部屋の明かりを兄が燈す。

そのまま暖爐に近付いて薪を足してくれた。既に赤く燃える薪がく度に、はらはらと火のが舞い落ちていく。

わたしはし冷めてしまった紅茶でを潤した。ふぅと小さく息をついてから、疲れきっている父へと目を向ける。

どんなに難しい商談でも、王族との謁見でも、ここまで疲れ果てた様子を見せなかったのに。父には悪いが、留守扱いにしてくれて本當に助かったと思ってしまうくらいだ。

「子爵様はフェリクス様がこんな事をしているって、知っているのかしら」

「前回の手紙を送った後、謝罪を記した手紙は頂いたぞ。迷をかけて申し訳ない、今後はこのような事がないようにすると」

「いや、でも今日の來訪は知っていたんじゃないの？　子爵家としては謝罪して婚約解消にも同意したけど、本音を言うならやり直してほしいんでしょ」

父の言葉に、兄が肩を竦める。ソファーに戻ってゆっくりと足を組んだ兄の、その口元には皮げな笑みが浮かんでいた。

「あのご令息はこのままだと家を継げないらしいからね」

そうだ、家を継げない。

わたしが居間に來てからも、そんな事を耳にしたけれど……。わたしはよほど不思議そうな顔をしていたのか、兄が肩を揺らし始めた。

「さっきもそんな事を言っていたわよね。フェリクス様がそう言ったの？」

「そう。このままだと弟が家を継ぐ事になるって。だから自分とブルーム商會との縁は切れていないという事を父──トストマン子爵に伝えてほしいって」

「呆れた。でもそれって本當なの？」

同を引こうとしているんじゃないか、なんて穿ってしまうのはし格が悪いだろうか。紅茶をもう一口飲んでから、テーブル上のソーサーに戻した。

「本當らしいわよ。貴重な縁を一方的に斷ち切って、社界ではいい笑い者になっている息子にトストマン子爵が怒っているって」

おっとりとした聲で言葉を紡ぎながらも、母の瞳には相変わらず怒りのが強い。溫厚な母だけれど、そんな母も今回の事は腹に據えかねているようだ。

「子爵家の縁談は全て止まっているらしいな」

濡れタオルをテーブルに置いた父が、傍らの母の肩を抱く。母も慣れた様子でを寄せる。仲睦まじいこの姿は、ブルーム家では見慣れたものだ。

わたしは父の言葉に、トストマン子爵家の事を思い出していた。

フェリクス・トストマンの他にも、人されたご弟妹がいたはずだ。

「あの家には妹君と弟君がいらしたわよね」

穏やかそうな笑みを浮かべる、控えめで、しい人達だった。

「家同士で結ばれた婚約を一方的に破棄するような人は信用できないってことさ。その息子を育てた親も、一緒に育った弟や妹も同じことをするんじゃないかって、一線を引かれているらしいよ」

「それはなんだか不憫だけれど……兄さんもよく知っているわね」

「報を集めるのは大事なんだよ。うちみたいな店をやっているなら、特にね」

兄の報に舌を巻いていると、にっこりと金の瞳が細められる。

素晴らしい後継者が居てブルーム商會は今後も安泰だ、なんて言う人もいるけれど、贔屓目を抜きにしてもその言葉は間違いではないのかもしれない。

「しかしこのままあのご令息が引き下がるか……」

父の溜息が室に響く。それに同意するかのように、風が強まって窓が揺れる。

そんな父の様子にくすりと笑みをらした母は、優雅な笑みを口元に乗せる。商家の妻が浮かべるものではなく、貴族めいた笑みだった。

「では実家(伯爵家)を頼りましょう」

穏やかだけれど、有無言わせぬ強い響き。

「貴族の事は貴族で解決するのが一番ですもの。可い孫娘の為よ、お父様が否というわけがないわ」

「そう……だな。お義父様に迷をかけることになるが……すぐにでも手紙を書こう。この件についてお義父様達は知っているのだろう？」

母の言葉に父が思案するのも一瞬の事だった。大きく頷いた父は困ったように眉を下げる。

「知っているでしょうね。わたくし達もお小言を覚悟しなければならないけれど、それも當然」

「……なんだか、皆に迷をかけているわね。ごめんなさい」

家族を悩ませる原因となっているのは、わたしの婚約解消だ。こんな騒ぎになるはずではなかったのだけど。

思わずと謝罪の言葉を口にすると、兄が首を橫に振る。

「アリシアが謝る事はないだろう。悪いのはフェリクス・トストマンで、アリシアは一番の被害者だ」

「私があの婚約話をけた事が原因だ。アリシアがそんな事を思う必要はないんだよ」

「そうよ。あなたはゆっくりと心を休めるのがいいわ」

皆がそれぞれめる言葉をくれる。

有難いと思う反面、申し訳なさが募るのも仕方のない事だと思う。

わたしはカップを手にすると、その冷たさに小さく息をついた。カップ同様に冷えきってしまった紅茶でを潤す。

「ありがとう。もう本當に、終わってくれるといいんだけど」

切実な願いは溜息の中に溶け消えた。

「伯爵家の介があればトストマン子爵もおとなしくなるでしょう。ご子息はうちに貴族の後ろ楯がある事を忘れているのかもしれないわねぇ」

「忘れていると思うわ。だって婚約破棄を突きつけられた日に、子爵家の後ろ楯を失って殘念だったなって言っていたもの」

「あらあら。それだもの、うちを下に見るわけねぇ」

くすくすと笑う母の目が笑っていない。

わたしの事だけでなく、ブルーム商會、引いては夫を蔑ろにされているのが許せないのだろう。母は家族が強い人だ。

「商會(・・)を妨害できる程の力はないだろうし、これで決著するでしょ……子爵家の方は。あとはご子息がこれ以上の馬鹿騒ぎを起こさない事を祈るだけだ。アリシアの職場は大丈夫？」

兄の問いに小さく頷いたわたしは、カップを靜かにソーサーに戻した。冷えてしまった指先を暖めるよう、膝の上でぎゅっと手を握りしめる。

「上司は同的だし、圧をかけられたりはしていないわ。図書館は陛下直轄の施設だから、他貴族から介される事もないはず。だから子爵家や男爵家が、わたしをやめさせるというのも出來ないと思う。わたし達図書館職員は、陛下から任命されて勤務しているわけだから」

「それを知らない男爵家のご令嬢とかが突撃してくる事はない？」

母が心配そうに表を曇らせる。

大丈夫とわたしはにっこりと笑って見せた。

「騎士団詰め所と近いし、よく騎士の方々も本を借りに來るの。何かあったら頼るようにって、言ってくださっているわ。まぁ実際に頼るのは気後れしてしまうけれど、騒ぎになれば騎士様が來てくださると思う」

「それなら良かった」

まぁあとはトストマン子爵が、ご子息を言い聞かせられるかどうかだと思う。

社界を離れた母はともかく、子爵家に嫁いだ姉は今回の件をお茶會で話しては涙を流しているそうだから。

わたしに、ブルーム商會に、同票が集まっている中でこれ以上騒ぎを大きくするのは、トストマン子爵も避けたいところだろう。

話がひとまず纏まったところで、居間の扉がノックされる。

腕時計をちらりと見ると、ちょうど夕食の時間だった。

味しいものを食べて、元気になろう。

そう思ったわたしは勢いよく立ち上がった。