《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第三十八話:月夜のデート その1
年末年始に行われた一週間の帰省は、あっという間に時が過ぎていった。
久しぶりに家族と會うことができ、神的に充溢した第七十一期訓練生達は第二指定都市に來た時と同様、バスに乗って訓練校へと帰還。そのバスの中で、博孝は隣の窓側の席に座り、時折窓の外を見て第二指定都市の方向へ目を向けるみらいの姿に苦笑していた。
博孝も気がかりだった両親とみらいの顔合わせは、最初こそ波があったものの上手くいったと博孝自は思っている。突然できた“娘”に驚いたものの、それでもけれてくれた両親の度量に謝と尊敬の念を抱きつつ、博孝はみらいの頭に手を乗せた。
「いつでも電話できるし、長期の休みには帰ることもできるさ」
「……ん。“おかあさん”と“おとうさん”に、また會う」
博孝の言葉に頷き、みらいはそう呟く。そんなみらいの足元には、帰省の間に博子が買い込んだ洋服が詰まった紙袋が置かれていた。博子曰く、『一度で良いから“娘”を著せ替え人形にしてみたかった』とのことだ。
みらいもそんな博子にはよく懐き、帰省の後半では一緒に風呂にっていた。それを見た孝則がみらいに対して『明日はお父さんと一緒にお風呂にるか』などと言い出したが、それは笑顔の博子による両襟締めによって頓挫している。
一週間という短い期間ではあったが、それでも的神的に休めたと博孝は思った。
(やっぱり家族に會うと安心するねぇ。しかし……)
椅子に背を預けた狀態で、博孝は視線を橫へと走らせる。すると、通路を挾んだ席に座っている沙織からの鋭い視線をけ、心でため息を吐きつつ口を開いた。
「おいおい沙織っち、そんなに熱い眼差しで見ないでくれよ。あまりじっと見られると、俺ってば溶けちゃうよ?」
何故沙織に険の宿った目で見られるのかわからず、ひとまずは空気を変えるようにふざけて言う。沙織はそんな博孝の言葉を聞くと、舌打ちをしてから視線を外した。
「やっべぇ……の子の舌打ちってこえー。沙織っちみたいな人にされると、余計に怖いって」
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を震わせながら言うと、再度沙織から視線が飛んでくる。そして口を開く――よりも早く、沙織の隣に座っていた里香がその腕を引いた。
「沙織ちゃん? な、何か……あったの?」
長差があるため、上目遣いの形になった里香が沙織を真っ直ぐに見る。沙織はその里香の視線をけると、バツが悪そうに視線を外した。
「……別に、なんでもないわ」
「そ、そう?」
明らかに『なんでもない』という言葉が通じる様子ではなかったが、里香は深追いしなかった。それでも不安なが表に出てしまい、それを見た沙織はしだけ表を和らげる。
「ええ……ああ、そういえば岡島さん。年始は悪かったわね。親族の集まりがあったから、行けなかったわ」
「え……あ、ううん。それじゃあ仕方ないよ。でも、メールの返信はしかった……かな?」
里香が控えめに抗議すると、それを聞いた博孝は目を輝かせる。
「いいぞ里香、もっと言ってやってくれー。大沙織っち、俺のメールにも返信……って、わかったから、そんな親の仇を見るような目で見ないでくれます? そんな目を向けられても喜ぶ趣味はしてねぇよ」
雰囲気を軽くするように言ったが、その途中で沙織に睨まれた博孝は両手を上げた。
「博孝、博孝。沙織っち、どうしたんすかね?」
そんな博孝に、後ろの席に座っていた恭介が小聲で尋ねた。恭介も沙織の機嫌の悪さは察しており、疑問に思ったのだ。
「うーん……俺には思い當たる節がないな。あ、もしかして、おみくじ引いたら兇や大兇だったとか? 沙織っちもの子だし、それで機嫌が悪いとか」
「いや、そんな悪い運勢のおみくじを引くのは博孝だけっすよ」
「なっ!? き、恭介テメェ……俺以外にも兇を引いた人がいるかもしれないだろ!」
「とりあえず、うちのクラスにはいないんじゃないっすかね」
場の空気を変えるために恭介と騒ぎつつ、博孝は思考を巡らせる。博孝自、口にした通り沙織の機嫌が悪い理由がわからない。しかし、沙織の不機嫌さは博孝に対して向けられており、何か理由があるはずなのだ。
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(知らないに沙織っちを怒らせるようなことをしたか……でも、帰省の間はメールしか送ってないしな。帰省前はいつも通りだったのに……)
今回ばかりは思い當たる節がなく、博孝は首を捻る。
帰省の間にしたことといえば、みらいを両親に紹介し、砂原から『飛行』や『瞬速』の訓練方法を學び、恭介や里香と共に初詣に行ったぐらいだ。
(沙織っちが機嫌を悪くしそうなことを挙げるとすれば、教から個人的に訓練をけたこと……か? でも、まだ誰にも話してないぞ……)
いくら頭を悩ませても、原因がわからない。そんな博孝の様子を察したのか、恭介は博孝の耳元に顔を寄せた。
「あー……博孝、もしかしてアレじゃないっすか? ほら、沙織っちもの子だし……調が悪いと、機嫌も悪くなるっすよ」
小聲でそう言われて、博孝は恭介に視線を向ける。冗談かと思ったが、恭介の顔は真剣だった。どうやら、本気でそう思っているらしい。
「調不良……ああ、うん。そうだといいなぁ……」
調が悪くなると、博孝を睨まずにはいられない――どんな病気だ、と博孝は思った。
答えは出ないままで、バスは道路を走る。訓練校に戻って訓練が始まれば、沙織の機嫌も直るかもしれない。
そんな期待と希をにめ、博孝は一度だけ深いため息を吐くのだった。
結論から言えば、沙織の機嫌は一週間経っても直らなかった。
訓練校に戻り、授業や訓練が再開し、『ES能力者』としての“日常”が戻ってきても、沙織の機嫌は悪いままだ。それでも、授業や訓練は真面目に行い、小隊同士で模擬戦を行う時も博孝の指示に従う。だが、ふとした拍子に沙織から怒気がれるのを、博孝はじていた。
小隊の雰囲気は徐々に悪くなり、恭介や里香は居心地が悪そうである。博孝は恭介と騒いで雰囲気を盛り上げることもあるが、沙織には通じない。帰省前ならば、鼻で笑うか、僅かとはいえ呆れたように笑うぐらいはしていた。しかし、今では博孝を冷めた目で見るだけだ。
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里香は沙織に何があったのかを何度か尋ねたが、里香が相手でも沙織は答えない。博孝も小隊長として、クラスメートとして、沙織と話をしようとしたことがある。訓練が終わり、解散するなり沙織のもとへ赴き、尋ねたのだ。
「なあ、沙織っち。最近えらくツンツンしてるじゃん。というか、ツンツンし過ぎだと思うんだよね。何かあったのか? 俺が何かしたか? もしそうなら、言ってくれ。そうじゃないと、改めることもできない」
「……別に」
なるべく話が重くならないよう、気軽に聞いた博孝。だが、沙織の反応は冷たい。腕を組み、苛立ちを誤魔化すように自の腕を指で叩いている。沙織の様子に、博孝は頭を掻きながら困ったように言う。
「何もないなら、もうし態度で表してくれよ。さすがに、毎日“こう”だと周りにも迷がかかるしさ」
なだめるように言う博孝。だが、博孝の言葉を聞いた沙織の雰囲気が一変する。
「なによ――文句があるの?」
怒気を超え、が震えるような殺気を見せる沙織。博孝はそんな沙織の殺気をけ、咄嗟に後方に跳びつつ『防殻』を発現して拳を構え――反的に臨戦態勢を取った自分に気づき、拳を解いて両手を上げた。
「おいおい……冗談はやめてくれよな。斬られるかと思ったじゃないか」
「冗談だと思うの?」
沙織も『防殻』を発現し、博孝と向かい合う。周囲には他にも生徒がいたが、突然『防殻』を発現して向かい合う二人に驚いたような目を向けた。
博孝と沙織が睨み合い、一即発になりながらも博孝は思う。たしかに沙織は短気なところがあるが、それでも今回は行き過ぎだ。クラスメート相手に本気で噛み付くなど、“らしくない”。
博孝が疑問に思っていると、騒ぎを察した砂原が目つきを鋭くしながら歩み寄ってくる。
そして二人に対して口を開き。
「さ、沙織ちゃん、博孝君……喧嘩は駄目、だよ」
を震わせながらも二人の間に割ってった里香の姿に、砂原は怒聲を飲み込んだ。里香は博孝の前に、沙織の視線を遮るように立つ。その姿を見て、沙織は揺したように殺気を揺るがせた。
「本當に……どうしたの? 最近の沙織ちゃん、しおかしいよ……」
不安が聲を震わせ、それでも、里香は沙織の目を真っ直ぐに見て言う。沙織はそんな里香の言葉をけ、はっきりと視線を逸らした。深呼吸を數回し、を落ち著けるようにしてから口を開く。
「そう、ね……悪かったわ」
小さく呟くと、博孝達に背を向けて歩き出す。博孝は後を追うべきか迷ったが、それよりも先に砂原から聲がかかった。
「河原崎兄。今から教室に來い」
「……了解です」
沙織ではなく博孝が呼ばれたのは、小隊長だからか。博孝はそう納得すると、いまだに震えが治まらない里香の肩に手を置いた。
「悪いね、里香。なんか、沙織っちを怒らせたみたいだ」
「う、ううん……でも、博孝君も喧嘩は駄目だよ?」
「ああ。わかってるよ」
里香を安心させるように、博孝は表を明るいものに変えてから答える。そして近くにいたみらいを見ると、里香の肩においた手を軽く叩いた。
「悪いけど、みらいの相手をしてもらっても良い?」
「うん……みらいちゃん、著替えに行こう?」
里香がそう言うと、みらいは頷いて歩き出す。しかし、里香に続いて更室に向かう前に博孝の傍に立つと、背びをしてその肩を叩いた。
「……がんば」
「おう、頑張るわ」
みらいの言葉に相好を崩し、頭をでてから送り出す。そして心配そうな顔をしていた恭介に軽く手を振り、砂原と連れ立って教室へ向かう。
「それで……何があった?」
教室につくなり、砂原が尋ねた。博孝は勧められた椅子に座ると、顎に手を當てながら首を捻る。
「最近長谷川の様子がおかしかったんで、その件について聲をかけただけなんですが……そうしたら、ああなりました」
「ふむ……」
博孝の言葉に噓はないと判斷し、砂原は目を細めた。
「長谷川はたしかに喧嘩っ早いが、理由もなくあんな行は取らんだろう。またお前がセクハラ紛いのことでもしたんじゃないのか?」
「俺が常習的にセクハラ紛いのことをしてるように言わないでくれます!?」
砂原からのまさかの評価に、博孝は大聲で抗議した。砂原なりの冗談だと思ったのだが、砂原は真剣な表のままである。
「そうでもないとすると……理由がわからんな」
「いっそ教から聞いてみてくださいよ。まあ、長谷川の格だったら教が相手でも言わないでしょうけど」
理由を推察する砂原に博孝が言うが、沙織は砂原が相手でも言いたくないことは言わないだろう。砂原もそれを理解しているからこそ、博孝を教室に呼んだのだ。
「あとで話を聞いてみるが、答えんだろうな。まったく、頑固なところは祖父譲りだ」
苦笑するように砂原は言うが、博孝としては笑うことができない。かつて、校から半年経ってもES能力が使えなかった博孝を従うべき小隊長として認めず、反目していた時とは違うのだ。
獨自技能に目覚め、それに伴って通常のES能力も使えるようになった博孝に対し、沙織の態度は化している。だが、ここにきてその態度が化しており、その理由はわからない。
「むぅ……本當に理由がわかりません。理由がわかって、俺に悪い點があるのなら改めることもできるんですがね」
「そうだな。長谷川については、あとで呼び出して注意をしておく。お前の方でも、目をらせておけ」
「了解です。それじゃあ、『飛行』の練習をしたいんで退室しても?」
「ああ。しはコツがつかめたか?」
博孝が椅子から立ち上がると、砂原はどこか楽しげに問う。それを聞いた博孝は、苦笑しながら首を橫に振った。
「『活化』を使って多の減速ができるだけで、『活化』なしだと全然ダメですね。本當に年単位の訓練が必要っぽいです」
「そうか……まあ、なんだ。頑張れ」
「頑張ります。それじゃあ失禮します」
砂原に一禮し、博孝は教室から退室する。沙織のことは非常に頭を悩ませるが、それ以外にも取り組むべきことはあるのだ。
「みらいは里香と一緒にいるし……顔を出して、晩飯まで相手してくれるか聞くか。オッケーだったら、『飛行』の訓練をしよう。そこから晩飯食って、みらいを風呂にれて、『活化』を使って、寢かしつけて……それからまた『飛行』の訓練だな」
訓練校に戻って以來、博孝は中止していた夜間の自主訓練を再開した。再開といっても、以前のように中心の訓練ではない。もちろんの訓練もするが、その主眼は『飛行』に置いている。
ただし、訓練校ではそれほど高い建がないため、育館の壁面をよじ登って屋に立ち、そこから『盾』を足場にして高さを補うようにしていた。最初は寮の屋によじ登ろうとしたのだが、頻繁に地面に著地する音が響くため、迷を考慮して自重したのだ。
博孝は新たな問題や道のりが長い『飛行』の訓練を前に、深くため息を吐く。
「はぁ……っと、いかんいかん。ため息を吐いたら幸運が逃げちまう。ただでさえ、おみくじで兇を引いて、運がないっぽいのに……」
ため息を吐いた自分を戒め、前を向いて歩き出す博孝。自主訓練をするというのに、気が抜けていては意味がない。しでも早く『瞬速』や『飛行』を覚えるべく、自分に気合をれるのだった。
そして夜。博孝はみらいを寢かしつけると、きやすい服裝に著替えてから育館へ足を運んでいた。すると、管理室から兵士の野口が顔を見せる。
「お、今日も訓練か?」
「ええ。というわけで、屋に登らせてもらいますね」
「育館の管理をやってて、まさか屋によじ登る奴が出るとは思わなかったぜ……まあいいや。『ES能力者』ならこのぐらいの高さは平気だろうけど、怪我には注意しろよ」
「了解っす」
野口に斷りをれてから、博孝は育館の外に出る。そして屋に登るために跳躍すると、建材の突起を足場にして駆け上がっていく。屋まで上りきれば、あとは『盾』を空中に発現して足場にして高さを稼ぎ、『飛行』を発現することを意識しながら飛び降りるだけだ。
「崖から飛び降りるよりかは気が楽だけど、訓練の果が出ないからこれで本當に長できるのか……」
みらいを寢かしつける前に『活化』を使っているため、通常の『構力』を使っての訓練になる。それでも、重力に逆らう覚を摑むだけの訓練のため、高さを稼ぐために『盾』を発現するぐらいにしか『構力』を消費しない。神的にはだいぶ楽だが、それでもゴールが見えない訓練というのは神的にきつい。
「ま、それでも頑張るだけなんだけどねぇ……」
それでも、博孝はひたすらに訓練を繰り返す。
『活化』が使える以外は、全て努力でに付けてきたのだ。校當初の沙織のように、學んだことをすぐさま実踐できる才能があれば話は別だが、博孝としては繰り返しの訓練でしずつに付けていくしかない。ES能力が使えなかった頃に培った高い集中力を発揮し、ひたすら訓練に打ち込むだけだ。
高所から落下し、地面に到達すると育館の屋に登る。そして『盾』を足場に高さを稼ぎ、再び落下。そんな訓練を何度も、何十度も繰り返し、博孝は『飛行』の訓練を行う。
それに加えて、地面に著地すると『瞬速』の訓練として“重力に逆らいながら”地面を走る練習も加えながらだ。
「むぅ……さっぱりわからん」
しかし、訓練を続けてもコツがつかめずに博孝は首を捻る。そもそも、重力に逆らうという覚がわからない。重力に逆らうためにその場で跳躍を繰り返してみるが、覚的なものなので理解し辛かった。
「宇宙みたいな無重力空間に行ったら、意外と簡単に『飛行』がについたりしてなー。でも、さすがにそれは無理だし……」
一時間ほど訓練を行うが、“自力”ではコツさえつかめない。博孝はため息を吐くと、『防殻』と『活化』を併せて発現した。
「『活化』を使えば、多はわかるんだけどなぁ……でも、『活化』なしで覚えないと意味がないし」
呟きつつ、博孝は重力に逆らうことを意識しながら地面を蹴った。すると、が急加速をして視界が一瞬歪み――育館の壁に激突する。
「へぶっ!?」
育館の壁に全を強かに打ち付け、博孝はその場でひっくり返った。
「鼻がっ! 鼻がっ!?」
一瞬だけ功した『瞬速』に喜ぶ暇もなく、博孝は鼻を押さえながら地面をのた打ち回る。『ES能力者』といえど、急加速した狀態で無防備に鼻を打ち付ければ強烈な痛みをじてしまうのだ。
「博孝……お前、何やってんだ? なんか、壁に激突したような音がしたぞ」
そうやって博孝がのた打ち回っていると、呆れた顔をした野口が紙コップを両手に持って外に出てきた。それを見た博孝は、痛みを堪えて立ち上がり、野口のもとへと向かう。
「ひひゃぁ……ひょっひょ、ひっひゃいひひゃひひゃ」
「何言ってるかわかんねぇよ。ほれ、しは休憩しろや」
『いやぁ……ちょっと、失敗しました』と言ったつもりだったが、伝わらなかったらしい。『接合』を発現して鼻の痛みを癒すと、博孝は小さく頭を下げた。
「うっす、あざーっす」
野口から紙コップにったコーヒーをけ取り、備え付けのベンチに腰を下ろす。野口もその隣に座ると、懐から煙草の箱を取り出した。
「職務中じゃないんですか?」
「酒じゃねぇんだし、かてぇこと言うなよ。リーマンだって、仕事の合間に休憩として一服しにいくだろ。あ、煙が駄目なら向こうで吸ってくらぁ」
博孝の言葉に野口がベンチから立ち上がりかける。しかし、それを見た博孝は首を振った。
「別に駄目じゃないですけど……というか、『ES能力者』なんで煙草の煙も害にならないといいますか」
「そりゃ便利だなぁ……んじゃ、悪いが一服させてもらうわ」
煙草を咥え、火を點ける野口。そして紫煙を吐き出す様子を眺めつつ、博孝は休憩がてら雑談をすることにした。
「前から思ってたんですけど、野口さんって暇なんですか?」
こうやって博孝にコーヒーを差しれるぐらいだ。他にやることはないのかと疑問に思い、博孝は直截に尋ねる。
「あん? そりゃ暇だよ。いくらシフト勤務とはいえ、夜間は施設の利用者もほとんどいないしなぁ。お前と……あと、なんつったっけ? ほれ、『武神』の孫」
「長谷川沙織?」
「そうそう。あの子ぐらいしか夜間に自己訓練をしている奴はいないしな。そういや、お前は去年の末は顔を見せなかったな。部屋にでも連れ込んでたのか?」
「いきなり下世話な話が飛んできた!?」
野口の直球ど真ん中――否、インローのデッドボール紛いな質問に、博孝はコーヒーを噴き出しつつ驚愕する。野口はそんな博孝の反応を見ると、訝しげに眉を寄せた。
「なんだよ、の一人や二人、部屋に連れ込んでねぇのか?」
「二人連れ込んでたら、それはそれで問題ですよね……いやまあ、ある意味連れ込んでますけど」
「お、なんだよ。お前も中々隅に置けねぇな。で、どんな子だ?」
ワクワクと、楽しそうな様子で尋ねる野口。本當に暇なんだろうか、と思いつつ、博孝は眉を寄せる。
「々あって訓練校に転してきた妹と、同じ部屋で一緒に住んでいますが何か?」
「……え? どんな狀況だよそれ」
「どんな狀況なんですかねぇ……」
言葉を濁す博孝に、踏み込んではいけない部分だと察した野口は口をつぐむ。それを見た博孝は、話をつなぐために思考を巡らせた。
「大、寮の自室に家族以外の異を連れ込んで良いんですか? まあ、そもそも家族もれないですけど……不純異遊とか、世間では厳しいじゃないですか」
「んん?」
博孝の質問を聞くと、野口は『何言ってんだコイツ』と言わんばかりに眉を寄せる。そんな野口の反応に博孝が不思議そうな顔をすると、野口は納得したように手を合わせた。
「……ああ、今の訓練校じゃその辺の説明ってしてないのか。別に、連れ込んでも問題ないはずだぞ」
「え?」
今度は博孝が眉を寄せる番だ。野口はそんな博孝の反応を見て、視線を逸らす。
「あー……コレ、教えていいのかねぇ」
「そこまで言われるとすごい気になるんですけど。このまま話が終わったら、部屋に戻っても眠れないぐらいに」
何があるのだろうか、という疑問を持ちつつ博孝が尋ねると、野口は頬を掻きつつ重い口を開く。
「なんというかだな……『ES能力者』っていうのは、數が多ければ多いほどその國にとって都合が良いんだ」
「はぁ……そりゃあ、國際的な力関係にもつながりますしね」
野口の説明に、博孝は一応の納得を示しつつ頷く。『ES能力者』の保有數が國際的な発言力につながる時世だ。その點だけは、納得できる。
「ああ。だから、以前に比べると骨じゃなくなったが、國のお偉いさんにとっては『ES能力者』が増えることは歓迎すべきことなんだよな」
視線を宙に向けつつ説明する野口。そこまで聞いた博孝は、話の全容を察して眉を寄せる。
「……つまり、『ES能力者』の訓練生同士だろうと“できちゃう”のは問題ないと?」
「明言を避けて言うと……ま、そんなところだ」
頷く野口に、博孝は呆れたようにため息を吐く。『ES能力者』の男の間にできた子供が『ES能力者』になる確率は、およそ一割。それを“利用”することを、容認されているらしい。
「最近じゃあ、『ES保護団』がうるさいからな。その辺は伏せられてるんだろうよ」
「なるほど……って、だからなんでそんなことを教えるんですか!? この前も、ついうっかり教に『穿孔』の由來を聞いちゃって怪しまれましたよ!」
さらっと裏話を暴する野口に、博孝は抗議する。それを聞いた野口は、紫煙を吐き出しつつ笑った。
「つっても、訓練校を出れば嫌でも知ることだぞ? 早めに知っておいて損はないだろ」
「その“損”っていうのは、一何を指してるんですかね……」
疲れたように言うと、博孝は話題を変えるべく視線を上に向ける。その視線の先には育館の屋があり、野口もそれに釣られて上を見た。
「そういえば、なんで訓練校って高い建がないんですか? この辺だと、育館が一番高い建じゃないですか」
話題を変えるためとはいえ、これは博孝が疑問に思っていたことである。野口はその質問を聞くと、視線を元に戻してから答えた。
「ああ、そりゃあれだ。“外”からの攻撃を警戒してるんだろうよ」
「外からの攻撃?」
外というのは、訓練校の敷地外のことか。そんな風に考える博孝に対し、野口は肯定するように頷く。
「『ES能力者』のお前さんならわかるだろうけど、『撃』や『狙撃』の程は長い。訓練校の周りは壁で囲ってあるが、その壁を超える高さの建を建てちまったら敷地外から狙われる可能があるからなぁ。だから、高くても二階建てが々だ」
「なるほど……でも、育館はそれなりに高い建ですよね。二十メートル近くありますけど」
「育館なら、訓練校の外から攻撃をけても屋が吹き飛ぶだけで済む。それに、遠距離から攻撃されても訓練校の周辺を警戒している『ES能力者』が対応するさ。まぁ、相手が『飛行』を使っていたら建の高さなんて関係なしに、上空から撃ってくるわけだが」
校した時から建の低さが疑問だったが、野口の説明によってそれが解消される博孝。しかし、そうなると新たな問題が浮上し、冷や汗を一筋流す。
「あれ? そうなると、俺が屋に登って訓練していたら滅茶苦茶危険な気が……」
敷地の外から攻撃される可能を考えると、高い場所にいるのは得策とは思えない。それほど高さがないため『防殻』を発現せず、視認するのは難しいだろうが、『探知』を使えばその問題は解決するのだ。
「周辺を警戒している『ES能力者』が対処するって言っただろ? それに博孝、お前は敷地の外から『撃』なり『狙撃』なりを撃たれて、それに反応できないのか?」
「そう言われると、できないとは言えないですねぇ……ええい、さすが野口さん! 褒めるのがお上手!」
「別に褒めてねえよ」
さすがに、訓練校の敷地外から放たれた『撃』や『狙撃』に反応できなければ問題がある。特に、夜間は『構力』のが目立つのだ。弾速自も、ライフル弾等に比べれば遅い。例えるならば、曳弾がゆるやかに飛んでくるようなものだ。
「お前が屋に登っては飛び降りるってのを繰り返してるのは、『飛行』の訓練だっけか?」
「ですね。教に教わりまして。まあ、果は出てないですけど……ん?」
雑談をしつつコーヒーを飲んでいた博孝が、不意に視線を周囲に向ける。その作を見た野口は、腰元のホルスターに手をばしながら煙草を踏み消した。
「どうした?」
「……いや、今、し『構力』をじ取ったんで」
『探知』を使わずとも、『ES能力者』ならば多は自以外の『構力』をじ取ることができる。『探知』を発現すればその範囲は広がるが、気を抜いた狀態でも近距離の『構力』は探知できた。
博孝が立ち上がり、警戒しながら『構力』をじ取った方向へ足を向ける。その後ろにはホルスターから自拳銃を引き抜いた野口が続いており、博孝をバックアップできるように周辺へ目を向けていた。
「侵者か?」
「いや、いくら夜間でもさすがにそれはないと思いますけど……」
小聲で會話をしつつ、博孝はから様子を窺った。外燈がない場所へ目を向けてみると、背を向けて足早に歩き去る人影が視界に映る。
「……長谷川?」
闇夜に浮かび上がる、白いリボン。それを見て取った博孝は、今しがたじ取った『構力』の持ち主を悟る。だが、安堵すると同時に疑問を覚えた。
(長谷川が夜間に自主訓練をしているのはおかしくないけど、なんで“逃げる”ように歩き去ったんだ?)
博孝が『探知』を使わずに『構力』をじ取れる距離は、それほど広くない。それでも『構力』をじた以上、沙織は聲が屆く距離程度には近づいていたのだろう。
「なんだ……『武神』の孫か。博孝、あんまり驚かすんじゃねぇよ。こちとら、ただの軍人だぞ。一応、対ES能力者用の弾丸は配備されてるが、當てられる自信はないんだからな」
「……すいません、ちょっと気が張っていたみたいです。って、対ES能力者用の弾丸!? なんですかそれ、響きがかっけー!」
後ろから背を叩かれ、博孝は空気を変えるように目を輝かせる。それを聞いた野口は、自拳銃をホルスターに収めながら煙草を取り出した。
「まだ授業で習ってねぇのか? 『ES能力者』の中には、質に対して『構力』を『付與』できる奴もいるんだ。ま、かなりのレアケースらしいがな。その『ES能力者』によって作られたのが、対ES能力者用の弾丸ってわけさ。もっとも、俺らみたいな下っ端に回されるやつは威力が低い。々、牽制にしか使えねぇ。その割に、弾丸一発で萬札が飛ぶぐらいの値段がする」
「たけぇっ!? てか、初めて知りました……そんなES能力もあるんですね」
「ES能力にも々あるらしいぞ? 訓練校で教えるのは基本が中心だろうし、世界各國は自國で保有している『ES能力者』の報の公開を制限しているって専らの噂だ。どんな『ES能力者』を隠しているか、わかったもんじゃねぇ。量だが、軍や警察には配備されているんだわ」
「へぇ……」
野口の話に相槌を打ちつつ、博孝はもう一度だけ沙織が歩き去った方向へ視線を向ける。
最近の沙織の態度は気にかかるものがあるが、沙織が夜間に自主訓練をしているのは以前からだ。偶然、通りかかっただけかもしれない。
博孝はそう思い、自分を納得させようと試みる。
――その試みは、見事に失敗したが。
それから三日が経ち、午後の訓練を終えた博孝は教室に戻ってきていた。周囲には同じように訓練を終えたクラスメート達がおり、それぞれ放課後をどう過ごすか相談している。
博孝は自主訓練を行うため、ひとまず荷を自宅に置きに行こうと思った。通常の學校とは異なるが、時折一般教科の宿題も出るのである。そのため、教科書を持ち帰るべく機の引き出しに手をれる。
――かさり、と指先に何かがれた。
「ん?」
博孝はそのを不思議に思い、をかがめて機の中を覗きこむ。
「んん?」
機の中には教科書やノート、筆箱をれているが、プリントの類は報えいを規制するため利用されていない。そのため、指先にれたを確かめるために機を覗き込んだ博孝は、その場で絶句した。
「っ!?」
教科書の上に置かれた、一通の封筒。形は長方形で、和紙を使っているのかってみると僅かにざらつくがした。
「これは……まさか……」
小さく呟き、周囲に視線を向けて自分に意識が向いてないことを確認する博孝。そして恐る恐る封筒を取り出し――目にも止まらぬ速度で制服のポケットにねじ込み、教室から駆け出した。
(これはまさかラブレ……いやいや早まるな焦るな俺! 剃刀レターの可能もなきにしもあらず! でもこれが俗に言うラブレターだったら――人いない歴イコール年齢の人生に終止符が!?)
心臓が音を立てて高鳴り、が勢いよく全を駆け巡る覚。博孝は気分が激しく昂るのをじつつ、表面上は真顔で男子トイレに駆け込む。そして個室にると鍵をかけ、ポケットから封筒を取り出した。
そして封筒の表面に視線を向けると、『河原崎へ』と書かれている。
「俺宛で間違いはなし、と。差出人は……書いてないか。とりあえず、間違って俺の機にれたって線はなくなったか」
震える手を無理矢理に押さえつけ、封筒を開けた。すると、中には折りたたまれた一枚の紙がっており、博孝は心臓が早鐘を打つのを聞きながらゆっくりと取り出す。
「いやぁ、まいったね。このご時世にラブレターっていうのもアナログなじだけど、いざもらってみると、嬉しいのなんのって……」
自の機にれることができた以上、差出人はクラスメートだろう。
まさか、砂原やその他の教が出したとは思えない。もしもそうだったら、博孝としては今後の付き合い方を見直し、その上で校長である大場に相談をしなければならない。
だが、折りたたまれた手紙を開きつつ、博孝は思う。
(しっかし、こんな形でラブレターを出してくる相手に思い當たる節がないんだよなぁ……普段“仲良く”してるの子って、里香やみらいぐらいだし。いや、みらいはラブレターを出しそうな相手に含めちゃいかんけど)
里香やみらいは“仲良く”しているが、他の子からは『アホな奴』と思われている節があると博孝は見ている。普段の行が行なだけに、適正な評価といえるだろう。
(では……オープンッ!)
手紙を開ききり、博孝は浮かれながら容に目を通し始める。
「…………」
容を理解すると、博孝は個室の鍵を開けて外へと出た。
その顔には、先ほどまで浮かんでいた嬉々としたは、一欠けらも殘っていない。完全にを消し去った顔で、博孝はトイレを後にするのだった。
夜になると、博孝はいつも通りみらいを寢かしつける。ただし、今日は『活化』による“治療”は行っていない。そのことに対してみらいが不思議そうな顔をしたが、『活化』を行わないことによる影響があるかを確認したいと誤魔化した。
そんな博孝に素直に頷き、みらいはベッドに潛り込む。そして、どこか期待のようなが籠った目を博孝に送った。
「……寢ない、の?」
「みらいが寢付いてから、自主訓練をするからなぁ。それとも、添い寢してほしいか? もしくは子守唄でも歌おうか?」
「……ん。両方」
「両方!?」
冗談を肯定されて、博孝は驚愕する。さすがに添い寢をした上で子守唄を歌うとなると、それは兄妹というよりはもはや親子だ。それでもみらいに甘い博孝は、口元を緩めながらその願いを葉えた。
みらいは寢付きが良い方のため、五分もかからずに眠りに落ちる。博孝はみらいが寢付いたことを確認すると、起こさないように注意しながらベッドから抜け出す。
極力音を立てないように注意しつつ、きやすい服裝に著替える。そして晝間にけ取った“ラブレター”をポケットに突っ込むと、部屋を後にした。
外に出ると、冬特有の冷気が博孝を包み込む。『ES能力者』は気溫の変化にも強いためそれほど寒さはじないが、吐く息は白く染まって消えていく。
視線を夜空に向けてみると雲一つなく、僅かに欠けた月が地表を淡く照らしている。博孝は視界がある程度確保されていることにため息を吐きつつ、歩を進めた。
向かう先は、訓練でも使用するグラウンド。時刻はもうじき零時となり、日付が変わる。日中の訓練で疲れているため、クラスメートのほとんどは夢の中だろう。起きているのは、博孝のように夜でも自主訓練に勵む者ぐらいだ。
その數は非常になく――そして、博孝を呼び出した人もその括りにる一人。
グラウンドの中心に目を向けてみると、人影が見えた。博孝はそちらに向けて歩み寄ると、待ち人の顔がわかる程度まで近づいてから気軽に右手を上げる。
「よお、沙織っち。こんな夜更けにデートのおいとは嬉しいねぇ。でも、できれば休みの日にしてほしかった。あと、ラブレターはもうし可らしいじにしてほしかったぜ。なんだよこの『零時にグラウンドで待つ』って。喜び勇んでトイレに駆け込んで、容を確認した時の俺の心境は複雑すぎて言葉にできねーよ」
敢えて軽く、気さくに聲をかける博孝。その聲を聞いた待ち人――沙織は閉じていた目を開けると、博孝に視線を向ける。
どこか冷たく、それでいて激を押し殺した目だ。博孝は視線をけると、心で舌打ちする。どう見ても、告白などという甘酸っぱい空気ではない。それでも、博孝は言葉を続ける。
「なんというか、男の純を弄ばれたじが」
「――わたしと、戦いなさい」
場の空気を緩めようとする博孝の言葉を切り捨て、沙織が告げた。それを聞いた博孝は額に手を當てると、小さくため息を吐く。送られた手紙に書かれた短い言葉から、何かしらの問題があるとは思っていた。だが、ここまで強に沙織が戦いをむ理由がわからない。
「……俺には、戦う理由がないな」
「アンタにはなくても、わたしにはあるわ」
固い聲で沙織は言う。博孝は両手を広げると、そのまま肩を竦めた。
「おいおい、さすがにそれはこっちの意思を無視しすぎだろ。大、訓練中の模擬戦ならともかく――っ!」
沙織のが『構力』に包まれ、同時に、その右手に『構力』で生み出した大太刀が出現する。そして博孝目がけて振り抜き、博孝は咄嗟に上を反らして回避した。
「わたしは、アンタを“小隊長”としては認めている……でも、それだけよ」
博孝を見ているようで、博孝を見ていない。自分に言い聞かせるように、沙織は言葉を紡いでいく。大太刀を握り締めた手は、白くなるほど強く握り込まれている。それを見た博孝は、距離を取りつつ右手を向けた。
「落ち著け、長谷川。とにかく話を」
「わたしは負けられない……絶対に、こんなところじゃ負けられないんだから!」
博孝の言葉を聞かず、沙織は大太刀を肩に擔ぐようにして構えた。そして、いくつものが混ざり合った瞳を博孝に向ける。
「アンタに勝って、お爺様に認めさせてみせる! わたしの方が役に立つって、認めさせる!」
を、を震わせるび。沙織の全から『構力』が立ち上り、僅かに前傾姿勢を取る。
説得するべきか、逃げるべきか。眼前の狀況に思考を囚われ、博孝の判斷が遅れる。
その隙を突くように、沙織は地面を蹴って博孝へと薄した。
そして、月夜の決闘(デート)が幕を上げる。
二人を見ている者はなく、月と星々だけが見守る中で、博孝と沙織の戦いは始まるのだった。
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