《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第十話:早すぎる挫折 その2

「あー……いってぇ……」

山間に太が沈み始め、徐々に夜の帳が降り始めた頃。

博孝はグラウンドに背を預けながら、夕暮れの空を見上げていた。博孝の心境とは異なる、晴れ渡った空。雲一つなく、カラスの一匹すら飛んでいない空を眺めながら、博孝は大きくため息を吐く。

「くっそー……途中までは良いじだったんだけどなぁ……」

クラスメート三人を相手にした喧嘩は、予想通りと言うべきか、博孝の敗北で終わった。それでも多なり痛手を與えることができたため、今は満足である。

『防殻』を発現できない博孝が取ったのは、『自分が使えないなら相手を利用すれば良い』という単純な戦法だった。幸いにも、相手は三人。全員が『防殻』を発現していたため、一番近くにいた生徒の襟首を摑み、全力で振り回したのである。

ES能力が使えなくとも、腕力等に影響はない。これで博孝が通常の人間だったら、襟首を摑んでいようが振り回すことはできなかっただろう。だが、博孝も『ES能力者』の端くれである。それに加えて、相手が『防殻』を発現できるようになって日が淺かったのも助け舟となった。

仲間を投げつけた瞬間、それに慌ててしまって『防殻』の維持に失敗したのだ。それを見た博孝は何の躊躇もなく跳びかかり、一人を毆り倒した。

「あそこで逃げときゃ良かった」

思わず、博孝は呟く。

一人毆り倒して相手が揺した時點で、逃げれば良かったのだ。しかし、そのまま喧嘩を継続し、もう一人と取っ組み合いになっている間に殘りの一人に毆り倒されてしまった。あとは、毆る蹴るの暴力に曬されるだけである。

相手が『防殻』を使うことを忘れていたのだけが幸いだったが、それでも毆られ、蹴られたことに違いはない。のあちこちがズキズキと痛む。

骨は折れていないようだが、打撲程度にはなったようだ。

暴れたことで多気は晴れたが、負けたことで悔しさと歯さが殘る。“人間”だった頃は多喧嘩をしたことがあったが、ここまでボロボロにされた記憶はなかった。

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「よう、ボロボロだな」

すると、そんな博孝の隣に誰かが座りこんだ。

「……教

傍に座り込んだ人を見上げ、博孝は呟く。そこにいたのは、砂原だった。失禮になるからとを起こそうとするが、疲労と痛みを訴えるは言うことを聞いてくれない。

砂原はグラウンドに腰を下ろしたままで、仰向けに転がる博孝へと視線を向けると、小さく苦笑した。

「ああ、そのままで良い」

「……もしかしてですけど、見てたんですか?」

「まあ、な」

「だったら、止めてくださいよ……」

思わず、愚癡のようにそう言った。常ならば怒聲が飛び、最悪毆られかねないが、今だけはそう言って良い気がしたのだ。

砂原はくくっ、と笑うと、懐から僅かに凹んだ煙草の箱を取り出す。そして煙草に火を點けると、大きく息を吸い込んでから紫煙を吐き出した。

「きょうかーん、ここに生徒で怪我人がいるんですけどー」

「教の仕事は定時で終わりだ」

「そんな、定時ですぐに仕事を終われるのって、公務員だけじゃないんですか?」

なくとも、博孝の父親は定時で帰ってくることはなかった。サービス殘業という名の會社への奉仕を行ってから帰宅する毎日だったのである。

「ん? 『ES能力者』も世間では公務員扱いだぞ」

「マジっすか」

「國が管理しているからな。待遇は良いだろ?」

「そりゃ、攜帯に振り込まれている金額を見て驚きましたがね……」

さすがに高すぎるでしょう、と呟き、博孝は砂原を見上げた。

「つーか、煙草吸うんですね」

「意外か?」

「意外というか、教ってバリバリの軍人っぽいんで、そういうのには手を出さないのかと思ってました」

もはや遠慮もなく博孝が言うと、砂原は苦笑する。

「ただの嗜好品だ。俺ぐらいの『ES能力者』になると、麻薬も効かんからな」

「麻薬が効かないって……俺もいずれそうなるんですかね」

それとも、このまま長しなければ無理なのだろうかと心でため息を吐く。砂原はそんな博孝を見下ろし、意地悪げに笑う。

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「で、同じ時期に校した生徒に喧嘩で負けた想は?」

その問いに、博孝は無言で応える。意地の悪い質問だ、と視線で抗議もしてみるが、砂原は笑うだけだ。

「最悪っすよ……くっそー、同じ條件なら負けなかったんだけどなぁ……」

取り繕うこともできず、素直に答える。すると、砂原は笑いながら紫煙を吐き出した。

「ああ、実際上手い戦い方だったぞ。素人にしては上出來だ」

実際、砂原の目から見ても博孝の喧嘩の仕方は上出來な部類だった。自分の攻撃が通じないのならばと、相手を利用した點は素直に褒められる。ただ、一人倒したその後の対応がお末だったが。

「えぇ? 上手いって言っても、負けたんですけど」

「なら、一人倒したところで逃げれば良かっただろ? それでなくとも、“負け”じゃなかったはずだ」

それは、博孝自も思ったことである。

「……正論過ぎて反論もできません」

拗ねたように言うと、砂原は笑みを深めた。

「前から思っていたが、お前は変なところで素直だな」

「品行方正で素直な人格だと自負していますから」

「品行方正な人間は、武倉と一緒に授業中に騒がん」

冗談を言う博孝だが、あっけなく切って捨てられる。そして、それもそうだと納得もしてしまった。

痛むを我慢して、博孝は右手を額へと當てる。

ES能力者として『構力』が扱えない博孝にとって、多とはいえ『構力』をり始めた他の訓練生達との喧嘩は非常に危険だ。銃で撃たれても驚くだけで済むが、訓練生に毆られれば非常に痛い。その上、訓練生は『構力』を覚を覚え始めたからか、僅かなりとも他者に対する攻撃を見せていた。今回は、それが表に出た形である。

今回クラスメート達が行ったのは、自分という存在がどこまで、どれだけのことをできるのかを確かめるための、確認のようなものだった。そして博孝は、“確認のため”のサンドバッグに近い。無論、クラスメート達が口にしたように、博孝の普段の行が目に余ったのもあっただろうが。

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當然のことではあるが、クラスメート全員が暴力を振るいたいと考えているわけではない。恭介や里香、希はES能力の長も早いが、それを周囲に向けて振るうことはなかった。自分の力量を正確に把握している沙織は、黙々と訓練に勵んでいるだけだ。

校當時は大人しい格だったクラスメートが、いつの間にか、どこか攻撃的な格へと変わっていた。豹変というほどではないが、他者を毆ること、攻撃することを戸わなくなっているのだ。博孝は名前は覚えていなかったが、それでも、今回喧嘩を仕掛けてきた三人が割と大人しい格だというのは認識していた。

そんな人間が突然喧嘩を吹っかけてきたのだから、どれだけ神的な変化があったのかと思わざるを得ない。それだけES能力というのは全能的なものなのかと、博孝はクラスメートの顔を思い出しながら思考する。

「あー、駄目だ。ちくしょー……顔を思い出したら腹が立ってきた」

「負けるとわかっていて、それでもけた喧嘩だろう? だが、良かったな。卒業後に部隊へ配屬された後だったら、軍規をしたということで懲罰房行きだぞ」

「……そういえば、ここは一応學校になるんでしたっけ?」

「ああ、學校だぞ」

「普通の學校なら、喧嘩したら停學処分とかになりそうですけど」

博孝がそう言うと、砂原は鼻で笑った。

「なんだ、あの三人を停學にしてほしいのか?」

『防殻』以外を使ったのなら、博孝が死んでいた可能もある。しかし、今回は重傷もない。數日打撲の痛みに苦しんだら、それで終わりそうだった。それに、博孝としても停學は納得がいかない。

「冗談。それだったら、喧嘩した俺も停學になるじゃないですか。教が見逃してくれるって言うのなら、好都合です。しっかりと怪我を治して、リベンジしますよ。教に屆け出れば、実戦形式の模擬戦という形にしてもらえるんですよね?」

悔しさと、それを上回る闘志をむき出しにして、博孝が尋ねる。それを聞いた砂原は、思わず苦笑した。

「お前は素直で馬鹿でお調子者だが、負けず嫌いでもあるのか?」

「……なんかさらっと酷いことを言われた気がしますけど。でも、負けず嫌いかと尋ねられると、まあ、そうですね」

「そうか」

博孝の返答に、砂原は苦笑を楽しげなものに変える。博孝はそんな砂原の笑みを見た後、視線を再び空へと戻した。

「教、ちょっと聞いてみたいことがあるんですけど、良いですか?」

容によるが……なんだ?」

煙草の煙を吐きつつ、砂原が首を傾げる。

「教の夢っていうか……戦う理由? みたいなものって、なんですか? 『ES能力者』になって長いんですよね?」

博孝は、特に深い考えもなくそんなことを砂原に尋ねていた。

と比べて遙かに長い間『ES能力者』として生きてきた人に聞けば、現狀を打破する何かしらの切っ掛けを得られるかもしれない。そう思っての、問い。

「俺が戦う理由か……」

そう呟くと、砂原はどこか遠くを見るように目を細めた。そして何事かを考えるように二度三度と煙草をふかす。そして視線を博孝へと戻すと、口元を緩めて小さく苦笑する。

「俺が戦う理由は……こいつだよ」

そう言って、砂原は懐から一枚の寫真を取り出した。

そこには常日頃の険しい顔つきとは無縁な、穏やかな笑みを浮かべた砂原の姿がある。強いて言えば、今博孝の隣で砂原が浮かべている表に近い。

そして、その隣には和な笑みを浮かべたと、その腕に抱かれた小さなの子の姿があった。おそらくだが、年齢は一歳前後といったところだろう。

「これは……」

「妻と娘だ。この二人の平和な生活のために、俺は戦っている。まあ、今は前線を離れての教任務だが、な。娘が小さい時ぐらいは、なるべく傍にいてやりたい」

短くそう言うと、砂原は寫真を懐に戻す。

夕日に照らされているからか、それとも別の理由からか、僅かに顔が赤い。

(……まさか、照れているんだろうか?)

奇妙な生きを見た心境。普段の砂原からは考えられないリアクションに、思考が停止する。

「照れているんですか?」

故に思わず、顔を上げてそう聞いていた。すると、砂原は口に煙草を咥えたまま無言で博孝の頭上へと拳骨を落とす。

ガン、という拳骨にしてはおかしい音が上がり、博孝は再び地面へと倒れ伏す。脳天に振り下された拳骨は、非常に痛かった。

「……照れ隠しにしては痛いですよ」

「年上をからかうからだ馬鹿者」

砂原はそう言うと、空気をれ替えるように咳払いをする。短くなった煙草の吸殻を攜帯灰皿に押し付けると、博孝に向けて真剣な、しかしどこか溫かみのある目を向けた。

「妻は一般人。普通の人間だが、『ES能力者』である俺と結婚し、娘まで産んでくれた。そんな、家族を守りたい、平和な生活を送ってほしい……俺の戦う理由、『ES能力者』としての“夢”は、そんなところだ」

「……なんというか、意外でした。もっと、『お國のためだ』とか言うかと思ってたのに……」

―――意外と、普通なんですね。

呟くようにそう言うと、砂原は口の端を笑みの形に吊り上げる。

「『ES能力者』の大半は、建前上はそう言っているがな。言い方は悪いが、良くも悪くも俺達『ES能力者』は國によって生かされている。もちろん、中には純粋に國のためにって奴もいるが」

そう言いつつ、砂原は再度煙草を取り出して口に咥える。そして火を點けると、小さく笑った。

「だが、俺はそれ以上の理由がある。妻と子を守りたいっていう理由がな。だから『ES能力者』として戦える」

―――妻と子を守る。

それはきっと、普通の人間でも口にする言葉だ。

陳腐で、ありふれた、ある意味使い古された言葉だ。

そして、人間だとか『ES能力者』だとか。そういった建前をすべて蹴り飛ばした、一人の男の言葉だった。

それを聞いた博孝は、空を見上げながら大きく息を吐く。

「俺、ES能力で空を飛んでみたいんですよねー」

「知っている」

砂原が相槌を打つ。それは博孝がことあるごとに口にしているため、砂原も知っているのだ。だが、博孝はそれに構わず言葉を続ける。

「なんか、空を飛ぶって楽しそうじゃないですか。ガキの頃、『ES能力者』なら空を飛べるって聞いた時、滅茶苦茶憧れたんですよねー」

「お前はまだまだガキだろうが……楽しいかと問われると微妙なところだが、世界が変わるぞ?」

「うっわ、世界が変わりますかー。それは楽しみだ」

そう言って空を見上げる博孝の目は、純粋な子供のようにっていた。それを見た砂原は、小さく笑う。

「その前にまず、自分の『構力』を知できるようにならんとな」

「そんで『防殻』を発現できるようになって、クラスメートにリベンジ、ですね。やっぱ、同じ土俵に立ってリベンジした方が気分も良さそうだ。いやぁ、新しい目標が出來るだけでやる気が出ますよ!」

空元気のように言うが、実際、博孝はやる気が出てくるのをじた。まだ『ES能力者』になってから、それほど時間が経っていない。普通の『ES能力者』ならばとっくにできていることができていないのは歯いが、それもまた、目標を達した時に覚える達のためのスパイスだ。

博孝は痛みを無視してを起こすと、砂原に向かって頭を下げる。

「―――ありがとうございます、教。気が晴れました」

「そうか、なら良い」

博孝の顔を見て、納得したのだろう。砂原はズボンについた砂を払いながら立ち上がる。

それがどこか急いでいるようにも見えて、博孝は心の底から笑みを浮かべた。

「やっぱり照れてます?」

悪戯混じりにそう言うと、砂原は薄く笑い、再度博孝の頭に拳骨を降らせる。それをけた博孝は、またもや地面に転がることへとなった。

「いったっ!? うっわ、今までで一番痛いですよ!?」

「やはりお前は馬鹿だな……」

そう言いつつ、砂原は博孝に向かって右手をかざそうとする。『治癒』をかけて、怪我を治してやろうと思ったのだ。しかし、砂原の持つ『ES能力者』としての覚が、こちらに向かってくる一つの気配を捉えてそれを止める。

(この『構力』は……ほう、なるほどな)

きを止めた砂原に、博孝は不思議そうな視線を向けた。

「あれ? なんか今、俺の怪我を治してくれそうなじがしたんですけど」

「気のせいだ。さて、俺はそろそろ戻ろう。そうだな……“もし”今日中に怪我が治らなかったら、俺のところへ來い。治療してやろう」

そう言い殘して、砂原が歩き出す。それを見た博孝は、地面に転がったままで苦笑した。

「いやぁ……どう考えても、今日中には治りそうにないんですけど……」

今日は痛みに苦しんで、反省をしろということだろうか。博孝は思わずそう考えたが、それも仕方がないかと納得する。クラスメートと喧嘩をしたその代償がこの程度で済むのなら、安いものだった。

そう自己完結した博孝は、しだけ休もうと目を閉じる。しかし、不意に足音が聞こえてすぐさま目を開けた。

(やっべ、さっきの奴らが戻ってきたのか?)

そう思いつつ、顔を上げる。すると、予想外の人が自の方へと歩み寄ってきていた。

「……岡島さん?」

それは、里香だった。授業の終了と同時に校舎へ引き上げたため、制服に著替えた姿である。

「っ……え、と、あの、こんばんは」

「ああ、はい、こんばんは。時間的に微妙だけど、こんばんは」

オドオドとしながら、それでも挨拶をされたので挨拶を返す。里香は視線をあちこちに彷徨わせていたが、それでも地面に寢転がる博孝の姿を見て僅かに痛ましそうな顔をした。

「その……ぼろぼろ、だね」

「あー……お恥ずかしながら、喧嘩で負けまして」

「う、うん。知ってる……」

「え? 知ってる?」

まさかの回答に、博孝は眉を寄せる。しかしすぐさま、その理由を導き出した。

「はっ!? まさか、岡島さんがあのクラスメート達を差し向けた黒幕!?」

「ち、違うよぉ!」

違ったらしい。涙目で否定されて、博孝は目禮した。

「失禮。取りしました」

「え、あ、うん……その、そのね? クラスの男の子達が、河原崎君と喧嘩したって騒いでいたから……その……」

「まさかとどめを!? ……いや、冗談だからね? お願いだから涙目にならないで、ね? 岡島さんがそんなことをするとは微塵も思わないから。それこそ、明日地球が発するって言われたぐらいにありえないと思ってますよ?」

博孝の言葉に、いちいち狼狽える里香。それを見た博孝は、冗談が通じそうにないと判斷してふざけるのをやめる。

「それで、どうかした? あ、もしかして俺に何か用があった?」

とりあえず真面目に質問すると、里香は顔を俯ける。そして自の黒髪を指先でいじりつつ、口を開いた。

「えっと、その……お禮……したくて」

「お禮? 俺、岡島さんにお禮をしてもらうようなこと、何かしたっけ?」

ここ最近の記憶を掘り返し、博孝は首を傾げる。むしろ、授業中に騒いで迷をかけた記憶しかなかった。もっとも、ここ數日は博孝も切羽詰まっていたため、里香と話した記憶すらなかったが。

「あの、ほら、に、學初日に、迷をかけたから……」

そう言われて、博孝は學初日のことを思い出していく。

里香が言うからには何かがあったはずだが、と考え、腰が抜けてしまった里香を更室まで運んだことを數秒してから思い出した。

「あ……あー! そういえば、岡島さんをお姫様抱っこして更室まで運んだっけ」

「お、お姫様抱っこ……」

すると、里香が顔を真っ赤にする。山間に沈みかけの太に負けないほど、その顔は真っ赤だった。

その様子を見た博孝は、つい悪戯心が湧いてくるのをじる。そしてそれをすぐさま実行に移してしまうあたりが、砂原から『馬鹿』だと評される所以(ゆえん)だった。

「お禮って言うのなら、いっそあっついベーゼを……」

冗談でそう言うと、里香の向ける視線が冷たいものに変わる。それはまるで、地を這う蛆蟲を眺めるような目だった。

「いや、すいません、調子に乗りました! ごめんなさい!」

そんな視線に曬された博孝は、すぐさまを橫に転がし、うつ伏せになって両手をばす。それは土下座の進化系、土下寢である。

「あぅ……そ、その、そんなことしないで……」

「いや、マジすんません! 調子に―――」

そこで博孝は顔を上げ、思わず言葉を切ってしまった。

訓練校の子の制服は、スカートである。世の中にはミニスカートという概念もあるが、里香は本人の格か、制服の規定通り膝の高さから変更していない。

しかし、である。博孝は地面に転がっており、視點は非常に低い位置にあった。そこから見上げてみれば―――その結果は、一つしかない。

「―――白、か。飾り気がないけど、そこは清楚なじがしてグッドなぶほぁっ!?」

瞬間、再び顔を真っ赤にした里香の咄嗟の蹴りが博孝を強襲した。踏み込み、膝から下を鞭のようにしならせた見事な蹴りが、最短の軌道を描いて博孝の側頭部に直撃する。

博孝はまるでサッカーボールの如く蹴り飛ばされ、が地面にれながらも橫に三回転する。その際、首の骨が『ポキッ』という危険な音を立てたが、どうしようもなく自業自得だった。

博孝は砂を巻き上げながら地面をり、なんとかきを止める。そして聲を出そうとしたが、が痛くて出なかった。

(あ、やばい。なんか首が痛い。こう、危険なじ)

下手をすれば、死んでいたやもしれぬ。そう博孝は判斷した。

クラスメート三人に毆られた時よりも切実に命の危険をじ、大いに反省する。誓ってわざとではないが子のスカートを覗いてしまい、その上蹴り殺されたとあっては、両親に顔向けもできない。親不孝というレベルではなかった。

しかし、幸いにも博孝は『ES能力者』。通常の人間よりも遙かにが頑丈で、死んではいない。もっとも、里香も『ES能力者』のため、蹴りの威力が尋常ではなかったが。

「あ、わ、ご、ごめんなさいっ」

砂煙を上げながら停止した博孝を見て我に返ったのか、里香が慌てたような聲を上げ、博孝へと近づいてくる。今度はしっかりと、スカートを手で押さえながら、である。

「い、いやぁ……すいません。ごめんなさい。申し訳ございません。許してください。出來心だったんです。決して計畫的犯行じゃないんです。魔が差したんです」

痛みを堪えながら立ち上がると、今度は三歩下がって土下座を敢行する博孝。

「ただ、頭とか顔面は勘弁してください。蹴るなら、せめてボディでお願いします。あ、でも、爪を剝いだりするのはやめてほしいです。あと、頭は踏むぐらいなら大丈夫です。むしろ、岡島さんになら是非お願いしたいです」

「そ、そんなことしないよ……」

博孝の言葉に、里香は困ったように答えた。非常に恥ずかしかったが、それでも怪我をしている人間を蹴り飛ばしてしまったのだ。罪悪もある。

「あの、と、とりあえず、顔を上げて?」

「ははぁ! この卑小な蛆蟲めを許していただけるのですか?」

「え? えっと、うん、許す、許すから……」

そこまで言われると、さすがに博孝も顔を上げた。いくらなんでも調子に乗り過ぎだと思ったが、里香の反応がいちいち可らしかったのだ。

それでもが痛いことに変わりはないので、いい加減に冗談をやめ、地面に胡坐をかいて座る。

「ふぅ……えーっと、それで、なんだっけ? お禮だっけ?」

話していたことを思い出し、博孝が尋ねる。すると、里香は小さく頷いた。

「う、うん……その、怪我してるなら、わたしが治せればな、って。一応、『接合』使えるし……」

『ES能力者』の傷を癒す汎用技能『接合』。多の裂傷程度は治すことが可能であり、打撲程度なら十分に効果を発揮する技能である。

それを聞いた博孝は、里香がわざわざ治療をしにきてくれたということを理解し、非常に嬉しく思った。

「やばい、その優しさにキュンときた! 岡島さん! お付き合いを前提に俺と結婚してください!」

「えっ? あ、っと、その、勘弁してください……あと、普通は逆……」

その返答に、博孝は思わず地面へ崩れ落ちる。

ごめんなさいではなく、勘弁してください、だ。『ノーサンキュー』などと言われて頬を叩かれるよりも、傷ついた。言い方が悪かったのだろうが、存在を全否定されたような気分だった。

「……さすがに、ごめんなさいじゃなくて、勘弁してくださいは傷つきます……」

思わず冗談に走った自分も悪かったのだが、と博孝は半ば本気で泣きたくなる。右腕の袖に顔をうずめ、左手で地面を叩いてショックさを表してもみた。すると、里香が慌てたように口を開く。

「そ、そのね? 河原崎君のこと、そんなに知らないし……ね?」

「……あかん、さすがにこの流れはあかん。本気で泣くわ」

必死に理由を並び立てる里香を見て、博孝はを起こす。わざわざ治療に來てくれたというのに、これ以上長引かせるわけにもいかなかった。

「それで、治療をしてくれるってことでいいの?」

「え……う、うん」

いきなり真面目な顔になった博孝に戸いつつも、里香は頷く。それを見た博孝は、座ったままで頭を下げた。

「お世話になります」

「う、うん……でも、上手くできないかもしれないから……」

そう言いつつ、里香は集中するために目を閉じる。そして十秒ほどすると、右手が淡くり始めた。

「……い、痛いのは、どこ?」

中が痛いけど、まあ、ひどいのは背中とかかな」

首が痛いです、とは言えない博孝である。里香は博孝の言葉を聞くと、その小さな手を博孝の背中にそっと當てた。すると、溫かさと共にしずつ痛みが引いていくのをじる。

「ど、どう?」

「うーん、極楽極楽……なんかこう、疲れた時に溫泉に浸かっている気分」

博孝がそう言うと、里香はほっとしたように息を吐く。そして背中のあちこちに手を移させ、最後には首に手を當てた。どうやら、痛いのがバレていたらしい。

そうやって無言のままにいると、里香が小さく咳払いをした。どうやら間がもたないらしく、時折手が不規則にく。それをじ取った博孝は、世間話でもすることにした。

「そういえば、岡島さんって両親が『ES能力者』なの?」

「え? あ、う、うん。お母さんも、お父さんも、両方とも『ES能力者』なの」

「へぇ……つまり『ES能力者』のサラブレッドってわけかー」

「そ、そんな大したものじゃないよ……か、河原崎君は?」

「俺? 俺はES適検査で“オリジナル”のESに適合したパターン。両親は普通の人間だよ。というか、縁に『ES能力者』は一人もいないね」

「あ、そうなんだ……」

博孝の言葉に、里香は小さく頷く。

「そう。だから、ES適検査に通ってなかったら、ここにはいなかったねー。もし通ってなかったら、普通に高校に行ってたよ」

「そ、そうなんだ……高校は、どこを志してたの?」

「うちの地元の高校。名前は……」

博孝は、自が進學する予定だった高校の名前を口にする。すると、里香が驚いたように目を見開いた。

「そ、そこ、わたしの志校と、一緒だ……」

「え? マジで!? うっわ、すっげー偶然。あれ? ということは、けっこう家が近かったり? 同じ市?」

「ううん。わたしが住んでたのは、隣の市なの。でも、そこの調理系の科に行きたくて……」

そう言って、里香は小さく微笑んだ。それを間近で見た博孝は、なんとなく頬を掻く。

「ということは、將來の夢は料理人?」

「そう。えっとね、た、食べた人に、味しいって言ってもらえる料理を“作りたかった”んだ」

「そっか……」

過去形で語られた“夢”に、博孝はそれ以上返す言葉を持たなかった。里香の聲にも、どこか寂しさのようなものが滲んでいる。だが、それを聞いた博孝は敢えて笑ってみせた。

「それにしても、岡島さんの手料理かー。是非とも一度食べてみたいね!」

「あの、その、それはちょっと……まだ、全然自信ないし……」

「えー……だったら、自信がついたら食べさせてほしいな。試食でも良いから! お願い!」

両手を合わせて頼むと、里香は目を白黒とさせる。しかし、すぐに苦笑するように微笑んだ。

「……自信がついたら、ね?」

「おっし! 約束な!」

『ES能力者』になってしまった以上、料理人になるのは無理だろう。そう考えていた里香だが、博孝の言葉にしだけ前向きな気持ちになれる。そして、それを見越したように博孝は言う。

「『ES能力者』“で”料理人……っかー、かっけぇ! そういうのって憧れるわ! ただ、そこで料理するのが食材じゃなくて敵の『ES能力者』だったら一気に恐ろしくなるけどな!」

笑い飛ばすように、博孝は言う。それを聞いた里香は、くすりと笑った。

「うん……そう、だね……それができたら、いいね」

「え? て、敵の『ES能力者』を料理するんですか?」

「ち、違うよっ。普通の料理だよっ」

博孝の言葉を慌てたように訂正する里香。その間も『接合』は続いており、里香の『ES能力者』としての才能が窺えた。

そのことを羨ましく思う気持ちは、博孝にもある。だが、それを里香に伝える必要もない。ここからさらに努力して、自分も夢を葉えれば良いだけの話だ。

そう自分をい立たせ―――。

「え、っと……その、河原崎君も、が、頑張って……『空を飛ぶ』って夢、応援してる、ね」

そんな里香の言葉に、思わず言葉を失った。恭介や砂原以外でそんな言葉を言ってくれるとは、思っていなかったのだ。

思わず絶句し、しかし、すぐに喜びから笑みを浮かべる。

「俺頑張る。超頑張る。やっばいわー、さらにやる気が湧いてきた! よし、いっそ徹夜で自主練するか!」

「え……あの、ほどほどに、ね?」

一気にテンションを上げる博孝に、里香が困ったような聲で注意を促す。

博孝はそんな里香の言葉を聞き流しつつ、今後も努力を続けることを誓うのだった。

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