、冗談なのか真実なのかも曖昧だ。だけれどこの男はそれでいいんだと思う。深くを求めない、ここでしか會わない、そんな友人関係があってもいいと思う。

「まぁ今日は飲もうぜ」

「奢りだしね」

何度目かも分からないグラスを掲げる形の乾杯をしたわたし達は、いつもよりも深酒をした。

味しいお酒と味しいおつまみ。気楽なやりとり。

閉店の頃はもう殆ど眠ってしまっていたけれど、お願いしていた通りに家令のマルクが馬車で迎えに來てくれた事は覚えている。

そうして當然というか何というか、次の日はひどい二日酔いで散々な目に遭ったのだった。

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