《【第二部完結】隠れ星は心を繋いで~婚約を解消した後の、味しいご飯とのお話~【書籍化・コミカライズ】》2-2.味しいものはいくらでも
「いらっしゃい」
朗らかなエマさんの聲が響く。廚房から顔を覗かせたマスターが軽く頭を下げるのもいつもの風景だ。
ノアはわたしに椅子を引いてくれてから、隣に座る。いつの間にかまっていた距離。前は椅子一つ分空いていた距離が、いまはもうれ合いそうなくらいに近い。
「今日は何にする?」
「二人ともエールを。それから何かおすすめの料理を」
「はぁい。アリシアちゃんもおでいい?」
「ええ、お願いします」
注文を聞いていたのか、マスターはもう調理を始めているようだ。おの焼けるいい匂い、それから油の弾ける軽やかな音も聞こえてくる。
「はい、まずはエールと……これをつまんでて」
エールで満たされたジョッキを両手でけ取ると、ずしりとした重みをじる。おつまみにと出してくれたのはキノコのタルトのようだ。
「味しそう。いただきます」
両手を組んで祈りを捧げるけれど、ここに來るといつも早口になってしまうのは仕方がない事だろう。改めてジョッキを持って、隣のノアとそれを掲げ合った。
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「乾杯」
揃った聲に笑みがれる。
とりあえず一口だけ……と思っていたはずなのに、冷たいエールがあまりにも味しくて気付けば一気に半分ほどを飲んでしまっていた。
ふぅと吐いた息には酒が混ざり始めている。
「やっぱり夏が近付いてきているからかしら。冷たいエールが味しい」
「冬に飲むエールは?」
「それも味しい」
揶揄うようなノアの聲に、當然とばかりに頷くと笑われてしまう。
でも味しいんだから仕方がないじゃない?
「そういうノアだって、一気に飲んでしまっているじゃない」
「夏も冬も、お前と飲む酒は味いからな」
「またそういう……」
口端が弧を描いている。そんな事を言われたら、それ以上何も言えなくなっているのをノアは知っているくせに。
ノアはお代わりのジョッキをけ取って素知らぬ顔だ。わたしはまたもう一口だけエールを飲んでから、きのこのタルトと向き合った。
フォークをれるとパイ生地がサクサクと音を立てて崩れていく。崩れた場所から溢れてくるのはホワイトソースを纏った様々なきのことほうれん草。パイと共に口に運ぶと、きのこの旨味とホワイトソースのまろやかさが口いっぱいに広がった。
チーズの塩気と、ほんのり甘いパイ生地もよく合っていてとても味しい。
「このタルト、すっごく味しい。チーズが何だか獨特の味ね」
「普通のチーズじゃねぇな。ヤギ、か?」
「ご名答~。ヤギのチーズを使っているの。とろんと溶けたりしないけど香ばしいでしょ?」
わたし達の聲が聞こえていたのか、廚房から顔を覗かせたエマさんがにっこりと笑う。
それに頷きながら今度はチーズだけを口に運んでみると確かに香ばしくて、味しい。この獨特の風味がエールを進ませて、わたしはジョッキを空けてしまった。ワインも飲みたいけれど、次もエールにしよう。
「ヤギのチーズってこんな味がするの。ノアもよく分かったわね」
「北の砦じゃヤギのミルクが出てたからな」
「そうだったのね。砦の食事ってどうだったの?」
ノアが北の砦に赴任していたのは、深い冬の頃だった。會えなかったあの時も、今では大切な思い出になっているのだから不思議なものだ。
「味いとは思うぞ。街から離れて資も限られている中で食べるには充分だが、やっぱり好きなもんを自分で選んで食う方が味いな」
「痩せて帰ってきちゃったしね」
「あれは……まぁ、また別なんだが」
「別って……」
別、とは。
問いを重ねようとするけれど、わたしの鼻を擽るいい匂いに意識がそちらへと持っていかれてしまう。
顔を向けるとエマさんとマスターがお皿をカウンターに置いてくれたところだった。
湯気の立つ骨付きのももには、砕いたナッツのソースがたっぷりと掛けられている。香ばしい香りの中にローズマリーがふわりと顔を覗かせているようだ。
「鶏もものナッツソース。鶏ももは煮込んであるから、らかくて味しいわよ」
エールのお代わりをわたしの前に置いて、エマさんはごゆっくりと言葉を殘してから廚房に戻っていく。洗いをしているマスターの隣に並んで腕まくりをしている姿が、いつも通りの仲良しさで笑みが浮かんだ。
ナイフとフォークを手にして、早速おを切り分ける。おは驚く程にらかくて、ナイフが抵抗なく沈んでいった。フォークだけでも切り分けられるんじゃないだろうか。
ナッツソースをたっぷりと絡ませて、口に運ぶ。
「んん、味しい」
「うん、味いな」
クルミやアーモンド、それからヘーゼルナッツがソースの中に見える。らかなおと香ばしいナッツのソースはよく合っていた。口の中でほどけてしまうくらいにらかなおはほんのりと甘い。鶏の旨味がよく出ていて、とても味しかった。
「これはエールが進むわ」
「間違いねぇな。パンは?」
「食べる! エマさん、パンも頂戴」
「はぁい」
ノアが可笑しそうに笑っているのが視界の端に映るけれど、構っていられない。
このソースにパンを浸したら、絶対味しいに決まっているもの。
エマさんが持ってきてくれた籠にはクーペのしいパンが盛られている。籠をけ取ってひとつを手に取ると、溫めたばかりなのか持っていられないくらいだった。
「もうし待ったほうがいいんじゃないのか」
「溫かいものは溫かいうちに食べなくちゃ」
パンを両手に行き來させて冷まそうとしていると、ノアがそのパンをひょいと攫っていってしまった。
熱さも気にした様子がなく、パンを半分に割る指先に目が奪われる。
「ほら」
「……ありがと。熱くないの?」
「熱いけど平気」
「結構熱かったと思うんだけど。はい、半分こ」
渡されたパンの半分をノアに渡す。眩いくらいの白い斷面からはほかほかと湯気が昇っている。一口サイズにちぎってからソースに浸すと、白が薄茶に染まっていく。ナッツも絡めて食べてみると、パリッとしていたパンの外側がしっとりとらかくなっている。
ソースがしっかり染み込んで、パンの甘さにもよく合っている。ナッツの食も楽しい。
「食べすぎちゃいそうなくらいに味しい」
「いいだろ、食べ過ぎたって」
「だめよ、來週はドレスのサイズを測らなくちゃいけないんだもの」
わたしよりも大きな口でパンを食べ終えたノアは、またパンを一つ持つとわたしの鼻先でゆらゆらと揺らしている。
「味いぞ」
「もう。太ったらどうしてくれるの」
「味そうに食ってるお前が好きだからいいんだよ」
「わたしは良くない」
そんな言葉を掛け合いながら、わたしはパンをけ取った。
食べない選択肢は最初からなかったのかもしれない。
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