《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第三十九話:月夜のデート その2

その夜、里香が眠りに落ちていなかったのは単なる偶然だった。一般教科の宿題を片付け、ついでに予習復習をしていたため眠るのがいつもに比べて遅くなっていたのだ。

『ES能力者』の訓練校といえど、通常の高校で習う科目も履修する。ES能力やそれに関する授業に比べればその割合はないが、訓練校を卒業して社會に出たというのに、一般常識を知らないのでは話にならない。そのため一般科目の授業も行われているのだが、里香としてはES能力に関することよりも一般科目の方が興味を惹かれる部分が多々あった。

元々、里香は勉強が嫌いというわけではない。知らない知識を學ぶというのは、里香にとっても知識が満たされることだ。もちろん、『ES能力者』として戦いや任務に関する知識を學ぶことを蔑ろにしているわけではないが。

時刻は午前零時を回り、眠気を覚えた里香は両手を上に上げてばしつつ、そろそろ眠ろうかと思う。その際、機の上に置かれたうさぎのぬいぐるみが視界にり、僅かに頬を緩めた。

理由もなく、ぬいぐるみの鼻を指でつつく。ぬいぐるみは僅かに後ろへ傾くと、元の位置に戻る際の勢いで抗議するように里香の指を押し返した。

「ふふ……」

そのことに小さく微笑み、里香は椅子から立ち上がる。そして中途半端に閉まっていた部屋のカーテンを閉じるべく窓際に移し、その目を細めた。

「……なに、あれ?」

眼鏡越しにグラウンドを見て、里香は首を傾げる。

月明かりで仄かに照らされたグラウンドで、時折白いが瞬いている。距離があるため詳細はわからないが、誰かがES能力を使っているらしい。自主訓練に熱心な誰かが、夜更けにも関わらずES能力の修練に勵んでいるのだろうか。

『ES能力者』になったものの、それほど自主訓練を熱心に行うことのない里香は純粋に『すごいな』と思った。

里香自、初めて任務をけてからは訓練にれている。博孝と二人きりで外出し、敵の『ES能力者』に襲われて自の無力さを痛してからは、その傾向は顕著だ。

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それでも、度が過ぎた自主訓練は行っていない。『ES能力者』は數日徹夜しても調を崩すことはないが、里香は十五年以上培った人間の習として、食事や睡眠はしっかり取るようにしている。

いくら可能だとはいえ、博孝のように徹夜で自主訓練に勵むことは神的に“もたない”のだ。

「博孝君、かな? それとも沙織ちゃん?」

クラスメートの中で、夜間に自主訓練を行いそうな人の名前を口にする。名前を挙げた二人ならば、夜間に自主訓練を行っているため不思議はない。しかし、遠目に瞬く『構力』のを見ていると、得の知れない不安が里香を襲う。

自主訓練というには、『構力』の発現規模が大きすぎる。砂原等の教が見ていない場では、非常時を除いて強力なES能力を使うことは制限されていた。それは生徒自を守るためであり、生徒が無理な訓練を行うことを防ぐためである。

闇夜に浮かび上がる『構力』のは、二つ。それだけならば、『防殻』を発現して組手でもしているのだろうと納得できる。だが、組手にしては両者ともきが実戦的だった。

「細長い『構力』……沙織ちゃんの『武化』、かな? でも、それにしては……」

遠目に見ても伝わる、相手を打倒するという意思――言葉を飾らずに言えば、相手を“殺そうとする”意思を、里香はじた。

訓練にり過ぎているのか、眠気を覚えている里香の思い過ごしか。様子を見に行くべきか、それとも夜が明けてから聞けば良いか悩む。真剣に訓練をしているのならば、様子を見に行くのは邪魔にしかならない。

基本的に平和的な考え方をしている里香は、自主訓練の一環だろうと自を納得させて。

「っ!」

視界に映る二つの構力の片方が、薄緑の『構力』を発現したことでその考えを打ち消すのだった。

振るわれた大太刀が、博孝の前髪を數本斬り裂く。空気を裂かれて発生した剣風が額をで、背筋に冷たいものが走り抜ける。もしも避けていなければ、淺くとはいえそのまま額を橫に斷ち割っただろう。

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殺意すらこもった一太刀を避け、博孝は『防殻』を発現しながら沙織から距離を取る。それを見た沙織は間合いを詰め、上段から大太刀を振り下ろした。

「っとぉ!? あぶねぇな! 避けなきゃ死んでるぞ!」

敢えて大太刀に向かって踏み込み、半を捻ることで斬撃を回避する博孝。抗議をするように聲を上げるが、沙織はそれに答えず、振り下した大太刀を跳ね上げる。

博孝は『盾』を発現して大太刀をけ止める――が、大太刀は僅かに減速したものの『盾』を両斷し、半円の軌跡を描いて博孝の首筋へと向かった。

「っ!?」

膝を折りつつ首を傾け、斬撃を回避。その際再び髪のが數本斬り裂かれ、博孝は後方に跳びながら怒りに眉を寄せる。

「だからあぶねぇって! てか、髪がバッサリとカットされて河みたいになったらどうする! 明日から教室に顔出せねえぞ!」

命を狙われた怒りではなく、髪のを刈り取られそうになったことに怒りの聲を上げる。その聲を聞いた沙織は表を変えず、大太刀を構え直した。

「ふざけていると、死ぬわよ」

「いやいやいや、それ以前に殺そうとするなよ。さっきも言ったけど、俺には長谷川と戦う理由がねぇよ」

そう言いつつ、博孝は沙織の挙を観察する。大太刀を上段に構え、博孝が踏み込めば一刀両斷するであろうことが窺えた。

博孝にとっては、沙織と戦う理由はない。そのため背を向けて逃げ出しても良いが、それでも沙織は襲ってくるだろう。一時的に逃げられたとしても、その後も襲われるのでは意味がない。

砂原に助けを求めて理的に止めてもらうのも手だが、砂原は校舎傍の男子寮に住んでいるわけではなかった。休日に妻と子供が待つ家へ帰る以外は、校舎から離れた教用の寮に住んでいる。そのため、距離があって助けを求めることもできない。

それに加えて、博孝には気にかかることがあった。

「わたしもさっき言ったわ。わたしには、戦う理由があると」

それは、沙織の目だ。一見冷徹に博孝を睨んでいるが、その瞳の奧に複雑なが垣間見える。

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不安と焦燥、そして恐怖。それらが混ざり合い、まるで迷子の子供のような印象を博孝に與えていた。おそらくは、何か理由があるのだろう。博孝には思い當たる節がないが、沙織にとっては大事な理由が。

(俺に勝って、『武神』に認めさせるって言ってたな。『武神』からの指示か、それとも二人の間に何かしらのやり取りがあったのか……それが切っ掛けで長谷川が暴走してるんじゃないだろうな?)

腰を落とし、構えを取って両手に『盾』を発現しつつ、博孝は思考する。

元々、沙織は力を求める傾向があった。訓練を黙々とこなし、自の力を研鑽することに沒頭し、自主訓練も怠らない。自主訓練では博孝と組手をすることもあったが、それも自分の力をばすためだ。その上周囲に目が向かず、自分の判斷で突撃することがある。

初めての任務では、沙織の突撃思考が災いとなった。それでも博孝が死に掛けたことで沙織も懲り、それ以降は博孝の指示に従うようになっている。第一小隊の中だけとはいえ、しずつ打ち解けてもいたのだ。

それだというのに、今の沙織はどうしたことか。年末年始の帰省が終わり、顔を合わせた時からどこかおかしかった。博孝に対して憎むような、それでいてそれを必死に自制するような素振りがあったが、ここにきて何故それが発してしまったのか。

(神は神でも、俺にとっては疫病神なのかねぇ……)

心で『武神』に対する愚癡を吐きつつ、博孝は呼吸を整える。

逃げることも助けを求めることも無理ならば、自力で立ち向かうしかない。だが、近接戦闘において沙織は博孝の數歩先をいっている。

なしでも沙織に軍配が上がり、得意な得である大太刀を『武化』で発現しているとなると、博孝の勝ち目は薄い。

(長谷川に対して真正直に『撃』を撃っても、避けるか切り払うかするだろうしな。『活化』を使ったごり押しぐらいしか、こっちには有効な攻撃手段がねぇ……)

目線や構えで牽制しつつ、博孝は思考を進める。

攻撃型である沙織に対して、萬能型である博孝では攻撃力に劣る。防力は上回るかもしれないが、沙織は博孝にも使えない五級特殊技能の『防壁』を発現することが可能だった。それどころか、『活化』という獨自技能、『探知』や『通話』などの支援系技能を除けば、沙織は博孝が発現できるES能力を全て習得している。

(『活化』を使っても、『飛行』は減速が一杯。『瞬速』は制不可能で自滅する、か。手持ちのカードで戦う必要があるが……)

冷靜に狀況を観察する博孝だったが、膠著に焦れたのか沙織が地を蹴って一気に間合いを詰めた。そして踏み込むと同時に上段から大太刀を振り下ろし、博孝が避けたことでグラウンドに一直線の亀裂を刻む。だが、沙織の攻撃は止まらない。地面に大太刀が埋まったことを気に留めず、地面を斬り裂きながら斬撃が博孝を追う。

地面に潛った刃が地面から顔を出し、足首を切り捨てる軌道で迫る。博孝は冷靜に太刀筋を見切ると、僅かに跳躍することで斬撃をかわす。それと同時に『撃』での矢を三本生み出すと、牽制代わりに沙織目がけて撃ち出した。

沙織は自に迫るの矢を見據えると、『防壁』を発現して防ぐ。その間に博孝は距離を取ろうとするが、沙織は距離を離さないように博孝を追って地を蹴る。

踏み込み、を捻りつつの橫薙ぎ。博孝は『活化』を併用しつつ『盾』を発現して斬撃をけ止めると、今度は斷ち切られることなく刃を防ぎ切った。それでも削られた『盾』が『構力』の殘滓となって宙に溶け、博孝と沙織を淡く照らす。

斬撃が防がれたことで沙織が眉を寄せ――それを隙と見た博孝が間合いを詰めた。

大太刀のように通常の刀に比べて間合いが広い獲の場合、退いて避けるよりも懐にった方が対処はしやすい。それでも『ES能力者』の腕力で振るわれれば危険だが、打ちの部分で斬られるよりも柄に近い部分の方が切れ味は鈍る。

(なんとか――無力化できれば!)

博孝にできるとすれば、沙織を無力化することだけだ。沙織がむ通りに全力で戦う――殺し合うことなど、免被りたかった。そうなると、初めてみらいと出會った時のように、地面に倒した上で『盾』で拘束するのがベストだろう。

そう判斷した博孝は、沙織の襟元を取るべく右手をばす。打撃技はほぼ互角だが、投げ技に関しては博孝に分がある。伊達に、母親に投げ飛ばされる父親の姿を子供の頃から見ていたわけではないのだ。

沙織は博孝が投げ技に持ち込もうとしていることを察すると、両手に持った大太刀を手放す。そして博孝の手を弾きつつ、腹部へ向かって膝蹴りを繰り出した。

「っと!」

驚くべきは、手に持った武を躊躇なく捨てることができる沙織の度か。武を扱う者は、手に持った武を簡単に手放すことができない。いくら『武化』で新しく生み出せるとはいえ、戦闘中という即斷が求められる場面でそれを行える沙織は、確かに非凡な存在だった。

博孝はを捻り、膝を片手で捌きつつ、沙織の足を払うべく下段蹴りに移行。だが、素直に足を払われるほど沙織は甘くない。片足で跳躍して下段蹴りを避け、博孝が追撃にるより先に『武化』で大太刀を発現。下段蹴りを放った勢の博孝に向かって、大上段から大太刀を振り下す。

それを見た博孝は、空中に『盾』を二枚発現しつつ地面を転がって距離を取る。振り下しの斬撃が『盾』を一枚斷ち割り、もう一枚の『盾』の半ばまで斬り込んで止まった。『活化』を使わずとも、複數の『盾』を発現すればけ止めることはできそうだ。

(今だ!)

『盾』に食い込んだ大太刀を見て、博孝は一気に前へ出る。沙織は大太刀が空中で停止したことで一瞬思考が停止し、博孝への反応が遅れていた。

(あとで謝るから、許してくれよ!)

素直に投げられない以上、あとは打撃で意識を奪うぐらいしか手がない。博孝は拳を固め、沙織が“右手”で握った大太刀が空中で止まっていることで開いた懐へ潛り込み。

「――っ!?」

博孝のきを冷靜に目で追っていた沙織と、視線がぶつかる。

沙織の左手に『構力』が集中するのをじ取り、博孝の全が粟立つ。かつてないほどの危険をじ取る直に、博孝のが僅かに直する。

そんな博孝の左肩を狙い――手の平から発現した“二本目”の大太刀で突きが放たれた。

踏み込んだタイミングを狙って放たれた突きは、正確に博孝の左肩目がけて一直線に突き進む。斬撃ならまだしも、突き技は『活化』を使った『盾』でも防ぎきることはできないだろう。

の左肩に迫る刃先。博孝はそれを視界に収めつつ、思考がスローモーションになるのをじる。致命傷とは言わないが、それでも確実に重傷を負う。下手をすれば、左肩から先が飛びかねない。

(ま、ずいっ!)

緩やかになる思考の中で、博孝は踏み込みを中斷すると同時に『活化』を行いつつ失敗覚悟で『瞬速』を敢行。これまで行った『活化』の中でも最速と言える速度で薄緑の『構力』を纏い、重力に逆らうように力いっぱい地面を蹴りつける。

「づっ!?」

習得途中の『瞬速』は、不完全な形ではあったものの博孝のを後方へと一気に運ぶ。だが、不完全な『瞬速』では完全には避け切れず、大太刀の刃が博孝の左肩を掠めた。

博孝は『瞬速』の勢いを殺しきれずに著地に失敗すると、地面をって転がりながらも距離を取る。それでも腕力にを言わせ、地面を叩いて後方に回転。その際左肩が痛んだが、それを無視して地面に著地して勢を整える。

「はっ……はぁ……くっそ、いってぇ……」

斬られた直後に無理をしたためか、僅かに遅れて左肩からが噴き出る。きやすいようにと選んだ薄手の長袖が赤黒く染まり、鉄の臭いが鼻についた。

博孝は『接合』を発現しつつ右手を當て、瞬間的に踏み込んだ死地から卻して力が抜けそうになるに力を込める。

「今のは……」

ここにきて、初めて沙織が揺したような聲をらす。それを聞いた博孝は、時間を稼ぐために口を開いた。

「『瞬速』っていう四級特殊技能だよ。今のは制できてない、ただの失敗だけどな」

距離を離すために、一直線の高速移を目的として発現をすることはできた。砂原のように相手の背後に回り込むようなことはできないが、ぶっつけ本番にしては上々の果だろう。著地もできず、勢いの制もできず、無様に地面に転がる羽目になったが、沙織の攻撃を多は避けることができたのだから。

「それにしても……」

左肩の傷を塞ぎつつ、博孝は視線を鋭くする。

「もう一度だけ聞くぞ。長谷川、一なんのつもりだ? 今の突き技も、避けなきゃ肩から先がなくなっていてもおかしくない」

視線だけでなく、聲も鋭いものに変えて博孝は言う。結果的に刃が掠める程度で済んだが、避けなければ肩を串刺し、そのまま肩から先が落ちていてもおかしくなかった。

肩から先がなくなっていた、という言葉に、沙織の瞳が僅かに揺れる。を噛み締め、下を向く。

「お爺さん……長谷川中將に認めさせるって言ってたな。これは、あの人がんだことなのか?」

もしもそうならば、何かしらの意味があるはずだ。孫である沙織と博孝を戦わせるに足る理由が、何かあるはずなのだ。そう考えるからこそ、博孝は沙織に対して怒りを覚えることができない。慕っている祖父から“頼みごと”なり“指示”なりをければ、沙織は拒否できないだろうから。

源次郎のことを心の底から慕っているのは、沙織の様子を見ればわかる。だからこそ、博孝は思うのだ。

何か、理由があるのだと。

「……そんなもの、ないわよ」

だが、博孝の問いに沙織は小さく首を橫に振る。それは震えるような、泣くような聲だった。激を押し殺し、沙織の抱く心が伝わってくるような、“弱い”聲だった。

「……は?」

だからこそ、博孝は表を崩して疑問を覚える。源次郎の指示ではないのなら、沙織自の意思で戦いを挑んだことになる。

挑んだことになるのだが、それではまるで――。

「おい……まさかとは思うけど、私怨じゃないだろうな?」

僅かに考え、それはないだろうと判斷した戦う理由。

沙織は、博孝に勝って源次郎に認めさせると言っていた。その言葉を聞いた博孝は、沙織と源次郎の間に何かしらのやり取りがあり、源次郎から博孝と腕を競うように指示をけたのかと思っていたのだ。

しかし、源次郎からそういった類の指示はなく、沙織の意思で博孝に戦いを挑んでいる。これがただの組手だったら、博孝も納得しただろう。しかし、その実態はES能力を使用した殺し合いだ。

沙織を極力傷つけず、取り押さえて事を聞こうと思って博孝は、沙織の戦う理由を察して愕然とする。

「アンタは、『飛行』の訓練をしているわよね」

愕然とした博孝に対して、沙織が靜かに問いかけた。それを聞いた博孝は、脳裏に過ぎる“何か”をじる。

沙織が戦いを挑んだ理由と、顔を合わせたことのある源次郎との會話。その時の沙織の様子などを脳裏に思い浮かべ、博孝は沙織が意識しているであろうことを推察していく。

祖父の役に立ちたいと願う沙織。

砂原が博孝や里香を除くクラス全員を叩きのめした時に、沙織が口にした願い。

日頃の沙織の言や行

源次郎と博孝が會話をした際の容。

様々な報が脳裏に湧き上がり、それらをまとめ、眼前の沙織と紐付けていく。

まさかと、外れていてほしいと思いつつ、博孝は自の推論を確かめるための言葉を口にする。

「やっぱり、見ていたんだな。教から“今後”のことを考えれば、『飛行』を覚えるべきだって言われたんだよ。“卒業”までに修得できれば、ってね」

習得すれば、“その後”はどうなるか。それを匂わせて、博孝は言った。すると、沙織は顔を上げて博孝を睨み付ける。

「そう……教までも、そう言っているのね……」

睨む沙織を真っ向から見返し、博孝は心で納得の念を覚えた。

沙織にとって、強くなって源次郎の役に立つことが夢なのだ。博孝が空を飛びたいと願うように、それを糧に努力をしている。

それだというのに、肝心の源次郎が目を向けた相手は博孝だった。獨自技能を発現し、みらいと兄妹になった博孝に目を向けた。

源次郎にしてみれば、獨自技能を持ち、人工『ES能力者』のみらいを戸籍上の妹にした博孝を気にかけただけだ。親族の集まりで沙織に話を振ったのも、訓練校とはいえ“學生”として過ごす沙織の普段の様子を確認するのにつながれば良いという、場をつなぐ話題の一つに過ぎない。

――沙織の心を別とすれば、だが。

博孝は、思わずため息を吐く。沙織に見せつけるように、深く深く、ため息を吐く。そして肩を落とすと、疲れを払うように頭を振った。

「なんだよ。私怨っつーか――嫉妬かよ」

呆れたように、博孝が呟く。それを聞いた沙織は、視線に乗せた怒気をさらに強くした。

「……なんですって?」

「嫉妬か、って言ったんだよ。くそっ……もっと複雑な理由かと思って、無駄に頭を回しちまった」

沙織の反応に確信を深め、博孝は呆れを含んだ聲を投げつける。

「長谷川、お前と爺さんの間にどんな會話があったかは知らないけど、どうせ俺の話題でも出たんだろ? 俺の様子はどうか、とか、冗談っぽく卒業後は『零戦』に、なんて話が出たんだろ? それで腹を立てて、実際に『飛行』の訓練をしている俺に喧嘩吹っかけたんじゃねぇのか?」

沙織は帰省の時に親族に會っていたと聞いている。それを踏まえて聞いてみれば、沙織は図星を突かれたように揺を表に走らせた。博孝はそんな沙織の表の変化を見つつ、言葉を続ける。

「図星、だな。あー……當たってほしくなかったよ。長谷川は割と突撃思考だと思ってたけど、ここまでだとは思わなかった。止されている私闘を吹っかけてくるから、どんな理由かと思えば……」

自分の知らないところでわされた沙織と源次郎の、孫と祖父の會話によって生まれた嫉妬が、この戦いを生み出した理由だ。

博孝は左肩の傷を塞ぎ終えると、沙織に向かって一歩踏み出す。

「長谷川が強くなりたいって思ってるのは、見ていればわかる。でもさ、今のこの狀況……“仲間”に突っかかって、喧嘩吹っかけて、斬りかかって……」

揺れる沙織の表と瞳。博孝はそれを真っ直ぐに見つめて、問う。

「それで――お前は満足なのか?」

くだらない、とは言わない。沙織の心を慮れば、博孝にはそんなことは言えない。

客観的に見れば、沙織の取った行は博孝にとって謂れのない難癖をつけられたようなものだ。博孝にも一因があるのだろうが、博孝の知らないところで行われた會話が原因になっているなど、予想することもできない。

源次郎が博孝を『零戦』にることを進めたのも、獨自技能を持つ博孝のを守るという一面が大きい。そこにみらいという存在が加われば、冗談半分というよりは半分本気と形容した方が正しい。

今後の博孝の長次第だが、本當に卒業までに『飛行』を発現できれば『零戦』へ配屬される可能が高くなる。実力が見合っていなくとも、それは配屬後に鍛え上げれば良いだけの話だ。その際は、例え飛べなくてもみらいも一緒に配屬されることになるだろう。

「……うるさい」

博孝の言葉を聞き、沙織は小さな聲で呟く。揺れるを激で抑えつけ、それでも、瞳だけは揺らしたままで沙織は博孝の聲を遮ろうとする。

「お前の爺さんが、自分の役に立つようお前にんだのか? 強くなって、自分を支えろって言ったのか?」

「うるさいっ!」

沙織のに呼応して、『構力』が強く瞬く。左手に持っていた大太刀を投げ捨て、右手に持っていた大太刀を両手で握り締める。

「わたしはっ! 強くなってお爺様の役に立つ! 他の家族とは違う! 強くなって、お爺様を支えてみせる!」

癇癪を起こした子供のように言い募り、沙織は逡巡を振り切るように博孝を睨んだ。

「例えお爺様がんでいなくとも……わたしは!」

沙織が強くなろうとする理由を否定できるなどと、博孝は思い上がっていない。

馬鹿らしいと笑い飛ばし、くだらないことだとは、口が裂けても言えない。

『ES能力者』である以上、強さを求めることは非難されるようなことでもない。

しかし博孝を、他人を巻き込み、その命を狙ってまで強くなろうとする沙織の姿勢は、到底許容できなかった。

博孝は、沙織の家庭の事も沙織本人の願いも詳しくは知らない。普段の言から推察することはできても、それに伴う想いすべてを読み取ることはできない。

だが、それでも――。

「俺には、今の長谷川が“強い”ようには見えないな」

沙織は、訓練生の中では優れた力量を持つ。扱えるES能力に、秀でた近接戦闘能力。それらを総合すれば、正規の部隊員とも渡り合えるだろう。第七十一期訓練生の中では、間違いなく最強と呼べる。

そんな沙織を前にしても、博孝は“強い”とは思えなかった。

「……っ!」

沙織の雙眸が開かれ、表からというが抜ける。博孝の言葉にショックをけたのか、それとも別の理由からか。

沙織は一瞬だけ忘我すると、先ほどまでの激を上回る怒気と殺気を発した。

「アンタ、に……」

歯を噛み締め、沙織が前傾姿勢を取る。大太刀を擔ぐようにして構え、跳びかかる寸前の猛獣のように下半に力を込めた。

「何がわかるのよ!」

弾丸の様に、一直線に疾駆する。下手をすれば見失いそうな速度で博孝を間合いに捉え、肩に擔ぐように構えた大太刀が振り下ろされる。

避けなければ、例え『防殻』を発現していようと真っ二つにされそうな一閃。沙織がい頃から培ってきた剣腕が十二分に発揮され、相手を斬るために理想的な間合いに、振り下ろすことで遠心力の乗った大太刀に、沙織自の膂力と踏み込んだ勢い。それらが重なり合い、沙織のれた心とは裏腹に、博孝にとっては致命となる一閃だった。

――なくとも、“以前”の博孝にとっては致命となる一閃だった。

「んなこと――知るかあああああぁっ!」

本気で、全力で『活化』を行い、差した両腕に『盾』を二枚同時に発現して防し、沙織の一閃をけ止める。『活化』で消費する力を度外視して、可能な限りく作り出した『盾』は半ばまで切斷されつつも、沙織の一閃をけ切った。

「なっ!?」

振るった大太刀を真正面からけ切られた沙織は、揺した聲をらす。『盾』に半ばまで斬り込んだ大太刀は橫に抜くことができず、を引こうとする。だが、博孝はそれよりも早く力任せに前へと足を踏み出した。

刃がめり込んだ『盾』を解除しつつ腕を捻り、大太刀をけ流して博孝はさらに前へと出る。

そして、揺からきが鈍った沙織の頬に――掌底を叩き込んだ。

拳で毆らなかったのは、博孝にとって妥協できる最終ライン。の顔を毆るわけにはいかないと思う博孝にできる、可能な限り力のこもった掌底だった。

普段の博孝ならば、相手がならば顔ではなく手足を狙う。しかし、そんな博孝でもさすがに今回のことは頭にきた。沙織の主張も、本來なら避けなければ死んでいたであろう攻撃を行ったことも、頭にきたのだ。

「長谷川の何がわかるかだって? そんなこと俺が知るか! 周りになじもうとせず、自分のことを明かそうともしないくせによ! そんなやつのことをわかるわけがないだろ! それなのに、大好きな“お爺様”がしでも他の奴に意識を向けたら嫉妬しやがって!」

頬に掌底をけ、その衝撃で後ろに下がった沙織に向かってぶ。沙織は頬に伝わる衝撃に目を瞬かせたが、すぐに気を取り直して目つきを鋭くした。

「なによそれ! 偉そうに託を並べたくせに!」

大太刀を握り直し、橫薙ぎに振り払う。それを見た博孝は大きく跳躍すると、沙織の頭上を取って空中に『盾』を発現し、それを足場に一気に落下する。放つは、一回転した上での踵落としだ。

沙織の肩口を狙った踵落としは、沙織がを捻ることで回避される。沙織はを捻りつつ、落下途中の博孝を狙って刃を向け――博孝が再度『盾』を発現して宙に逃れたことで、空振りに終わった。

「うるせえ! わかってほしいんだったらしはそう言え! 自分の殻に閉じこもってんじゃねえよ!」

博孝は次々と空中に『盾』を発現し、それを足場にしながら曲蕓染みたきで沙織を翻弄する。『飛行』の訓練の際に使う『盾』の足場を、戦闘に利用したのだ。瞬時に『盾』を発現する必要があるため、『活化』と併用しながら博孝は宙を跳ね回る。

まともに戦っても勝てないのなら、まともに戦わなければ良い。自の技量の全てを以って、し得る最良の戦闘方法で博孝は沙織と相対した。

一秒と経たず居場所を変える博孝に、沙織は的を絞ることができない。そもそも、“頭上”の相手を狙うことなど剣道では有り得なかった。かといって、『撃』で狙うには博孝のきが速すぎる。『盾』で逃げ道を塞ごうにも、それを察した博孝は逃げてしまう。

博孝は空中を跳ね回りつつ、『撃』で沙織を狙う。グラウンドにが開いてしまうが、ここまでくれば構うまい。『活化』も併用して十を超える弾を生み出すと、雨霰と撃ち出す。

「ちっ!」

迫りくる弾を大太刀で弾き、時に『盾』で防し、沙織は辛くも有効打を許さない。博孝は沙織が防を行っている間に地面に降り立つと、追加の弾を撃ちながら一気に沙織の懐へと飛び込む。

「お前にだって口があるだろ! 俺が気に食わなかったんならそう言え!」

言いつつ、沙織の肩を狙った掌底――と見せかけて右手で襟を取る。そして力任せに沙織を引き寄せると、大太刀を振れないように左手で押さえ込む。

「周りに當たるんじゃねえよ! 駄々っ子のガキかテメェ!」

その上で、博孝は沙織を睨みつけてんだ。そのびをけ、沙織は一瞬怯んだようにを引く。だが、すぐに博孝を睨み返すと、博孝の額に自の額を叩きつけた。博孝は突然の頭突きに虛を突かれ、たたらを踏んで後退する。

「誰が駄々っ子よ! 人の夢にケチをつけてるだけじゃない!」

「お前だよ! 傍迷な夢の抱き方をしてんじゃねぇ!」

沙織の頭突きで額が切れ、が流れる。博孝は雑に拭うと、沙織が大太刀を振るえないよう間合いを詰めた。沙織はそれを見ると、大太刀を放り捨てて拳を固める。

そして、『防殻』だけを発現した至近距離での打ち合いが始まった。何度も行った組手のように、相手の隙をつくように、拳と掌底をわし合う。

「アンタの空を飛びたいっていう夢だって、わたしにとっては傍迷なのよ!」

「馬鹿言ってんじゃねぇ! 傍迷じゃなくて、お前にとって都合が悪いだけだろうが!」

拳や掌底だけでなく、時に罵詈雑言を言い合いながら、博孝と沙織は戦い続ける。

「例え傍迷でも、わたしには関係ない! アンタだって、関係ないでしょ!?」

博孝の腹部に拳を叩き込みつつ、沙織がんだ。それを聞いた博孝は、胃が逆流しそうになるのを気合いで堪え、歯を噛み締める。

「――関係ない?」

そして、を消した低い聲を吐き出した。それを聞いた沙織は怪訝そうな顔をするが、そんな沙織の肩にお返しとして掌底を叩き込む。

「そんなわけねぇ! 寢惚けたこと言ってんじゃねぇよ!」

肩に掌底をけ、沙織が後ろへと弾かれる。博孝はこれまでにないほど苛烈な眼差しで沙織を睨むと、人差し指を突きつけた。

「仲間だろうが! 仲間が間違ってるなら、力盡くでも引き戻すんだよ!」

沙織の言葉を否定するように、博孝は言った。ふざけるなと、お前は何を言っているんだと、激を込めて、博孝は言った。

博孝を“敵”として捉えた沙織と、沙織を“仲間”として捉えた博孝。それが両者の違いであり、今の沙織には理解ができない違いだった。

肩で息を吐きながら自を睨みつけてくる博孝に、沙織は混する。博孝の言った言葉が、理解できない。“そんな理由”で沙織を止めようとする博孝が、理解できない。

い頃から源次郎の背中を追い続けた沙織は、両親はもとより、周囲の人間からも理解されない存在だった。『武神』の孫であり、沙織本人も周囲と関わろうとしない気だったことも、それを後押ししている。

だからこそ、沙織にはわからない。博孝が言う“仲間”という存在は、字面以上の価値を沙織は認めていなかった。

訓練校に校したことで、それ以前の生活に比べれば他人との関わりは増えている。だが、博孝が言うように“仲間”と認識した者はいなかった。訓練校の中で沙織が意識する相手と言われれば、砂原ぐらいだろう。かつては『零戦』で中隊長を務め、源次郎にも信頼される優秀な『ES能力者』。沙織の目下の目標は、砂原に一撃でも有効打を叩き込むことだ。

他の人間には、特に意識は向けていない。博孝のことは小隊長として認め、里香に対してどことなく苦手ながあり、恭介のことを騒がしい奴だと思うものの、沙織にとって仲間だとは認識していなかった。

そんな沙織だからこそ、博孝の言葉が理解できない。

“そんな理由”では――沙織は止まらない。

「……もう、いいわ」

博孝と言葉をわすことをやめて、沙織は再び大太刀を生み出す。そして両手で握り締めると、上段に構えを取った。

「アンタの言っていることは、わたしにはわからない。わたしは、アンタを倒せればそれでいい」

罵り合いをやめ、勝負をつけるべく呼吸を整える沙織。そんな沙織とは裏腹に、博孝は表を崩した。

「ここまで言って……わからないのかよ」

大太刀を構えた沙織を見て、博孝は思わず涙が溢れそうになる。

言葉で止まらず、力盡くでも止められず。そうなると、博孝にできることは“ほとんど”なくなってしまう。

何故沙織がそこまで頑なな態度を取るのか、博孝にはわからない。博孝は歯噛みすると、を吐くように呟く。

「これまでわかろうとしなかった、俺が悪いのかねぇ……」

沙織が博孝を理解できないように、博孝も沙織を理解できない。

仲間だと口にしても、知ろうとしなかった。沙織を慮り、その心に踏み込もうとしなかった。もっと沙織のことを理解できていれば、違う関係になっていたかもしれないのに。

もはや、言葉だけでは沙織は止まらないだろう。例え力盡くでも、沙織は止まらないだろう。

大太刀を構えた沙織は、博孝の言葉を拒否している。もう何も聞く気はないと、態度で示している。そんな沙織を見て、博孝はため息を吐いた。

あるいは、初めて任務を行った時に強さを求めて周囲を省みず、小隊長である博孝の命令にも従わず、『ES寄生』に単獨で挑んだ時からもっと沙織に目を向けておくべきだったのかもしれない。あの件以降、沙織も態度が化したために博孝も深く気にしていなかったのだ。

時間が経つ度に、しずつとはいえ沙織も心を開いていたように見えたから。しずつとはいえ、沙織も笑顔を見せるようになっていたから。

良い方向に進んでいると信じていた――信じていたかったのだ。

悔恨をに、博孝も呼吸を整える。本気の博孝を倒すべく、その準備が整うのを待つ沙織と視線を絡み合わせ、博孝は心で悲しみを覚えた。

できるなら、言葉で止めたかった。

できるなら、毆り倒してでも止めたかった。

(仕方ない、か……)

これから行うことを頭でまとめ、博孝は覚悟を決める。生半可な説得では通じず、武力では沙織に屆かない。

『活化』を連発したために、力は底が見えている。実戦での集中力で誤魔化していたが、限界が近い。それに対して、沙織はまだまだ余力を殘している。

博孝は適度に力し、沙織に相対する。沙織は博孝の様子に眉を寄せるが、油斷はしない。『盾』で空中を跳ね回ったように、博孝は予想外の行をすることが多いのだ。

故に、一片の油斷もなく、沙織は大太刀を握り締めて地を蹴る。

博孝が言った言葉を意識から締め出し、剣閃が揺れぬよう注意して、沙織は大太刀を博孝目がけて振り下ろす。

沙織が求めるのは、源次郎の役に立つことだ。『武神』の孫として、強くなって、源次郎の役に立てる存在になるのだ。だから博孝が言うような嫉妬ではないと、自に言い聞かせる。

一心にそう願う沙織は、気付かない。沙織自が強くなることと、博孝を倒すことは、まったく関係がないということを。

博孝は迷いなく――迷いを“隠した”沙織のきを見極め、僅かにを引き。

――避けることもけ止めることもせず、無抵抗に斬られた。

先程斬られた左肩から脇腹にかけて、斜めに斬られて博孝のが真後ろに弾かれる。『防殻』だけは発現していたが、それ以外の防手段は講じていない。無抵抗に、無造作に斬られ、その衝撃をけて背中から倒れた。

「え……あ……」

博孝が地面に倒れ、傷口から噴き出すが沙織のを汚す。斬った大太刀の刃を伝い、博孝のが地面に落ちる。

博孝ならば、防なり回避なりをすると思っていた。それだというのに、抵抗もせずに斬られている。

沙織の脳裏に過ぎるのは、『ES寄生』の攻撃を庇った時の博孝の姿。全に塗らし、それでも里香を守りきった博孝の姿が、沙織の脳裏に過ぎった。

“あの時”と同じように、博孝は溜まりに沈む。

それをしたのが、敵の『ES能力者』でも『ES寄生』でもなく、沙織という違いはあったが。

「あ……ああ……」

を流してかない博孝を見て、沙織の手から大太刀が零れ落ちた。手から離れた大太刀が『構力』となって宙に溶け、白い軌跡を殘して消える。

眼前の景が、沙織には理解できない。博孝を斬ったが手に殘り、そのを中心としてに震えが走る。これこそが、沙織の求めていたことだったはずなのに。

――博孝と戦い、勝つことがみだった。

――その願いが葉い、博孝は斬られ、の海に沈んでいる。

間違いなく、重傷だ。下手をすれば、致命傷だろう。今も流れるを止めなければ、遠からず博孝は命を落とす。沙織の目には、そう見えた。いくら『ES能力者』といえど、を失い過ぎれば死ぬのだ。

それでも、沙織はけない。目の前の、自が引き起こした景を見て、くことができなかった。

「沙織ちゃん! 一何が……ひ、博孝君っ!?」

そんな沙織の耳に屆いたのは、里香の聲だった。慌てて部屋から飛び出て來たのか、パジャマに薄手のカーディガンを羽織っただけの軽裝である。

里香は沙織のもとへ駆け寄ると、返りを浴びて呆然とした沙織と、溜まりに沈む博孝の姿を見て驚愕から目を見開いた。

「な、何が……あったの?」

部屋から博孝の『活化』のが見えたため飛び出してきたが、狀況が理解できない。何故沙織が返りを浴びて呆然としているのか、何故博孝がを流しながら地面に倒れているのか。

それらの事実を前に、里香は認めたくない現実を把握する。倒れる博孝を見て、かつて自分を庇って傷ついた時のことを思い出す。あの時、里香は震えてくことができなかった。治療を施さなければ、博孝が死ぬという狀況で、だ。

その後も、敵の『ES能力者』に襲われて負傷した博孝を治療しようとしたが、神が不安定で治療の効果は薄かった。

だが、それらの時と今は違う。里香は疑問も不安も飲み込むと、未だに呆然としている沙織へと歩を進め。

「沙織ちゃん!」

沙織の頬を、力任せに叩いた。呆然としていた沙織は避けることもできず、頬を叩かれた衝撃で倒れ込む。それでも瞳に理を取り戻し、頬を叩いた里香を見上げた。

「あ……岡島、さん……」

「博孝君の治療を手伝って! 早く!」

沙織に指示を出しつつ、里香は博孝の傍に膝をつく。そして傷口を確認すると、『接合』を発現して塞ぎ始めた。

「……っ……」

倒れていた博孝から、僅かに聲がれる。博孝はゆっくりと目を開けると、真剣な表で治療を施す里香の姿に驚き、地面に腰をついた狀態でそれを見つめる沙織の姿を視界に収めた。

「なんで、里香が……ちょっと……派手に、が出ただけだよ……」

「喋らないで! 可能なら『活化』で自分のを治して!」

博孝の言葉に取り合わず、里香は治療を続行する。

斬られはしたものの、博孝としては致命傷にならないと思っている。失死の危険があるが、一度死に掛けたからすると、まだまだ死ぬには程遠いと判斷した。

『防殻』を発現し、斬られる場所は調整したので、即死だけはしないだろうと判斷して斬られたわけだが、沙織があともうし深く踏み込んで斬っていたらどうなっていたかわからない。

「ぐっ……つっ……」

博孝は自分の狀態を確認すると、を起こそうとする。それを見た里香は、怒ったように眉を吊り上げた。

いちゃダメ! 無茶ができる狀態じゃないの!」

「っと……悪い、里香。でも、今は……無茶をしないと、いけないんだよ」

押し留める里香に逆らい、博孝は上を起こす。そして沙織に視線を向けると、口に溜まったを吐き出してから口を開いた。

「さ、て……どうだ? 俺の負けで、長谷川の勝ちだ。“おみ通り”、長谷川の勝ちだ。もう一度聞くけど。これで……満足か?」

博孝が問いかけると、沙織が肩を震わせる。そしてのろのろと顔を上げ、博孝の視線をけると再び顔を俯かせた。

「……で、でも……アンタは、最後に抵抗しなかったじゃない……」

「そう、だな。でも……あのまま戦ってても……どの道、俺が負けてただろ」

痛みを堪えながら、博孝は言う。その間にも、里香は博孝ので汚れることを厭わずに傷を塞ぎ続ける。

博孝と沙織が手加減抜きで戦った場合、十中八九沙織の勝利で戦いが終わる。『盾』を足場にするという小細工を弄して立ち回った博孝だったが、集中力や『活化』に回す『構力』が盡きれば、あとは地力の差で負けてしまうほどに二人の間には差があった。

「たしかに、お前は強いよ……同期の中じゃ、一番だろうさ……」

痛みを堪えながら、博孝は言う。沙織が第七十一期訓練生の中では最も強いと、肯定する。沙織はその言葉に目を瞬かせ――それを見た博孝は、口の端からを伝わせながら小さく笑った。

「でも……やっぱり“それだけ”だな」

沙織を僅かに持ち上げ、すぐさま落とす。

生きとしては強いだろう。強さを求め、戦いを求め、己を鍛えている沙織だ。客観的に見れば、十分に強いと言える――が、それだけだ。

人によっては、沙織は強く見える。だが、博孝からすれば、そんなものは強いとは思えなかった。

博孝も、自分が強いとは思っていない。そんなことは、口が裂けても言えない。それでも、沙織が求めるものは間違っていると、心の底から思うのだ。

傷口からが流れ、継続的な痛みが博孝を襲う。だが、博孝は痛みを無視して言葉をかけ続ける。ここで止めきれなければ、沙織は戻ることのできない悪路に踏み込むとじて。

「俺にとっては、今の長谷川よりも、こうやって人の傷を癒してくれる里香の方が強いと思うね。戦えば、長谷川が勝つんだろうけどさ」

その言葉は、沙織にとって理解が出來ないものだった。

里香は支援型の『ES能力者』としてはクラスの中でも優れているほうだが、戦闘力という點では沙織に大きく劣る。博孝はおろか、恭介にも敵わないだろう。クラスでも、下から數えた方が早い。

「そんなの……噓よ。わたしの……わたしの方が……」

言いつつ、沙織は自分の両手を見る。博孝ので汚れ、震えが止まらない両手を、じっと見る。

の滴るその手は、沙織が博孝に勝った証だ。博孝を斬り、倒した、その証だ。

博孝の言葉に反発する気持ちは、今でもある。博孝は抵抗せずに斬られたが、それは本人が言う通り、沙織に勝てないからだ。沙織の方が、博孝よりも強いからだ。

い頃から剣道を、剣を學び、『ES能力者』になった後はクラスでも最多のES能力を発現し、総合力で見てもクラスで最も優れている。教である砂原には手も足も出ないが、『ES能力者』としてのキャリアが違い過ぎるのだ。それでも、長じれば砂原の立つ領域に手が屆くと沙織は思っている。

『武神』の孫として十分な才能と、たゆまぬ努力と、目標に向かって突き進む意思。それらによって裏打ちされた、実力と自信。沙織は、自分は決して弱くないと、“思っていた”。

「わたしは……弱いのかしら?」

それでも、沙織の口から出てきたのは逆の言葉。何故そんな言葉が出てきたのか、沙織にもわからない。

わざと斬られ、それでもなお真っ直ぐに見てくる博孝や、その隣で必死に治療を施す里香の姿に何かをじたのか。沙織は自の心境に僅かな変化が訪れていることに気付かず、そんな質問を口にしていた。

それを聞いた博孝は、沙織の方へ近づこうとしてをふらつかせる。それに気づいた里香が慌てて支え、勢を立て直す。

「さて、ね……俺は、自分が強いなんて口が裂けても言えないしなぁ……」

博孝が沙織よりも強かったら、こんな回りくどいことをしなくとも自力で打倒し、地に膝をつかせて説教できるのだ。お前は俺よりも弱いと、思い上がるな、と。沙織の鼻っ柱を圧し折り、お前は弱いんだと、力盡くで言い聞かせることができたはずだ。

「……わからない。アンタの言いたいことが、わたしにはわからない」

博孝を斬った衝撃が抜けないのか、沙織は素直に博孝の言葉をけ止める。

沙織は強くないと斷じる博孝は、自分も強くないと言う。博孝は沙織の言葉に苦笑すると、ゆっくりとだが立ち上がろうとする。里香はそんな博孝を驚いたように見て止めようとするが、博孝が沙織に向ける眼差しを見て、困ったように眉を寄せながらを支えた。

「なんつーか……“強い”ってのは、々なことを指すと俺は思うんだよ」

を引きずるようにして歩き出し、博孝は沙織へ近づいていく。

「力が強いとか、心が強いとか、意思が強いとか……教を見てみろよ。あの人は、滅茶苦茶“強い”ぞ?」

語りかけながら歩を進める博孝の隣で、里香は『接合』を継続しながらそのを支える。博孝と沙織が戦っていた理由は未だにわからないが、それでも、博孝が沙織に向ける言葉を邪魔してはいけないと、博孝が倒れないように支える。

「その點、お前は強いけど弱い。訓練生の中じゃあ、一番腕が立つだろ……でも、心は弱い。爺さんの話で他の奴に嫉妬して、刀振り回すぐらい、心が弱い」

靜かに話す博孝に、靜かに耳を傾ける沙織。博孝は傷口からを流しながらも、言葉を重ねていく。

「だから……」

博孝は、地面に腰を下ろしたままの沙織のもとへたどり著く。博孝の返りを浴び、僅かに震えている沙織のもとへ、辿り著く。

そして、自を見上げる沙織に対して右手を差し出した。

「これから、強くなればいいだろ。俺や、里香や、恭介……それに、教や、クラスのみんなと……仲間と“一緒に”、強くなればいい」

「――え?」

博孝が言った言葉が理解できず、沙織は呆然としたように聲をらす。博孝はそんな沙織の様子に、思わず苦笑した。

「別に、自分一人だけで強くならなくても良いじゃんか。俺とだって、組手はしてただろ? ああやって、一緒に腕を磨いて、強くなっていけば良い……俺は、そう思う」

博孝と沙織に差があるとすれば、それは周囲の仲間と共に強くなろうとするかどうかという一點ぐらいだ。博孝も沙織のように自主訓練にを費やすところがあるが、それでも周囲の仲間と一緒に長している。

「俺が『飛行』の訓練をしたことが気に食わなかったのなら、お前も訓練すれば良いじゃないか。嫉妬する暇があったら、訓練しろよ。教えろって言われれば、俺は教から教わったことを喜んで教えたぜ?」

沙織は博孝が『飛行』の訓練をしていることに対して嫉妬したが、そこで終わらず、『教えてほしい』と言うだけで良かった。あるいは、砂原に直接教えを乞うても良かった。

今回のように博孝が源次郎の眼鏡に適うことを恐れ、出る杭は打つと言わんばかりに決闘を吹っかけなくても、沙織も『飛行』の訓練をすれば良いのだ。

「周りと協力して、一緒に強くなって……そんな形でも、別に良いだろ」

自分一人で學べることには限界がある。それならば、“仲間”から學べば良いのだ。

「それで……強くなれるの?」

他の人間に極力頼らず、自の力で長し、祖父である源次郎の役に立てるようになる。それでこそ『武神』の孫だと、そう思い込んでいた沙織は半信半疑で尋ねた。

「そうだなぁ……」

沙織の質問をけて、博孝は気が抜けたように笑う。

「自分一人で強くなろうと足掻くよりは、よっぽど“強く”なれるんじゃないかな」

言い聞かせるように、博孝は言う。沙織は何かを考えるように目を伏せるが、そんな沙織に博孝は畳み掛ける。

「騙されたと思って、周りに頼ってみろよ。仲間なんだからさ」

「仲間……」

その言葉自は知ってはいても、口にしたことがないように沙織は呟く。

「あるいは、友達と言い換えても良い。例えば、長谷川にとって里香は友達だろ? 違うって言ったら、里香はきっと泣いちゃうぞ」

冗談めかして言うと、里香に脇腹をつねられた。傷口に近かったため、地味に痛い。

「まぁ、納得できないなら仕方ない……」

博孝はつねられた里香の指を解くと、沙織に真剣な目を向ける。

「その時は、もう一度喧嘩吹っかけてこいよ。それまでに、お前よりも強くなっておく。そして、今度は完なきまでに叩きのめして、その上で『お前は弱い』って言ってやるよ」

ここまで言ってしも治らないなら、最早打つ手がない。

言葉でも止まらず、力盡くでも止められず――を盾にした説得でも止まらないなら、打つ手がない。博孝はそう考えるが、同時に、沙織のことを信じてもいる。

一年にも満たない付き合いだが、博孝は沙織のことを信頼できる“仲間”だと思っていた。無想で、最初は指示どころか命令も聞かないで、直徑行なところがあるが、それでも博孝は沙織のことを信じていた。

「……もう一回戦ったら、わたしに勝てるというの?」

「ああ。それまでに、みんなと一緒に訓練して可能な限り強くなっておくからな」

「そう……」

博孝の答えに、沙織は目を細める。だが、それは今までのように険のこもったものではない。博孝の顔を見て、言葉を噛み締めて、震えていた両手を握り締める。

「だったら……わたしがアンタと同じことをして強くなったら、アンタはずっとわたしに勝てないままになるのね」

無理矢理絞り出して、冗談を口にするように、沙織はそう言った。それを聞いた博孝は、応じるように頬を吊り上げる。

「さてさて、そいつはどうかねぇ……長谷川にはできなくても、俺にはできることもある。その逆も然りだけどな。いつまでも余裕かましてると、あっさり追い抜かれるぞ?」

そう答えつつも、博孝は安堵した。沙織の目には、先ほどまであった焦燥や怒りといったは見られない。一時のことか、これからもずっとそのままかはわからないが、しは肩の力が抜けたらしい。

それを確認して安心し、博孝は気が抜ける。気が抜けると、博孝は痛みや疲労を強くじて、里香に申し訳なさそうな表を向けた。

「ごめん、里香」

「え?」

し……寢る」

なにより、が多く抜けていた。死ぬほどではないが、意識を保つのも辛い。

慌てるような聲を聞きながら、博孝は意識を手放す。聞こえてきた聲には、里香だけではなく沙織の聲も含まれていたような気がした。

博孝が目を覚ますと、白い天井が視界に映った。を放つ蛍燈をぼんやりとした頭で眺めていると、消毒のような匂いが鼻につく。

博孝は視線をかして壁にかかった時計を見て時間を確認すると、小さく眉を寄せた。

「一時間ほど、気を失っていたのか……」

どうやら、軽く気を失っていたらしい。の傷に意識を向けてみると、きちんと塞がっているようだ。

「おっと、起きたっすか?」

博孝の聲が聞こえたのか、枕元から聲がかかった。その聲を聞いた博孝は、聲のした方へ視線を向ける。

「ん? おお、恭介。なにしてんの?」

「それはこっちの臺詞なんすけどねぇ……」

博孝の言葉を聞いた恭介は、苦笑混じりに笑う。

「岡島さんから突然電話がかかってきて、何事かと思ってグラウンドまで行ってみたら、濡れの博孝と沙織っちがいてビックリしたっすよ。まあ、それ以上に岡島さんの剣幕に驚いたっすけどね。何があったっすか?」

「あー……そりゃ申し訳ないことで。ちょっと……そう、沙織っちと“喧嘩”をしてな」

「喧嘩で、肩から脇腹までばっさり斬られたと?」

誤魔化すように言うと、恭介は眉を寄せた。そして、怒ったように言う。

「博孝……俺が言うべきことじゃないかもしれないっすけど、さすがに仲間で殺し合うようなことは許容できないっすよ。全濡れの博孝を見て、どれだけ心配したと思ってるんすか?」

「……ごめん」

恭介の言葉に、博孝は素直に頭を下げた。もしも博孝と恭介が逆の立場だったら、怒りもすれば心配もするだろう。それがわかっているため、博孝は頭を下げた。

恭介は頭を下げた博孝をしばらく見ていたが、やがてため息を吐いて頭を振る。

「わかってくれたなら良いっすよ。んで、次はあっちをなんとかしてほしいっす」

そう言って、博孝は顎でしゃくる。それを見た博孝は視線をかし、頬を引き攣らせた。

博孝がいたのは保健室のベッドの上だったのだが、ベッドから離れた部屋の隅で、『床に正座をした沙織』と、それを前にして『仁王立ちする里香』という謎の景が展開されていた。

「どうして、こんなことをしたの?」

「……ごめんなさい」

「ごめんなさい、じゃないの。どうしてこんなことをしたの?」

「……それは、その……」

「それは……なに? どうして?」

「……ごめんなさい」

里香を前にして、を小さくしてひたすら謝る沙織。それを見た博孝は、ベッド脇の椅子に座る恭介に話を振った。

「なんだあれ……どういう狀況?」

「さっきから、ずっとあのやり取りをループしてるっすよ。岡島さんと沙織っちの二人がかりで博孝の傷をふさいで、二人ともで汚れた服を著替えてきて……それ以降は、ずーっとあの調子っす」

「はー……それはまた、なんというか……」

が抜けて巡りが悪い頭でも、何が起きているのかは理解できた。今回の件に怒った里香が、沙織に対して“お説教”をしているのだろう。二人は博孝が起きたことに気付いておらず、無表の里香が沙織を詰問し、それをけた沙織がしどろもどろに慌てている。

「その、ね……沙織ちゃんが強くなりたいって思ってるのは、わたしも知ってる。でも、だからといって友達同士で、こんな、こ、殺し合うようなこと、なんて……ぐすっ……だ、駄目だと、思うの」

話している途中でが一定を超えてしまったのか、それまで無表だった里香の瞳から涙が零れ落ちた。それに合わせて表が崩れ、里香は顔を伏せてしまう。それを見た沙織は、慌てたように口を開いた。

「あ、お、岡島さん? そ、その、泣かないで……」

どうすれば良いかわからず、沙織はなんとか里香を泣き止ませようと聲をかける。恭介は共できる部分があるのか、口を閉ざしたままだ。そのため、博孝は場の空気を変えようと決斷し、沙織を指差す。

「あーあ、沙織っちが里香を泣ーかせたー。いーけないんだーいけないんだー。せーんせいに言うたーろー」

軽く、“普通”を裝ってからかいの言葉を投げかける。すると、その聲が聞こえたのか沙織は博孝に視線を向けた。沙織は博孝が起きたことに対して安堵するが、その口から放たれた言葉には噛み付く。

「う、うるさいわねっ! アンタは子供なの!?」

「ぴっちぴちの十六歳で法律上は子供ですが、なにか?」

「ぴっちぴちとか、男の口から聞きたい言葉じゃないっすねぇ……」

博孝の意図を悟り、軽口に乗っかる恭介。

そんなやり取りをしていると、袖で涙を拭った里香が顔を上げる。ベッドの上でを起こした博孝に涙で赤くなった瞳を向けると、小さく口を開いた。

「博孝君……」

「あ、里香。迷を――」

「正座」

「えっ?」

床を指差し、再び無表になった里香が無に告げる。

「こっちにきて正座」

「え? いや、あの……里香、さん?」

「正座」

「あ、はい」

無表で里香に言われ、逆らい難いものをじた博孝は頷きを返し、沙織と隣り合って床に正座する。

真夜中のリノリウムの床は、とても冷たかった。見下ろしてくる里香は、とても怖かった。

「どうして二人はあんなことをしたの?」

そして始まる、里香による詰問。博孝は、どうやって事を説明するべきかと悩む。沙織の事をつまびらかに説明して良いものか。そう悩みつつ沙織に視線を向けると、沙織は小さく頷いた。

「わたしが、自分で説明するわ」

それだけを言って、博孝には余計なことを言わないよう釘を刺す。

沙織は、里香や恭介に対して語った。

自分が、祖父の役に立てる人間になろうとしていたこと。

それに見合った努力はしているつもりだったこと。

そして、それだというのに祖父は博孝に目を向け、そのことに嫉妬をしたこと。

それらの事を簡潔に、淡々と語っていく。

「だから、わたしは河原崎に勝負を挑んだわ……自分の方が強い、役に立てるって証明したくて」

そう言って締め括る沙織。それを聞いた里香はを引き結び、恭介は椅子から立ち上がる。

「長谷川……お前、そんなことのために博孝に斬りかかったのかよ! 岡島さんがいなかったら、博孝は死んでたかもしれないんだぞ!」

怒りを込めて、恭介がぶ。いつもの口調ではなく、真剣に、沙織がしたことに対して怒りの聲を上げた。それを聞いた沙織は、応戦するように視線を向ける。

「そうよ! “そんなこと”のために、わたしは河原崎に勝負を挑んだのよ!」

んで返したその聲は、怒りではなく、それ以外のが込められていた。泣くような、哭(な)くような、沙織の心が込められていた。

「アンタにとっては、“そんなこと”よ! でも、わたしにとっては大切な……大切な、ことだったのよ……」

次第に聲が弱くなり、沙織は目を伏せる。保健室の床を睨み付け、を震わせる。

博孝にも、里香にも、恭介にも。沙織の心すべてを汲み取ることなど、できはしない。沙織が祖父の役に立ちたいと願い、そのために努力を重ねてきたことを否定するなど、できはしない。

博孝と恭介は、言葉に詰まる。に任せて何かを言うことはできるが、それでは沙織に屆かないだろう。納得をしてはいるようだが、の全てで納得できているのかと言われれば、それは否と言わざるを得ない――そう思った二人を、里香が否定した。

「大切なこと“だった”ってことは……今は違うの?」

どこか穏やかな様子で、里香が問う。その問いを前に、沙織は首を橫に振った。

「……今も大切よ。強くなって、お爺様の役に立てるようになりたい。でも、それだけじゃ駄目なんだって……」

そこから先は、言葉にならなかった。俯く沙織を見て、里香は沙織に十分な変化が訪れているのだと悟る。恭介もそれに気づいたのか、不満そうながらも矛を収めた。

「ったく……仲間で殺し合いとか、マジで勘弁してほしいっすよ」

ぼやくように恭介が言うと、沙織の肩が大きく震える。恭介も、博孝と同じように沙織が仲間だと言う。そのことが、沙織のに響いた。

「本當に、悪い。でも、この様子なら長谷川はもう大丈夫だろ」

「そうっすかねぇ……」

本當に機嫌が悪いらしく、恭介は口を尖らせる。そんな恭介に博孝が苦笑すると、里香が博孝に視線を向けた。

「博孝君も……“また”、死んじゃうって思ったんだから……」

またというのは、初めて任務に赴いた時のことを指すのだろう。博孝に庇われ、博孝が死に掛けたことは、里香にとって忘れられない心の傷の一つだ。博孝は気にせず、里香にも気にしないようんだが、自分のために仲間が死に掛けたことを気にしないほど里香は薄ではない。

それが理解できるからこそ、博孝は沙織に斬られることを最終手段としていた。言葉で止まらず、戦っても止められない。それ故にを犠牲にした説得方法を行ったわけだが、里香のことを思えば控えたかった。それでも、他に打つ手を思いつかなかったために実行したのだが。

もしも里香が來なければ、博孝は自力で傷を治しつつ沙織の説得を行っただろう。しかし、里香ほど治癒能力がないため、説得が終わった後にどうなっていたかわからない。

博孝は床に座ったままだったため、床に手をついて謝罪する。

「悪い。今回の件については、謝ることしかできない。もっと上手く説得できれば良かったんだけど……」

沙織に勝つことができないため、自分のを犠牲にするようなやり方になってしまった。そのことは、謝罪するしかない。

そうやって頭を下げた博孝に対して、里香は靜かに言う。

「もしも博孝君が死んでいたら、みらいちゃんはどうなるの?」

「っ……それ、は……」

もしも博孝が死んでいれば、みらいはどうなっていたか。『活化』を使える博孝がいなくなれば、みらいが『構力』を暴走させた時に止める手段がなくなる。

言葉をなくす博孝に、里香は畳み掛けるように言った。

「もしも博孝君が死んでいたら――沙織ちゃんが、博孝君を殺したってことになるんだよ?」

博孝が死んでいた場合に訪れた未來。それを想像し、博孝は深く頭を下げる。

「……ああ。そうだな……うん、そうだよな……」

いくら沙織を説得するためとはいえ、無茶をし過ぎた。沙織に対してもそうだが、博孝に対しても里香は怒っているのだ。

「反省は?」

恭介同様、普段とは違った様子で言い募る里香。

それほどに怒りが深く――それと同時に、それほどに心配したのだ。

「反省した」

「本當に?」

「ああ」

ここまで心配をかけてしまったのでは、博孝としても反省するしかない。以前博孝に庇われた里香だからこそ、ここまで自省を促すのだろう。

「本當に……ほ、本當にっ……し、心配、したんだよ……」

そして、里香は限界がきたのか再度涙を流し始める。それを見た博孝は、が足りずにふらつくを叱咤し、無理矢理立ち上がった。

涙を流すほどに心配してくれたことを、嬉しく思う。それと同時に、心優しい里香を泣かせてしまったことを、申し訳なく思う。

「ごめん、里香。それと、傷を治してくれてありがとう」

博孝が肩に手を置くと、里香は堪えきれなくなったのか、博孝のに顔をうずめて嗚咽をらし始める。博孝が生きていることを確かめるように、博孝の腕を握り締めながら。

嗚咽をらす里香を見て、沙織は視線を逸らす。

「ごめんなさい、岡島さん……わたしも、反省したわ」

小さな聲だったが、それは本心からの言葉だった。

沙織の謝罪と、里香の鳴き聲と、恭介のため息を聞きながら、博孝は大きく息を吐く。

これからは、自己犠牲も考えだと思う。必要な時にを張ることに躊躇いはないが、極力それを避けられるよう、努力しようと思う。

(無茶をする度に里香を泣かせてちゃ、申し訳が立たないしなぁ……)

そんなことを考えながら、博孝は里香をあやすように背中を叩く。

最後に博孝は、明日砂原に今日の“喧嘩”が発覚しなければ良いな、と考えるのだった。

    人が読んでいる<平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)>
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