《【第二部完結】隠れ星は心を繋いで~婚約を解消した後の、味しいご飯とのお話~【書籍化・コミカライズ】》6.男爵令嬢の突撃と夕星の騎士様
わたしの婚約は無事……といっていいのか分からないが、解消になった。
トストマン子爵家からは考え直してしいと何度も懇願されたらしいけれど、『フェリクス様は真実のを見つけられたようですし』と、ひたすらにそれを繰り返したら諦めたよと兄が言っていた。いい笑顔で。
浪費を重ねたトストマン子爵家がどうなるのか、それはわたしにも分からないけれど……まぁもう気にするだけバカらしいからやめた。
ちなみに商會(うち)の支店は隣國に出す事に決まったらしい。最初から隣國に直接出店すれば良かったな、なんて父は言っていたけれど……それがどれだけ大変な事なのかは知っている。わたしの婚約が解消になった事で、迷をかけてしまったと思う。
結婚したら退職する予定だった図書館だが、上司に相談するとそのまま勤務出來る事になってほっとしている。
人手不足は相変わらずで、辭めないでくれるなら助かると言って貰えたけれど、それも上司の優しさだろう。わたしに出來る事は司書の仕事を一生懸命頑張るだけ。
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婚約解消が認められて、もう十日ほどになる。多の噂話にはなっているらしいけれど、わたしの耳に直接ってこない限りは放っておく事にしている。その、人々の興味も違うものへと移っていくでしょう。
なんて思っていたのに。
本の貸し出しカウンターの前で腰に手を當ててわたしを睨んでいるのは、キーラ・フリッチェだった。二度と會わないだろうと思っていたのに、まさかの展開に頭を抱えたくなった。
「アリシアさん、ちょっと宜しいかしら」
「申し訳ありません。仕事中ですので私語は慎みたく──」
「あなた、トストマン子爵家に何をしたの」
わたしの話は聞くつもりがないようだ。
前回カフェで見た時は気の弱そうな表をしていたのに、今は正反対の顔をしている。でもか弱いふりをしていたあの時より、こっちの方がずっといい。
「何もしておりませんが……」
「噓おっしゃい。じゃあどうして私とフェリクス様の婚約が進まないの」
そんな事をわたしに言われても。
「わたしとトストマン子爵家令息の婚約は円満に解消されております。それ以降はわたし共は関知しておりませんし、家同士のお付き合いも遠慮させて頂いておりますが」
「噓よ。あなたが父親の力を使って、私達の婚約を邪魔しているんでしょう。フェリクス様に未練があるからってひどいわ。あなたが選ばれなかったのは、そういう意地悪なところを見抜かれたからなのよ」
「そうおっしゃられましても……」
意地悪とな。
未練もないし意地悪もしていないんだけどな。
り付けた笑顔がひきつってくる。
本を借りに來館しているお客様も、何事かとこちらを窺っているのが見える。そうだよね。キーラ・フリッチェの聲って大きいからよく響くもんね……。これはまた噂話になってしまうな。
「私とフェリクス様の婚約が進むように、ちゃんとしなさい。いいわね」
「お言葉ですが、本當に何もしていないのです。トストマン子爵家令息に確認なさった方が宜しいかと……」
「フェリクス様が言っていたのよ! あんたが妨害しているってね!」
あんた呼ばわり。そして聲が大きい。
「申し訳ありませんが、もうし聲を抑えて下さいませんか。ここは図書館ですので……」
「私の聲が大きいって言いたいの?!」
大きいです。
はてさてこれはどうしたものか。とりあえずこの人をここから離した方が良さそうだな。
そう思ったわたしは、【離席中】のプレートに手をばした。
これと呼び出しボタンを置いておけば、本を借りたい人はそれで他の司書を呼んでくれる事になっている。
「すまないが、しいいだろうか」
プレートをカウンターに置くよりも早く、厳しそうな低音が響いた。
そちらに目をやると、いつの間に來ていたのか騎士が一人。鎧姿ではなく、紺の詰襟姿が特徴的な騎士の制服を著ている。
「あっ……」
キーラ・フリッチェが高い聲を小さくらす。先程までわたしに詰め寄っていた時の、怒気を孕んだ棘のある聲とは大違いだ。
しかし、キーラ・フリッチェを非難する気にもなれないというか……これは聲が高くなるのも仕方ないというか。わたしの鼓まで思いっきり跳ねたくらい。
ジョエル・アインハルト様。
騎士団の中でも一、二を爭う人気の丈夫がカウンターの前に立っていたからだ。
「本を探しているのだが、案してくれるだろうか」
「はい、かしこまりました」
わたしは手にしていた【離席中】のプレートと、呼び出しボタンをカウンターの上に置いた。キーラ・フリッチェは熱の籠った眼差しでアインハルト様を見つめている。
「令嬢、ここは様々な人が集う場である。大きな聲は控えたまえ」
「は、はいぃ……」
窘められているにも関わらず、キーラ・フリッチェの瞳が熱を持って緑を濃くしていく。頬が染まり、どこから見てもする乙だ。いやそれもそうなるよね。
王都の憧れの的、アインハルト様に聲を掛けられたらそうなるわ。容はちょっとアレだとしても。
「では失禮する。ブルーム嬢、戦集の場所まで案を」
「はい」
カウンターから出たわたしは、キーラ・フリッチェに禮をしてから歩き出した。
わたしのし後ろをアインハルト様がついてくる。戦集の棚はし奧まった場所……んん?
先導しながら、わたしは不思議に思っていた。
戦集はよく騎士団の面々が借りていく。アインハルト様もその一人で、必要な本を自分で探して借りていくのだが……。
「こちらが戦集の棚になります」
「ありがとう」
棚の前で足を止めて振り返る。
ひとつ頷いたアインハルト様は、目的の本の場所が分かっていたとばかりに、迷うことなく一冊を抜き出した。
「……こちらこそ、ありがとうございました」
「何がだ」
本からわたしへと、アインハルト様の視線が移る。いけない、直視してしまった。
黒髪を後ろにで付けるようにしているからか、形のいい額がになっている。二筋ほど落ちた前髪が計算されたかのような気を醸し出すほどだ。
意志の強そうな眉、通った鼻筋、薄い。どの部分もしさの塊みたいな人なのだが、一番目を引くのはその瞳だった。
濃紫に星を落としたような金の虹彩。夕星の騎士なんて二つ名は誰がつけたのか知らないけれど、この瞳からつけられたのだろう。
「助けてくださったのかと」
「館で大聲を出されるのは迷だ。貴方が気にする事ではない」
「でもおかげで助かりました。ありがとうございます」
やっぱり助けてくれたんだ。
仕事中じゃなかったら惚れていたかもしれない。というか、仕事中だと自分に言い聞かせている。
「自分の手に負えぬのであれば、誰か呼ぶべきだ」
「はい、次からはそうします」
「分かれば良い。ではこれを借りよう」
「貸し出し手続きを致しますね」
カウンターまでの道を戻る。並んで歩いているからか、來館しているお客様の視線が痛い。
ただでさえアインハルト様は人目を引くのだ。司書の名札を元につけていなかったら嫉妬の視線で焼かれてしまっていたかもしれないな。
「……ブルーム嬢。他にも本を読もうと思うのだが、何かないか」
「新作で推理小説が出ていますが、いかがですか? 人気作家ですのですぐに借りられてしまうのですが、先程返卻されたばかりなんです」
「ではそれを借りよう」
「承知致しました」
いつも戦書しか借りないアインハルト様が珍しい。いや、知らないだけで実は読書が凄く好きなのかもしれないけれど。
この推理小説はわたしも読んで面白かったものだから、アインハルト様も気にってくれるといいな。
カウンターに戻ると、幸いな事にキーラ・フリッチェはいなかった。それにほっと安堵の息をつきながら、戦書と推理小説の貸し出し手続きをする。
二冊まとめて差し出すと、それをけ取ったアインハルト様は目を細めた。
「ありがとう」
「いえ、素敵な時間が過ごせますように」
颯爽と去っていくその後ろ姿さえ眩しい。張が解けてカウンターに突っ伏してしまいそうになる。何とかそれを堪えて周囲を窺うと、來館していた陣が皆一様にぽーっと熱に浮かされていた。
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