《【第二部完結】隠れ星は心を繋いで~婚約を解消した後の、味しいご飯とのお話~【書籍化・コミカライズ】》24.ひとりのあまりりす亭

冷たい風の夜だった。

先日の大雪のせいで街の至るところに雪の山が出來ている。今日もさらりと雪が降って、まだ固まってないそれが風花(かざばな)となって舞っているのが幻想的でしい。

繁華街が近いこともあって、風に乗って喧騒が屆く。楽しげな笑い聲は、わたしの口元まで綻ばせるほどだ。

目的の場所は、飲食街の外れにある小路の先──あまりりす亭。今日も溫かな燈火は、わたしを優しく出迎えてくれているようだった。

「こんばんはー」

扉を開けながら聲を掛ける。

中には二人のお客さんがいて、テーブルを囲んでいた。

カウンターには誰もいない。もちろん、いつもそこに座っているノアの姿もない。

「いらっしゃい、アリシアちゃん」

「ホットワインとお勧めを……軽いものをお願いします」

「かしこまりました。ワインは白? 赤? ロゼ?」

「今日はロゼで」

いだコートを椅子の背に掛けながら、エマさんに注文をお願いする。にっこり笑ったエマさんは、頷いて廚房のマスターを振り返った。注文を聞いていたマスターも小さく頷いてくれている。

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カウンターに頬杖を突きながら、廚房のエマさんとマスターの背中に視線を送る。何か話をしているようで、エマさんが大きく笑ってマスターの肩を叩いている。

相変わらず仲睦まじいその様子は、見ているだけで笑みが浮かんでしまうほどだ。

ちらりと隣の席を見る。

いつもここに座る彼は、今日は來ない。會うかどうか分からない、會えば一緒に飲むだけの間柄だったはずで、一人で飲む夜なんて今までにも何度だってあったのに。

來ないと分かっている今日は、ひどく寂しい。

「お待たせしました」

ふわりと甘い香りがした。

その香りにわれるように顔を上げると、エマさんが湯気立つグラスを持っていた。わたしの前に置かれたグラスは、ステム(腳)の部分に取っ手の付いたとてもしいものだった。グラスの下部分にも細やかな細工が施されている。

グラスの中に満たされた、薄い薔薇をしたワイン。その中に沈んでいるのは薄切りになった林檎と、ころんとしたいちごが三つ。見た目も可らしいそれに心が浮き立った。

「わ、可い」

「お好みでいちごを潰してね」

差し出された木のスプーンをけ取ると、早速グラスに口をつける。

甘酸っぱいのは元々のワインの持ち味だろうか。それに果の甘みが広がって、これは味しい。まるでデザートのような甘やかさに、息をついた。

味しい。甘いのは蜂?」

「そう。それから香り付けにスターアニスね」

「スターアニスって、あの獨特の形をしたやつ? 八角形でとげとげしていて……」

「ええ、お菓子作りにも使われたりするわね」

「だから覚えのある香りだったのね」

納得しながらまたワインを口に含む。甘みが強いけれど飲み口は軽やかだ。

「……痩せたか?」

足音もなく近付いていたマスターが、わたしの前に深皿を置く。久し振りに聞いたマスターの低音に驚きを隠せず目を丸くしていると、可笑しそうにエマさんが肩を揺らした。

「うちの人、全然喋らないものね。でも本當だわ……アリシアちゃん、ちょっと痩せた?」

「……そう?」

し顎が細くなった気がするわ。元々細いんだから、ちゃんと食べなくちゃだめよ」

「ふふ、最近忙しかったからかも」

「無理しないでね」

「ありがとう」

顎にれてみたけれど、自分ではよく分からない。それでも気遣いが有り難くて謝の言葉が口をついた。優しく微笑むエマさんとマスターは廚房へと下がっていく。

今日のお勧めはポトフのようだ。

大きめに切られたお野菜と、お、それからサーモンもっている。合いも綺麗で食をそそる。……うん、これならちゃんと食べられそう。

謝の祈りを捧げてからスプーンを手にする。

まずは琥珀のスープだけを頂くと、優しいコンソメの味がした。染みるなんて言葉がぴったり合うくらいに、味しい。

続けてにんじんを口に運ぶ。驚くくらいに甘いそれは、とてもらかく煮込まれている。

もほどけるくらいにらかくて旨味が強い。蕪は口の中でけてしまうし、し塩気のあるサーモンがスープによく合っている。

こんなにも味しいのに、それを伝えられる人が隣にいない。

別にもう會えないわけじゃないのに、無に會いたくなってしまうのは、やっぱりをしているからなんだろうか。

スプーンを置いて、グラスを持つ。まだ湯気の殘るワインを飲むと、胃の辺りがぽかぽかと溫まってくる覚が心地いい。

木のスプーンを手にして軽くいちごを潰すと、甘い香りが一気に広がった。ワインは濁ってしまったけれど、これも味しそう。

グラスの中を揺(たゆた)ういちごをスプーンで掬う。食べると口一杯に広がる瑞々しさに頬が緩む。その後にはワインの香りが抜けていって、これはお気にりになりそうだ。

「……味しい」

小さく呟いた聲に反応する人はいない。

いや、それを知っていて來たんでしょうに。いつまでもめそめそしているのはに合わない。待てば會えるんだから。

半ば自分に言い聞かせながら、今度はワインに沈む林檎を食べる。しゃきしゃきとした林檎の歯りはなくなっているけれど、らかくなったこれも味しい。いちごよりもワインが染みているようだ。スプーンに載せるとほんのり薔薇付いているのがよく分かる。

一気に食べて、一気に飲んで。グラスを空にしたわたしは片手を上げた。

「エマさん、このワインのお代わり下さいな」

「はぁい。気にった?」

「ええ、すっごく味しい。それにこのポトフも。野菜もおらかいのに、全然煮崩れていないのね」

「うちの人が丁寧に作っているからね」

その言葉を聞いていたのか、マスターが小さく頷いた。どことなく照れているように見えるのは、きっと気のせいじゃないと思う。

「ポトフのお代わりもあるし、他のものがいいなら作るから。何でも言ってね」

「うん、ありがとう」

テーブル席に呼ばれたエマさんはカウンターの端からホールへと出てくると、わたしの肩をぽんと叩いてからそちらへ向かった。頭に飾られた大花が今日もよく似合っている。

ワインのお代わりがくるまでの間、わたしはのんびりとポトフを楽しんだ。

につかえるじもしない。苦しさだってない。

ただ、これを一緒に楽しめたら、もっと味しかったのにな。そう思うくらいは許されるだろう。

今日もあまりりす亭のご飯は味しい。

でもポトフだけでお腹いっぱいになってしまいそうだった。

いつも読んでくださってありがとございます!

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