《【第二部完結】隠れ星は心を繋いで~婚約を解消した後の、味しいご飯とのお話~【書籍化・コミカライズ】》22.クリームクロケットに思い出すのは
朝方には吹雪もおさまってたらしい。起きてみれば雪の白さも相俟(あいま)って目が痛くなる程の晴天だった。澄み渡る空には雲ひとつなく、空の青と雪原の白がしいのに目には優しくない。
父と兄、そしてマルクが頑張って雪かきをしてくれたおかげで、玄関から門までの道は確保されていて、わたしは無事に出勤する事が出來た。
この雪を使って商會事務所や家の庭に大きな雪像を作るらしい……が、どこからその元気が出るのだろう。父も兄も子どものように目が輝いていた。
出勤したら既に仕事を始めていた上司に、無理しないで良かったのにと言われてしまった。無理なら來ていないですよ、なんて笑って答えたけれど……聞けば當の本人は泊まり込みをしていたらしい。出勤できなかったら仕事ができなくて困る、とは上司の談だ。
いつも疲れた顔をしているこの上司は、図書館の仕事に生き甲斐をじているらしい。唖然とするわたしを目に、いい笑顔だった。
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図書館周りの雪は、騎士団の方々が鍛練になると言って片付けてくれたそうだ。
王宮周りの除雪は終わっていたけれど、町の中はこれかららしい。足元も悪くて出歩くのが大変だと、本を返卻しにきた宿屋の將さんが零していた。
道理で今日は來館される方がないはずだ。返卻日を過ぎないようにと來てくれた市井の人々。それから資料を探しにくる文方。
利用者はないのに、外は何だか騒がしい。珍しいほどの積雪を楽しむのは、どこか非現実的なものをじているのかもしれない。
そんな不思議な午前中だった。
「元気がないわね。元婚約者がまだ何かしている?」
心配そうな聲が耳を打つ。
その不意打ちに驚いて、わたしは肩を跳ねさせた。
わたしの前に座っているのはウェンディで、ここは王宮で職に就く者専用の食堂だ。
それを改めて認識すると、周囲の喧騒が一気に戻ってきた。どうやらしぼんやりしてしまっていたらしい。
「前に図書館に突撃してきたでしょ? その後はあの男爵令嬢も來たし……まだ困らされているんじゃないかと思って」
とうもろこしのポタージュを飲みながら、ウェンディは言葉を紡ぐ。その聲もその表もわたしを心配してくれている。
その思いを有り難くじながら、わたしは首を橫に振った。
「いいえ、あれから直接お會いする事はないの。ほら、謹慎されているそうでしょう? ただ……こまめに手紙やお花が贈られてくるけれど」
「謹慎しているのに? あなたのお祖父様から釘を刺された子爵が、もうブルーム家に関わらないように言い聞かせたって社界でも噂になっているのに」
「そうなんだけど、どうも子爵家の中にあの方(ご令息)への協力者がいるみたいで。贈られたお花も手紙も、申し訳ないけれどそのまま送り返しているの。だから子爵様もこの事はご存じだと思うんだけど……」
ウェンディは大きく溜息をつくと、手にしたパンを小さく千切った。
表面のクロスしたクープがしいそのパンを、わたしも手に取る。千切るために力をれると、指先にパリッとしたが伝わってくる。
口に運ぶと中はしっとりとしていて、ほんのりとチーズの風味がした。生地に混ぜ込んであるようだ。
「すっぱり諦めるって事を知らないのね、みっともない。でも……それならどうして、アリシアはそんなに沈んでいるのかしら」
「沈んでいる?」
「ええ、元気がないわ」
指摘に目を瞬かせる。
確かに昨夜は気持ちが暗くなっていたし、寂しくて苦しくて──切なかったけれど。それを今日も引きずっているのだろうか。
「アインハルト様がいないから?」
予想外の言葉に、飲み込む間際のパンがに引っ掛かりそうだった。
水のったゴブレットを手にして、パンを流し込んでから睨んで見るも、ウェンディは笑顔を崩さない。
「変な事を言うからに詰まらせるところだったわ」
「揺しているわね。違うの?」
「違うわ。それに元気だってあるし、いつも通りだけれど……」
わたしの言葉にウェンディは溜息をつく。深く、どこかわざとらしい溜息にわたしは眉を寄せた。
「いつも通り? そんなはずないわ。だって今日はアリシアの好きなクリームクロケットなのに、全然食が進んでいないじゃない」
言われて手元のプレートに視線を落とす。
蟹のクリームクロケット、溫野菜ときのこのサラダ、とうもろこしのポタージュ。確かにわたしの好ばかりなのに、不審に思われても仕方がないほどに手を付けていない。
どれも味しいのだ。
クリームクロケットはナイフで切ると、ホワイトソースを纏った大振りの蟹が姿を現す。さっくりと軽い食にまろやかなホワイトソースがよく合って、いつものわたしならぺろりと平らげてしまうのに……一口だけしか食べていない。
こんがりと焼きのついた様々な種類のきのこは見るからに味しそうで、しんなりとした野菜と合うのは間違いない。ポタージュだってらかで、載せられているクルトンまでしいのに、気付けばそれも沈んでしまっていた。
「……が苦しくて、食べられないの。食べるけど」
「どっちよ」
殘すなんて絶対にしない。ゆっくりと時間を掛ければ食べられるもの。そう思ったのに、ウェンディは苦笑いだ。
「でも、それって……してるのね?」
テーブルにを乗り出したウェンディが聲を潛める。そばかすが薄く浮かぶ頬が、見る間に上気していった。ピンクの瞳がきらきらと輝いている。
「そう、ね……きっとこれがなんだわ」
自分の気持ちを偽る事に意味なんてない。
はっきりと自覚した気持ちを肯定すると、につかえていた何かがゆっくりと溶けていくようだった。
「する人って、みんなこの苦しみを抱えているのね」
「苦しいけれどそれ以上に素敵なものよ。全てが輝いて見えるもの」
ウェンディは大きく何度も頷いた後に、悪戯に片目を閉じて見せる。
それがとても可らしくて、思わずわたしの表も緩んでいた。
「ウェンディもをしているのね?」
「ええ。でもまずは……アリシア、あなたの話を聞かせてちょうだい。ちゃんと食事も摂りながらね」
そう言われて否と言えるわけもなく。わたしは頷きながらフォークとナイフを手に取った。
クロケットを一口大に切る。口に運ぶと鼻を抜ける蟹の風味。味しいのに、その香に思い出すのはウーゾを使った貝の酒蒸しで。やっぱり寂しく思う気持ちは、クロケットと一緒に飲み込んだ。
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