「もう二週間か……早いもんだな」

時は日曜日の晝間。

俺は自宅の居間でお手製のサンドイッチをつまんでいた。

過去の世界に來た最初の夜は、とにかく眠るのが怖かった。

朝を迎えればこのありえない過去世界という夢から覚めるのではないかと思えたからだ。

しかし次の日に目が覚めてもこの夢は終わらなかった。

そうして俺はかつてのように學校と家を往復する日々を送り――早二週間になる。

（しかし紫條院さんはどうしたんだろうな。あの家まで送った日以降もいつものじで話してくれるけど……ふとした時になんか照れたような顔を見せるんだよな）

ラブコメならそれは俺を意識しているというサインだが、それはありえない。

彼は誰にでも優しくて気さくだから誤解してしまいそうになるが、俺なんてまだまだ名前付きモブくらいの扱いのはずだ。

（ふふ……『これは俺に気がある！』なんて貞にありがちな妄想でニヤけた高校時代の俺とは違うんだ。焦らず毎日好度を稼がないとな）

「あ……兄貴」

「お、おはよう香奈子」

ふと顔を向けると、俺の妹――香奈子が立っていた。

さの殘るにしか許されないツインテール頭の中學二年生で、とても可い顔立ちのわりに言葉遣いはやや雑だ。

前世では俺を心配しすぎた母さんが急死したことで俺を嫌うようになり、どんどん疎遠になってしまった存在だ。

「晝飯まだだろ？　サンドイッチ作ったから食えよ。今紅茶淹れてやるから」

「…………」

何故か難しい顔をして黙り込む妹のために席を立ち、臺所で紅茶を淹れる。

しっかり茶葉をジャンピングさせて、お湯で溫めたカップへ注ぐという基本を守ると安い紅茶でもと香りがとても良くなる。

「ほれ、紅茶だ。……ってなんだその難しい顔は。不味かったか？」

居間に戻ると香奈子はサンドイッチをバクバクと平らげていたが、何故かやたら疑念に満ちたような顔になっていた。

「…………おかしい」

「おかしい？　なんだ何か気にらなかったのか？　玉子サンドに辛子バター使ったとこか？　和風オニオンベーコンサンドが胡椒多めなとこか？」

「おかしいのはサンドイッチじゃなくて兄貴だよっっ！！」

妹は我慢に耐えかねたように盛大にんだ。

「一何がどうなってんの！？　何この味しいサンドイッチに香りのいい紅茶！　他にもママの代わりにじゃがとかカレーとかハンバーグとかガンガン作ってどれもこれも凄く味しいし！　意味わかんないんですけど！？」

「いや、ちょっと料理でもしてみようかなって」

俺はかつて一人暮らしを始めた直後、ちゃんとした生活を送ろうと自炊を始めてみたのだが、それが意外と楽しくて趣味の領域まで高まっていた。

しかし社畜の超ハードワークでそんな時間のかかる趣味は自然と途絶え、それ以降は十年以上も外食やコンビニ弁當になってしまい、俺の健康がボロボロになっていく一因となった。

だがこうして自由に時間が使える高校時代に戻った俺は、母さんの負擔を減らす意味もあって料理を再開したのだ。

「ちょっと作ったってレベルじゃないし！　おまけに洗濯は自主的に洗って干すわ、家の掃除はするわ、毎日機に向かって勉強するわ……！　一なんなの！？　変なもんでも食べた！？」

さんざんな言われようだが、その全てはほぼ母さんのためだ。

俺は散々心配して死なせてしまった母さんが笑って生きられるように努力すると誓ったのだ。

その初歩が料理や家事を手伝って楽をさせてやることであり、勉強はもちろん自分のためでもあるが母さんに俺の將來を心配させないためでもある。

（大人の神の今なら勉強が楽しいしなぁ……）

どうも人間とは大人になって學びの重要がわかってからのほうが學習意が上がるらしく、昔は大嫌いだった勉強も今はなかなかに面白い。

なにせ學べば學ぶほど自分の人生のプラスになるのだ。

問題を解くのも何だかゲームのようでつい熱がってしまう。

「ボサボサだった頭も眉もしっかり整えて！　しまいには早朝にランニングまで始める！　気がつけば聲がハキハキになって気オタクの面影が消えてるし……！　どっかの湖に落っこちて綺麗な兄貴に換されたの！？」

仮にも兄に激ディスり発言のオンパレードやめろ。

そもそもだしなみはマジで社會人に必須なんだ妹よ。

不潔があると社員の態度がひどくおざなりになるし、取引先の社員からも安く見られて結果的に上司から怒られる回數が増える。

なのでそこを最低限ちゃんとしておかないと、素っで戦場に出ているかのようで落ち著かないになってしまったのだ。

「バカ兄貴がまた漫畫に影響されて何かやってるなって思ってたら、もう二週間もその生まれ変わったみたいなスタイルが崩れないし！　気持ち悪いからどういうことかいい加減説明してよ！」

健康かつ未來が綺麗なままで殘っている高校生のにはしゃいでしまい、つい々と熱をれてしまったが……確かに妹から見たら俺の変貌ぶりは気持ち悪いというレベルではないだろう。

しかしどうするか……バカ正直に「俺は未來からやってきたんだ」なんて言おうものなら割と本気で救急車を呼ばれてしまう。

「その……実はな。俺、好きな人がいるんだ」

「え……」

「その人はずっと憧れだったんだけど……々あって絶対に人にしたいと思うようになったんだ。けど今までの暗くてビビりで勉強もスポーツもできない俺じゃとてもその人とは釣り合わない」

香奈子は話がそういう方面に転ぶとは予想外だったのか、ゴクリと唾を飲んで俺の話に聞きる。

「だから、俺は変わると決めた。だしなみも勉強もスポーツもしっかりやって、今までの暗くてボソボソ聲の俺から明るいハキハキ聲の俺に自己変革して、人間として深みを出すために家事でも料理でもなんでもこなせるよう自分を磨いているんだ」

「あ、え……そんな……マジで？　マジ中のマジなの兄貴？」

「大マジだ。今までの俺じゃモテない。だからモテる俺になろうとしてるんだ」

「～～～～～～～～っ！　偉い！　マジ偉いよ兄貴！」

語り終えると、香奈子は目をキラキラと輝かせて俺をリスペクトしてきた。

「あの兄貴が！　あのクソみたいに暗の兄貴がまさかそんなこと言うなんて！

好きな子のために変わるってマジポイント高いよ兄貴！　いやぁ、ラブの力ってマジ偉大だわー！」

「クソみたいに暗……」

「うん、マジいいことだよ！　私、兄貴って一生部屋にこもってラノベ読んだりアニメ見たりしてフヒヒ……って笑うだけの人生送るとばかり思ってたもん！」

「しまいにゃキレるぞオイ！？」

聲を荒げてから気付いたが、そう言えば社畜生活の唯一の楽しみと言えば自宅でのラノベ・アニメ・ゲームだったので、香奈子の予想は完全に的中している。

……悲しいなぁ。

「で、で、兄貴のお目當てってどんな子なん？　人？　ギャル？　スポーツ？　兄貴好みの巨なんだろうなーとは予想つくけど！」

中學生らしくの話題には興味津々なようで、妹はやや興した様子で俺の好きな子のことを聞いてきた。

だがまあ、別に隠すようなことでもない。お前が聞きたいというなら存分に兄貴は語ってやるぞ香奈子。

「ああ、教えてやるよ。その子は俺のクラスメイトでな。名前は――」

そうして俺は妹に紫條院さんの魅力を思いつく限り語ってみせたのだが……たった20分で妹が限界に達した。

「あー！　もういい！　もーいーって！　兄貴がどれだけその人が好きかわかったから！　ああもう、好きなことを語る時はめっちゃ喋るところは以前と変わってないじゃん！」

「まだ語り足りないんだけどな……まあでも紫條院さんがどれだけ素晴らしい人かはわかっただろ？」

「というか何その人……人でおっぱいが大きくてお金持ちのお嬢様で、誰にでも気さくに話してくれるほど優しくて天然……？　本當に実在するの？　妄想が現化したみたいなヒトじゃん」

「確かに冷靜に分析したら妄想の塊にしか聞こえないな……。まあいい、なら実際どんな人か見せてやるよ」

紫條院さんのあまりのスペックにその存在すら疑い始めたので、俺は仕方なく自室に戻ってクラスの集合寫真を持ってくることになった。

俺が前世において後にスマホに取り込んだ寫真で、過去に戻る直前の死の淵で見ていたものだ。

「うっわ……マジいるんだ。うわー……何これめっちゃ人でめっちゃおっぱい大きい……おまけに凄い純粋っぽい笑顔……」

「ああ、可いだろ。それが紫條院さんだ」

「何で兄貴が誇らしげなの……。けどこんなにキレーな人だと告白祭りなんじゃない？　マジで彼氏いないの？」

「ああ、それが學校中の男子に人気すぎて、誰かが告白しようとすると周囲から妨害されるらしい。そして本人が天然すぎて自分に向けられている熱視線に全く気付いていない」

「えぇ……何それ……コクりたい人からコクればいいじゃん。そんな暗黙の協定作って勇気出した人を妨害するなんてクソキモい」

「辛辣だなオイ。まあ、確かにアホな暗黙協定だけど、皆がそれを守っているというより一度できたそういう抜け駆け止の雰囲気を誰も壊せなくなってしまったという方が正しいかな」

「でも……それじゃ兄貴も告白しようとしたら周囲の腰抜け男たちから邪魔されるってことじゃん」

「そのとおりだ。けど、そんなの関係ない」

紫條院さんに告白するには本人の好度を稼いで「勝負時」を見定めるほかにも周囲のライバルたちの邪魔もあるだろう。

しかし、そんなことにビビるような繊細な俺はもういない。

このに宿る狂おしいほどの『後悔』がある限り俺のメンタルは無敵だ。

「誰が邪魔してこようがそれを全部吹っ飛ばして告白する。もう俺は空からヒロインが降ってくるのをじっと待ってた俺じゃない……ただ勝ちに行くだけだ」

俺のようなオタク男子は夢想した。

空から、異世界から、通學路の曲がり角からと突然出會うイベントが起きてこの冴えない日常を変えてくれることを。

しかし30年待ってても紫條院さんはおろか、イベントで遭遇するの子など一人もいなかったのである。

いくら俺でもこれもう待ってても無駄じゃんと悟りもする。

「兄貴よく言った！　マジ見直した！」

ふと見れば、香奈子がえらく興していた。

なんだかちょっぴりしているようにすら見える。

「そこまで言い切れるのはマジすげーよ！　告白したら絶対功する！　だって今の兄貴マジでカッコイイもん！」

「香奈子……」

前世においてもこいつは生まれ持った可いさとコミュ力で俺とは対極のキャとしてり輝いていた。

だからこそこいつの中で俺への評価は『暗くて冴えない兄』で一貫しており、年齢を重ねるほど會話がなくなっていった。

「頑張ってよ兄貴！　私めっちゃ応援してるから！」

そんな香奈子が俺をカッコイイと評して、心から応援してくれている。

その事実に――俺は取りこぼしていたものを一つ手にれられたような気がして、つい目頭が熱くなってしまった。

「ああ、頑張るさ！　彼になったら家にも連れてくるからな！」

「あはははっ！　その意気その意気！　ファイトだ兄貴ー！」

そうして、休日の晝下がりは過ぎていった。

前世において俺を激しく嫌っていた香奈子と、々な話をしながら笑い合える寶石のような時間がゆっくりと――