《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第三十話:白の その1
十二月二十四日と言えば、クリスマスイヴである。日本においては明治初期から記録が殘る行事であり、世界的にも広まっている行事である。
昭和初期頃から日本では『人と過ごす日』として親しまれており、歐米などの『家族と過ごす日』という認識とは大きな齟齬がある行事だ。
市街地ではサンタクロースに変裝した店員が寒空の下でケーキやチキンを売り、道行くカップルや親子連れがそれを購しては、暖かな笑顔を浮かべて自宅へと帰っていく。
子どもにとってはサンタクロースという白ひげおじさんが、真っ赤なお鼻のトナカイが曳くソリに乗ってプレゼントを持ってきてくれるという、“夢”のような一大イベントである。中には、僅か三歳にして兄の暴によってサンタクロースの正を知って絶する年もいたりするが、それはごく數である。
その“夢”から覚める年齢は人によって様々だが、全的に明るく、活気に満ち溢れる行事と言えるだろう。
そんな夢と希と、その他諸々のが渦巻く市街地から離れた山の中。
道路すら碌に存在せず、獣道を踏み分けて進む必要があり、山の冷気で心もも冷やされそうな環境の中に、博孝達はいた。
「世間はクリスマスだってのに、こっちは野戦食(レーション)を食べながら山の中、と。いやはや、世知辛いねぇ……」
しばかり開けた草地で、地面に生える巨木を盾代わりにしながら博孝が呟く。『ES能力者』なので気溫の変化も大した影響はないが、心が寒い。
「それは言わないでほしいっす……虛しくなるっす……」
隣で同じように巨木を背にしつつ、恭介が答えた。
持ってきた野戦食一式を開けてみれば、中にチキンの香草焼きがっているのは何かの皮だろうか。せめてクリスマス気分でも味わえという、教の心配りなのか。
「そこの二人、うるさいわよ」
淡々と、沙織が言う。沙織も博孝や恭介と同じように、木に背中を預けながら晝食の野戦食を開けていた。
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「で、でも、二人の気持ちもわかる……かな?」
刺々しい沙織を宥めるように、里香が言う。こちらも木に背中を預け、野戦食と攜行した魔法瓶から熱々のお茶を取り出していた。
第七十一期訓練生、第一小隊の面々が何故山の中で侘しく野戦食を食べているのかと言うと、事前に通知があった任務のためである。
砂原の通知通り十二月二十四日になると任務に駆り出され、訓練校から三時間ほど離れた場所にバスで移することになったのだ。
任務の容は、正規の陸戦部隊によってとある“施設”を襲撃、制圧するための補佐である。施設を中心として円狀に第一、第二、第三警戒網が敷かれており、博孝達訓練生は一番外側である第三警戒網の擔當を割り振られていた。今回は初任務の時と違い、陸戦部隊に余裕がないため引率の者もいない。砂原や他の期生の教が指揮所で指示を出すが、それ以外は小隊長の判斷に委ねられている。
『ES寄生』の発生に注意しつつ、“萬が一”正規部隊や第一、第二警戒網を抜けて“施設”の人間が出した場合の通報および対応を行うのが今回の任務だった。
しかし、初任務の時とは異なり、博孝達に張のはほとんどない。博孝が『探知』を使うことにより、至近の『構力』の反応は全てわかるのだ。もちろん、『隠形』を使う者が“施設”から出していればその限りではないが、それも警戒して休憩時は木を盾とし、各自がそれぞれ別方向に視線を向けることで目視の確認も行っていた。
沙織などは戦闘の気配がないため、テンションがいつもと比べても遙かに低い。
この戦いに拘る傾向は危懼して砂原にも話しているが、初任務の際に學習しているだろうと判斷された。もっとも、さすがに博孝の報告が気にかかったらしく、個別に呼び出されて注意をけてもいたが。
それでも、任務にるなり沙織は博孝の指示に逆らうことなく対応している。その點を見れば、博孝も安心できていた。
『――こちら砂原。応答せよ』
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博孝が安心しつつ、野戦食にっていたチキンの香草焼きに複雑な思いを抱いていると、砂原から攜帯のトランシーバー機能に応答がる。それを聞いた博孝は、すぐに攜帯を手に取った。
『こちら第一小隊の河原崎です。現在第一小隊は休憩がてら食事を取っています』
『警戒の方はどうだ?』
『俺の方で『探知』を使っています。山の中なので見通しは悪いですが、四方百メートルに『構力』はありません。目視でも特に異常はないです。人間も、『構力』を持つ者もいないです』
『そうか……他の小隊も同じ狀態だ。もっとも、お前のように『探知』が使えるわけではないから、見落としがあるかもしれんがな』
トランシーバー越しの聲を聞いて、博孝は眉を寄せた。
『『ES寄生』の出現報とかはないんですか? 長谷川のテンションがどん底なんですが』
『今のところはないな。長谷川はしっかり手綱を握っておけ。油斷はするなよ?』
『了解です。警戒しつつ、何の因果か野戦食にっていたチキンでも食べますよ。これでパッケージにメリークリスマスって書いてあったら、問答無用で地面に叩きつけていたかもしれませんね』
博孝がそう言うと、砂原は苦笑してトランシーバーを切る。初任務の時とは異なり、冗談を言う余裕があるならば砂原も多は安心するだろう。そして、どこか期待しているような目を向けてくる沙織に首を振ってみせた。
「長谷川、そんな期待したような目で見るなよ。各地の小隊からも『ES寄生』の発生報告、報はない」
「……そう」
パックにったチキンの香草焼きをワイルドに噛み千切り、沙織が頷く。それを苦笑して見つつも、博孝は『探知』を維持して警戒を怠らない。
「しかし、“施設”って言ってたっすけど、何の施設なんすかね?」
詳細な報が下りてこず、その辺りが不明なのを不満に思った恭介が呟く。そう言う間にも恭介は目視で警戒を継続しており、ただの暇つぶしなのだろう。
博孝は『探知』を維持しつつ、目視を継続しつつ、ついでに野戦食一式にっていたブレッドパックの中を齧りつつその返答を行った。
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「悪の結社が『ES能力者』について非人道的な実験を行っている……とか?」
「うわっ! なんっすかソレ! ちょっとかっけぇ! 戦隊モノだとありがちな話っすけど! 実験っていうより、改造とかならさらに心がくすぐられるっす!」
「ふむふむ……じゃあ、こういうのはどうだろう? “施設”っていうのは“オリジナル”のESを売する組織の拠點のことで、今回はそこを押さえるための任務とか?」
「地下でオークションとかやってたりするっすか?」
“オリジナル”のESを個人が所有することは法律でじられており、発見者は速やかに通報する必要があるが、ESの形狀は磨き抜かれた寶石に似ている。そのため“裏”では高値で取引されることもあった。額で言うと何十億という巨額で取引されることもあるらしい。
そんな雑談をしつつ、第一小隊は晝食を終える。そして野戦食の空を背負ったバッグにれて痕跡を消すと、警戒態勢を維持しながら山の中を歩き出した。
整備されていない山の中というのは、非常に歩きにくい。足元は落ち葉を押しのけるようにして雑草が繁茂し、倒木や木のが足を掬おうとする。場所によっては地面ごと落したり、自然とできたに落下したりする危険もあった。
山という領域に素人の人間が足を踏みれれば非常に危険だが、博孝達は『ES能力者』である。峻嶮(しゅんけん)な山道も問題なく進むことができ、疲労もない。気溫の変化にも強いため、周囲の狀況さえ確認すれば大きな危険はなかった。
それでも視界を遮るように木々が立しており、警戒しながら進むのは神的に疲れる。いくら最も外側の警戒網とはいえ、気を抜いて良いわけでもない。そのため博孝は時折小隊に小休止を命じつつも、事前に決められた範囲の警戒を行っていた。
時折砂原だけでなく、付近の小隊に連絡をれつつの警戒である。
午前十一時に山にり、今は午後三時。冬の上山場であるため、しずつ暗くなっているようにもじる。正規の部隊が午後二時を目安に“施設”を制圧する予定だったため、そろそろ任務も終了と思われた。
これは何事もなく終わるか、と魔法瓶にれて持ってきたお茶を飲みながら博孝が心で呟くと、『探知』の端に『構力』をじ取った。
『各員、警戒態勢を取れ』
お茶を飲んでいたため『通話』で小隊員に話しかける博孝。殘っていたお茶は地面に捨て、魔法瓶の蓋を閉める。
「どうしたの?」
周囲に警戒の目を向けていた沙織が、訝しげに聲をかけた。それを聞いた博孝は、魔法瓶をリュックに戻しつつ探知した『構力』のきを追う。しかし、その『構力』の大きさに博孝は眉を寄せた。
「『探知』の範囲に、『構力』をじる。でも、なんだこりゃ……やけに不安定な『構力』だな」
博孝が言う通り、『探知』に引っかかった『構力』は明滅するような反応をしていた。それを不思議に思いつつ、博孝は攜帯を取り出す。トランシーバーの機能を使って至近のトランシーバー機能を持つ攜帯に向けて電波を飛ばすが、反応はない。
出力を絞って周辺三百メートル以に攜帯を持った者――この場合で言えば、博孝達と同じように第三警戒網で警戒している訓練生が相手ならば、何かしらの反応があるはずだった。
『こちら第七十一期訓練生、第一小隊小隊長の河原崎です。姓名を述べてください』
電波で駄目なら、と博孝は『活化』と『通話』を併用して話しかける。百メートルも離れていると、今の博孝の『通話』の練度では『活化』を使わないと屆かないのだ。小隊員も対象にしているため、何かしらの返答が來るのではと警戒している。
「――っ!?」
変化は、劇的だった。
それまでゆっくりと近づいていた『構力』が、突然速度を増して博孝達の方へと接近してくる。
「全員『防殻』展開! 何か來るぞ! 恭介は後衛で里香の防、長谷川は前衛! 俺は長谷川のサポートに回る!」
博孝はすぐさま指示を飛ばし、自も『防殻』を発現させた。それを聞いた三人も『防殻』を発現すると、博孝が視線を向ける方向を見て構える。
沙織が前に出て『武化』で大太刀を作り出し、博孝も『探知』を行いながら『撃』で周囲にの矢を三本作り出す。
それと同時に、初任務といい、里香と共に敵の『ES能力者』に襲われた時といい、己の“不運”さとも呼べる何かに心で嘆息した。やはり、“オリジナル”のESに適合したことで、全ての“幸運”を消費してしまったのだろうか。
そんなことを頭の隅で思いつつ、補足していた『構力』が至近まで接近し――そこで博孝は、咄嗟にんだ。
「全員跳べ!」
博孝がぶと同時、小隊員も大きく跳躍する。その瞬間、それまで博孝達が立っていた場所が散して巨大なを開け、中から土煙に混じって“何か”が飛び出してくる。
博孝達は手近にあった木の枝に著地すると、『構力』の白いを纏う“何か”に相対した。
「長谷川、威力偵察! 深追いはするな!」
「わかった!」
短い意思疎通で沙織が跳躍した際に著地していた木の幹を蹴り、大太刀を振りかぶって“何か”へと向かう。博孝はの矢を放って沙織の援護をしつつ、『通話』で他の小隊員に指示を出すことにした。
『恭介は長谷川の援護! 俺は教へ連絡するから里香は周辺の警戒!』
『了解っす!』
『う、うんっ』
初任務の時と違い、全員ほとんど揺することもなくき出す。恭介は沙織を追って木から飛び降り、博孝は里香が避難していた木の上へと移した。
そして握っていた攜帯のトランシーバー機能をオンにして、砂原の攜帯へ発信する。その待ち時間の間に博孝は沙織達の様子を確認するが、から飛び出してきた“何か”――いの姿をした何者かを見て、僅かに驚愕した。
土煙が風に押されて流れると、地面に開いたの中には通路らしきものも見える。
は『構力』を纏い、手には『固形化』で棒狀に固めた『構力』を持っており、大太刀を振るう沙織と斬り合いを始めていた。恭介はそんな沙織をサポートするために『盾』を発現し、時折のきを阻害するようにかしている。
『――こちら砂原。何事だ?』
博孝が観察している間に砂原から応答があり、博孝は冷靜に口を開く。
『こちら第一小隊の河原崎です。警戒中に突然地面を打ち抜いて出てきた『ES能力者』と思わしき一人と戦中です。対象“施設”の出口と思わしき通路が見えますが、そこから出てきた模様。応援をお願いします』
『すぐに手配する。しかし……お前は疫病神にでも憑かれているのか?』
博孝の口ぶりから、初任務のように切迫した狀況ではないと判斷したのだろう。それでもここ最近、連続して災難に見舞われる博孝に対して、砂原が博孝の張を和らげるように軽口を言う。無論、通話の先ではハンドサインで指示を出しつつ、だが。
『言いたいことはわかります……でも、で人の疫病神なら大歓迎ですけどね!』
傍にいた里香の張をほぐすためにわざとおどけて言うと、トランシーバー越しに砂原は苦笑した。
『その様子ならそれほど切羽詰まっていないようだな。狀況は?』
『長谷川と武倉の二人で足止めさせています。俺は岡島と一緒に、周囲の警戒と連絡です』
さすがに、正規の部隊が絡む任務のため名字で呼ぶ博孝。それに対して、砂原は真剣な様子で言う。
『良い落ち著きぶりだ。長谷川の“暴走”はないな?』
『ちゃんと指示を聞いてからきましたよ』
『そうか……付近の小隊に連絡を行った。一分もせずに到著するだろう。それまでもつか?』
『そうですね……長谷川一人で抑えられるみたいです。しかし……』
言いつつ、博孝は沙織と戦うを見る。
里香よりも遙かに背が低く、年齢は十歳に屆くかどうか、といったところだ。白にすら見える素が薄い銀髪が無造作に腰のあたりまでび、その上、病的にが白い。顔立ちは十分にいが、表というものが窺えない。真っ白なボロボロのワンピースらしき服を著ており、明らかに“普通”の『ES能力者』には見えなかった。
博孝は継続して『探知』を行っているが、増援の気配はない。
『相手は、十歳かそれ以下のの子です』
『……なに?』
トランシーバー越しに、砂原の空気が一変する。
『それは……間違いないか?』
『さすがに実際の年齢まではわかりませんが、外見から判斷するとそのぐらいかと。白……に近い銀髪で、も真っ白です。著ている服もボロボロなんですが……』
『わかった。し待て……俺が行く。可能な限り、無傷での無力化に努めろ』
『はい……はいっ!? 無傷での無力化ですか!?』
砂原からの言葉に、博孝は一度頷いてから驚く。しかし、砂原の聲は至って平坦なものだった。
『“絶対”に殺すな。これは命令だ』
有無を言わせぬ口調。それを聞いた博孝は、疑問を飲み込む。
『……了解です』
『すぐに飛んで行く。周囲の小隊は合流しないが、俺も一分あれば著く。無力化が難しいなら、そのまま戦いを長引かせろ』
そう言って、トランシーバーからの応答がなくなる。博孝は一度だけ頭を掻くと、隣の里香に目を向けた。
「里香は周辺の警戒を継続。いいな?」
「う、うんっ」
それだけを指示して、博孝も木から飛び降りる。そして、沙織と恭介に向けて『通話』を行った。
『教からの“命令”だ。相手になるべく手傷を負わせるな……って、もしかして長谷川、既に殺してたりしないよな?』
『アンタはわたしをなんだと思っているのよ! それより、アンタも手伝いなさい! 思ったより手強いわよ!』
沙織の返答に、博孝は驚く。の外見からして、沙織が手こずるようには思えなかったのだ。それでも両手に『盾』を発現しつつ、博孝も戦闘に加わる。
至近距離で確認しても、はやはりかった。のない目で博孝達を見て、手に持った棒狀の『構力』を振るっている。そのきは単調だが、『構力』が膨大なのかき自は力強い。『撃』等の遠距離攻撃手段を持たないのか、接近戦一辺倒の戦い方だった。
「ちっ!?」
『構力』の棒をけ太刀した沙織のが、大きく後ろへと弾かれる。それを見た恭介が沙織をけ止めつつ、の進路を遮るように『盾』を発現した――が、棒の一振りで砕かれる。
「っと、おっかないお嬢ちゃんだなぁっ!?」
沙織が勢を立て直す時間を稼ぐために、博孝はへと踏み込む。無造作に棒が振るわれるが、それを『盾』を張った手の平でけ流し、それと同時に、その一撃の重さに眉を寄せる。
いの外見に似合わぬ膂力や『構力』を見る限り、『ES能力者』であることに間違いはない。しかし、無に棒を振るうその様は、どこか違和を博孝に覚えさせた。
(なんだこの子……っと!)
突き出される棒を半開いて避け、の懐に潛り込む。博孝は掌底をに叩き込もうとするが、その外見とが発現している『防殻』の不安定さから、下手に攻撃を叩き込むと死傷させると判斷。の眼前で両手を打ち合わせ、俗に言う『貓騙し』をした。
は博孝の『貓騙し』に一瞬驚き、その隙に博孝はの足を軽く蹴り払って転ばせる。
「長谷川! 恭介! 『盾』で抑え込め!」
そう指示を出しつつ、博孝ものを抑え込むように『盾』を発現させる。使い方によっては拘束に使えると判斷しての行だったが、恭介や沙織もの腕や足を押さえるように『盾』を発現することで、地面に倒れた狀態からをけなくした。
「ふう……この子、何なんっすか?」
三人がかりの『盾』で抑え込まれ、それでももがくように地面を叩くを見て恭介が呟く。博孝はその間も『探知』で周囲を窺うが、特に異常はない。
「子供……よね?」
沙織は『盾』を維持しつつ、何かあればすぐにけるよう大太刀を構え続けている。それでもの外見が気になったのか、首を傾げた。
「ES適検査は十五歳から行われるはずだが……この子はどう見ても十歳ぐらいだ。どういうことだ?」
三人の疑問をまとめるように、博孝が呟いた。すると、上空に『構力』の反応をじ取って顔を見上げる。そこには『飛行』によって飛來する砂原の姿があり、博孝は安堵の息を吐いた。
一瞬、空を飛べる敵かと思ったのだ。だが、砂原との連絡から丁度一分が経っており、時間通りと言える。砂原も『探知』で博孝達の位置を探っていたのだろう。一直線に近づいてきた。
「狀況は?」
著地するなり、砂原が尋ねる。博孝は地面に『盾』で押さえ込んだを指で示すと、肩を竦めた。
「命令通り、なんとか無傷で押さえ込んでいます」
そう言いつつ、博孝は砂原の雰囲気が平常のものと異なることに気付く。いつもは軍人然としながらも、教らしさも持ち合わせていた。しかし、今の砂原は教と言うよりも、一人の“軍人”のようにじられる。
「ご苦労。この子か……」
砂原は未だに地面でもがいているの傍に腰を下ろすと、その様子をつぶさに観察した。博孝の報告通り、高く見積もっても十歳程度にしか見えない。それだというのに、ES能力を行使している。
「今『防殻』を発現しているようだが、他に何かES能力を使ったか?」
「『固形化』で『構力』を棒狀にして毆りかかってきただけです。遠距離攻撃なし。『防殻』以上の防系能力もなし。支援系の能力についてはわかりません。もしかすると、わざと使ってこなかった可能もありますが」
「そうか」
砂原と博孝がそうやって話している間も、沙織達は周囲の警戒を怠らない。砂原がいる以上問題はないと思うが、警戒をしておくに越したことはなかった。
博孝は真剣な表でを見る砂原に、多の違和を覚える。
周辺の小隊を応援に寄越さず、砂原自が『飛行』を使ってまで駆けつけたこと。
博孝達よりも遙かにいがES能力を使っていること。
今回正規の部隊が行っているであろう任務のこと。
(うーん……なんか、冗談で言ったことが実現していたようなじが……)
もしかすると、恭介を相手に言った冗談が正鵠をていた可能がある。あるいは、このは外見に見合わず、博孝達と同年代もしくは年上という可能もあるが。
そうやって博孝が考え事をしていると、砂原がから視線を外して博孝を見る。その表は“教”としてのものに変わっており、砂原は表を僅かにらかくしていた。
「々と気になることはあるだろうが、詮索は止だ。言えることがあるとすれば、俺も別の任務を――ん?」
言葉を途中で切り、砂原はに視線を戻す。そして、眉を寄せた。
「これは……」
訝しげな聲に、博孝もへ視線を向ける。
それまで博孝達の『盾』から抜け出そうとしていたはいつの間にか靜かになっており――そのに纏う『構力』を、不規則に明滅させていた。
「う……ぐ、うぅ……」
それと同時に、の口から苦しそうな聲がれる。を震わせ、額から冷や汗を流し、何かを堪えるように歯を食いしばる。
「っ!? まさか!?」
砂原が、焦ったような聲を上げた。それは博孝達が聞いたことのないような切迫した聲であり、恭介や沙織は顔を見合わせる。博孝も何が起きているのかと不思議に思うが、の様子は尋常のものではない。
『構力』のが消え、を覆い、また消える。まるで切れかけの電球のように、不規則にの明滅を繰り返す。
「ああああああああああああああぁぁっ!」
が大きな悲鳴を上げると同時に、のあちこちからが吹き出した。皮が裂け、ボロボロの白いワンピースを真っ赤に染め始める。
「きょ、教、これは何ですか!?」
思わず博孝が尋ねると、砂原は舌打ちを一つ叩く。そしてに向かって手をかざすと、『治癒』を行い始めた。それによっての中にできた裂傷が塞がり始めるが、塞がりきるよりも早く、新しい裂傷ができる。
「まずいぞ……『構力』が暴走している」
呟くように言う砂原。その呟きを聞き取った博孝は、言葉の容を理解するべく努め――全からの気が引くほどの悪寒をじた。
『ES能力者』になり、訓練校に校したての頃の授業で砂原から聞いたことがある。
『ES能力者』が死亡するのは、他の『ES能力者』や『ES寄生』に殺されるだけが原因ではない。『構力』の枯渇や、その暴走も死因として數えられるのだ。
そして砂原は、眼前のが“その”暴走を起こしていると言う。
「もしかして……いや、もしかしなくても……危険、ですよね?」
博孝が確認するように尋ねると、砂原はから目を離さずに頷く。
「このまま暴走が続けば、間違いなく、この辺一帯は吹き飛ぶな」
の『治癒』を続けながら答える砂原だが、その表は真剣だ。『構力』が暴走することによってのを傷つけ、そのからを流させている。このままいけば、暴走以前に失死しかねないほどだ。
博孝はが一種の“弾”のような狀態になっていることを理解し、慌てそうになる思考をなんとか鎮める。過去の事例では、『構力』が暴走した『ES能力者』によって山一つが吹き飛んだこともあったという。その威力を思えば、すぐさま退避する必要もある。だが、この場にいるのは第一小隊だけでなく、多離れた場所には他の小隊もいるのだ。博孝は砂原の傍に膝をつくと、震えそうになる口を開く。
「教、他の小隊に連絡して避難指示を出しますか?」
『治癒』に集中している砂原の気を散らないよう、靜かに尋ねる。それを聞いた砂原は、しだけ思考してから口を開いた。
「……いや、他の者には知らせるな」
「っ!? しかし、それでは他の小隊にも危険が……」
「最悪の場合この辺一帯は吹き飛ぶが、『ES能力者』ならば死にはしない。貴様らは防態勢を――」
そこまで言って、砂原は博孝に視線を向ける。そして、何かに思い至ったように片眉を上げた。
「そうだ……いや、可能か? しかし、おそらくは……」
「え? な、なんですか?」
砂原から鋭い視線を向けられ、博孝は焦ったように答える。そんな博孝を見た砂原はすぐさま決斷すると、へ視線を戻し。
「河原崎、このに『活化』を行え」
短く、そう言った。
それを聞いた博孝は、沙織と恭介の方をしだけ見る。
「教、それは……」
「ここに至っては仕方がない。どの道、長谷川も武倉も、お前が獨自技能を持っていることは知っている」
「あー……わかりました」
撤回することはなさそうな砂原の様子に、博孝はため息を吐きつつ小隊員達へ向き直った。
「全員、固まって防態勢を取れ。長谷川は三人を覆うよう『防壁』、里香は『防殻』を張ったままで長谷川と恭介の間、恭介は前に立って『盾』を張れ。あ、この子に使っている『盾』はそのままでな」
「三人って……博孝はどうするんっすか?」
「俺は、まあ、なんというか……弾処理?」
自分を落ち著かせるように軽口を言って、博孝はを挾んで砂原とは反対側に回る。そして地面に膝をつくと、痛みで暴れるの手を握った。
今も『構力』のを明滅させるの手を握るのはしばかり、いや、正直に言うととても恐ろしい。それでも、全からを流して悲鳴を上げているを助けたいとも思う。
すぐさま集中して、普段使うものとは異なる『構力』を発現する。博孝の全が薄緑のに包まれ、その狀態でに向かって自の『構力』を渡し始めた。
のが、薄緑のに覆われる。すると僅かにの表が安らぎ、一分もすると僅かに目を開けた。
「…………?」
そして博孝の顔を見ると、瞳に不思議そうなを宿す。その視線をけ止めた博孝は、安心させるように笑った。
「大丈夫。もう大丈夫だ。ほら、落ち著いて」
に対する『活化』を継続しつつ、そう言う。しかし、未だにのから『構力』が不規則に溢れ出ており、それに伴って裂傷もできる。だが、『活化』を行う前よりはその頻度も規模もない。
「河原崎、『活化』はまだもつか?」
博孝の額に汗が浮かぶのを見て、砂原が尋ねる。博孝はを安心させるよう微笑みつつ、額の汗を拭った。
「だいぶ出力の調整ができるようになってきましたからね……まだまだいけますよ」
「そうか……だが、無茶はするな。お前まで『構力』を枯渇させたり、暴走させたりしたら敵わんからな」
「了解です。でも、本當にまだ大丈夫で――」
「ぅっ……あ、ああああああああああああああああぁぁぁぁっ!」
から、『構力』が大きく迸る。それまでとは異なり、が大きく瞬く。そしてを押さえつけていた『盾』を力任せに破ると、博孝達を吹き飛ばすようにして立ち上がった。
「ちぃっ!?」
「っと!?」
博孝と砂原はすぐさま勢を立て直すと、と対峙する。は全から『構力』のを火ののように撒き散らし、を押さえるようにして俯く。
そんなを見ながら、全に疲労を覚え、顎まで伝ってきた汗を拭いながら博孝は口を開く。
「教、気絶させたら駄目ですかね?」
「止めておけ。気絶させたら、あのが自力で『構力』を抑えることもできん。最悪、気絶させた瞬間に吹き飛ぶぞ」
博孝の疑問に険しい顔で答える砂原。それを聞いた博孝も、表を険しいものにする。
「と、なると……」
「俺の『治癒』よりも、お前の『活化』の方が有効に見えた。俺が力づくで押さえ込み、お前が『活化』を継続しての『構力』を落ち著かせるしかあるまい」
そう言うなり、砂原の雰囲気が鋭いものへ変わった。を刺すような圧迫をじ、博孝は眉を寄せる。
「しかし、無理矢理押さえ込むのも危険じゃないですか? あの子があの狀態でES能力を使ったら、それこそ“ドカン”ってなる気がするんですが」
「そうだな……しかし、このままではどの道“ドカン”だ」
二人の視線の先で、はを抑えながら地面に膝をついて膝立ちの狀態になった。全の痛みを堪えるように、『構力』の暴走を堪えるように、小さく悲鳴をらしている。
そのの姿を見た博孝は、大きくため息を吐いた。いきなり襲いかかられたが、外見だけを見れば博孝よりも年下。下手をすれば、半分ぐらいの年齢かもしれない。
砂原が無理矢理押さえ込もうとすれば、それに反応して攻撃する可能もある。博孝はの様子と自の狀況を考え、砂原に視線を向けた。
「こうなったら、あの子を刺激しないようにして『活化』を行うしかないでしょう」
「どうするつもりだ?」
「――こうします」
砂原の言葉に短く答え、博孝は『防殻』も発現せずにへゆっくりと近づいていく。は足音に気付いてすぐさま顔を上げるが、博孝が笑顔を――その裏では冷や汗を浮かべながら近づいてくるのを見て、小さく首を傾げた。
「落ち著いて……大丈夫だ。ここに、君に危害を加えるやつはいないから」
「…………?」
ゆっくりと歩を進め、博孝はまであと三歩というところまで近づく。砂原は止めるべきか迷ったが、自の『治癒』では傷を塞ぐことはできても『構力』の暴走までは防げないため、足を踏み出しそうになるのを堪える。それでも“最悪”の場合は瞬時に割って博孝を救うべく、狀況を注視した。
「ところで、君の名前は何かな?」
そう言いつつ、さり気なく一歩分距離を詰める。は博孝の言葉を聞いて、再度首を傾げた。
「……な、まえ?」
「そう、名前だ」
さらに一歩、へ近づく。そして博孝は膝を折ると、『構力』のを撒き散らすへ手を差し出す。
「俺は河原崎博孝。良かったら、握手しよう」
「あく、しゅ……」
は不思議そうな顔をしたままで、博孝の手に自の手をばす。そして博孝の手を握ると、博孝は笑顔で『活化』を発現した。の小さい手を伝って薄緑のが伝わり、のを包む。今度は出力を調整せず、全力での『活化』である。の様子を見れば、手加減をして『活化』を使っても効果は薄いように思われた。
自のが薄緑のに包まれ、それまでを暴れ回っていた『構力』がしだけ大人しくなったようにじたは、再度不思議そうに博孝を見る。
「そう、そのまま落ち著いて。よし、深呼吸でもしてみようか」
「しん、こきゅ?」
まるで言葉を知らないかのように、は言葉を繰り返す。博孝は全力で『活化』を行うことで疲労するを叱咤し、大きく息を吸い、吐いてみせた。はそれを真似るように息を吸い、吐くことを繰り返す。
その間にもがに纏う『構力』が激しく明滅するが、それも徐々に収まりつつあった。『活化』によって、の『ES能力者』としてのと神が“強化”されているのか、しずつだが『構力』が落ち著きつつある。それを見た砂原も、に対して『治癒』を再開し始めた。
(ぐ、ぐぐぐ……で、でも、その前に、こっちが限界かも……)
全力で長時間『活化』を使ったことがなかった博孝は、自に圧し掛かる疲労の重さに汗を流す。出力を絞った『活化』ならば十分程度維持しても問題なかったが、全力で発現すれば三分を超えた辺りで限界が近づいてきているのをじた。
それでも、眼前のが無垢な瞳で見てくるのに笑って返し、博孝は『活化』を維持する。砂原が『治癒』を再開したことで全の傷も癒えつつあり、あとは博孝が『活化』を続ければ、も落ち著くだろうと思われた。
「河原崎、限界が近いのではないか?」
「うぐぐ……ま、まだ、あと一分ぐらいは……」
汗が頬を伝い、顎に溜まって地面へと落ちる。は笑顔ながらも汗を流す博孝を見て、不思議そうにするだけだ。
「……いたい、の?」
「いや、痛くない痛くない。大丈夫だから、心配しなさんな」
博孝はの言葉に笑みを返し、安心させるようにその頭を優しくでる。は自分の頭をでる博孝を見て、首を傾げた。
「なんで、なでるの?」
「んー? そこに頭があったから、かな?」
疲労を堪えるように言うと、は納得したように頷く。相変わらず無表ながら、先ほどまであった『構力』の暴走は収まりつつあった。それを見た博孝は、汗を流しながら口を開く。
「教……そろそろ、限界です」
「そうか……ここまで安定しているなら大丈夫だと思うが……よく頑張ったな」
そんな砂原の言葉を最後に、博孝は『活化』に回す『構力』を使い切って仰向けに倒れる。倒れた博孝をが不思議そうな顔で見てくるが、博孝は全の疲労によって手を挙げて答えることも難しい。
結局、口の端を僅かに吊り上げて不格好な笑みを返すと、そのまま気を失うのだった。
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