《平和の守護者(書籍版タイトル:創世のエブリオット・シード)》第五十六話:水中戦闘訓練
ES訓練校には様々な施設がある。
各期訓練生用の校舎やグラウンド、寮や育館、教員用の施設に飛行機の発著場。それらをつなぐために道路が整備され、行き來が出來るようになっていた。
そしてその日、春から夏へと季節が移ろい始めた五月。博孝達第七十一期訓練生達は今まで訪れたことがない施設へと移していた。
「なんというか……訓練校の外にあったら、場するのにいくらかかるんだろうな?」
「千円ぐらいだと思うっすよ」
その施設を前にして、博孝と恭介は呆れたように言葉をわす。二人の視線の先には、大きな塀があった。大きいと言っても、高さはそれほどない。々五メートル程度だろう。しかし、幅は百メートル以上ある。
水練場というプレートがかかった口を見ながら、博孝は一週間前のことを思い出した。
その日、午前中の授業が終わりに近づいた時、砂原が不意に切り出したのである。
「諸君らも『ES能力者』として一年以上の訓練を積んできた。そのため、今度から水中および水上での戦闘訓練も行うことになる」
それを聞いた時のクラスの空気は、様々なが渦巻く訶不思議なものだった。水中および水上と聞けば、それに付隨する施設が必要だ。例えば、海や川、プールなどである。
「水中はともかく、水上での戦闘?」
「水中って……戦闘服で?」
「まさか、水著とか?」
ざわざわと騒がしくなる教室。その空気を察した博孝は、すぐさま挙手をした。
「教! 質問です!」
「……ある程度予想はできるが、なんだ?」
「水中および水上ってことは、海にでも行くんですか? それともプールが用意されているんですか? あと、これが一番大事なんですが……訓練は、水著で行うんですか?」
目を輝かせて、博孝が問う。その質問を聞いた生徒達――主に男子の大半が目を輝かせ、それを見た砂原は苦笑した。
「最初のうちは水著だ。訓練に慣れたら戦闘服で行う。水著については売店で売っているものを買うか、攜帯のメールで訓練の攜行品について申請しろ」
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水著と聞いて、男子の大半がテンションを上げる。反対に、子は大半がテンションを下げた。
「あの、教……訓練は男混合でやるんですか?」
テンションが下がった子を代表して、希が質問をする。それを聞いた砂原は、子達の心を汲み取りながらも頷く。
「いつも通りだ。訓練が進めば、小隊同士の模擬戦も行うつもりだからな」
「そうですか……」
砂原の回答を聞いて、子達のテンションはさらに下がった。訓練のためとはいえ、異の前で水著になるのは恥ずかしい――わけではなく、“準備”が面倒だ。もちろん、子の中には純粋に恥ずかしいと思っている者もいるが。
「どうしようか……中學校の頃だったら“調不良”で休めたけど……」
「いっそのこと、ダイビングスーツでも買う? 売店に売っているなら、だけど」
「出は控えめかー……最初から戦闘服でけるっていうのは駄目かなぁ……」
ヒソヒソと談する子達。子達の會話の影響をけていないのは、沙織とみらいぐらいだ。沙織は水著と聞いてから何故か博孝と里香を互に見ており、みらいは博孝の隣で首を傾げている。
「……みずぎ?」
「ああ。プールとか海で泳ぐ時に著るものだよ。そういや、みらいの水著はどうするかねぇ……里香、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
みらいの水著の調達をどうするかと悩んだ博孝は、里香に話を振る。子の水著は子に任せるのが最良だと思ったのだ。
「ひゃっ! な、なに?」
だが、博孝から話を振られた里香は顔を赤くしながら椅子の上で一瞬跳ね上がる。まさか話を振っただけでそんなリアクションが返ってくるとは思っていなかった博孝は、僅かにを引きつつ再度話を振ることにした。
「いや、みらいの水著についてなんだけど……」
里香は何故か博孝の視線からを隠すようにを捻っており、博孝は首を傾げる。里香は博孝の言葉に目を瞬かせると、小さく咳払いをしてから頷いた。
「え、と……みらいちゃんの水著がどうしたの?」
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「子の水著選びについては何も知らないから、里香に面倒を見てもらえたらっていう相談なんだけど……大丈夫か? なんか、顔が赤いぞ?」
「だ、大丈夫っ。みらいちゃんの水著だよね? うん、喜んで手伝うよ」
必死に否定し、話を逸らす里香。どうやら、里香は異に水著を見られるのがとても恥ずかしいらしい。それを察しつつも、博孝はみらいのことを里香に託す。
「売店でどんなやつを売ってるかわからないけど、里香のセンスに任せるよ。お代は……そうだな、みらいの水著選びを手伝ってもらうし、里香の分も俺が払うから」
可い妹のために骨を折ってもらうのだ。そのお禮として代金は全て持とうと博孝は思う。みらいも『ES能力者』の訓練生として給料をもらうではあるが、そこはそれ。妹のためなら多の出費など痛くもない。
「えっ……でも、それは悪いよ……」
「良いから良いから。里香には普段からみらいの相手をしてもらってるし、そのお禮も兼ねてってことで」
そう言って、博孝は無理矢理にでも里香に納得させるのだった。
そして今日、男子生徒達にとっては待ちに待った水辺での訓練日。午前の座學を終え、晝食を食べ終えた男子達は手早く水著に著替えると、プールサイドに集まっていた。
プールは広く、一辺が七十メートルの正方形。プールの壁や床は分厚い金屬で造られており、深さは三メートル近くあった。天井はなく、仮にES能力を上に目がけて放っても天井を破壊しないための措置だろう。壁や床に命中しても、メートル規模の厚さを誇る金屬である。訓練生の力量では、プールを破壊するのは難しそうだ。
「博孝……とうとうこの日がきたっすね」
ソワソワとした様子で呟く恭介。博孝も恭介も、他の男子達もオーソドックスな黒の海パンである。膝上まで丈があるが、素材は防弾防刃の特殊繊維を用いられており、『ES能力者』が戦闘を行っても破れないようになっていた。激しいきをすると思われるため、腰元の紐はしっかりと締めている。
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「ああ……この一週間、長かったな」
恭介の言葉に神妙に頷き、博孝は思考を飛ばす。
男子達は非常に浮き足立っており、実技訓練中に砂原から“指導”をける者が多発した。ちなみに博孝は、訓練は訓練と意識を切り替えていたため無事である。むしろ、小隊同士の模擬戦中にささやき戦として利用するほどだ。
『なあ、気になるあの子はどんな水著を著るんだろな? ビキニ? ワンピース? それともセパレート?』
接近戦を行いながらそんなことを囁くのである。砂原に止められるかもしれないと思った博孝だが、その程度で揺するなと逆に“指導”を行うほどだった。
そんな博孝でも、これから水著に著替えた子を見られると思うと平靜ではいられない。
たかが水著――されど水著。
誰がどんな水著を著るのだろうと男子で集まって話をするが、予測の域を出ない。そうやって騒いでいると、男子達と同じように水著に著替えた砂原が姿を見せた。
「まったく……気持ちはわからんでもないが、もうし落ち著け」
そして、男子達に向かって苦笑混じりで言う。砂原は黒いブーメランパンツをに付けているが、その姿を見た男子生徒達は思わず『おお……』という聲をらしてしまった。
『ES能力者』は例え負傷しても、ほとんどの場合は治療系のES能力で傷跡を殘さずに傷を治せる。しかし、砂原は一どれほどの戦いを繰り広げてきたのか、のところどころに傷跡が殘っていた。
その上、は無駄な脂肪は一ミリグラムたりともついてないといわんばかりに引き締まっており、発達した筋や腹筋、肩や腕、足の筋によって砂原のを大きく見せる。
「くっ……負けた……」
砂原の(ガタイ)を見て、大勢の男子生徒が膝をついた。男として、圧倒的な敗北をじたのだ。
彼らも一年以上の訓練を経て、同年代の男子に比べれば遙かに頑強なを持っている。腹筋も割れており、の付きも“戦う者”として相応しいものに育ちつつある。しかし砂原と比較すれば、その差は雲泥の差だった。もやしとは言わないが、アスパラガスと杉の大木ぐらい差があった。
「教……質問ですけど、なんでこんなに傷跡が殘ってるんですか?」
多くの生徒が打ちひしがれる中、博孝は砂原に質問を飛ばす。博孝自、何度か死に掛けたことがあるが、砂原ほどの傷跡は殘っていない。々、初めての任務で里香を守った時に千切れかけた右腕や、沙織に肩から脇腹にかけて斬られた痕が僅かに殘るだけだ。
「これか? 治療が中途半端だと、派手に傷跡が殘ってしまうんだ。“昔”は満足な治療をける暇もなく“敵”の迎撃を行うこともザラだったからな。戦場を経験している『ES能力者』は、大抵がこんなじだぞ」
その回答に、博孝は想像を巡らせる。ロクに治療をける暇もなく戦い続ける戦場を想像しようとするが、中々上手くいかない。頭を悩ませる博孝を見て、砂原は小さく口元を吊り上げた。
「まあ、こんなものはあまり人目に曬すものではないがな。プールや海に出かけてみろ、すぐに警察が飛んでくる」
「つまり、警察が飛んできたことがあるんですね」
夏の日差しが降り注ぐ平和なビーチで、のあちこちに傷跡が殘るを曬しながら闊歩する砂原。その絵図を想像した博孝は、『ヤクザも道を譲りそうだなぁ』と心で呟く。
「そういうわけで、中々泳ぐ機會もない。泳ぐことは割と好きなんだがな……」
そう言って目を細める砂原を見て、博孝は砂原が意外と乗り気で授業を企畫したのだと悟った。教導をするだけなら戦闘服でも良いだろうが、わざわざ水著を調達するあたりに砂原のやる気が垣間見える。
そんなやり取りとしていると、子更室につながる通路から子生徒達の足音と聲が聞こえた。それが耳に屆いたのか、それまで地面に膝をついていた男子生徒達が跳ね起きる。その様子を見て、砂原は再度苦笑をした。
「若いな」
「まあ、まだまだ異の水著にはしゃぐ年頃なんですよ。咎めないでもらえると嬉しいです」
砂原の言葉に苦笑を返し、博孝は恭介のもとへと移する。恭介は真剣な眼差しで子生徒達が出てくるのを待っており、その集中力が訓練でも持続すれば長も早いのではないかと思わせた。
そして、子生徒達が姿を見せる――が、男子は子が著ている水著を見て、思わずんだ。
「競泳用の水著にしやがった!」
「ちくしょう! 俺達の夢が!?」
「誰かビキニやパレオを選ばなかったのかよ!?」
そんなことをぶ男子達。中にはショックのあまり足をらせ、頭からプールに落下する者もいる。
子達が選んだのは、紺や黒の競泳用水著だった。ハーフスーツタイプの水著であり、ふとももの半ばまで覆うタイプのものである。背中は多開いているが、男子達が想像していたものと比べれば気の欠片もない。
「なるほど、そうきたか。でも、ボディラインが出るからこれはこれで中々……」
周りの男子達がショックをける中、博孝はしたり顔で何度も頷く。水著とは聞いていたが、行うのは水泳ではなく訓練である。きやすく、頑丈なものを選ぶに決まっていた。それでも、博孝もしは期待していたのだが。
博孝のボディラインという言葉を聞いて、恭介が視線を巡らせる。そして、鼻を押さえて何故か前かがみになりながら口を開いた。
「やっぱ希さんって、“でかい”っすよね……博孝はどう思うっすか?」
恭介に言われて、博孝も視線を巡らせる。恭介の視線の先には希の姿があり、周囲の子達に比べると異彩を放っていた。競泳用の水著はボディラインがはっきりと出るため、恭介の意図するところを汲み取って回答する。
「はっはっは、このスケベめ。しかし、そうだなぁ……アハトアハトかな」
「なんでドイツ語っすか……しかもそれ、どっちかというと88ミリ高砲と勘違いされるっすよ。いや、ニュアンス的に言いたいことはわかるっすけど」
捻った回答をした博孝だが、恭介としてはお気に召さなかったようだ。そのため、博孝は顎に手を當てつつ口元を吊り上げる。
「いやはや、でかいな」
「ああ……でかいっすね」
まるで中年オヤジのような會話だった。男子達の反応は分かれており、異にその手の視線を向けるのが恥ずかしいのか視線を逸らす者、素直に凝視する者、様々である。博孝や恭介のように、凝視しつつ互いの意見を口にする者はほとんどいなかったが。
「でも、希さんだけでなく“大きい”子は割といるもんっすね」
「待ちたまえ恭介クン。その判斷は早計というものだ。もしかすると、水著でも“底上げ”が行われているやもしれんぞ」
「ほほう、それは一大事っすね。でも、それは乙心ってやつじゃ?」
「そしてそれでも騙されてしまう男心か……虛しいな」
二人してそんな會話をしていると、子達も近づいてくる。しかし、さすがに男子達の視線が気になるのか、を隠すような仕草をしていた。堂々としているのは沙織とみらいぐらいのものであり――みらいの格好を見た博孝は、思わず吹き出す。
みらいが著ていたのは、紺のスクール水著だった。しかも、元には『みらい』とだけ書かれた白い名札がつけてある。それを見た博孝は、驚愕から里香のもとへと駆け寄った。
「ちょっと里香さん!? なんなのあの水著!? いやたしかにスクール水著は似合ってるけど、あの名札はなに!?」
まさか里香の趣味かと疑う博孝だが、里香はそれを察して慌てて首を振る。
「ち、違うよっ。その、みらいちゃんの水著を選んでたら、クラスの子に『みらいちゃんにはやっぱりスク水でしょ。そんで、オプションとして名札をつけて、ひらがなで名前だけを書くべきね』って……」
「そんなことを言ったのは誰だコラァッ!? 似合い過ぎてて怒るべきか褒めるべきか困るだろうがっ!」
そうんで博孝が周囲を見回すが、子達はポーカーフェイスで犯人を悟らせない。
「似合ってるから良いじゃないの」
「そうそう、これしかないって思うでしょ」
「でたい可さよね。河原崎君が怒る理由がわからないわ。でも、白いのがなかったのが殘念だったけどね」
口々に『お前は何を言っているんだ』と言わんばかりに責め立てられる。博孝としても、似合っていると思う以上は文句もつけがたい。そうやって博孝が歯ぎしりしていると、みらいが博孝の腕を叩いた。
「……にあう?」
「お、おう。似合い過ぎてて、正直これを選んだ奴に晩飯を奢りたいぐらいだ」
「……ん。なら、いい」
博孝の言葉に満足そうに頷き、みらいはプールに視線を向ける。
「……みず、いっぱい。おふろ?」
「プールっていうんだ。お風呂とは違うぞ」
興味深そうな顔でプールを凝視するみらい。博孝はその様子に苦笑し、視線を巡らせる。すると、近くにいた沙織と目が合った。沙織はを張り、堂々とした足取りで近づいてくる。そして、不思議そうな顔でプールを見た。
「水中や水上での訓練って、何をするのかしら?」
「微塵も恥じらいがないなんて、さすがだな……組手でもするんじゃないか?」
あまりにも沙織が堂々としているため、僅かに気圧される博孝。もしかすると、沙織は剣以外に水泳もやっていたのかもしれない。水著に慣れていると周囲の視線が気にならないという話を聞いたことがあるが、沙織もその類なのかもしれないと博孝は思った。
「ふむふむ……」
沙織の態度を見た博孝は、失禮だと思いつつも沙織の頭からつま先まで眺める。希ほどとは言わないが、適度に大きいにほっそりとしたウエスト。モデル型と言うべきか、スレンダーと言うべきか。
さすがに水にるとあってリボンを外しているが、沙織の長い真っ直ぐな黒髪は競泳用とはいえ水著の雰囲気と相まってどこか艶っぽく見える。
「なに? あんまりじっと見られると、さすがに恥ずかしいわ」
博孝の視線が気になったのか、沙織が不思議そうに尋ねた。相変わらず恥じらいのはないが、口に出した以上多の恥ずかしさをじているのだろう。博孝は『異がいつもと違う服裝だったら褒めるべき』だと思っているため、小さく笑って答える。
「いやぁ、水著が似合ってるって思ってな。スレンダーっつーか、綺麗っつーか」
「そう? ふふっ、お世辭でも嬉しいわ。博孝だって、その水著似合ってるわよ……あと、やっぱり筋質なのね。素敵だわ」
博孝の言葉に、沙織は嬉しそうに微笑む。世辭ではないのだがと思いつつ、博孝も笑って返した。後半は、聞かなかったことにした。
博孝も沙織の笑顔と発言に慣れてきたのか、違和を覚えることはなくなりつつある。ひとまず、胃薬の世話になることは當面ないだろう。言葉を真にけずに聞き流している部分も大きいが。
そんなことを考えていた博孝だが、視界の端に里香の姿が見えてそちらに視線を向ける。先ほども話をしたが、みらいの格好のインパクトが強すぎたためそれほど記憶に殘っていなかった。
博孝の視線に気づいたのか、里香は恥ずかしそうに頬を染めながらをよじる。
「み、見ないで……」
両腕での前面を隠そうとする里香だが、博孝からすればそういった仕草の方が目を惹かれる。
同年代の子に比べると、里香のは控えめだった。しかし、里香の小柄な軀を思えばバランスが取れているとも言える。
「うん、可い」
故に、言葉を飾ることもなくそう言った。それを聞いた里香はますます顔を赤らめ、傍にいた沙織も頷く。
「そうよね、わたしも可いと思うわ。なんと言ったら良いのかしら……こう、抱き締めたいじ? そのまま抱き締めていたら、心地良く眠れそうよね」
「最近、沙織の発言が怖くなってきたよ……」
一何を考えているのだろう、と博孝は心底不思議に思う。里香も、沙織の評価には微妙な顔をした。博孝がそんなことを思っていると、周囲にいた子が意味ありげな視線を向けてくる。
「ちょいとそこのお兄さん、お気にりの花だけじゃなくて他の花にも目を向けてみない?」
「なんだその微妙な発言。俺をお兄さんと呼んで良いのはみらいだけだぞ。てか、俺に何をしろと?」
聲を掛けられた博孝は、疑問を覚えて首を傾げた。
「なによこの兄馬鹿……せっかく水著を著ているんだし、やっぱり褒められたいじゃない? 河原崎君だったら、の子が喜ぶような言葉も朝飯前かなって」
「俺の評価っていったい……」
周囲の子達にどんな目で見られているのだろうか。博孝は自に対する評価に釈然としないものをじつつも、要通りに周囲にいた子達に目を向ける。しかし、微妙な評価を與えられた以上は素直に稱賛するというのも癪だった。
博孝は聲をかけてきた子に視線を向け、靜かに観察する。適度に膨らんだに、適度にくびれた腹部。博孝として何かを言うとすれば、“普通”の一言に盡きる。
「ほうほう……まあ、普通。可もなく不可もなくぶわっ!?」
意趣返しの言葉を口にした瞬間、眼前にいた子と周囲の子からヤクザキックを頂戴した博孝は、そのままプールへと蹴り落とされる。いきなりプールに落ちた博孝は、なんとか水面に上がってプールサイドへ上がろうとする。
「ばっ! ちょっ! やめっ!」
だが、プールサイドへ上がろうとする度に足蹴にされ、博孝は何度も水中へと叩き込まれた。
「なによその微妙な評価は!」
「沈めっ! アンタにはプールの水底がお似合いよ!」
「普通って何よ! 可もなく不可もなくってどんな評価よ!」
「マジでやめてっ! 足蹴にされてわぷっ、喜ぶ趣味はがぼっ、ねえよ!」
突然始まった躙劇に、博孝は必死に抵抗する。周囲にいた子達は一致団結し、博孝が移してプールサイドに上がろうとするのを阻む。博孝は何度も水中に叩き込まれ、それを見た砂原は顎に手を當てながら頷いた。
「ふむ……丁度良い。河原崎が水面から顔を出せないよう、しばらく『盾』で阻害しろ」
「え? あ、はい!」
砂原からのまさかの指示に、子達は一瞬驚いたもののすぐに従う。博孝はプールサイドが駄目ならばと、プールの中心部へと移を開始した。子の蹴りが屆かない位置で『盾』を発現し、それを足場に出しようとしたのだ。
だが、博孝が顔を出そうとしたタイミングで水面ギリギリに『盾』が発現され、水面に上がることもできない。移しても同じように『盾』に妨害され、息継ぎをすることもできない。顔を出そうとする度に妨害されるその姿は、まるでモグラたたきのようだった。
(え? なにこれイジメ? 顔を出せないよう『盾』を張るとか、酷くね?)
水中にいたため砂原の指示が聞こえなかった博孝は、子からける扱いのあまりの酷さに心の中だけで泣く。これならば素直に褒めておけば良かったと後悔するが、それも遅い。
水中を何度も移し、水面に出ようともがく博孝。しかし、既に水に潛ってから三分近くが経過しており、呼吸は“それほど”苦しくないが博孝は々と限界だった。
「って、いい加減死ぬわっ!」
水中に『盾』を発現して足場にし――その際大きな違和があったが、『構力』の規模で力任せに発現させ、右手に『構力』を集め、水面に発現された『盾』を力任せに引き裂く。そして水しぶきを撒き散らしながら跳躍し、プールサイドに著地した。
「あー……死ぬかと思った。おいこら子共! さすがに今のは酷すぎるだろ!?」
髪から滴る水を暴に払い、博孝は文句をつける。すると、子達は気まずそうに顔を見合わせた。
「いやぁ……わたし達もやり過ぎだとは思ったんだけど……」
そう言いつつ、クラス全員の視線が砂原に集まる。砂原は視線が集まったことを察し、なんでもないように口を開いた。
「さて、そこの馬鹿のおかげでわかったと思うが、『ES能力者』も通常の人間と同様に水中での活には制限がある。訓練生レベルだと、無呼吸で活できるのは最大で十分程度だろう。練の『ES能力者』でも、三十分も潛ってはいられない」
その発言から、博孝は先ほどの妨害が砂原の指示によるものだと悟る。若干恨みがましい視線を向けるが、砂原はさらりとそれをけ流した。
「また、水圧の影響も多はける。しかし、『防殻』や『防壁』を発現していればそれにも耐え得る。深海まで潛った話もよく聞くが、潛水病などにかかった事例は報告されていない」
どうやら、授業の一環として博孝を実験臺にしたようだ。博孝は確かに無呼吸でもそれほど苦しくなかったと思い返すが、せめて心の準備はしたかった。
博孝は『ES能力者』として新しい知識を學んだことを喜ぶべきか、最近の砂原からける扱いについて抗議すべきか迷う。校して以來、ことあるごとに授業のサンプルとして扱われているのだ。
「河原崎、今しがた水中で『盾』を発現していたな。その時違和を覚えなかったか?」
「うわ、何事もなかったかのように話を振られた……えーっと、違和といえば、なんか『盾』が発現しにくかったですね」
自の扱いについて一言申したい博孝だが、質問に対して素直に答える。砂原は博孝の言葉に頷くと、プールの中心に三メートルサイズの『防壁』を発現した。すると、プールの水が押しのけられ、水面が大きく揺らぐ。
「諸君らは、普段の訓練では陸上でES能力を発現している。しかし、水中でES能力を発現する場合は若干多くの『構力』を必要とする。さて、これは何故か……そうだな、岡島、答えてみろ」
砂原から水を向けられ、里香は僅かにを震わせた。それでも思考を回転させ、砂原の質問に対する回答を導き出す。
「り、陸上と違って、水が邪魔をするから……ですか?」
「正解だ。陸上……つまり、大気の中でES能力を発現する場合はほとんど制限がかからん。しかし、水中でES能力を発現する場合は注意が必要だ。言うなれば、水を“押しのけて”ES能力を発現するわけだからな」
そう言いつつ、砂原は空中に『防壁』を発現して白く発する球を生み出す。
「陸上……まあ、この場合は空中だな。空中ならば、この通り『防壁』を発現するのは簡単だ。しかし、話しついでにもう一つ……武倉、お前も『防壁』を発現できるようになっていたな。お前は地面に足がついた狀態で『防壁』を発現するが、その時“足元”の『防壁』はどうなっている?」
『防壁』は『ES能力者』を覆うようにして、『構力』で“球の壁”を作り出す技能だ。恭介は、砂原の質問に首を傾げる。
「えーっと……地面に埋まってるんじゃないっすかね?」
「不正解だ。答えは、発現“できていない”だ」
砂原が言葉に、クラスの大半は首を傾げた。恭介が『防壁』を発現したことは、既に周知のものとなっている。発現できているのに、できていない。まるでトンチのような言葉だった。
「つまり、『防壁』を発現することには功しているけど、発現できる“場所”に問題があるってことですかね?」
質問の形で博孝が言う。里香も同じ結論に至ったのか、小さく頷く。砂原は博孝の言葉を聞くと、小さく笑う。
「その通りだ。その気になれば地面を抉ってでも球狀に『防壁』を発現できるが、それは『構力』が無駄になる。諸君ら訓練生にはありがちなことなのだが、無意識のに土の中にまでES能力を発現するのは無理だと判斷しているんだ」
砂原は説明を行いつつ、窓の外に視線を向ける。水練場の外の地面は土の部分があり、その場所に向けて『防壁』を発現した。すると、地面に一メートルほど埋まった狀態で『防壁』が出現する。土の地面は半球狀に抉れ、まるで刃で切り取ったかのように綺麗な切斷面を地表に曬した。
「このように、水と同じく土を“押しのけて”発現することも可能だ。ただし、『構力』を多く消費する。そのため用途はほとんどない。発見されたことはないが、モグラの『ES寄生』でもいれば必要になるかもしれんがな」
モグラの『ES寄生』と聞いて、みらいが博孝に対してどこか期待を含んだ目を向ける。おそらくは、先ほど水中で演じたモグラたたきもどきを思い出しているのだろう。みらいの視線をけた博孝は、そっと視線を外す。
博孝とみらいがそんなやり取りを行っていると、沙織が挙手をした。
「教、一つ質問があるのですが……それは、対『ES能力者』用に転用することも可能ですか?」
「転用か。つまり、『ES能力者』のの中に『防壁』を発現する……攻撃に用いることができるかという質問か?」
沙織が行った質問に、博孝は『騒な発想だ』と首を竦める。しかし、同時にその答えも見えていた。
「そうです。それが可能なら、強力な武になるのではないかと」
「著眼點は悪くない。しかし、それは不可能だ。『防壁』の中に閉じ込めることは可能だが、『ES能力者』のを巻き込んで発現することはできない。相手も『構力』を持っているからな。例え俺がそれを行おうとしても、訓練生が持つ『構力』を突破することすらできんだろう」
「そうですか……」
戦闘に転用できるかもしれないという発想については、沙織は非常に優れている。以前ほど“強さ”に固執しなくなったといっても、それは彼の生來のなのだろう。
「まあ、他の『ES能力者』が持つ『構力』へ影響を與えるES能力も存在するのだがな」
沙織の言葉を否定したものの、騒な一言を追加する砂原。生徒達は揃って驚いた視線を砂原に向けるが、砂原は真剣な表を浮かべている。冗談の類ではないようだ。
博孝は自が持つ『活化』のことかと思ったが、砂原の様子を見る限り違うようである。
「二級特殊技能に『干渉』という技能がある。これは他者の『構力』に干渉する技能だ。例えば、相手が『撃』で放った弾を霧散させる、防を打ち消す、回復を阻害する……簡単に説明すると、そんな技能だ」
話だけを聞くと、強力なES能力に聞こえる。だが、砂原は『もっとも』と言葉をつなぎ、補足を行う。
「完全に無効化するのは難しい。大きな技量差があればそれも可能だが、大抵は弱化させるのが限界だな。あとは有名なES能力だが、『武神』長谷川中將閣下が持つ一級特殊技能に、『干渉』の上位技能である『空間作』という技能がある。こちらは非常に強力だぞ?」
『空間作』という言葉を聞いて、生徒達は再び疑問を覚えた。名前を読むだけなら空間を作するES能力のようだが、一何に使うのか、と。
「この能力は他の『ES能力者』ではなく、“空間”に干渉する技能だ。簡単に言うと、空間を“歪めて”相手を切斷したり、防手段に用いたりもできる攻防両用のES能力だ。現狀のES能力の中では、最高の難易度を誇る」
砂原の説明に、博孝は心で頷く。『ES能力者』として到達點は“そこ”なのかと、納得を示す。
『ES能力者』になった時點で、言葉は悪いが人間とは異なる“生”になる。人間離れした膂力や力、頑丈さ、理法則から始まる各種法則をある程度無視した生になるのだ。
『ES能力者』としてが進むと、今度は重力を無視することが可能になる。練の『ES能力者』になればなるほど『飛行』の発現が容易になり、また一歩“人”という枠から逸する。
そして最後に、空間自に干渉できるようになる。博孝自は『空間作』を使えないため的には理解できないが、そこまでいけば最早人とは呼べまい。
「々話が逸れたが、本日から行う訓練では水中および水上でのES能力の運用について學んでいく。水中での戦闘などあまりないと思うだろうが、任務によっては水生の『ES寄生』との戦闘もある」
水生の『ES寄生』と聞いて、博孝は巨大なサメを想像した。海で遭遇すると恐ろしい生きの五指にるだろうが、それが『ES寄生』になればどんな変化を遂げるのか。
(がでかくなって、口もでかくなって、船だろうが人だろうが関係なく噛み砕くとか?)
どこかのホラー映畫にありそうだと博孝は思った。博孝がそんな想像を繰り広げる中、砂原は話を継続する。
「また、艦船の航行に隨伴してその護衛に當たることもある。特に、艦船の隨伴については輸出にも関わる重要な任務だ。訓練校にいる間に、その基本を全て叩き込む」
そこまで言った砂原だが、言葉を切ると僅かに戸うような素振りを見せた。しかし、すぐさま表を繕うと、表をより一層真剣なものにする。
「それと、これは當面先の予定ではあるのだが……」
生徒一人ひとりの顔を見回し、砂原は靜かに言う。
「次回の任務は、海上を航行する艦船の護衛任務が予定されている」
そして、その言葉は生徒達に大きな揺をもたらした。訓練生である以上、授業の一環として任務に出るのは當然である。しかし、海上で艦船の護衛を行うと聞くと、これまで行ってきた任務よりも格段に難しくじられたのだ。
そんな生徒達の揺を察したのか、砂原は表をらかいものに変える。
「次回の任務ではこれまでと異なり、実際に護衛を行う正規部隊の見學が主目的だ。可能ならば海に出現する『ES寄生』との戦闘も行いたいが……現場の空気にれ、正規部隊の実任務について學ぶことを優先とする」
砂原も任務の難易度を把握しているため、『ES寄生』の発生警戒區域の警邏任務と同様に、生徒に主を持たせて任務を行わせるつもりはない。次回の任務は、現場の空気を味あわせるのが目的だ。
艦船の護衛任務を専門に行う部隊に隨伴し、生徒の護衛として空戦部隊も連れて行く予定である。三回目の任務では『天治會』に襲われたが、次回の任務では同じような失態を繰り返すわけにもいかない。砂原は個人的にも様々な“手”を打つつもりだった。
それに加えて、任務にはまだまだ期間がある。これまで行ってきた任務は全て任務の數日前に通知をしたが、次回の任務については三ヶ月以上先だ。これは、三回目の任務でけた影響を鑑みて“上”に抗議した結果である。
そのため、生徒達には十分に水中および水上での戦い方を教えることができるだろう。
陸上での訓練も欠かせないため毎日行うことはできないが、それでも基礎の基礎程度は教え込める。無理なら、そのに“叩き込む”つもりだ。
訓練の仕上がり合によっては、『ES寄生』と遭遇した際に撃退を手伝わせても良い。
「まずは、『ES能力者』が水中でどれぐらいけるのかを確認する。そして、その次は水中でのES能力の発現訓練。次に組手を中心とした水中戦闘。最後に小隊同士の模擬戦ができるレベルまで鍛える。水中での作に慣れたら、水著ではなく戦闘服に変える。水の抵抗でき難さが増すからな」
今後の訓練容を説明する砂原に、それを聞いて納得をする生徒達。段階を踏んで訓練が進むのならば、教わる側としてもありがたい。だが、砂原が楽しそうに口元を吊り上げたのを見て、生徒達は一歩後ろに引いた。砂原が楽しそうに笑う時は、生徒達にとっては“楽しくない”ことが起きる前兆である。
生徒達の反応を見て、砂原は獰猛に笑う。
「というのが、“通常”の訓練課程だ。だが、俺としては諸君らを可能な限り鍛えようと思う。それが教としての責務であり――訓練生である諸君らは、鍛えられるのが義務だ。任務までは三ヶ月もある。それまでに、水生の『ES寄生』どころか水中および水上戦闘を専門とする『ES能力者』と戦えるレベルまで鍛えてやろう」
どうだ喜べと言わんばかりの砂原の様子に、生徒達は顔を見合わせながら青ざめる。
――任務よりも先に死んでしまうのではないか。
真剣に、そんな懸念が思い浮かぶ。それでも、生徒達は三回目の任務でじた自分達の無力さを思い出して起する。
砂原が強くしてくれるというのなら、それは喜ぶべきだ。無力を嘆くよりは余程良い。
生徒達は、そう強く決意したのだった。
あまりの訓練の厳しさに、その決意が鈍るのには三日もかからなかったが。
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